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2007-10-03 なぜ2次元オタクはネット右翼なのか

どうも。みなさん、お久しぶりです。
街でいちゃついているカップルを見ると石をぶつけたくなる今日この頃、みなさん、いかがお過ごしですか?
というわけで「2次元VS3次元」第二弾です。
僕たちは、「2次元」とか、「萌えオタ」とかいう言葉を知っている。
そして、そういう言葉と「ネット右翼」という層が重なることを感覚的に知っている。
マンガ嫌韓流のamazonの関連商品がオタグッズばっかりだとか。
まー、そういうの、サヨクがネット右翼にレッテルを貼ることにも使われたりするんだけど、そもそもなんでこういうことになるの?
っつーことを考えてみる。
そーゆーことを考えるに当たって、「右翼とネット右翼はどこが違うか」
「2次元愛好者と3次元愛好者はどこが違うか」っていうことを考える必要がある。
まず、ネット右翼の重大な要素と言えば、諸説あるが、
まあ、
極端な歴史修正主義、善VS悪の単純な世界観、なんか変な「愛国心」
だろう。
極端な歴史修正主義ってのは、まあ、病的にまで明治維新から日本国憲法制定までの日本の政府を美化すること。
「日本は100%善だった、誉められるにせよ、誹られるようなことは一切していない」
みたいなトンでもない歴史観をぶっぱなす。
ちょっとでも常識があれば100%悪だとか100%善だとかそんな単純なものではない、
日本の歴史だって汚点や負の側面はいっぱいあるということくらい
分かりそうなものだが、なぜか分かろうとしない。
そんなわけで、例えば南京事件とか「負の側面」は一切「無かったこと」になる。
善VS悪の単純な世界観ってのもネット右翼の特徴の一つだろう。
なんつー風にキッチリ1bitで色分けして、善は全ての欠点に目をつぶって最大限礼賛し、悪は全ての利点に目をつぶって罵倒する。
酷いのになると、アメリカの政党でも無理矢理2つに分けたがる。(そのばあい共和党が善で民主党が悪になる場合が多いわな)
あるべき理想の政府なんて存在しないんだよ!
絶対的な正義なんてあるわけ無いんだよ!
いい年こいてるんだからいい加減わかれや。
なんか変な愛国心ってのは、
「天皇はemperorだからうんぬん」とかいってるやつとか、「日本はGNPが高い」とか言ってるやつとか、「大東亜戦争は日本のみ正義の戦争を戦った。あとの国は連合国も枢軸国(日本除く)も鬼畜ばかりだ。だから日本を愛せ」とか言ってる奴とか、
とにかく、「なんか違わね?」って首を傾げたくなるような愛国心のこと。
んで。
僕の印象だと、3次元の女とつきあうのって、すっごく怖いんだよ。
なんか、自分の行動が相手を傷つけてしまうんじゃないかとか、自分の愛の暴走で相手がかえって不愉快に思うんじゃねえかとか、
すっごく怖いんだよ。
それから、なんだかんだ言って相手のふとしたことですっごく傷ついたり嫌な気持ちになることも多いわけで。
その辺がリアルなわけで。
しばらくすると相手の欠点なんかも見えてきて、それが嫌なんだけど、でもその欠点すら愛おしく思えてきたりもするわけで。
まあ、戯れ言はこれくらいにして、まとめると、
2次元的な愛 相手は完璧な存在 全く怖くない(自分の愛が相手を傷つけたりしない) 相手と自分は離れた存在
3次元的な愛 相手は欠点がある 怖い(自分の愛ゆえ相手を傷つけてしまう) リアル
そんでもって、普通の「愛国心」って3次元的なものをいうと思うんだけど、ネット右翼の「愛国心」って2次元的な愛じゃね?って思うわけさ。
自称「愛国者」が日本を愛するべき理由を語るとき、「日本の識字率が…皇室の歴史が古いから…GNPが高いから…正義の戦争をしたから…」
とか言ってるのってなんか変だなって思うんだよな。男が好きな女の好きな理由を聞かれたときに、「彼女は顔が良くて、胸が大きくて、料理がうまくて、良家の出で…」
とか言い出したような違和感を感じるんだよ。
そうじゃないだろ?「愛」って。そういうものじゃないだろ?
2次元世界にはいっぱいいるよ?そういう完璧な女性が。あらゆる面でパーフェクトで、なぜか主人公に惚れてしまう点を除いて欠点なんて全くなくて。
(3次元の女性が2次元の女性より魅力的ってのは嘘だと思う。だって、2次元の女性は3次元の女性の魅力的な点のエッセンスのみを抽出できるわけだから。んでも心を通じあってうれしいのは3次元なんだよな。)
それから、ネット右翼って、無責任に「愛国心、愛国心」とか言うけどさ、本当の愛国心はもっと怖いものだと思う。
自分が権力者になったときに、自分が国のために良かれと思ってやったこと(政策とか)が失敗で国民を苦しめてしまうことなんて山ほどある。
無責任に「これは愛国心ゆえの行動だ。誉められこそすれ文句を言われる筋合いは一切ない」なんて軽々しく言えるものではない。
そんなことも考えずに「愛国心、愛国心」なんて呪文を唱えているのは、「愛国心」について何も分かっていないってことだと思う。
「愛」が一方的というか。ディスプレイ上で嫌というほど可憐な姿をプレイヤーに見せ続ける少女と、ディスプレイ上の少女を見続ける、愛し続けるプレイヤーの構図とそっくりというか。
「萌え」
という言葉がある。
萌えの三大要素と言えば、
だろう。(異論は認めない)
現実に愛を感じるためには、主体的な行動に出る必要がある。
彼女を作るためには、自分からアプローチしないといけない。
しかし、「萌え」愛好家は主体的な行動に出ない、いや、出ることができない。
主体的な行動に出ることなく、愛を感じたい、そういう主人公に感情移入したいという「萌え」愛好家は、「必然的に自分と離れられない女の子」を必要とした。
それが、生まれた時から自分のそばにいる妹であり、「仕事」で自分と話す用事ができるメイドさんであり、自分が主体的に行動する前から仲がよいという状況になっている幼なじみであった。
この「萌え」ワールドでは、主人公は何のリスクもなく勝手に「愛」が転がり込んでくる。
何をやってもダメのろくでなし人間が、ふと身近にある「愛」(ダメ人間だけど必然的に自分から離れられないという非常に都合のいい存在)に気づき、その「愛」のみを心の支えにして生きていく。
そういうものらしい。
そう気づいたとき、ネット右翼って別に日本を愛しているわけじゃなくて、「ニホンちゃん」という偶像を作り出して萌えているだけなんじゃねーかって思ったのね。
主体的に愛しているわけじゃなく、必然的に自分から離れられない「日本」というものにぶらさがっているだけなんじゃないか、ってね。
要するに、「愛」というものを2次元的にしかとらえられない人が「愛国心」を考えるときにうまく理解できなくてとらわってしまうのが「ネット右翼」なんじゃないかな、と思うわけ。
さておき(ヲイ
まぁ、2次元オタに限らず、フィクションが好きな……もっと一般的に言えば創作物が好きな人というのは、概してそういうものじゃないかなと感じます。
何某かへの感情移入という点において、これらは同列であると感じています。なので別段特別なことではないかと。
愛国心に関しては、ほぼ同意見です。
まぁ、「自称愛国者」の内でまともな人は、「どうして国を愛するのか」という問いに「無理やり」答えるために言っているような気がしますが。
……やはり「なんとなく」じゃ弱いのでしょうか。
私なんか、「家族が好きなことに、故郷が好きなことに、理由が要るのか?」と答えますが。
「誇るものは何ですか?」だった場合はレフティさんの挙げたような理由を述べますが、あくまでそれは「国を愛する理由」ではなく「自国が誇る『モノ』」なわけで、少し違いますものね。
……とまぁ、自分自身(同人界ですが)物書きでもある私の目線ではこのような感じです。
元気かなぁとちょっと心配してました。実は、せっかくだから愛について考察を深めてみたらどうですかと振ろうかなと思っていたのですが、いい機会なので私も愛について書いてみます。
男が愛について考え始めるのは、恋人にしたい女性が現れたときってのは定石ですよね。僕もそうです。一人の女性を「愛する」ことから、愛国心を考えることは次元が違いすぎるとあまりピンと来ない人もいるかもしれませんが、私はすごく重要なことを示唆していると思います。
愛国心の議論で決定的に欠けていた議論っていうのは、愛国心の「愛」とは何かという議論だと思います。教育基本法改正にともなって教育で愛国心を教えるということが問題になりましたが、左右どちらからも「国」って概念が揺らいでるとか、「愛することを強制していいのか」という議論はあったと思うのですが、「愛するとは何か」ということについてついに議論はありませんでしたね。
何で重要かと言えば、簡単なことで「愛する」ことの意味が個々人の中で少なくともある程度実感として感じることができなければ、「愛する」ことはできませんよね。「愛する」ことが分からないのに、「愛する」ことはできません。
このときの愛国心って「愛なき愛国心」じゃないですか?教育基本法改正の議論の際に、「愛国心」を「国を愛する心」と読み替えたことに保守派のおっさんが怒っていたけど、教育で教えるべきはパターナリズム乃至規範意識としての「愛国の心」なのか、「愛する」という能動的主体的に思考する個人の存在が必然的に求められる「国を愛する心」なのかという対立軸がはっきりして、「国を愛する心」の方が良かったと思ってます。もっとも心の強制はよくないということで、「国を愛する態度」になっちゃったんだけど、これって最悪だと思う。「愛する心」を守ったって、頭のいい左翼がほくそえんでるじゃないのかな。
僕は愛するということは、愛そうとする人や対象を信頼することだと思っています。相手の良いところも他人から見れば悪いところも全てひっくるめて信頼しようと努める気持ちが「愛する」という言葉の意味だと私は思っています。相手を信頼したいと思うからこそ、相手からも信頼(愛)されたくて、一生懸命信頼に足る人間になるように努力できるんじゃないかな。
これは僕の勝手な定義であって、leftyさんとも違うだろうし、みんな「愛する」って何かという定義は違って当然なんだと思っています。しかも、愛するっていうことの定義がみんなそれぞれ違っていいんだから、愛国心だってネット右翼諸君が考えているものだけなわけがないでしょ。ところでみなさんは「愛する」っていうことをどのように考えていますか。是非聞いてみたいです。
ウヨクとサヨクは一枚のコインの表裏といったところでしょうか。ウヨク「日本には、〇〇〇みたいな愛すべき部分がある。だから、愛国心をもつべきだ!」⇔サヨク「日本には、〇〇〇みたいな愛すべきでない部分がある。だから、愛国心を持つべきではない!」…似ていますね。ちなみに私の場合、愛国心・愛郷心が強まるきっかけになったのは、趣味の妖怪研究(笑)だったりします。妖怪研究で、歴史の負の側面や人の心の闇とかに関連する要素に触れたんですよね。でもその過程で、逆に私は「日本の歴史や文化は、光も闇も両方ひっくるめて、豊穣で面白い!」と思いました。(これって変ですかね?)だから、“対外的に誇るべきもの”の有無だけに基づいて「クニを愛する・愛せない」を語る人を見ると若干違和感をおぼえます。
「日本は100%悪だった。」と言われ続けてきたので「そんなことは無いぞ、良いこともしている!」がネット右翼の主張だと思いますが。(少なくとも私はそうだし)
それが行き過ぎちゃってる人も中にはいますが…
それにしても「日本は100%善だった。」と主張している人は、かなりのレアケースなのでは?
で、それに熱烈にプレゼントを贈る奴もいれば逆にカミソリを送る奴もいる。普通に付き合う奴もいると。で、結局はそれはいくら男たちが「俺こそ本当の愛だ!」と言った所でおばちゃんが一番嬉しいのが本当の愛なんでしょうけど・・それはおばちゃんに聞いてみないとわからないっすねえw
自分は1bitではなく、「サヨは100%悪と思っている」と勝手に断じているところに、ネトウヨらしさを感じてしまいます。
>愛の気様
「日本人が忘れていることを・・・」というようなことはいかなる論理のサポートにもなりません。「太極拳がはやっているのは親中的日本人が増えている証明」と同程度に無意味です。
ああ、書き方がまずかったですね、すいません。
たしかにそう取れますね。
私が言いたかったのは、「日本は100%悪だった!」と主張しているサヨクさん」に何か言ってほしかったので、つまりそうじゃないサヨクさんはここには入っていないんです。という事を言いたかったのですが…これも解りづらいかな?
じゃあ「日本は100%悪だった!」と主張しているレアケースのサヨクさん」で。
一因として、世界を観る視点が自分から(あるいは自分の信奉する情報から)の1点からしか無いからじゃないかと思います。
ついでに、甘えが許されているからもあるかな?
愛=かけがいの無い感覚を感じられる存在。(喜怒哀楽の定義を明らかにするのと同レベルに難しいけど、答えは各人すでに知っているコトでしょう)
彼らは、日本が偉大だ、絶対に正しい、といった主張ではなく、朝鮮人とシナ人うざい、朝日と革新政党氏ね、という主張によってモチベーションを得ているように見えます。
ケチが付いて死語と化しそうな、”戦後レジームからの脱却”でもいいですが。
つまり、愛なんか無いんです。
以上。
これで終わってはなんなので、もうちょっと捕捉します。
彼らは歴史修正主義ですらありませんし、”日本は100%善だった”ことの証明を目指しているのではなく、中国のプロパガンダが捏造であることを証明することを持って、”恥知らずで危険”だと非難することにやりがいを見出しているのですから。
修正ではなく、相手をののしれればそれでOKなわけです。
彼らはかなりシンプルな認識の中で意見を考えます。
”善VS悪の単純な世界観”どころか、”悪がキモい”という単純極まりない観念論から動機を得ているようです。嫌韓流は、まさにタイトルどおりの漫画で、別に日本人の在日コリアン統治の寛大さを説明した作品ではありませんよね。
ついでに言うと、善VS悪の単純な世界観なんてのは政治の話題では珍しくないと思います。
夕刊紙とか、石原・小泉・安部をなぜかカタカナで呼んだり、沖縄基地問題でエキサイトしている人はそのような世界観を持っていることが多いし、複雑な現実を単純な世界観に押し込めて語られるなんてのはありがちな話です。
別に政治じゃなくて巨人ジャイアンツとかでもいいし。
さて、愛国心ですが、まず”違和感を感じる”フレーズは観念的なオタクの占有物ではないはずです。
まさにそのような物のために、僕の爺さんやひい爺さんの世代は戦争を求め、戦地へ旅立ち、必要以上に頑張って見せた訳ですし、同じように自由を守る伝統とか神とかそういうお題目のために志願した男たちが、今のイラクでガッツンガッツン命を散らしている訳です。(もちろん、アメリカでは貧困層が食うために軍に志願している例が多々あるって事は存じ上げています)
それから、既に他の方がおっしゃっていますが、愛国心という字面に囚われてはいませんか?
ウヨ・リベラル双方でありがちなことです。困ったもんです。
愛国心はNationalism ,Patriotism , Statismを全て含み、しかも愛(愛着)は、Patriotism以外では必ずしも必要とされません。
日本に対する愛国心の動機例はざっと挙げてもこんなにあります。
・自分が直接愛着を持っているから、郷土や知人を維持したい
・自分が属しているから、日本文化を維持したい
・自分の権利を外国から守ってくれるから日本という国家を維持したい
・自分の権利を三権で守ってくれるから日本という国家を維持したい
・自分の権利を民主主義で守ってくれるから日本の政体を維持したい
・政府が今までおおむね正しいことをしてきた日本という国家を維持したい
・民間が豊かさやモラルの点で優れているから日本という国家を維持したい
ですので、愛国心そのものは愛が無くても別にかまわない訳で、おかげで石破と安部では愛国心の定義がたぶん全然違う、といった状態になってます。
困ったもんですね。
とりあえず、日本は多くのメリットを持つ国家ですし、そのメリットを利用し、愛着を持つことは立派な愛国心だと思います。
国の持つメリットを認識し、忠誠を誓うことと、国に忠誠を誓った場合のリスクを認識することは、完全に両立しますし、両立した方が良いと思います。
逆に言うと、片方だけじゃ不足。それが民主主義国家というもんだと思います。
二次元、三次元両方好きなんですが、それはともかく『愛』とはなんぞや?と言う哲学的なモノの掘り下げは愛国を語る上ではやはり避けてちゃいけませんよね。
僕なんかは某忍者とやりあった時にleftyさんが感じたような事と同じ事を感じましたね。
国のやらかした事に目をつぶって生活も命すらも国に捧げろ、と言う反吐が出るような愛…。
その時は愛はギブ&テイクだ、なんて夢もへったくれもない僕の考えを披露してしまいましたが、もちろん愛はそれだけじゃ無いですしもう5年近く嫁と一緒にいても掴みきれない、そんなモノなのかもしれませんね。
前回の書き込みのレスですがleftyさんもアリプロ好きなんですね(笑)
何だかんだ言ってもああいう世界観も好きなんですね(笑)
でも、トータルで考えるとおいらはとっても彼女に助けられているわけです。
女性ってすごいと思う瞬間が何度もありますよ。
打算的であるのは男女同じなんですが、究極は女性のほうが根性座ってるように思えてならない。
この話題で、みんなのコメントが長くなるのってすごく納得
ごめんなさい。本題はずして
古代ギリシャ人は“愛”を表わす語を四つ持っていました。その一つは『エロス』で,性的誘引力と関連したロマンティックな愛を意味します。それから,血縁に基づいた強い家族愛,つまり自然の情愛があります。ギリシャ人はこの愛を言い表すのに『ストルゲー』という語を用いました。「血は水よりも濃い」ということわざが生まれた原因はこの愛にあります。次に『フィリア』というギリシャ語があります。これは,二人の円熟した男子もしくは女子のような友人間の(性的な含みのない)愛情を指す言葉です。最後は『アガペー』で,それは,原則によって導かれる,あるいは支配される愛のことで,愛情や好感が伴うこともあり,伴わないこともあります。しかしそれは,相手に長所があってもなくても,与える側に何かの益が生じても生じなくても,他の人に善を行なうことを願う無私の感情もしくは気持ちです。
アガペーの愛が【希望】よりも偉大なのはなぜですか。それは,愛が『自分の利を求めない』のに対して,希望は自己中心的なものとなる場合があり,自分自身にもたらされる益に主要な関心が向けられるかもしれないからです。
【愛国心】―分裂を生じさせる“神聖なエゴイズム”を醸成する動機づけ?or希望?
時として,民衆が戦争を支持しない場合があります。では,支配者が自分たちの目指すところを支持するよう最も容易に国民を説得できる根拠は何ですか。戦争に対する国民の態度を軟化させるために最も手っ取り早い手段 それは何でしょうか。どんな国の学校も愛国心の原則を教え込む。国旗のもとにはせ参じるようすべての人に求めるための条件づけは,軍事および外交政策に対する服従を勝ち得る上で特に重要です。この体系的な条件づけは,西欧諸国同様,共産圏諸国にも行き渡っています。ですから、諸国家の不安の主要な原因はなくなっていません。それは,諸国家が自ら最も誇りにしている特質そのもの,すなわち自国の主権の独立,その“神聖なエゴイズム”,自国の権益よりも大きなあるいは高度のいかなる権益に対しても反抗の態度を示すことなどである。この“神聖なエゴイズム”は,分裂を引き起こす国家主義に,つまり,ある国が他のすべての国よりも優れているという,人心を害する教えに,要約されていす。歴史家のアーノルド・トインビーは,「国家の精神は,部族主義という古い瓶に入った民主主義という新しいぶどう酒にとって,酸敗を起こさせる物質である」と書きました。また、「権力と不滅性」という本には、「現代の戦争を引き起こす主要な原因は主権である。……流れを変えなければ,主権国家から成る体制は第三次世界大戦を誘発することになる」と書いてあります。国家主義と主権に重きを置くなら,たとえ言語や文化の相違はあっても,みな同じ人類の一員であるという基本的な概念が否定されてしまいます。そして,その結果,戦争が起こりやすくなります。確かに専門家たちは人間が同じ人間を滅ぼすことに組織的な仕方で着手する理由について,ありとあらゆる説明を持ち出すことができます。しかし,ほとんどの評論家が無視している主要な要素があると思います。それはLftyさんが今回の記事で述べた二つの命題の真偽 Aiもこれに同意します。
このエントリは意外に語ろうと思えば語れるし
コミケのそもそもの成り立ちやオタクの本当のイデオロギーの主流から
どこかの媚売りローゼンや表現規制とかそっちの話に持ってけるけど
色々面倒だからいいや(笑)
「愛」、「愛国心」というものの捉え方が、一神教的な見方によっている人と多神教的な見方の違いという面もあるのではないですか。
愛・愛国心が「神との契約」によっている方々と、「神との共棲」に愛・愛国心を依っている者との違いが、最近の「左翼・右翼」の捉え方に特定の匂いがただよっていると感じるのは気のせいですか?
バブル崩壊後、既存の価値基準の否定による収拾の模索、「実感のない好景気」の中で、「勝ち組・負け組」「サヨ・ネット右翼」等の二元論が流行したことの意味をもう少し考えてみたいと思います。
それはさておき
脳ミソ筋肉の私、この日本国に関しても、ある特定の女性に関しても『好きである事に、愛する事に理由が無くちゃ駄目?』と考えてます。
理由をすらすら言えなければ愛している、好きだとは言えないのかと。やはり場違いだ私…。
Leftyさん、毎回思うのですがタイトル含めて『特定勢力』からのブーイング受けを狙っているように感じるのは気のせいでしょうか?
以前の『女系のどこが悪い』のエントリに関しても、男系を護ろうとする者達の理由も、何故小泉や特亜、今は福田等が女系容認を押し付けようとしているのか本当は解っている筈なのにああいうエントリをわざわざ立てた理由を知りたいなと。
まあ、一番腹が立ったのはその想いを言葉に、文に思うように現せる事の出来なかった自分自身なのですが。
毎度乱文申し訳ありません。
毎回…というのは訂正します。
http://www.4koma.com/access/0406/nihon/index.htm
私は2次元大好きな人間です。別にその三要素以外でも萌えますし、三要素でも萌えます。
で、私は一応愛国心を持っている訳ですが、その理由というのはやはり「自分が生まれて、育ってきたから」というのに尽きますね。御崎葵さんの仰るように、皇室とか歴史とかは付け足しです(勿論、それらが大事な事に変わりはありませんが)。だからもし私が北朝鮮に生まれそこで育ったならば、北朝鮮を愛するでしょう。愛する国の指導者に従うか、愛する国の為に指導者を殺そうとするかどうかは判りませんが。
>病的にまで明治維新から日本国憲法制定までの日本の政府を美化する
数ヶ月前の私なら、こんな極端な奴はいない! と言えたのでしょうが、某剣豪とかを相手にしてみてまだまだいるもんだなと思い直しました。
廃仏毀釈とか満洲事変とか、正当化できない事例はいっぱいあるのに見ようとしない。韓国併合のように「当時は当然の事だった」という弁護が通じない事柄なんですけどね(だから私は後者についてはどちらかというと“良かった事”だと思うが前者はどちらかというと“愚行”であると思う)。
「愛国心ゆえの行動」というのは、弁護になっていないですね。五・一五事件とか二・二六事件とかの時もそうでした。政策は動機じゃなく結果で判断されるべきなのに。
……まあ、ネット上の右寄り連中にも色々な考えがあるんですよ、という、一人のネトウヨからの自己弁護でした。まとまりのない文ですみません。
少なくともネットウヨク=オタクにしたいのが見え見え。
右、左のどちらが二元的勧善懲悪思想に染まってるか筆者はよく考える必要があるな。
また、萌えについても、(ワシはネットウヨクでアニメ好きだが、萌えには興味なし)勝手に枠を設ける始末
まぁ、レッテル貼りを止めないかぎりは、ネットウヨクに笑われ続けるしかないな。
せめてブログ開設するなら、資料に基づく反論をしてみることだ。
この点だけみても、ゴミウヨク焼却所の方がまだまともだったな。
終盤のゴミウヨはクズ同然でしたが?
『自称人道主義者』や『断罪者気取り』などのネットサヨク(それ等は断じて左翼に非ず)のブログとは全くの別物だと解りますから。ただ、表現が時折酷かったりエグかったりするので、過去の文も読んで来た私でも稀にキレます(ヲイ)。
Leftyさんって『釣り』を楽しんでいる節がありますし。(どうなのでしょうLeftyさん?)
さて、ネット右翼を自称する人なかには数多くの二次元オタクの人もいると思いますが、大多数の二次元オタクですがノンポリだと思いますけど・・・・。ただ心情がウヨクに傾くのはわかる気がします。自分を含めて、その同心円上にある家族、友達、地域、国の悪口を聞くのはいやなんじゃないですか、きっと。
ところで左翼の人って自分の親とか親戚が嫌いな人が多い感じがするのですがLeftyさんはいかがですか?
あの妖しげな雰囲気がたまらなく好きです(笑)本編もあのノリでやるなら見てみようかな…とも思います(笑)
>雨四光様
なんというか、派手な見出しを付けた方がキャッチーなので、わざと派手な題名にしています。釣っているっちゃ釣っていることになるのかな。
まあこういうことすると本文も読まないで題名だけで特攻かけてくる馬鹿も多数沸きますが、全力で無視の方向で(笑)
>nebuo様
不幸な出来事ってわけでもないですよ、死んだわけでもないし。まあ、いい経験だったと思ってます(笑)
nebuo様が喧嘩を売ってるわけではないと思うのでマジレスしますと、自分の親も親戚も好きだし、感謝しています。