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青少年読書感想文県コンクール:教育長賞紹介/4 中学校の部 /千葉

 ◆「吾輩」との対話--南房総・白浜中3年・高梨友紀子さん

 ◇「吾輩は猫である」(夏目漱石・講談社)

 「猫と話ができたらなあ……」と思うことがある。人間に忠実で人間の意思を尊重してくれる犬と違い、自分勝手で、気が向いた時だけ人間のところに来て甘え、あとは昼寝をするなり食事をするなり、好き放題なことをしている猫。そのくせ、妙に悟りきったような表情で人間のすることをながめている時もあり、判断に迷った時など、「お前はどう思う。」「一体どうしたらいい。」と、つい聞いてみたくなるものである。

 そんな思いや願いを実現させてしまったのが夏目漱石であったのだと思う。猫の動き一つ一つにあたかも意思があるかのような意味を持たせ、その心理状態までをも細かく描写してしまうさまがおもしろく、「吾輩」の動きや人間を観察している場面を特に興味深く読むことができた。

 自らを「吾輩」と呼ぶその猫。吾輩とはまた大きく出たものだ。年寄りっぽく、また、理屈を並べる偉い人のような雰囲気だと思ったら、次には自分の外見を『ペルシャ産の猫のごとく黄をふくめる淡灰色にうるしのごとき斑入りの皮膚を有している』と評している。そうとうな自信家だが、いかにも猫らしい。あまりにも堂々としているその態度になぜかひかれ、いつしか自分も「吾輩」とともに周囲の人間を観察していることに気づいた。

 「吾輩」の観察するものは、家の中の人々の様子や外の風景などであるが、私たち人間の視点とは少し違っていた。主人である「苦沙弥先生」は、世間一般では、いつも書斎で仕事をしている勤勉家となっているが、実は勉強をさぼって寝てばかりいる。訪問してきた知人に対して知ったかぶりばかりしているのもからかい合っているのも、すべて見ている。「吾輩」に言わせれば、表では偉そうにしているが、実はさほどでもないということになる。

 また、ある日主人の家にやってきた金田家の令嬢については、主人の知人である寒月君と結婚したいと、いろいろな言葉を並べながらも実は権力を武器にしているのだと感じ取り冷たくあしらっていた。どちらも「吾輩」の目で見なければ、私は外見そのままを疑いもなく受け入れ、信じているだろう。

 「吾輩」は、人間の言葉を一語一句逃すことなく聞いている。そして、言動を観察するだけではなく、その人間の表裏まで見透かしてしまっている。『元来人間というものは自己の力量に慢じてみんな増長している』との「吾輩」の言葉には苦笑してしまった。人間は高慢、確かに、人前では、自分をよく見せようとする。自分では気づかぬうちに、あるいは気づこうとせずに自分の立場を保守しようとするのが人間かもしれない。「吾輩」の言葉は私たち人間への警鐘のように聞こえる。

 しかし、そんな増長している人間も、まるっきり自分のことがわかっていない訳ではない証明として主人の「日記」が登場する。この日記には主人の本来の気持ちが書き記されており、これを読むことで逆にその立場を容認してしまう。「吾輩」によれば、『主人のように裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されない自己の面目を暗室内に発揮する必要がある』とのことである。「なるほど」と思った。私も時々日記を書くが、不思議と日記には、普段口に出して言えないことや自分を押し隠して我慢してしまったことなどを正直に書くことができる。そして安心して、満足する。日記というものがこれほどまでに自分の心を安定させる効果があるとは今まで考えたことがなかったが、これは、自己の面目を暗室内に発揮しているからだとわかった。

 「吾輩」が見つめているものは、私たちが思っている以上に奥が深い。それは、私たち一人一人が普段出していない裏の部分、(いや、出しているのが裏の部分で、出していないのが表の部分、つまり、本当の姿なのかもしれない)を見ているのだ。「本当の姿」とは、人前に出さないうちに自分でもわからなくなってきてしまうものだと思う。出さないことにより、誰にも指摘されないから、猫に見つめてもらってからやっと気づくのだ。

 「自分を、第三者の目になって見ること」「吾輩」から教わったことだ。無理に自分を出そうとしなくてもいいと思う。ただ、時には自分自身を客観的に見つめ直してみる。自分が外に向かってどう表現してしまうのかを省みることによって、今までとはまた違った自分に気づく。それはまさに猫のような視点だと思う。

 「猫と話ができたらなあ……」その思いは、実は、自分の心の奥底に眠らせている「本当の自分」との対話を切望した思いなのかもしれない。自分自身を出さずにいる、出せずにいる、そんな自分に対して、「お前はどう思う。」「一体、どうしたらいい。」と問いかけ、本来の自分に合った答えを導き出せたらいい。自分の心の奥底に住んでいる「吾輩」との対話を楽しみながら生きていけたらいいと思う。=つづく

毎日新聞 2007年12月13日

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