ヤクルト・古田Vs横浜・大矢の両指揮官に遺恨が勃発(ぼっぱつ)だ。観客1万1539人にとどまった19日の不人気カードが一転、熱い注目を集めることになった。
「ナニ走っとんねん、ボケ!」。マスクごしから古田PM=写真=が18歳年上の大矢監督に吐き捨てた言葉が始まりだった。横浜は7回、11−0とリードしてなお2死一塁の場面で一塁走者の代走・石川が二盗。この瞬間、古田PMが三塁側の横浜ベンチに向かって冒頭のセリフを吐いたのだ。
 通算2000試合出場を果たした後に暴言退場。大忙しの古田PM |
メジャーでは大差でリードした試合での盗塁は死者にムチ打つかのような相手への侮辱行為とみなされ公式記録でも盗塁数にカウントされない。その報復として死球を食らわされることもある。それゆえか、遠藤−古田のバッテリーは打席の内川の背中へ報復と受け取れた1球をお見舞い。続く村田への初球カーブもすっぽ抜けヘルメットを直撃。連続の死球に今度は大矢監督がブチ切れ突進。両軍入り乱れるうち、丸腰の大矢監督とマスク&レガーズで“武装”した古田PMがののしり合うシーンが展開された。古田PMは村田への死球が危険球と判定されたことで審判に暴言を吐いて退場。その直前には通算2000試合出場を果たし花束を贈呈されていただけに、とんだ記念試合となってしまった。
大矢Vs古田。ともにヤクルト史上に残る名捕手。大矢監督がヤクルト捕手時代に15年間付けていた背番号27を、空き番の4年間を経て1990年から引き継いだのが古田だが、その関係はお互いのプライドも絡み微妙。
98年に野村監督(現楽天)がヤクルトを辞した際、後任に大矢監督と若松勉氏が浮上したが「古田とソリが合わないようだから大矢はない」(球団幹部)と、若松氏が就任した経緯がある。
退屈なワンサイドが遺恨勃発(ぼっぱつ)で好カードに。やはり野球は筋書きのないドラマだ。
ZAKZAK 2007/04/20