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青少年読書感想文県コンクール:教育長賞紹介/5止 高校の部 /千葉

 ◆「少年は光を求めて」--県立佐原高1年・萩原咲さん

 ◇「福音の少年」(あさのあつこ 角川書店)

 -本気の想いは面倒だ。纏わりつく。束縛する。結びつきたがる。囲い込もうとする。

 初めて「福音の少年」を読み終えた時、私の心は完全に主人公、永見明帆に奪われてしまった。彼には、他人にわかってもらいたい、自分の本音を伝えたいと思う心が大きく欠落している。外界との心の交流を遮断し、自分の殻に閉じこもってしまう。誰も自分の事など本気で知りたがらないと思い、また自分も他人に興味がなく、本気で誰かを欲したり、わかってもらいたいという願望を持ったりしない。全てのことに無頓着なのだ。

 このような彼の孤独を、私も心の内に隠し持っている。私も心の底から他者を欲したことがなく、身近な人が自分の本音を見取ろうとすると、「来ないで、纏わりつかないで」と近づく事を嫌い、逃げてきた気がする。どこか淡白で、何も求めず、何も求められず日々を過ごしてきた。そう気づかせたのが、明帆の言葉であった。この本を読んだ瞬間に、彼は私が心の底に閉じ込めていた孤独を引きずり出し、その存在を私に自覚させた。そして私と明帆の心は共鳴した。私の孤独は「自分の負の部分」として輪郭を表した。もはや明帆は単なる登場人物ではなくなっていた。

 しかし、他人と深く関わり、自分をさらけ出すことを厭う一方で、相手の本音を知り、自分の本音をぶつけたいと思う矛盾は彼の心にも私の心にも存在している。これは一体何なのだろう。強固な殻を作る自分と、それを「ピキッ」と割ってくれる誰かを心待ちにしている自分が共存している。

 そんな中、明帆は柏木陽という少年に出逢った。

 陽も明帆同様、心に深い闇を持ち、周囲との間に壁をつくって暮らしていた。しかし、陽が明帆と異なるところは、誰も自分をわかってくれないと思いながらも、自分と同じにおいのする明帆に心を開いている部分だ。仮面で顔を覆うことに息苦しさを感じ、必死に明帆に語りかける。そうして自分の中に蹲る本当の自分を完全に囲っている者同士が出逢った。明帆はそのうちに、心の内で陽に本気で語りかけ、陽の本音を掴もうとする。友達でも、仲間でもない二人。他人に心を開かない二人の少年をこうまでも強く結びつけるものは何か、と私は考えた。

 陽が火事の跡地に朝顔の種を蒔いた場面は、印象的であった。私は、この夏に咲いた朝顔に、陽と明帆の見た幻影を重ね合わせていった。光を好み、太陽に向かって、茎といえないくらい細いその身体を何かに巻きつかせながら生きるその花の姿は、どこか人と人とのつながりを思い起こさせる。蒔いた種は花を咲かせばまた実を土に返し、夏が来る度に二人の少年の消えない傷をチクリと刺す。自由を得たと言いながら、本当に「独り」になってしまった陽が家族を失った火事の跡地に花の種を蒔いたのは、独りっきりの闇の中に残る“人とのつながりを壊された憎しみ”を朝顔の細い茎につなぎとめておきたかったからではないか。

 -陽、ほら見ろよ、月が出ている。

 明帆は、月を掴まえるために、空に向かって手を伸ばした-。

 私が最も感動を覚えた部分である。

 呑みこまれそうな深い闇の中にいた明帆の心の殻に、ピキッとひびの割れる音が響いた。その穴からは陽という月明かりがわずかに差し込み、明帆はその月を掴まえようと、手を伸ばした。明帆は変わったのだ。陽の「おれは、おまえがいなくなる事が怖い」という、心からの語りかけが、罪と闇に染まろうとした明帆を引き止めた。つながりが生まれた。物と物はつながっていないと、力を加えることも、静止させることも、できない。相手に触っていないと、相手の身体を動かすこともできない。明帆が光に手を伸ばした瞬間、二人は心で強く結びつけられたのだと、思った。そして引き止めた。つまり、明帆にとって陽は「福音の少年」だったのではないか。キリストが人々に救いの教えを説いたように、陽の存在は明帆を守り、彼を闇から光の世界へと導いた。

 私も、誰かとつながる事ができるだろうか。人との関わり合いの中でいつか、相手の本音を逃げずにしっかり受け止め、自分の本音を返せるようになるだろうか。また、誰かの光になれるだろうか。誰かが光を投げかけてくれたら、掴めるだろうか。しかし、人とのつながりは、人間の本能以外の何者でもない。いくら理性が働いて、自分を殻に押し込めても、自分の本音を伝えたいという人間としてのありのままの感情が勝ってしまう。事実、私は今、自分の心を伝えられる誰かを必死に欲している。

 自分の心の闇を嫌というほど自覚させられ、悩まされた一方で、他人とつながる勇気をくれた。不可思議な本だった。しかし、この本は私にとって間違いなく「福音」となった。=おわり

毎日新聞 2007年12月18日

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