第18回:模倣のために自らを提示!?

今回は、1つの訳文の中に構文解釈上の誤り、不適切な訳語、不自然な表現など複数の問題が含まれている、いわば複雑骨折のケースについて考えてみます。

原文35:That influence has grown as the avenues by which people imitate -- or present themselves for imitation -- have multiplied and the process has gotten faster.
(オリジナル訳)人間が模倣したり、あるいは模倣のために自らを提示したりする手段が増えるにつれて、影響は大きくなり、その過程はますます速くなった。

(解説)オリジナル訳には表現上の問題と構文解釈上の誤りがあります。「模倣のために自らを提示する」とはどういうことでしょうか。訳文は原文の各単語を単に日本語に置き換えただけであるため、何を意味しているのか理解できません。この部分は、その前にある「(自分が)模倣する」とは逆に「(他人から)模倣される」ということを表しているのであって、それがはっきりと分かるような表現にする必要があります。構文上の問題は、最後の" and the process has gotten faster"をどう解釈するかということですが、この場合は文脈より素直に、" the avenues ... have multiplied"と同じように"as"を受けると考えるのが自然です。
(試訳)人間が模倣したり、あるいは模倣の対象となる手段が増えるにつれ、またその過程がますます速くなるにつれて、そうした影響は大きくなった。

重要な点が欠けている!?

次の例はどうでしょうか。

原文36:Part of achieving organizational excellence is helping people become their personal best by acknowledging their achievements and giving corrective feedback when they miss the mark.
(オリジナル訳)優れた組織を達成することは、各人を個人的にベストな状態にするのに役立ちます。それには、各人が自分の到達度を認識し、重要な点が欠けている場合はそれを是正するためのフィードバックを返す方法がとられます。

(解説)主節は”Part ... is helping ...”であって、”Part ... helps ...”とはなっていません。この場合helpingは動名詞であり、isの補語です。したがって、上記のような訳とはなりません。acknowledgingの動作主は本人ではなくここには表されていない第三者(この場合は上司)です(上記のhelpingの動作主も同様です)。”miss the mark”については辞書でこの成句の意味を確かめる必要があります(反対は”hit the mark”)。
(試訳)組織を優れたものとする条件のひとつは、部下が目的を達成できたときにはそれを認めてやり、達成できなかったときには改善のための意見を述べてやることにより、各個人がベストの状態を維持できるように支援してやることです。

上記のような比較的短い文章でも、複数の誤りを犯すことがよくあるのです。
くどいようですが、訳語上、表現上の問題は辞書を丹念に調べること、構文解釈上の問題は正しい文法知識を身につけ、それを文脈に沿って適切に活用すること以外に解決の道はありません。いずれも根気のいる作業です。ここでもう一度、第11回ブログで列挙したプロの翻訳者に求められる資質を見直しておいてください。

なお、上記例文のオリジナル訳では"feedback"をそのまま「フィードバック」としていますが、試訳のように日本語に置き換えた方がわかりやすいかもしれません。もっとも、最近はカナ表現もよく使われるようですが。
これと関連することで、筆者が最近気になるカナ表現があります。それは、長音をできるだけ避けるという傾向です。語尾の長音(音引き)を取るのは一般的傾向ですが、語尾でなくとも、たとえば「シュルレアリスム」(surréalisme)のように簡略化してしまう傾向があるようで、これまで「シュールレアリスム」という言い方に馴染んできた筆者にはなんとなく違和感があります(フランス語では明確な長音の発音がない(あるいは曖昧な)ため、あえてそれに近づける必要はないと考えます)。スピードが求められる時代だからといって、ことばまで簡略化してしまうのはどうかという気がするわけです。この論でいくと、例えば「ソーラーカー」(solar car)は「ソラカ」、「シュークリーム」(chou à la crème)は「シュクリム」、「クリームソーダ」(cream soda)は「クリムソダ」、「コードネーム」(code nameまたはchord name)は「コドネム」、「アールヌーヴォー」(art nouveau)は「アルヌヴォ」、固有名詞では「ボードレール」(Baudelaire)が「ボドレル」、「コートダジュール」(Côte d'Azur)が「コトダジュル」、「ボージョレーヌーヴォー」(Beaujolais nouveau)が「ボジョレヌヴォ」、はたまた「アートコーヒー」が「アトコヒ」、「コージーコーナー」が「コジコナ」になるなど、なんとなくせかせかした気分になり、なんとも味気ない世界のように思われてなりません。これとは異なりますが、もうひとつ気になることばに「リラクゼーション」があります。英語はもちろん"relaxation"で、むしろ「リラクセイション」または「リラクセーション」が原語に近い発音です。「セ」をなぜ「ゼ」と濁音にしたのか不可解で、語感としてもかなり汚い印象を受け、これではリラックスなどできません(誰がこういうことばを流行らせたのでしょうか?)。もっとも、これまででも、「ルース」(loose)を「ルーズ」に、「ニューズ」(news)を「ニュース」にするなど、外来語に対する日本人の感覚にはかなりそれこそ「ルーズ」なところがあるので、それほど神経質になることもないとは思うのですが、やはり気にはなります。読者のみなさんは、日頃テレビを見たり新聞を読んだりしていて、こうしたことを意識することはありませんか。気になるカナ表現については、第4回のNoteでも一つの例を述べましたが、一見些細なことのようではあっても、ことばに敏感になるというのはそういうことでもあるのだと筆者は考えます。
PS:「日経コンピュータ」では最近「プロセッサー」(processor)を「プロセサ」と表記しているようですが(メリハリのない間の抜けた言い方とあえて言いたい)、なぜここまで簡略化する必要があるのか理解に苦しむところです。筆者は基本的には、語中の長音だけでなく語尾の長音(音引き)も省略しないIBM方式がベストの方法であると考えます(つまり、「ユーザー」か「ユーザ」か、「パートナー」か「パートナ」か、「エネルギー」か「エネルギ」か、はたまた「パラメーター」か「パラメータ」か「パラメタ」かなど、ある意味でどうでもいいようなところで頭を悩まさなくとも済むからです)。なお、relaxationについてですが、最近の「学士会会報」(2005-IV号)に掲載された九州大学名誉教授大野博之氏の投稿文では「リラクセイション」と表記されており、これなどは稀有な例といえるのかもしれません。

では来週またお会いしましょう。
次回も複雑骨折のケースについて検討します。

2005年10月12日