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8月の歴史  京都にも大仏があった!知られざる「京都の大仏」に迫る! 2003/8/1
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毎月1回、過去のその月にあった出来事を
振り返って、一体どんな事があったのか
調べてみよう!という「今月の歴史」シリーズ。
先月も沢山のご意見を頂きありがとうございます。
今後もどんどんお寄せ下さい!暑〜い夏、真っ盛り
の8月になりましたネ!セミの声もにぎやかな、京
都・滋賀の8月・・・。昔はどんなことがあったの
かな?さっそくレポートを見てみましょう!

★2000年8月、京都の方広寺で大仏の台座が見つかる!★
これが京都の大仏だ!(復刻)
(豊臣秀頼が建てた2代目大仏)

(京都市・方広寺)
大仏殿(大仏の置かれていた建物)
と台座の一部が見つかった方広寺

突然ですが、皆さんは「大仏」 っていったらどこを思い 浮かべますか〜?京都・滋賀の方なら「奈良の大仏」( 奈良県東大寺)を思い浮かべる方が多いかもしれません ねっ。修学旅行やら遠足やらで行った方も多いと思いま す・・・。

ところが、今から3年前の2000年8月、京都にも大 仏があった(実際に大仏が置かれていた台座の一部が見 つかった)という驚くべきニュースが報じられたんです !京都の大仏は、昔の文献などから、実在したってこと は以前からわかっていましたが、台座が見つかったこと で、京都の大仏が奈良の大仏よりも大きい大仏だったと いうことがはっきりしたんです!今回はそんな3年前の ニュースを足がかりにして実際に、京都にあった大仏は どんな大仏で、どうして作られ、ナゼ無くなってしまっ たのか?ということに迫ってみたいと思います!さっそ くレポートを見てみましょう!

 目次 知られざる「京都の大仏」の歴史に迫る!
大仏の出来た時代を振り返る(年表)! 
※クリックすると項目へとびます。

◆知られざる「京都の大仏」の歴史に迫る!◆
なんと19メートルの高さ!奈良よりも大きかった、京都の大仏!
実物は高さ19メートルの
 巨大な大仏でした!
大仏の額に納められていた
 "眉間こもり仏"
上の写真は、京都の方広寺に納められている大仏です。秀吉の 大仏が壊れてしまったあと、豊臣秀頼が中心となって造った、 2代目の京都の大仏。実際の10分の1の大きさといっても、 飾りなど入れて2メートル以上ありますから見上げるくら い大きくて迫力があるんです!金色に輝く姿は、暗いお寺の 部屋の中でも、目を見張るくらい輝いている感じでした!

左の写真は、眉間こもり仏といって、実際の大仏の額のなかに 埋め込まれていた仏様なんですって。何度も崩壊しては造り なおされてきた京都の大仏ですが、その度にこの仏様が残って きたそうです。現在はお寺の中に納められています。
2代目大仏(10分の1の模型)
の、足元にある蓮華座(木製)

実際の大仏(高さ19メートル)
の蓮華座。銅製で、大人の手で
やっと包めるくらい大きい!
上の写真は大仏の足の辺りにある、蓮華座(れんげざ)と 呼ばれる飾りの部分の内側にある丸い飾りです。(黄色い枠で かこってある部分)。

この部分は、実物(写真左)が残っていて触ることもできました! 大きさは写真ではわかりづらいかも しれませんが、直径15センチほどある大きなものでした! この上にあった19メートルの大仏は、本当に想像を絶するくらい 大きいものだったのだなぁと実感します。本物は銅で出来ているの ですが、真っ黒で金属っていうよりも、石のような風合いで、ゴツゴツした手触り!
最初に京都に大仏を
建てた、豊臣秀吉
◆豊臣秀吉が、初めて京都に大仏を造った!
 京都に始めて大仏が作られた(工事が開始され
 た)のは、今から400年以上も前!1586
 年
のことでした。時代で言うと安土桃山時代に
 なります。この頃は、豊臣秀吉の時代!天下人
 になった秀吉が、奈良の東大寺の大仏をまねて
 京都にも大仏を作ろう
と思って造りはじめたこ
 の大仏が、京都に初めてできた大仏!秀吉は、
 どうせ作るのなら、奈良のものよりも大きな大
 仏を造ろう
と考えたようで、奈良の大仏が高さ
 15メートルほどだったのに対して、高さ19
 メートルもの大きな大仏を造った
そうなんです
 !今も残っていたのならば、有名になっていた
 でしょうね!大仏は大仏殿と呼ばれる建物の中
 に納められていて、銅で出来ていた
んですよ。
 秀吉が農民から武器を徴収(刀狩り令)して、そ
 れを溶かして大仏の建造に当てたといわれてい
 ます。でも、残念なことにこの大仏は、建立さ
 れてから10年後の1596年に、近畿で起こ
 った地震で壊れ、火災によって焼けて無くなっ
 てしまいました・・・。


◆亡き父の遺志を継げ!息子秀頼が大仏を復興!
 さて一度は壊れてしまった京都の大仏。秀吉も
 とてもショック
で、壊れた大仏を目の前に、「
 国家安寧を願った大仏が地震すら予知できない
 なんてけしからん!」と怒って大破した大仏に、
 弓を射たという話が残っているそうです。でも、
 人の命ははかないもの、大仏が壊れた2年後の
 1598年、秀吉は病でこの世を去ってしまう
 のでした・・・。

 1606年、亡き父、豊臣秀吉の思いを受け継
 ぐように息子の豊臣秀頼が中心になって復興作
 業が始まりました!実は、大仏復興を秀頼に持
 ちかけたのは、徳川家康。「全国各地の大仏や
 ら寺社を復興して、お父さん(秀吉)を供養して
 あげたらどうよ?お父さんも喜ぶよ!」って感
 じで秀頼に大仏復興を勧めて、実行させたので
 すが、これには訳があってそれまで天下をとっ
 て、お金持ちだった豊臣家の財産を使わせて減
 らしてしまおう
ということだったそうです。政
 治家ってコワイですネ・・・。ともかく161
 2年に2代目の大仏が完成します!
この大仏も
 で出来ていました。

◆たびたび壊れる京都の大仏、悲運の歴史!
 2代目の大仏は、豊臣家が徳川家に滅ぼされた
 後も壊されることはなかった
ようですが、16
 62年にまたしても地震が京都を襲い、壊れて
 しまいました・・・。
壊れた大仏は「寛永通宝
 」というお金として生まれ変わった
そうです。
 その代わりに、同年木造の大仏が作られ、この
 大仏は出来てから120年ほど京都にありまし
 た。
しかーし!1798年に落雷で燃えて、ま
 たまた崩壊・・・。
今度は、伊勢・美濃・越前
 の人々の寄付によって木造半身の大仏像がまつ
 られました。そしてこの大仏は、割と最近(?)
 の、1973年まであったそうなんですが、火
 事で燃え尽きてしまい、今は何もなくなってし
 まいました。

◆どうして大仏ができたの?
 今まで見てきたとおり、京都の大仏の歴史は、
 豊臣秀吉の大仏建造にはじまるわけですけど、
 秀吉はどうして京都に大仏を造ろうと思ったの
 でしょうね?まずは、本来大仏を造るのは、
 の民や政治が平穏になって、子孫が繁栄するよ
 うにという願い
が込められていて、天下をとっ
 た政治家として、この願いを込める仏様を新た
 に造りたいという思いがあったといわれていま
 す。次は、自分の権力者としての偉大さを示す
 という目的もあったと考えられているんです!
 この頃、秀吉は京都に聚楽第(じゅらくだい)と
 呼ばれる壮大な邸宅を造っていましたし、大仏
 を造るにあたっては、すでに有名だった奈良の
 東大寺の大仏(今でもありますよね!)を真似し
 たのですが、大きさはそれより大きなものにし
 たい
と考え、自分の政治力の大きさを、大仏を
 使って見る人に強くイメージさせようという狙
 いがあったと考えられているんですよ〜!
倒壊した大仏を復興
させた、豊臣秀頼
大仏殿の柱の金輪
柱を補強していたもの
大仏殿の釣鐘
釣鐘にきざまれる"鋳物師
大工 右越弥 右衛門尉"の文

大工さんの名前ですね!
大仏の周りにあった
銅製のハスの飾り

大仏殿内部のらんま
の飾り

おそろしいほど迫力の
ある龍の彫り物です!


◆ 大仏の出来た時代を振り返る(年表)! ◆

地震や雷、火事など何度も倒れ、復興されて
きた京都の大仏。ここで京都の大仏の歴史を
年表で振り返ってみたいと思います!京都の
大仏は一体どんな時代の中で生まれ、どんな
運命をたどってきたのでしょうね?早速、見
てみましょう!

年号 西暦 歴史
天正  13 1585 豊臣秀吉、関白となって日本政治のリーダーになる!
天正  14 1586 方広寺、大仏殿の工事が始まる。
文禄   4 1595 工事が完了!大仏が完成する!
慶長  元年 1596 畿内で大地震が発生!大仏殿が崩壊してしまう・・・。
慶長   7 1602 鋳造途中の、金剛の大仏が焼失・・・。また造りなおし。
慶長  17 1612 ついに大仏殿が完成する!
寛文   2 1662 大地震が起きる。大仏がまたしても崩壊・・・。
新しく、木造の大仏が造られる。
寛政  10 1798 落雷によって木造大仏が焼失。その後、人々の寄付
によって木造半身の大仏像が造られる。
昭和  48 1973 火事によって木造半身の大仏像が焼失・・・。
平成  12 2000 8月11日、大仏殿遺構の一部が、同寺の東南の旧境内から
発見される!

年表を見ると何とも壊れ放題の歴史をたどってし
まった京都の大仏。でもその度に、いろんな人々
が、大仏を復興させようとがんばっていたのも、
事実ですよネ!秀吉の時代からずっと長い歴史を
行き続けてきていた京都の大仏。またどこかで復
興して欲しいですね〜!


●取材・制作・編集・写真  岡本 卓也

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