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豊臣家家系図

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豊臣家家系図番外 [秀次家系]

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俗に言われている『秀次事件』とは秀次が切腹、秀次と親しかった大名は良くて叱責、悪くて切腹、普通に改易。秀次と親しかった公卿もなんらかの処罰を受けています。
さらにこの事件が事件と言わしめている一番の理由はその残虐性でしょう。
秀次の子や正室、側室、妾、はては侍女までも軒並み残虐な殺され方をしているのです。
秀吉はよほど秀次の事が憎かったのでしょうか。
秀吉の旧主、織田信長も散々残虐な事をしていますがこのそれとは性格が異なるように思えます。
ともかく、この『秀次事件』で秀次に連なる者は死んだはずでしたが一部、例外がありました。
まず、秀次の第二正室の若政所(池田恒興の娘)は処刑を免れ兄の池田輝政の元に返されています。
何故彼女が処刑を免れたのか定かではありませんがいくつか推測を立てる事が出来ます。
まず、池田輝政自身、秀吉に可愛がられていた事。第二に同じ武断派と呼ばれる浅野幸長がやはり秀次と親しかったにも関わらず改易されていない事。第三に池田輝政が後に五大老筆頭になる徳川家康の婿だったことです。
秀吉自身にそうした政治判断があったかどうかは正直、微妙だと思いますが、或いは秀吉の側近がそうした判断をしたのかも知れません。
また、秀次の子で処刑を免れる事が出来たものが居ました。
まず、淡輪徹斎の娘、おこごの方が産んだお菊。彼女は秀吉による探索の目を逃れ和泉波有手村の後藤家の養女になり、紀伊山口の山口兵内に嫁ぎますが豊臣方の間者となりそれが元で徳川方に切られたと言われます。
次に公家の梅小路家に嫁いだ娘。彼女の血統が梅小路家に伝わっていく事になります。
そしてもう一人が隆清尼。彼女は真田幸村の側室となって女子を産み、大坂冬の陣後に瑞竜寺に送られました。
瑞竜寺は秀次の母で秀吉の姉でもある瑞竜院(智子)の住む寺です。
さらに大坂城落城後に姉の居る梅小路家に見を寄せ男子を産みます。
隆清尼の娘、御田姫は岩城宣隆に嫁ぎ、息子もまた岩城家に迎えられて姉の御田姫の命によって三好幸信と名乗る事になりました。三好姓は祖父、秀次が羽柴姓を名乗る前に名乗っていた姓です。
三好家は明治期に真田姓に復しています。



以下は秀次事件で処刑された秀次の妻及び侍女

一の台(正室・菊亭晴季の娘)
お長の方(竹中重貞の娘)
おさこの方(北野松梅院の娘)
お辰の方(山口少雲の娘)
おこごの方(小督・淡輪徹斎の娘)
中納言(小浜殿の娘)
おつまの方(四条殿の娘)
お伊万の方(駒姫・最上義光の娘)
おあぜちの方(秋庭殿の娘)
おあこの方(日比野下野守の娘)
お国の方(大島新左衛門の娘)
およめの方(堀田二郎左衛門の娘)
おさなの方(武蔵もしくは武藤長門守の娘)
お菊の方(伊丹兵庫頭の娘)
お牧の方(斎藤吉兵衛の娘)
おあひの方(古川主膳の娘)
お竹(出自不明、捨子とある)
左衛門のかう(岡本彦三郎の娘)
右衛門のかう(村善右衛門の娘)
おみや(高橋某の娘)
東殿(普請女房・美濃出身)
こせうく(美髯衆・本郷主善女房の姪)
おなあの方(坪内三右衛門の娘)
おふぢの方(大草三河の娘)
おきいの方(おきみ・近江出身)
お虎の方(岡本美濃の娘)
おこほの方(鯰江才助の娘)
おこちゃの方(最上衆とあるが詳細は不明)
せうく(越前衆とあるが詳細は不明)



*参考資料*
豊臣一族の全て 別冊歴史読本 一族シリーズ 人物往来社
"歴史群像シリーズ【戦国】セレクション
 邁進 豊臣秀吉【日本一の出世人】" 学習研究社
本能寺の変の群像―――中世と近世の相剋 藤田達生 雄山閣
戦国武将 ものしり事典 奈良本達也(監修) 主婦と生活社
戦国人名事典 コンパクト版 新人物往来社 阿部猛(編) 西村圭子(編)
戦国大名家臣団事典 西国編 新人物往来社 山本大 小和田哲男(編)
織田信長家臣人名辞典 吉川弘文館 谷口克弘 高木昭作(監修)
信長の親衛隊 中央公論新社 谷口克弘
織田信長合戦全録 中央公論新社 谷口克弘
信長軍の司令官 中央公論新社 谷口克弘
"歴史群像シリーズ【戦国】セレクション
 激震 織田信長【破壊と創造の戦国覇王】" 学習研究社
"歴史群像シリーズ51 戦国合戦大全 下巻
 天下統一と三英傑の偉業" 学習研究社
真説本能寺 学習研究社 桐野作人
秀吉戦記 学習研究社 谷口克弘
本能寺の変 学習研究社 高柳光壽

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多少の(?)関連があっるのかどうかわかりませんが…勝手にTBしてすいません…

2007/10/8(月) 午前 9:07 me468646

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2007/10/8(月) 午前 9:08 [ 『母を訪ねて3000円』 ]

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