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今月の一言

バックナンバー/2004年

2004年12月 テーマ:クリスマス

 宮川 葉子 先生 (国語/S59.4〜H1.3)
 もう何年前のことになるのか。私が高等部の教員だった頃だから。礼拝の時間に話をする事になった。クリスマス礼拝の直前の時期であったから、私は「マッチ売りの少女」を話題にした。そして言ったのである。「今は高校生のポケットに百円ライターがあっても当たり前のような時代だけれど、貧しい少女はマッチを売っていたのです」と。PS講堂のあちこちからクスクス笑う声が聞こえた。幾人かの生徒は脛に傷を持っていたらしい。禁煙が叫ばれ、喫煙のマナーが云々されて久しい。クリスマスを祝うこの時期、人に何がプレゼントできるかをもう一度考えてみてはどうだろう。人の健康に気遣う精神、これこそかけがえのない配慮であろうと思うので。
    

 吉川 貴絵 (3年 HR 310)
  私のクリスマスは、11月の最後にある「点火祭」から始まる。寒い中で聖歌隊の衣装を着て、皆より高いところから点火祭全体を見渡す。これは、やった人にしかわからない気持ち良さがある。特に、集まった人が、隣にいる見ず知らずの人とろうそくに灯を点し、同じ時間を共有するというのは何ともいえない感動を与えてくれる。と同時に、キリスト教を知っている人も知らない人も、何か大きな存在を感じることができ、皆ホッコリとなれる場面ではないだろうか。クリスマス・・・私にはもう一つ大切な行事がある。それは、高等部のクリスマス礼拝の次の日に、ガウチャーホール礼拝堂で毎年行われる、「オルガン部・ハンドベル部・聖歌隊」による合同クリスマスコンサート」だ。オルガンでバッハ等の名曲を、ハンドベルでクリスマスにちなんだ曲を、聖歌隊ではハレルヤなどで有名な「メサイヤ」を、オーケストラとソリストと共に、美しい音色で皆様にお届けしています。高等部で聖歌隊に入り、クリスマスの意味を理解した上でこの時期を迎えられることは本当に幸せなことだと思う。

  



2004年10〜11月 テーマ:修学旅行

 安山 義正 先生 (美術/S59.4〜 )
 私の心に残る修学旅行と言えば38期の旅行です。私が担任をした二期目の学年で、生徒たちもやんちゃで元気があふれていました。私のクラスは唐津シーサイドホテルに泊まることになっており、夕食前に全員で浜へ出て夕日を見ることになりました。皆が美しい夕日に見とれていて感傷に浸っていたその時、ひとりの男子生徒が衣服を脱ぎ捨て泳ぎだしました。皆あ然としたまま、その間2〜3分の出来事でしたが、まさか晩秋のこの時期に泳ぐとは・・・。新米教師の私には考えもしないことでした。たぶん彼はこんなにきれいな海を見たことがなかったのでしょう。その後、旅は続きましたが、他のクラスでもいろいろなことがあり、散々な旅行となりました。
    

 齋藤 千恵・坂本 莉菜 (3年 HR 308)
 高校生活最大のイベント、九州修学旅行から約1年。強風の中上った熊本県阿蘇山火口や、懸命にハートの石を探し回った長崎県グラバー園、皆で並んで学業成就を祈った大宰府天満宮−思い出は今でも鮮明によみがえってきます。そして、その中でももっとも貴重な経験となったのはやはり、長崎の原爆資料館ではないでしょうか。前日に吉田さん(被爆者)がお話ししてくださった痛々しいまでの悲惨な現実を一人ひとりが受け止め、その気持ちで行った資料館ではそれぞれが何か大切なものを感じ取れたと思います。それは私たちの一生においてもすばらしい経験となることでしょう。
 資料館を筆頭に各地を巡った5日間はあっという間に過ぎていきましたが、この中で得た様々な思い出や刺激は生涯忘れることはないでしょう。同窓生の皆さんもこれを読んで思い出していただければ嬉しいです。

 伊東 毅之 (30期 HR 39)
 とある裏原宿の居酒屋での同級生同士の酒呑み話・・

た:秋って言うと修学旅行だね!?
い:俺達の時は山陰、山陽ぐるり一周の旅だったよな?
た:うん、2グループに分かれて広島と山口からよーいドン!って
い:途中、バス同士がすれ違う時は大騒ぎだったねェ。
た:そうそう、それまでみんな熟睡だったのに、あの時だけは起き
  だしてワーワー叫んでたもんね、雨で窓閉めてたのに・・。
い:あと思い出すのは最終日の原爆公園で撮った記念写真、長旅の
  疲れと直前に見学した原爆資料館でのショック覚めやらずって
  感じでみんな凄く険しい顔して写っていて・・今見ると結構笑
  えるよね・・・。

と、秋の夜は更けていくのでした・・(この会話はフィクションです) 

2004年9〜10月 テーマ:文化祭

 清水 正 先生 (聖書/S59.4〜)
 わたしが20年前の新任であった時、文化祭について生徒に尋ねたところ、「とても華やかです」と答えがあった。それで当日を期待していたが、まさに華やかなものであった。また生徒諸君の若いエネルギーが集約されてほとばしるのは「祭り」そのものである。わたしの高校時代の文化祭は、文化部中心の研究発表というものが主流であって、「祭り」よりも「文化」に重心があったといえる。高等部では、文化よりも祭りに集中しているようである。文化とは「耕す」という意味をもつ。高等部の文化祭も、生徒諸君が自分自身の心を耕すという内容を込めたものになってほしいと思っている。3日間の文化祭への準備の中で生徒諸君の心が耕されるのを願う。
    

 *** ***  (3年 HR 306)
 ビビット!文化祭!
 高等部の文化祭は各クラス、有志団体、生徒会などなど、それぞれが一丸となって作り上げるすばらしいイベントです。気付けば早いもので私も高校3年生。文化祭も3度目という事で、高校生として経験できる最後の文化祭を誰よりも楽しみたい!充実させたい!と思い、今年は勇気を出してクラスのチーフになりました。
 「個性あふれる学校!青学!」なだけあって皆の意見をまとめるのはちょっと大変、でも、一人ひとり違った個性をもつからこそ、文化祭と言う画用紙にいろんな色の、いろんな味の大きな一つの絵を描けるのだと思います。
 高等部には体育祭がありません。体育行事としてはバレーボール大会がありますが、それを除いて、高等部生全員が参加できるイベントと言ったら文化祭しかありませんよね!バレーが苦手だった人も、ちょっと悔しい思いをした人も・・・文化祭で一汗かいて、いい思い出を一緒に作りましょう。
 そしていらして下さるお客様!高等部生が作り出す最高の青春パレットをどうぞお楽しみ下さい。

 小田 文信 (29期 HR 39)
 今までの人生でこんなに無心で何かに集中したことがあっただろうか。誰が言い出したか3年生の時の文化祭、クラス参加が「喫茶店」と決まる。そして、クラス全員が自然と何かの係りとなり、9月当日にむけ始動。私は何人かの男子と大道具ががり。喫茶店での大道具。はてさて何をするのやら。「思い切ってすべてを手作りでやってみよう。」誰かが言い出したことばに全員賛成。夏休み返上で大工仕事に没頭。隣の空き教室が作業場と変身。足のがたつきを見事におさえ、ついに、自家製喫茶店用丸テーブルの完成。喫茶店も大繁盛となる。すばらしきかな高校時代の旧友たちよ。女生徒の感激の声にも振り向かず、照れもせず、我ら大道具がかり任務完了。 


2004年8月 テーマ:夏休み

 西川 良三 先生 (英語/S57.4〜 )
  昨年の夏休みの宿題で、2年の生徒に英語でjournal(日記)を書かせた。読んでみると、夏休みの思い出の中で多く挙げられていて目に留まった1つが、「友達と花火を見に行った」ということであった。特に隅田川べり、東京湾、横浜など、東京周辺の何箇所かの水辺で行われるものに人気が集まっていたようである。もう一つは「踊る大捜査線」という映画を見に行ったと書いてあった生徒が非常に多かったということである。これはお台場を舞台にした映画のようであるが、前者と合わせて気づかされたのは、東京の「ウォーターフロント」が今の若者の心を引き付けているということである。多分、そこに日常の生活にない開放感があるということかもしれない。
    

 林 祐樹 (3年 HR 305)
 夏休み
 夏休みと言うと、長い休みを使ってどこかに長旅に出るのもよし、という羽を伸ばす絶好の機会なのだと思う。でも、中等部、高等部と部活で忙しかった僕にとって、『夏休み』=『部活』みたいなところがあった。よく耐えてきたなあと思う。とは言っても、いい思い出があるのは確かだ。
 しかしその部活との共同生活も今年で最後。高等部3年生の夏、高等部生生活最後の夏、俗に言う青春なんかも、もう終盤に差し掛かってくる頃だと思う。部活ってすばらしい。これだけは譲れない。
 先日、高等部の野球部の引退試合を見に行った。僕は、夏と言えば、『甲子園』と言うくらい野球が好きで、同級生の野球をやっている姿を見て、とても感動した。先に引退してしまった僕にとっては、引退後の寂しさが分かるだけに、余計切なかった。
今、最後の大会に向けて、いろいろな部活が、この最後の夏にかけていると思う。僕もこの夏に、何かかけられるものを見つけたい。

 橋本 けい子 (28期 HR 38)
 高等部時代の夏休みの思い出は、何と言っても3年の時。文化祭で、クラスのみんなで、「ジーザス・クライスト・スーパースター」を演じることになり、夏の暑い盛りに、その打ち合わせや練習など、とても和気あいあいと楽しい時間を過ごしたことを思い出します。カセットテープで英語の歌を覚えたり、衣装を自分たちで作ったり。当時、劇団四季でやっていた「ジーザス」を有志で観にいった覚えもあります。で、文化祭ではみごと優勝!
現在、私は「花楽堂」とい和雑貨のネットショップを経営していますが、最近オリジナルの絵葉書を作成しました。その絵を描いてくれたのは、なんとその「ジーザス」で主役を演じたクラスメート!高等部時代の友人は、私にとってかけがいのない財産です。このような繋がりを、これからもずっと大事にしていきたいと思っています。


2004年7月 テーマ:クラブ活動

 鈴木 恵美子 先生 (保健体育/S57.4〜  )
 中学、高校、大学と、考えてみれば、クラブ活動が中心の学校生活を10年間送りました。たまたま出会ったバスケットボールと共にあっという間の日々でした。
 高校生の頃は、毎日体育館が使用でき、ほとんど休みがないにもかかわらず、一本でも多くのシュートを打ちたいと自主的に早朝や昼休みに練習したり、通学電車や風呂の中でもトレーニングをしたりしていました。運よく、キャプテンとして出場した大会で、無名の都立高校ありながら都のベスト8に残ることができ、チームメイトと流した汗と涙は忘れることができません。
 音楽をともにした仲間との絆は言うまでもありませんが、「好きなことに思う存分打ち込む」体験は今になっても、自分を助けてくれているように思います。    

 堀尾 暁裕 (3年 HR 304)
 柔道部
 6月13日、講道館での引退試合団体戦の日を迎えた。高等部柔道部生活での最後の試合となる日だ。結果は残念ながら4対1で敗退。三年生の目には涙が光っていた。精一杯戦った結果だ。悔し涙もこぼれたが、三年間の部活を共に練習に励んできた仲間と、共通の思いが胸があふれて、ほとばしり出た満足の涙でもあったと思う。
 一年生では練習がきつくて吐きそうになったこともあった。楽しみにしていた夏合宿初日に鎖骨骨折をして一夏を棒にふったこともあった。二年生になった初めて黒帯を締めた感触は背筋が伸びる思いだった。校内でも柔道大会では部員を中心に大いに盛り上がった。自分の高等部生活を振り返る時、クラブ活動なしでは顧みることはできない。
 最後に、いや最初に言うべきでしたが、末広先生、平野先生の心から感謝いたします。

 下出 隆一 (27期 HR 38)
私の人生をかたち作ったクラブ活動
 私は、高等部在学中に、山岳部、出版部、宗教部、聖歌隊、ブラスバンド部に参加していたが、これらのクラブ活動は私の後の人生において、多大な影響を与えている。現在、毎週のように海や山に出かけているのは、山岳部での経験が原点であり、理工学書の編集という仕事は出版部での経験が生きている。さらには、宗教についての興味や社会的弱者の視点を持てるようになったのは宗教部のおかげで、音楽好きなのは、聖歌隊やブラスバンド部にいたからだ。聖歌隊では、さらに、システマティックな組織運営も学んだ。
高等部時代のクラブ活動の経験がなければ、私の人生は大きく違ったものになっていた。私にとって、感謝してもしきれないのが、高等部のクラブ活動なのである。 


2004年6月 テーマ:友達

 五十嵐 元篤 先生  (英語/S54.4〜)
 19期生として高等部に入学した私は、何をどう間違えたか23期生として卒業し、それから25年の月日が流れました。高等部時代のその4年の落差が示すように、私は入学してまもなく大病をし、長い闘病生活を強いられたのです。その間何度となく挫折を経験しましたが、その度ごとに私を支えてくれたのは友達でした。家族でも先生でも神様でもない、友達でした。私を励まし勇気づけそして立ち直るチャンスを与えてくれました。英語でA Friend in Need Is a Friend Indeed.(まさかの時の友こそ真の友)という諺がありますが、まさにそういう友との出会いでした。私はこの友を通して、いつも人の身になって考えることの大切さを学びました。そして今もその気持ちを大切にし、毎日生徒と向かい合っています。

 中出 和宏 (3年 HR 303)
  僕たち人間は孤独と恐怖を感じ、そこから逃げ出したくなり、何かを頼りたくなるものだと思います。そんな人間は“友達”という存在に、特別な何かを感じると思います。それは一緒に行動できて、時には縋りつくことができる、理にかなったものであるから、本能的にそう思うのかもしれません。実際僕は“友達”について高校生活の中で悩んだことがありました。クラス替えをして気持が新しくなった二年の初めの頃、クラスの中に一年の時の男友達がいなかったことや、自分の人見知りしやすい性格から、クラスになかなかなじめない日々が延々と続いていたことを覚えています。現段階ではそんなこと微塵も見せない生活を送っていますが、その時は本当に深刻でした。しかし僕には、その相談に真剣に答えてくれる人たちがいました。部活の友人たちなのですが、本当に真剣に相談に乗ってくれました。この相談がなかったら、今でもあまり馴染めなかったかもしれません。そんなこんなで、彼らにはとても感謝しています。こんなに友達は大切なものなのかと思える、そんな思い出になりました。友達は大切なものです。友達は永遠に友達のままでいて欲しいものです。そしてもっともっと友達を大切にしていきたいと心から思います。

 三善 里沙子 (25期 HR 32)
 幸いなことに学校を離れても、さまざまな友達ができる日々を過ごしている。とくに青学出身者、さらに付属であれば、気の合う確立が高い。青山の人は、やはりどこか人がよく、裏表のないサッパリとした性格が多くて、付き合いやすい。一まわり二まわりも違う高等部出身のおネエ様たちとも仲良くしていただき、楽しい日々なのだ。ところで、先日のイラクの人質バッシングに私はひどく心を痛め、自分の意見はパウエルさんと全く同じだと思った。善なる心がけは、大切にされるべきだ。これも青山のキリスト教教育や、先生方の考えさせる教育のおかげだと感謝している。少なくとも青山の人には、匿名で被害者を誹謗するような卑怯な人はいないと思うから。 


2004年5月 テーマ:放課後

 江口 和男 先生 (数学 S53.4〜H.15.3)
 「今日の放課後は何をしよう?」、生徒であったとき登校途中に考えることはこれだった。学校で着いて友人達とその計画をたてる。毎日の生活の中で「放課後に何をするか。」は大変重要な意味があった。ところで、「放課後」はその日の授業の終了と同時に始まることは自明のことだけれど、いつまでの時間を「放課後」と呼ぶのだろうか?明日の朝はもう「放課後」ではない。家に帰って夕食時などはどうやら不適切だ。では帰りの電車の中は?やっぱり「放課後」は学校を離れてはあり得ないように思える。色々な思い出のある「放課後」だけれどこんな定義はどうだろうか。定義:授業が終了してから、校門を出るまでをその生徒の放課後とよぶ。

 名古屋 結香 (3年 HR 301)
 私の放課後は「楽器を吹く時間だ」と言っても過言ではない。それほど私にとってブラスバンド部での時間は大きい。なぜこんなに大きな存在になったかというと、この部活を通していろんなことを学んだからだと思う。中でも1番印象に残っているのは「本当の喜び」を知った事だと思う。私がそれを知ったのは、昨年のコンクールだった。コンクール前は、どこまでも辛く厳しい練習に気が狂いそうになり、時には泣くことさえあった。第三者からみれば「本番12分間のためにこんなに必死になってバカみたい」と感じるであろう。私もそう思うことは何度もあった。でもコンクールで金賞をとった時、今までにないほどの喜びで胸がいっぱいになった。この喜びは苦しみがあったからこそだったんだと終わってみて初めて気づいた。これから先もたくさん辛いことがあると思う。でもきっとその先に素晴らしい事が待っている気がする。ブラバン部員として放課後をこれからも大事にしていきたい。

 田部井 圭子   (25期 HR 34)
「同窓会のHPのコラム、書いて。」と頼むと、K君の答えは「だめだめ。喫茶店でタバコ吸ってるの見つかって停学食らったとか、雀荘にしけこんでたとか書けると思う?」ごもっとも! Y君やM君に頼んでも、きっと同じような答えが返ってくるだろうし、もしかしたら、もっと恐ろしいことを言い出すかもしれない・・・
 他の人を探すと、いました、いました!Tさんは軟庭で汗を流し、Nさんはマックでバイト。正しい高等部生の放課後です。私は家に帰って、再放送の「ルパン3世」や「あしたのジョー」を見ながらおやつを食べて、さっき別れたばかりの友達と長電話。
 携帯もPCもカラオケもなかった、私達の放課後です。


2004年4月 テーマ:入学

 田中 俊夫 先生 (英語 S47.4〜H.2.3 H7.9〜H10.3)
新しい制服をまとい、不安と期待が交錯する中、入学式から始まる数週間は清清しくてよいものです。新入生にとっては何もかもが興味しんしんですが、私自身の経験からも一番の関心事はなんと言っても友達との出会いではないでしょうか。
 ある卒業生に親友が出来た経過を尋ねたところ、入学当時に教室やPS講堂で座席の近い人に話しかけたことがきっかけとなったそうです。しかし、知らない人に声をかけることは結構難しく勇気のいることです。
 幼稚園では、入園当時、幼い子ども達は母親から引き離され、見知らぬ集団の中に放り出されるのですから大変です。皆さんの中にもこのような苦い経験をなさった方がおられるかも知れません。それに比べれば、周囲の人に話しかけることくらい大変ではないように思えます。

 加藤 麻衣 (3年 HR 307)
 二年前の四月、新しい制服に身を纏い高等部の門をくぐった瞬間を、今でも鮮明に覚えています。私は、小中高と三回の入学を経験しましたが、中でも高等部への入学には特別なものがありました。今までは公立の学校に通っていたため、自分の行きたい学校を選び、受験し、その上で入学を認めてもらうことは初めてのことで、また、友達の半分は内部生ということで、ある程度出来上がった環境に入っていくことへの期待や不安もあり、私にとって、新しい世界への一歩だったと言えます。
 あの時から早二年、また新しい一年生が高等部に入学してきます。私の弟もその一人ですが、新しい教科書に目を通す姿を見たり、どんな先生がいるのかなどと聞かれたりすると、弟が入学を待ち望んでいる気持をとてもよく感じることができ、私もうれしくなりました。高等部生として初めて門をくぐる瞬間の気持は人それぞれだと思いますが、それは、高等部での三年間という大きな画用紙を、自分にしか出せない色に彩る、初めての一塗りなのではないでしょうか。弟の新しい鞄と、私の鞄を見比べ、自分の過ごしてきた二年間を感じ、また、残すところ三分の一となった大きな画用紙を見つめて分かったことは、入学前の不安や期待から、高等部でも経験すべてが、画用紙を彩り輝かせるのだということです。友達との関わりや、力を入れ頑張った行事や、たわいのない日々も、自分だからこそ、また高等部にいるからこそ出せる色になることを、心のどかかにとめて、新一年生には新しいスタートを切って欲しいと思います。そして、私自身も三年生として、真っ白な画用紙を彩る手助けや、自分の画用紙に新しい色を加える経験を増やしていきたいです。

吉田 晃 (30期 HR 39)
31年前。眩しい日差しの春の日の、神聖でちょっと冷たいPS講堂。再会と進学を喜び合う中等部からの生徒と、その雰囲気に戸惑う私のような外部からの生徒。ネクタイやスカートの柄に驚き、長髪に憧れる。一瞬にして大人になったような錯覚と悩みの始まり。およそ学問の志とは程遠い私の入学式。
みんなちょっと緊張気味、でもとてもいい顔をしている。中央には「昨日下山してきました」と言わんばかりに雪焼けした大村先生。PS講堂の匂いまでもが蘇る24期HR17の入学写真。
 


2004年3月 テーマ:卒業

 黒澤 英典 先生 (社会/S45.4〜S50.3)
 《卒業》していく皆さんへ
 ひとの一生には卒業はないと思いますが、もしあるとすれば、それは生の終焉のときです。私たちの一生を四季にたとえれば、それぞれの季節に趣があり、節目があるように、卒業は人生の節目であり未知への新たな挑戦の日々の始まりです。その挑戦をとおして自分自身を改革していく決意と勇気と高い理想とを、こころに秘めて、新たな未来を選択する契機となるときであると思います。皆さんは高等部で学問と希望と友情とそして絶望とを知った。ここで学んだ日々の重さは、いずれ自分自身で自己の人生の重みを量る時がくるでしょうが、高等部で学んだ青春の日々は、まさにその時、その意味を明らかにするでしょう。21世紀を拓き担う世代として、多くの先輩のように活躍される事を期待してやみません。

 井坂 丞 (2年 HR 211)
 僕にとって、卒業というものが、この時期にこれほど身近でないことには少々戸惑いを感じているところです。この高等部に外部生として入学してから早くも3年の月日が流れようとしています。高等部生活の2年目の夏に決断したアメリカへの留学、それが今、こうして卒業生を見送る立場になっている理由です。正直「あれ、本当は同じアルバムに載るはずだったのに・・・」と言う思いで心も頭もパンクしそうになったこともありました。簡単に言えば、「切ない」といったところです。
 しかしながら、最近、ほんの数ヶ月前はただの別れしかなかった友達の卒業がもっと別の形で見えてくるようになりました。それと同時に、卒業とはいったい何なのか、ということを考えるようにもなりました。多くの人々が、卒業について多種多様な考えを持っていることと思いますが、僕は「可能性」といものをひときわ強く感じています。大学、短大、専門学校、またそのほかの道を選び、社会へ出たからといってそれは何も、大人になったわけでも、偉くなったわけでもありません。それはあくまで、可能性という場を与えられただけのことなのです。そしてそれは、誰しもにとって天国ともなり、地獄ともなりうるものなのではないでしょうか。可能性という曖昧な時間をどう過ごすかは、個々の自由です。ただ、友達にはその時を自分自身のために大切に過ごしてほしいと強く思うのです。そしてその時を迎え入れるための心の構えをつくるこの卒業というときを本当に大切にしてほしいと思います。

 小島(中村) まゆみ (23期 HR 304)
 いったい卒業したのは何年前だったのだろう?
高等部での3年間は、あっという間の駆け足でした。卒業した当時は、進学することや新しい生活への期待と不安で、懐かしの校舎を振り返ることもなかったような気がします。前進あるのみといった感じでした。そんな私でも、クラス会では、当時を思い出し懐かしみつつ、時間を飛び越えています。今も心の中では“前進あるのみ”の思いは変わりませんが、何かあった時に立ち戻る場所があることに深く感謝しています。
 ひとつの区切りを得て、新たな道を切り開き、立ち戻れる場所を確認することが、卒業したことの証なのかもしれないと思うこの頃です。


2004年2月 テーマ:試験

 清水 一雄 先生 (英語/S47.4〜S56.3)
  困った!私は24期生と28期生のクラス担任をしただけで高等部を離脱した落伍者として、このコラムへの寄稿の資格なしと、お断りしようと思い、その前に、ちょっとだけ覘いてみたら、なんと往年のマドンナ杉井先生が寄稿しておられる。その文章に東吾先生と志賀先生が御登場。つい懐かしくなってその気に。しかしタイトルは「試験」とのこと。往時を追懐して記憶に残っていることがない。試験中の教室の静寂と鉛筆の音。ありふれた風景。いやしかし、そんな中で一風変わった生徒が幾人かいたっけ。白紙か、白紙に近い答案を、誇らかに提出した猛者たちが。さて、あの時点での彼ら「将来の大物」達は、現在どうしているのだろうか。なぜか気になる。

 吉村 佳奈 (2年 HR 202)
  私にとって「試験」とは何のためにあるのだろうか?先生はよく、「一、二年の時からの成績も大学進学に十分かかわるんですからね。」とおっしゃっている。そんな漫然としたことを言われても意識を持つのはなかなか難しい。大学をそのまま進む私は、試験前にならなければ一生懸命勉強することはめったにない。部活やその他のことが忙しく、勉強自体に気を配っていられない。しかし、不思議と試験が近づくにつれて、勉強しなければという衝動にかられる。試験中の緊張感に負けないぐらいたくさんの知識を一挙に頭に詰め込む。成績という形で返って来るからなのだろうか、妥協したくない、どの程度の力があるのか試したいという負けず嫌いな自分が存在する。毎日コツコツ勉強しようと最近思うようになったものの、結局の所、私には成績がどうとかではなく勉強する「きっかけ」に過ぎないのではないかと思う。

 脇屋 元 (22期 HR 33)
 高等部時代の試験といえば、「一夜漬け」。とくに歴史や漢文、古文など暗記もの(実はそうではないのだが)といわれる学科の試験は一夜漬けで何度乗り切ったことか。
 この一夜漬けの友はラジオの深夜放送だった。TBSのバック・イン・ミュージック、ニッポン放送のオールナイト・ニッポンなどを聞きながら、東の空が白けてくるまで付け焼刃をしたものだ。そして勉強もさることながら、深夜放送を聞きながら、すごく大人に思えたその当時の大学生諸先輩方のライフスタイルを垣間見たものだった。
 あれから30年余が過ぎ“シニア“という言葉が否応なく馴染んでくる年齢に達してきた。今では、眠れぬ夜にはNHKの「ラジオ深夜便」を聞いている。


2004年1月 テーマ:礼拝

 天野 景文 先生 (公民・教頭 /S47.4〜H13.3)
 2期生として3年、母校の教員として30数年、高等部での礼拝は私の半生のかなりの時間を占め、また私に多くの糧を与え続けてくれた。日米戦争が始まって間もなく入学した緑丘初等学校(現初等部)では礼拝や聖書の授業が禁止されていたにも拘わらず、米山梅吉校長は朝礼など機会あるたびに聖句「汝ら人に為られんと欲する如く人にも如せよ」を引用、「人からされて嬉しかったことは人にもそのようにしなさい。人からされていやだったことは、決して人にもしてはいけませんよ。」と繰り返し話され、私達の胸に深く刻み込まれた。私はPS講堂でこの聖句を聞くたびに,大戦中の悲惨な出来事が思い出されるとともに、私どもがあのような状況に再び見舞われないよう、また、戦火が止まないイラクの人びとの上にも早く平和な日が訪れるよう、心から祈らずにいられない。
    

 山本 恵 (3年 HR 305)
 礼拝とは、神の前に真実の自分をさらけ出し、神と真っ向から向き合う事だという。私は中等部からの青山学院での生活で、キリスト教とその礼拝とについてこの様に習ってきたし、いつか自分自身でもそう思う様になってきていた。
 そして、そこに新たな私なりの解釈が加わったのは、つい最近の事だ。進学を間近に控えた私達のことを考えて下さってか、近頃礼拝でお話なさる先生方は、御自分が私達と同じ学生だった頃の事を話して下さる様になった。将来について悩んでいた事や、友人とけんかをした事。色々な痛みや苦しみや、その時感じたあらゆる感情の数々。そんな話に、私は時に反発したり、考えさせられたり、何より沢山の共感を得る事ができた。そして思ったのは、礼拝とは、人と人とのこころがこの様に触れ合う場所なのだ、という事だ。同時にきっと、その「人」という概念の内には、例え信じてはいなくとも「神」を含まれているのだ。

 須藤 玲子 (21期 HR 307)
 先日、同期の友人達と同窓会の賛美の会に出席してきた。クリスマスの賛美歌を歌う老若男女の同窓生の声がPS講堂に響きわたった。50歳目前の我が同窓生たちは、上手でもそうでなくても賛美歌を歌うことに抵抗はなかったと思うし、賛美歌を聞くと懐かしく、心が温かくなるようだ。高校生という時代は大人になりかけで、小・中学生のような純粋な気持で礼拝を守ることは難しい、けれどもまだ大人ではないこの時期に守った礼拝は、魂のどこかに残っているはず。52期の娘曰く、「賛美歌を歌っているのは殆ど先生方だけ。」とのこと。難しい世代の生徒たちではあるが、世界がより近くなり、平和が強く求めれらる今の時代、先生方の礼拝へのリーダーシップを是非期待したい。


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