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イタリア発アモーレ!モトーレ!

シャンゼリゼ、42番地の奇跡

2007年10月05日

■「シトロエンの時代」に生まれたショールーム

写真シトロエンのシャンゼリゼ42番地ショールーム。1930年代。(シトロエン提供)
写真『C42』。シトロエンのマークを全面で表現したファサード
写真建築家のマニュエル・ゴートラン氏
写真樹木をイメージしたという垂直型のターンテーブル
写真お披露目の夜、公認クラブのメンバーたちが愛車で参上

 20年前、ボクが人生最初の海外旅行先に選んだのは、ずばり「シトロエン」だった。 急にそんなことを言われても、読者のみなさんは困るだろうから説明しよう。当時、大学生だったボクは、自動車関連書籍を読んで、パリのシャンゼリゼ通りにシトロエンのショールームがあることを知った。それがひと目見たくて、始めての海外旅行にパリを選んだのである。

 シトロエンの創業者アンドレ・シトロエン(1878−1935)は、歯車工場と第一次大戦の砲弾特需で得た利益をもとに1919年、自動車製造に進出した。彼は砲弾工場時代に実践してみたフォード式大量生産を、欧州で初めて自動車に応用した。

 シトロエンの“革命”はそれだけに留まらず、20世紀の広告史にも及んだ。自動車進出3年後の1922年、アクロバット機でパリ上空にCITROENの文字を描いた。1925年には、エッフェル塔の側面に電飾でCITROENの文字を浮かび上がらせ、パリジャンを驚かせた。

 自動車進出からわずか数年で、こんな派手なプロモーションを展開したのである。世界一その名を知られた街路・シャンゼリゼのショールームは、シトロエンが次々と人々を驚愕させ続けていた真っ只中、1927年にできた。

 そうしたストーリーが、ボクの文科系クルマオタクのツボを見事に突いたのである。

■パリがあなたを待っています・・・のはずが

 ボクの話に戻ろう。パリ行きのお金は、当時親が営んでいた蕎麦屋で、雑巾掃除と釣り銭の調達を手伝うことで貯めた。「パリがあなたを待っています」という、クイズ番組における児玉清氏の声が頭の中に毎日こだましていた。

 そして1987年、ようやくパリに降り立ち、シャンゼリゼを目指すと、夢にまで見たシトロエンのショールームが本当にあった。

 内部は数年前に改装されて、チェーン系のステーキ・レストランが併設されていた。今考えれば“コラボ(レーション)もの”の先駆けであり、さすが宣伝・集客手法に長けたシトロエンのなせる業である。

 だが、肝心の車両は、入口部分にたった4台置かれているだけだった。当時発売されたばかりの小型車『AX』だったが、クルマ好きとして、やはり4台は少々悲しい。仕方がないので、せめてもの記念にとレストランで独り寂しく食事をし、ロゴの入った紙ナプキンと楊枝をもらって帰ってきたのを覚えている。

■折り紙ビル

 そのシトロエンのシャンゼリゼ・ショールームが、装い新たに再オープンするというのでパリに赴いた。先日9月27日のことである。新名称は『C42』という。CitroenのCと、地番である42番地を組み合わせたものである。

 実際は、リニューアルといった安易なものでなく、2004年から3年間を費やした完全な改築だった。シャンゼリゼ通り全体においては、25年ぶりの新築建造物だ。

 設計したのは、1961生まれのフランス人女性建築家マニュエル・ゴートランである。シトロエンが主催した設計コンペの応募作約50案のなかから選ばれた。

 間口12メートル、高さ30メートル、総床面積は1200平方メートルである。もっとも目をひくファサードは、大胆にもシトロエンのシンボルである山型歯車“ドゥブル・ジェヴロン”をモティーフにしている。

 ゴートラン氏が語ったところによれば、抽象絵画の先駆者モンドリアンの絵画『コンポジション』や、日本の折り紙を意識したという。

 フランスで最も通行人の多い通りのひとつゆえ、大きな資材搬入は深夜1時から6時の間だけ行なわれ、ファサードのガラス面組み立てには5カ月を要した。

 その強烈な印象のファサードを通して、さらに通りがかりの人を驚かせるのは、垂直に並んだターンテーブルである。最上階から地下まで8台のクルマが同時にグルグルまわる。

 オープン記念展示として、これから約3カ月間は『たゆみない革新』と題し、最上階から地下に向かって、歴史モデル3台、現行モデル3台、コンセプトカー2台を展示する。シトロエンによれば「天界から歴史が降りてくるのを表現した」という。

 新しいビルは現在のところショールームに特化しているが、これから徐々にショップなども充実してゆくことだろう。

■オープンの夜に

 ボクはといえば、記者発表が終わったあともパリに残った。一般のファンとオープンの感激を味わいたかったからだ。いつまでたっても、仕事と趣味の境があいまいなボクである。

 夜8時、ドラノエ・パリ市長もやってきて、音楽とともにファサードに明かりがともされた。やがて公認クラブのメンバーたちも、往年のモデルに乗って到着した。

 あるメンバーの奥さんは「主人は大きな子供みたいなもんですから」と苦笑した。ボクにとって、20年前本当に訪れたかったシトロエンらしいショールームが、ようやくできあがった。

 42番地の奇跡。そんなフレーズが思わず頭に浮かんだ。

プロフィール

大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
 歌うようにイタリアを語り、イタリアのクルマを熱く伝えるコラムニスト。1966年、東京生まれ、国立音大卒(バイオリン専攻)。二玄社「SUPER CAR GRAPHIC」編集記者を経て、96年独立、トスカーナに渡る。自動車雑誌やWebサイトのほか、テレビ・ラジオで活躍中。
 主な著書に『イタリア式クルマ生活術』『カンティーナを巡る冒険旅行』、訳書に『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(いずれも光人社)。最新刊は、『Hotするイタリア―イタリアでは30万円で別荘が持てるって?』(二玄社)。

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