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イタリア発アモーレ!モトーレ!

工事現場の「日伊合作」

2007年11月30日

■思い起こせばイタリア年

写真市道の工事現場で働くフィアット日立製油圧ショベル
写真もともとフィアットは戦前から戦後にかけて、自社ブランドで建機やトラクターを製造していた
写真フィアット・トラクターのホーロー看板は、今もコレクターズアイテム
写真我が家の近所にて。石畳の改修工事で活躍するフィアット日立の小型建機
写真ポルタ・ヌオーヴァ駅の中庭に佇むフィアット・コベルコの油圧ショベル

 思い起こせば、今年は「日本におけるイタリア2007・春」という年だった。6年前に行われた「日本におけるイタリア2001」の続きである。

 今回もダ・ヴィンチ作「受胎告知」の日本初公開をはじめ、盛りだくさんの催しが企画された。だが、暮れも迫ると、もはや人々からは忘れられてしまった感がある。

 情報が溢れかえる日本という国は、どんな事象でも瞬く間に消化してしまう。ボクとしても、おととし、東京のヒュンダイ・ディーラーでもらった「ペ・ヨンジュン絵はがき3枚セット」をどうしようか困っているところだ。

 それはともかく、小さなイタリア年だったことにちなみ、今回は日本では知られない“日伊合作”について紹介しよう。

■この木、なんの木、建機

 90年代中ごろのことである。当時東京で働いていたボクは、出張で初めてイタリアを訪れた。工事現場を通りかかったときのことだ。油圧ショベルに目がとまった。

 日本で見慣れた建機によく似たスタイルである。そのときキャビンが回転して、後部がボクのほうを向いた。そこには「FIAT−HITACHI」と書かれていた。

 日立グループには日立建機という会社があって、油圧ショベルなどを作っているのは知っていた。有名な「この木、なんの木〜」という日立の関連企業紹介CMでも、その名前がテロップに流れていたように思う。しかし、あのフィアットと組んでいたとは。

 さっそく日本に戻り、そのころ習っていたイタリア語の先生に報告したら、「いや、実はオレもフィアット日立に就職したかったんだよ」と言うではないか。当時、大学の伊文専攻の学生の間では、隠れた人気企業になっていたようだ。

 あとでわかったのだが、正式名称は『フィアット日立エクスカベータ』といって、80年代末に日立建機とフィアットの建機部門・CNHグローバルによって誕生した、建機の製造・販売を手がける合弁企業だった。日本の技術・設計を基にイタリアで製造される建機ブランドというわけである。

 やがて2002年になると、CNHグローバルは今度は神戸製鋼から独立したコベルコ建機と合弁企業を設立、再スタートした。それに合わせて、建機の車体に走る文字もFIAT−HITACHIからFIAT−KOBELCOに変わった。

 思えば1980年代には、フィアット日立と同様に貿易摩擦を回避する手段として、日産がアルファ・ロメオと合弁で「アルナ」社を設立したが、成功には結びつかなった。そのいっぽうで、建機の日伊合弁が今日まで存続しているのは、ちょっとした快挙であろう。

 その秘密は、ボクが住む街シエナの工事現場を観察しているとわかってくる。この街は中世からそのままの細い道が多い。そうした場所でも、フィアット日立やフィアット・コベルコのミニ建機は難なく進入できる。そして、ある日は水道工事に、またある日は石畳の敷き直しにと、狭い作業スペースをものともせず働いている。

 日本生まれゆえのコンパクトさ、狭い場所での機動性が、イタリアの地でも十分に発揮されているのだ。

■お父さんを見るようで

 ところで数カ月前、トリノのポルタ・ヌオーヴァ駅に降り立ったときのことだ。駅は長年トリノの玄関口の役目を果たしてきたが、近い将来別の駅にその座を譲り渡す。つまり、第一線から引退しつつある駅だ。その中庭にぽつんとフィアット・コベルコの建機が取り残されていた。

 夕刻ゆえ、すでにオペレーターは帰ってしまっていて動いていなかった。だが、その建機に“日本の血”が入っているのを知っているためだろう。なにやら日系企業で、現地採用の社員が帰ってしまったあとも残業をしている日本人のお父さんのように映って、もの悲しかった。

 そういえばフィアット日立は、語頭のHを発音しないイタリア人から「フィアット・イタチ」と呼ばれている。動物のイタチのようで、これまた悲しい。だから目撃するたび、思わず同胞に声をかけるがごとく「がんばれ、ニッポン」と心の中で叫んでいるボクである。

プロフィール

大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
 歌うようにイタリアを語り、イタリアのクルマを熱く伝えるコラムニスト。1966年、東京生まれ、国立音大卒(バイオリン専攻)。二玄社「SUPER CAR GRAPHIC」編集記者を経て、96年独立、トスカーナに渡る。自動車雑誌やWebサイトのほか、テレビ・ラジオで活躍中。
 主な著書に『イタリア式クルマ生活術』『カンティーナを巡る冒険旅行』、訳書に『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(いずれも光人社)。最新刊は、『Hotするイタリア―イタリアでは30万円で別荘が持てるって?』(二玄社)。

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