雲 の 通 ひ 路

たとえあなたがだれであれ この世の海に漂い、嵐にもてあそばれ 波に飲み込まれようとするとき あの星の輝きから目をそらさないように(聖ベルナルド)

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お詫び:興味無い方はスルーしてください。

こういうことは、自分のブログで書くのが適切と思うので。
ただ、現場から離れて書くことについては…辺境ブログとはいえど、
呵責を覚えたりもします。ですので、トラックバックします。
12日追記:陰口みたいになるのは嫌なのでコメント欄にコメントを
 残して、再度TBを送ってみました。ただ、承認制であることなので、
 反映しなくても、それは相手ブログさんの運営上のことです)




ええと私はこの方のブログ内容は非常に興味深く拝見してきました。

そしてこういった面には造詣は深くないのですが、
論議白熱のあまりのことが気がかりで”余計な御世話”と知りつつ、
あえてのコメントをさせていただいておりました。



ブログ管理者さんはあくまで、論理でものをおっしゃる方ですし、
信者さんでない立場からでありながら『あえて』されているからには、
ご本人さまが書かれておられるように「カトリックへのリスペクト」が
あるということは本当なのだと思っています。きちんと文献を
それもなかなか国内での紹介・翻訳がないもの…
一般の信者さんがよく知らないことまで調べ上げて入念に構築された
そういうブログであることも、丹念に読むほどに分かります。

しかし記事についての賛否はカトリックサイド・ピオ10世会サイドとの
やり取りに留まらなくなってくる………。多分ブログ主さんやその賛同者の
方々にとってはカトリックサイド(…)からいちゃもんをつけてくるのは
ピオシンパ以外は一人だけだ、あるいはその人がひょっとして…とお思いかも
知れないのですが、「信者でないこと」と「信者であること」の違いは
やはり『事実』として存在することは確かなのです。やはり「信者」「未信者」
という言い方やその使われ方は非常に外部から見ると差別的にも映りますが。

事実、「金田さんブログ記事を批判される方の枕詞は、「信者でもないくせに」とか
「信者なんだろうか」とかいう言葉ですから。それがくだらないものにしか
見えないのかも知れないだろうか、とも推測します。あくまでも推測ですが。

カトリックの擁護 Defence of Catholicism
未信者はカトリックを語りうるか?
(1/11)

http://defencecatho.seesaa.net/article/77737967.html

ただ、やっぱり…残念だなあ、とは思います。ご言い分、なのでしょうが、
個人的にはどうしても聖職者との交流と申しますかそのご指導を仰いでいる立場、
それを記事で俎上にあげられている方が故意に利用していると思わない。
当然、個人個人に事情があるので、「聖職者に会う会わない」であるとか、
「信者であるかないか」というのは別にかまわず、それこそWeb上では自由に
論じて構わないのは言うまでもないのですが…私が気になるのは俎上に
上げられた人たちが「管理者に発言そのものを禁じたか?」ということなんです。

そんなことはしてないと思うんですけども………

私はアタマ足りないので、というのかネット上のこういった議論に加わってない
多くの信者さんは、論議になっているお題そのものも理解する努力はしてると思います。
が、それ以上にカトリックで大切にされている「徳」というものを…発言者一人一人の
コメントのなかに見出せるのかどうかということも含めて読まれている可能性が
高いと思うんです。それは基本的な「ネチケット」も当然含みますけども、

心のともしび 要理の友 第35課 キリスト教的徳
(引用が禁止されているため、リンク先でご一読願います)

http://www.tomoshibi.or.jp/tushin/yori/yori35.html

こういった面からも、発言者のコメント内容をチェックしている可能性が大だということです。
そしてこの面でアウトだと思われた段階で、離れられることもあり得るということ。
要は「論」だけで説得できないのが『カトリック信者』なんだというのを、多分言いたい……
ということではないのかなあ、と思うのですが。宗教が相手の場合、論破だけでは
ダメなんだということは、多くのケースが示していると思われます。

金田さんのご意見そのものでなく、アプローチの問題を言っているのではないか、
と私は考えてますが、そういう見方は甘すぎますでしょうか?

しかし、それでもあえて「論破」で貫徹されるなら、それはそれで一つのスタイルとして
全うされるのというのもまた新しい可能性なのかな、という印象です。

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理解しづらいとは思うが

まぁ、言論封じはしていないにしても金田さんの文書への批判は結局無神論者の書くものは無意味だみたいな方向にあるでしょ。

しかし、司祭に仰ぐ必要がない領域と仰ぐ必要のある領域があるということを理解していないと金田さんの言う意味は判らんでしょう。

霊的な分野と、完全なる論理とがカトリック世界にはあり、信仰生活を営むものにとっては双方のバランスが重要ですが、信仰生活外の人間にとっては後者を論じることは可能ですが、前者には言及できない。そこを金田さんはわきまえていると思います。しかし批判している人はそこの区別がついていないので混乱しているのでしょう。

神学を扱う人々の集まりに何度か出たことがありますが、そういう切りわけを彼らは出来ます。というかしないと出来ない世界です。無信仰者のスコラ学者と信仰者の神学者との議論を何度も眼にしてきたので私はその辺りの切り分けを理解できます。合意できる限界と、合意できない限界があるのです。金田さんは合意できる限界で話していると思います。

しかし一般の信仰者はその辺りを切り分けて考える必要がないのでそういう訓練をしてこない。故に誤解があるとは思います。まぁ、普通に信仰生活してるならほんというと必要ない思考なんですが。

アプローチの問題に関していえば金田さんの手法は神学世界の学究の手法です。ゆえにプロからすれば当然のアプローチでしょう。(まぁROMしてる友人の学者司祭も金田さんのやり方は偉いなぁと申しておった・・・)

日本のカトリックはそういう学究態度に対し、どうも無知というか「信仰なくば空しい」のほうを前面に押し出しすぎていて、知の探求の手法を教会内で軽蔑する傾向にあるなぁとは常々思っています。司祭ですらそういうのが多いので、ラッツィのことを誤解してるのがいたりする体たらくの原因となっていると思います。
  • あんとに庵
  • 2008/01/12(Sat)14:37:58
  • 編集

あんとに庵さま>

コメント有難うございます。

>結局無神論者の書くものは無意味だみたいな方向にあるでしょ。

そこまで言ってないでしょう。

そして、人数的には「一般の信仰者」の人の方が多そうな気がしますが。そうでない人たちに比べれば、確かに割り切るべきところを割り切れてなかったり、そういうところが愚かにも見えましょう。あんとに庵さまが「一般の信仰者」とはまた違う視点からお話されているのは分かります。しかし私にとっては、「それはそれ」です。金田さんにとってもこっちのスタンスは同じく「それはそれ」でしょう。だからこちらのエントリで書いたのです。あともうこの件については、書かないつもりでエントリしてることも蛇足ながら申し上げておきます。

それすら不愉快であれば(金田さんや閲覧されている方々含め)謝罪しますが、この点のみ、どうぞご理解くださいませ。

anbai@ 管理者拝
【2008/01/12 22:54】

んで・・・

まるちゐぬさんに限っていえば、ただの誤解というか、まるちゐぬさんが言いたいことがうまく伝わっていないゆえにどこかで誤解状態になってるとは思う。
しかし言いたいことってのが、これまたよく判らんので、理解できるならフォローもしてみたいが、それすら出来ないし、同意できないことならそれはこうじゃね?と言ってみても、どうもそれも違うようで、よく判らんのですわ。

まぁ犬も食わない喧嘩エントリはもう双方泥沼化してるんでなぁ・・・やれやれ。
  • あんとに庵
  • 2008/01/12(Sat)15:15:39
  • 編集

ちょっと違うと思います。

はじめまして。こちらに初めて書かせていただきます。

横レスになって申し訳ありませんが、私はコメントの中で法学部、哲学、神学、教会の勉強会、このどの場所での発表を想定されているのか、それによっていただく回答も、聞き手の反応も突っ込みも違うと述べました。

ピオの問題は現実では一般紙において「教皇がもしピオを受け入れたら、即刻欧州各地でテロが始まるだろう。平和の象徴である教皇がそれをなさるか?」と記事にするくらいセンシティヴな内容です。
私個人も金田氏が教会法やその他の関連文書を用いて趣味でピオの問題点を探られているのは重々理解しています。
が、「カトリック」「ピオ」「教会」などのキーワードで上位に引っかかる「擁護ブログ」でコンセプトが不明瞭だったので、平信者として信者には「良心」というものがありそれは人の手で作られた教会法を制すことができないので信者読者には説得力に欠けるのでは、とも書きました。が、それは説得するつもりもなく、他のブログからの引っ張って例に出すというのも今は良くわかりました。良くわかったのもコメントで対話ができたからです。

現在は筆者の立場もコンセプトも公開できる限りでほぼ明瞭ですから、この事項に関わる当事者の方々もその点を足すなり引くなりして読めるのでそれでよろしいのではありませんか?

あんとに庵さんが上に書かれた最初のコメントはanbaiさんも既に重々承知だと拝察いたしますが。
  • まるちゐぬ
  • 2008/01/12(Sat)19:46:59
  • 編集

まるちゐぬさま>

まるちゐぬさま>
同じく、コメント有難うございます。
正直、論議の場を分散するのは好ましくないので、コメント欄を閉じて書くべきだったか…?というのは迷いました。
間接的に俎上に上げてしまった形になるので、申し訳なかったです。許してください。
まあ、私としては「第三者であること」をこの件については選択したいです。つか、正直言って、以前…「馬鹿でもいいのよ。反省しなくなるし、助け合わなくなるし、神さまだって要らなくなっちゃうから」と仰った信徒さんの気持ちが今になって分かるような感じがしないでもないんです。

正しい知識があることは必要かつ大切なことは言うまでもない、ということを前提にしても。

anbai@ 管理者拝
【2008/01/12 22:54】

ピオ問題とB16

ついでに、ピオ問題における現在の教皇さまですが、かなり地道に教会法など以外の面からご活躍されていると思われます。
BP(神の牧者会)長上はピオ追放後、B16に「ルフェーヴル派には最早、良きカトリック信者であったルフェーヴル司教はいない」と直訴されたことなどB16とのいきさつもブログで既に述べられています。教皇とフェレ総長の面談についても、ローマ側の要請を全部否定したFSSPXのウィリアムソン司教のことも。
ボルドーにあるBPですが今のところ教皇庁立の単独小教区です。現在既に40人の神学生、昨年は数名の叙階者も出、教皇様からはAumonier(施設付司祭)を派遣する許しも得ました。(が、共同司式などはまだ認められていないはずです)。こういうピオからカトリックへの転会希望者(聖俗)の措置やボルドー教区長の受け入れ関連文書などピオ問題の糸口にもなりますが、かのブログ主はフランス語についての文書は調べるおつもりもないようですので、BP院長のブログが将来出版され、英訳されたら、その段階で受け入れていただけるのかもしれませんね。日本においてこういう情報・知識面で時のずれるのは教会文書でも同様ですのでそれを他人様に対してどうのこうのしようというつもりは更々ありません。例えば私は既にSacramentum Caritatisも読んでおりますのでクリスマス深夜ミサがなぜノブスオルドによるラテン語ミサだったか明瞭に存じていますが、これが日本では1962ミサの前提だの話が摩り替わってしまうこともあり得るのもしょうがないですね。

  >ラッツィのことを誤解してるのがいたりする体たらくの原因となっていると思います。

私はラッツィは「ガッコあたま」ではないと確信しています。本当にバランスの取れたすばらしい教皇様です。彼を育てた教区民のために祈ることも私達は忘れてはならないです。本当に感謝。日本における教区司祭の養成については神言会ご出身である菊池司教さまも加わられての改善過渡期かと思われますので、あんとに庵さんの希望が届けられますようささやかながらお祈りいたします。
  • まるちゐぬ
  • 2008/01/12(Sat)20:05:53
  • 編集

まぁ、ほんというと気持ちわからなくもないが・・

まるちゐぬ様>

あのブログははじめっからコンセプトが明瞭だったと思います。金田さんのスタンスについては金田さん個人のブログではっきりしてましたし。(というかブログコンセプトが明快ってのは寧ろ珍しいかも。わたくしのブログにはそれは全然ない・・・)

>法学部、哲学、神学、教会の勉強会、このどの場所での発表を想定されているのか

彼はどこも想定していないですよね。「ネット上でただ書く」というだけだと思う。

しかしそれらの前提で何かが変ることでもないでしょう。明快な事柄を明快に書いているだけで。

「ローマ・カトリックは教皇をヒエラルキアの頂点としている」という事実はどこの場を想定していても変わらない。それと同じです。

ゆえに・・・

>平信者として信者には「良心」というものがありそれは人の手で作られた教会法を制すことができないので信者読者には説得力に欠けるのでは

・・・ということにはならない。説得力は充分にあるでしょう。

「ローマ・カトリックのヒエラルキアの頂点は教皇である」というのはどこの場で語られても真です。説得力以前の問題でもあります。

しかし「ボルジア教皇アレクサンドル6世を規範とするのは難しい」とか、そういう信仰生活上で躓く時は、まぁ司祭に相談もしますね。そういうのは司祭に聞かないと迷います。

しかし「アレクサンデル6世は教皇である」についてはたとえクズ教皇であろうと「教皇」という身分であったことはみんな認めます。

つまりまぁ、そういう辺りのことを切り分けといたほうがいいよってのは、金田さんがネット上ではああいう立場を貫くつもりなようなんで、はじめっからそういうつもりで接しとりました。

友人司祭も含めて、聖域ギョーカイの読者もぼちぼち知っていますが、プロは「彼は面白いことしとるなぁ」と思ってみているようです。彼が間違っていること書いていたらメールの一つでもしてるかもしれない。
  • あんとに庵
  • 2008/01/12(Sat)20:26:20
  • 編集

ラッツィはいいよね

ラッツィはいいですよね。

わたくしの主任司祭(ドイツ人)ははじめラッツィ就任の時、顔をしかめていましたが、今ではベネディクト16世を尊敬しています。彼が教皇として行っていることが理解されはじめたようですね。

私の祈りがなくても、きっと彼はその働きで皆に認められていくとは思います。んで、あてくしはこっそり応援します。
  • あんとに庵
  • 2008/01/12(Sat)20:29:54
  • 編集

集客方法とターゲットのずれ

あんとに庵さん、

金田氏ブログについておっしゃっていることは私も四半世紀前から存じていることだったりします。彼のタイトル、内容から検索で引っかかって既に多くのカトリック信者が覗いていることもよく知っています。

  >彼はどこも想定していないですよね。「ネット上でただ書く」というだけだと思う。

これも今回の流れで鮮明によくわかりました。というか、法学ゼミなら既に結論済み、哲学科ゼミなら他の宗教からの考察、神学部なら「更にどうする?」という研究発表後の想定も私は書きました。ご覧になってます?
あんとに庵さん個人が金田さんについて理解しやすいのは当然でしょう。
ですが、まったく異邦人である一般読者があのブログを覗いて、ブログ主のBGはわかり難かったのは事実です。ブログ主が銀座の老舗のように胡坐をかいているならそれで構いません。「カトリック」「ピオ」「教会」「異端」など引っかかりやすい検索語句で溢れた内容を作っているのも流石だと思います。これらの文句で釣られた信者の立場は一切考えないのもブログ主の自由だと私はわかっていますよ。釣られた信者の方は品定めして一見(いちげん)で済ませるかタニマチになるかも自由。ブログ主の自己満足に浸って自由に語るならお仲間内でKeyでもつけて紹介一見制にして持論を披露する手もあります。
ピオ問題については普通の聖職者レベルで解決済みの問題を生半可な知識の個人による文書検索やら読後感想で結論が出るなら教会も司祭はいらないですよね。と、普通、司祭が釘指すけど。司祭要らずじゃ、そこから話が平行線。教会法と関連文書だけで論破したところで自己満足だけじゃん?
教皇さまがエクレジアデイ以降、どういう思いでFSSPをここまで安定させ、今は新たにBPを育て、自発教令を出したかなんてなーんにも考えないで、「未信者による前代未聞空前絶後の披露」?

例えばブログ主の英文読解力が弁護者によって褒め称えられてましたけど、なぜその読解力を生かしてネゴもしないで、私に「あなたがやれば?」しか言えないのでしょうね。私にしてみればまったく弁護になっていないハッタリですよ。世界中の当事者が既に「自分ができるなら喜んで解決のために動いている」のですよ。
ちなみに2004年にもアメリカには既に1962典礼の教区立修道会が創立されています。教皇さまはガッコ頭で執務室に篭ってらっしゃる方ではありません。ピオというかトラディショナリスト分野の件では俗世の超ウルトラど天才CEOです(1988年当時からだけどね)。
  • まるちゐぬ
  • 2008/01/12(Sat)22:23:23
  • 編集

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