日本の医療をぶっ壊せ!
低脳の日本のマスコミの医療事故の報道や、業務上過失致死という言葉しか知らないばか警察、検察に対し、宣戦布告する。
 
 
2008-01-12 12:47:37
真面目に考えた
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今日こそ、軽い話題を一つ。

よく職人を扱った番組がある。
そこでの決め文句がこれだ。

「○○は生き物なのです」


例えばうどん職人。

「粉の水分はその日の気候、湿度で毎日変わります」
こうやって(といい粉を手でもむ)
毎日粉に聞いてその日加える
水の量を決めるのです。

そこで、決めぜりふ

「うどんは生き物なのです」


なんだか
こう言われると
すごい職人だな〜、と思ってしまう


これを
医者に
応用する。
こうなる。


「患者はその日の体調で毎日変わります」
私はこうやって(といいつつ触診、聴診)
その日の体調に合わせて治療方針を決めます。

ここで決めぜりふ。

「患者は生き物なのです」


2008-01-11 12:15:50
おっとびっくり
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今日は軽い話題。
いつも重いと疲れるからな。

外来で最近よく思うこと。


「動悸がして」
「疲れやすくて」
「立つとふらっとして」


80才過ぎの訴え。

一通り検査して異常はない。
こういうと反応が2通り。



「良かった。年と言うことじゃね
と喜ぶ人。


「そんなはずない」
とくってかかる人。



「年を取るとどこかしこか悪くなるのです。
失ったものを嘆くより、
今あるものを感謝して喜びましょう
こう説明する。

医者として正しいかはわからないが。


心の中では
人生はいつ終わりが来るか誰にもわからないのだよ。
最後のその一瞬まで楽しまなくては
と付け加える。


妻が亡くなって特に生きる、と言うことを意識している。


「自分の価値観を押しつけるな!」
という批判もあるだろうが
生きることの意味を考えず医療に携わるより
ましであろう。


こんな事考えていたら
ぴったりの歌に出会った。


竹内まりやの

”人生の扉”
である。DENIMというアルバムに入っているらしい。


I believe life is still worth liveng
と歌い上げる。

不思議なピーチパイを歌っていたのが
今では50才だそうだ。

前向きに生きる歌詞に聴き入ってしまった。



今日のポイントはこれだ

楽しもう


軽いか重いかわからない
話題になったな。曲紹介のつもりだったのに。

しかし、ま、気が向いたら聞いてみてくれ、


2008-01-10 14:16:06
怒るぜシリーズ
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日本の医療に自浄力はない

いきなり刺激的であるが
悲しいことにその通り。

一応病気別にガイドラインという指標はあるが
守らなくても罰はない。

それどころか、ガイドラインのデータそのものが
多くは
海外のデータの丸写し。
むちゃくちゃな医療を抑制できるはずもない。


海外ではどうか?
米国では、民間の保険会社が一応抑制にはなっている。
つまりガイドラインから逸脱するような医師の医療費の支払いを
認めないのである。

ただし、

正当な治療でも難癖つけて支払わない(民間企業だからな)から
まねは出来ない。


日本でも、医療費をチェックしているが、
循環器のレセプト(医療費支払いの、ま、レシートだな)を
呼吸器外科の医師がチェックしたりしていて
ただ単に病名と医療内容のすりあわせをしているに過ぎない。


つまり、



やったもん勝ち



例えば、心臓の血管(冠動脈)のステント治療を例に取ると、
本当は、症状があるとか、心電図で異常がない場合、必要ない。
軽い動脈硬化は、誰にでもある
のである。

そう言う軽い動脈硬化ほど技術的には簡単である。
ステント2−3個いれれば、

ハイ、100万円

患者にも、
初期の動脈硬化を完全に治しました
なんて説明すれば大喜びだ

「この先生に一生ついていこう」
なんてな。


今日のポイントはこれだ。

大事な病気ほど
複数の医師の意見を聞け
これしかないぞ。
自分を守るには。


しかし、おれもステント1個につき
ボーナス5万円出るなら
どんどん入れるぞ!!

おっとよつばってはいけんな。


2008-01-09 12:06:58
怒るぜシリーズ
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しかし、医者の側にも問題がある。
伝聞で申し訳ないがこんな病院がある。

愛媛県の松山市
よつばクリニック(仮名)
以前にも紹介したが、新ネタだ。


患者さんは大腸ガンで某病院に紹介された。
添書を見てびっくり!


その10日前によつばクリニック(仮名)で
ステント治療を受けている。

なにが悪い??か?


ステント治療の後は血液をサラサラにする薬を使うから、

1ヶ月は手術が困難になる
のである。

従って、手術を必要な患者にステント治療をする場合、
非常に慎重になる。
手術に耐えられるなら、例え冠動脈(心臓を栄養する血管)が狭くても
手術後に考慮する。

その患者は、確かに狭い場所があるが
その前までジョギングも出来、
手術に耐えられないとは考えにくい。
しかもご丁寧に3本
ステントが入っている。

手術を必要とするガンがあって
この治療は、もう犯罪行為であろう。


その某病院の外科医は頭を抱えているという


よつばクリニックは19床の
クリニックでありながら年間ステント治療は
四国1,2を争う症例を誇り、
医師のボーナスも半端でないという噂だ。
しかもすぐに治療(ステント)してくれるから
患者や開業医(心臓以外の)には受けが良い・・・。


今日のポイントはこれだ。


こんな病院を告発できない医療制度の欠陥も
どげんかせんといかん
医師の自浄作用がない
と思われてもしょうがないぞ。


ところで、よつばクリニック(仮名)の添書では
外科手術後、残りの冠動脈の狭窄(大したことないらしい)に
対してもステント治療を考えていると・・・・。

どうも
患者=クリニックの人柱
らしい。



今回は全て伝聞であり申し訳ない。
しかし、信じたくない伝聞である。


2008-01-08 12:05:53
避け方シリーズ
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さて、問題です。

自宅で飲酒、スナック等2軒で飲酒。
ナンパ目的で時速100kmでぶっ飛ばしたところ、運悪く3人轢き殺しました。
どの程度の罪になるのでしょうか?

答えは

7年6ヶ月
だって、罪名は
業務上過失致死だかんね。


ん?


どっかで聞いた罪名。


あ〜ぁ、あれだ!


間抜けな医師が
重症の患者を助けようとして
一生懸命努力して
残念ながら亡くなったときに
ついてくる罪名だ!!


つまり、生きるか死ぬかの急患を
昼夜問わず引き受けると言うことは
泥酔状態で時速100kmで疾走するような
無謀な行為と言うことらしい。



今日のポイントはこれだ。


やる気なくすよなぁ


なにはともあれおめでとう。
7年6ヶ月後には娑婆に出れるぜ。

医者は一生、
後悔の牢獄から
出れねえけどな。


2008-01-07 21:11:03
真面目に考えた
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いろいろなご意見を頂いた。
大変、有り難く読ませて頂いた。
答えは一つ。

正解はない
らしい。

そうか、と思う反面、残念だ。
まだ迷わないといけない。

しかし、週末、嬉しい知らせ。
土曜日の中学校入試に合格したそうだ。



まあ、よく、こんな状況で入試なんか
受けられたものだ。
やっぱり、子供は以外と強い面もあるらしい。
私も負けてはいられない。

昨日は急患で心筋梗塞2名やってきた。
二人とも心カテ(血管撮影)して、ステント治療。
今朝は元気に座って食事していた。

他人を救うのはこんなに簡単なのに・・・。



ナゼ?



この前、沙希が言っていた。

「沙希ちゃんね、お母さんが倒れたとき
エマおばちゃん(妻の姉)が倒れたら良かったのに、って
思っちゃったの」。
「エマおばちゃんも大好きなのに・・・」


「それはね、普通の考え方だよ」
「沙希ちゃん、お母さん大好きだったのでしょ?」
「ヒトはみんな自分の大好きな人のためには、自分勝手になるものだよ
「恥ずかしがることはないよ」


今、実家で沙希の面倒を見ていてくれている
エマおばちゃん。

「おかあさん!!」


沙希が、ある日間違えて
エマおばちゃんにこう呼びかけてしまったのを
私は知っている。


まだまだ、先は長い。

二人で迷いながら
普通に過ごしていこうと思う。


2008-01-04 12:12:06
真面目に考えた
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年末は仕事だったが、
クリスマスは実家で沙希(子供)と過ごした。

クリスマスイブの夜中、
酔っぱらっていた私はプレゼントを枕元に置くという
大役をすっかり忘れて寝入っていた。
夜中に気分が悪くて起きたとき、何かを忘れていた事に気付く。

「あっ、プレゼント!」

プレゼントを置いた直後に
沙希が起きる。

ぎりぎり、セーフ。


枕元を何か探している様子。
プレゼントの袋を探し出し、
廊下に走っていく。

中身は、任天堂DSと動物の森という人気ソフト。


そのまま、帰ってこなかった。
早朝、こたつの中でピコピコやってる沙希発見。
5日間実家にいたが、沙希と遊んだ、いや遊んで貰ったのは
DSをあげる前だけであった。


ところで、今大きな悩みがある。
それは

母親が亡くなったことを
どのように二人の中で扱えばいいのか?


である。

今でも、沙希は母の事を思い出して涙している。
夜も眠れずに1時頃まで起きていることがざらである。
平気そうにしていてもまだまだの状態。
かといって、沙希を甘やかしてもいけない気がする。

今、二人の間で母親の話はでない。
と言うか、私が出さない、避けている。

かえって、きちんと話題に出して正面から向かい合った方が良いのか?
それとも、沙希が落ち着くまで避けた方が良いのか?
だらだらしていても「辛いのだな」と思って余り厳しくしない方が
いいのか?

解らないことだらけである。


お願いがある。

もし、何かいいアドバイスがあれば
教えて欲しい。

次は1月25日に実家に帰る。

今度は遊んで貰えるかなぁ?


打倒!
DS!!


2008-01-03 10:52:34
避け方シリーズ
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新年早々、不吉なタイトル。
迷惑な話だ。

妻の弔問に来てくれた妻の友達二人
(開業医の妻+放射線科勤務医の妻)
から聞いた話だ。


放射線科勤務医の妻が言う。
うち、会話ないのよね

いや、そんなこと言われても・・・



こういう事情だ。

夫の父が亡くなった。
もう一年も前の話だ。
不幸にも、人工呼吸のチューブが外れてたらしい。
まあ、医療過誤と
言われてもしょうがない。

で、

夫、

医療訴訟に燃えた、燃えた。
医者にはマザコンが多い。
小さい頃から母親の期待を一身に背負ってるからな。

で、

義母、

一緒に燃えた、燃えた。

医療訴訟は、患者の遠くにいた人間程
燃える。
なぜなら、医療者の一生懸命さとか、看護婦の
献身的な看護を知らないから、結果だけで怒るのである。


家の中は真っ暗の重い雰囲気
毎晩のように義母に電話するだけの夫。


ついに妻は切れた。

裁判に勝っても、その頃には
うちは壊れてるわよ!



今回妻の死で、数百万円の保険金が下りる。
しかし、そのお金は全て子供のために使おうと思う。
とても自分のために使おうとは思わない。

また、たとえ、今回過誤がちょっとくらいあっても
医師や看護婦の姿を見ていると、全く訴えようなんて
気にはならないと思った。

毎日、物言わぬ妻の身体を拭いて、おむつを替えて。
その度に、「身体拭きますよ〜」と
妻に声をかけて・・・。


医療過誤で裁判を起こすと言うことは、
単に、不幸の連鎖
うむだけのことなのである。


今日も夫は、せっせと義母に電話しているのだろう。

裁判は絶対に勝てる。
ガンバレ!!


今日のポイントはこれだ。

医療訴訟を起こす前に
一度でも
病室に来い


医者や看護婦の働く姿を見てみろ。


2007-12-21 17:36:44
真面目に考えた
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今日で今週は終わり、って当たり前か。

来週は1週間冬休みである。

うちの医局では、休み最優先
交代で必ず夏冬1週間は休む。
こう言うときは同じ医局の出身で良かったと思う。
まあ、大学の医局制度も弊害はあるが、
外に出れば同じ釜の飯を食った仲。
団結力は強い物がある。

今年のクリスマスはいつもと違う。
なんといっても子供が心配。


1年間に

いじめ
母との死別
親との別居


これだけあれば、ぐれない方がおかしいだろう。

沙希から、こんなメールが来る。
クリスマスはお父さんと寝れるからうれしいな
やっぱり小学6年生である。

サンタからのプレゼントは
任天堂DSと動物の森とかいうゲーム。

私からは自転車。
一緒に住んでるときの休日は
親子のサイクリングだった。
実家でも、と言うわけだ。
しかし、いつまで親と遊んでくれるのだろう??

うちの子供は、サンタを信じてる。
だから、いつもプレゼントが二つ
もしかして、信じてる振りして
プレゼント二つが目当てか?

なんて。
このブログに妻の死についての
思いを書いてきた。
最初は、読んでくれた人に

ヒトが死ぬと言うこと

を考える一つの材料になれば、と思ったが
書いているうちに死を受け入れ始めている自分に
気が付いた。
それまでは、受け入れている、
自分に言い聞かせていたのである。

ヒトの死を受け入れると言うことは
かくも困難なことだ。


さて、来週は楽しいクリスマス。
それまでブログはお休みを頂くとする。
よいクリスマスを。


2007-12-20 13:03:23
真面目に考えた
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ふっ、と落ち着くと一番大切な問題。

沙希(子供)をどうするか?
小学校6年生。
しかもイジメで転校。
お母さんの突然の死。

そう考えると子供にとっては
過酷な一年だったのだな、とつくづく思う。

私の考えは、通夜で楽しそうに
同級生とじゃれ合う沙希を見て、決まっていた。


「沙希の事を考えると、義務教育の間はお義母さんに
お願いして、その後高校受験させてこっちに帰らせたいのですが」

「それでいいですか?」と義母。

「中学から帰ると、また同じいじめた同級生と
同じ中学になります。だから、お願いします」

「私は全くかまいませんよ」

3年間は、私は単身赴任となった。


私がこちらに帰る日、
お昼を沙希と食べに出た。

妻が入院中に、食欲のでない沙希を
連れて行ったおそば屋さんだ。

沙希はざるそば(しぶい!)
私はとんかつ。

「おそば屋さんで、とんかつ?なんでやねん」
沙希のつっこみ。


そのまま義母のマンションに連れて行く。

「クリスマスには帰ります。
よろしくお願いします。」

「わかりました」

そばでじっと聞いてる沙希。

「じゃあね」

エレベータを下りて
駅の方へ歩き出す。

ふと視線を感じて後ろを振り返る。
6階のベランダから沙希が手を振っている。

私は、

”あくび”

が出そうになり、
やばい、やばい、と空を見上げる。

沙希に手を振り返し、


しっかり前を向いて
大股で歩き出した。





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