猛烈に荒れ狂いながら吹き込んで来る突風は、わたしちをほとんど床から持ち上げそうになるくらいだった。それほどまことに烈風の吹きすさぶ、しかし厳しくも美しい夜、狂おしくも異様な恐怖と美に溢れる夜であった。旋風は明らかに館の近辺に力を集中していた。風の向きが幾度も激しく変化し、(館の小塔を押しつぶさんばかりに低く垂れこめた)はなはだ濃密な雲は、四方からさっと飛んで来て互いにぶつかり合いながら、しかも遠方へ飛び去りはしなかったが、そのまるで生き物のような速さをわたしたちははっきりと見てとることができたからだ。はなはだ濃密な雲が垂れこめているのによく見えたとわたしは今言ったが−月や星はちらりとも見えず、稲妻の閃光も認められなかった。だが、わたしたちのすぐまわりにあるすべての地上のものだけでなく、立ち騒ぐ蒸気の巨大な塊の下面さえもが、館の周囲に垂れこめて館を包み隠している、かすかに光りくっきりと見てとれるガス状の放出物の奇怪な光のなかで、きらきらと輝いていた。
〜アッシャー館の崩壊
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ポーは、19世紀初頭の詩人・作家です。
「モルグ街の殺人」を書いた、推理小説の元祖としてもよく知られていますね。
ポーの書くホラーは、当時の他の作家の怪奇小説と比べ、恐怖の正体をぼやかさず、明確に表わした点で、今日のモダンホラーにより近しいように思います。
この本だけでは、彼の偉業を知るには不十分かも知れませんが、とりあえず、好きな「アッシャー邸〜」や「黒猫」なんかも乗っているんでとりあえず紹介しました。
もちろん、岩波や創元推理のものを読んで下さってもかまいません。
その頃、足音の主は玄関に通ずる廊下を歩いていた。サリウス氏は、手で壁をまさぐる音を聞いた。恐ろしい魔物は手さぐりで歩いているらしかった。柳の枝がざわざわとゆれ、かすかな風が丘を越えて吹いてきた。蝋燭の炎がゆらいだ。そして、ねじけジャネットの死体が牧師館の戸口に立っていたのである。絹の粗布の上衣を着て、黒いぼうしをかぶり、あいかわらず首をかしげて、顔をゆがめたジャネットが。人は彼女のことを生きていると言ったかもしれないが、サリウス氏は、死んでいるということをよく知っていた。 人間の魂が滅びやすい肉体に宿るとは不思議なことである。しかし、牧師にはそれがわかっていたので、取り乱さなかった。
〜ねじけジャネット
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スティーヴィンソンは「宝島」「ジギル博士とハイド氏」の作者として有名です。
現代のホラーでは、たまたま行った湖に殺人鬼がいた、みたいないわば交通事故のような怪奇(うーん、この喩え読んだのは、何だったかな、キングの「死の舞踏」だったかな)ですけれども、スティーヴンソンの作品では、怪異は道徳的堕落によって訪れるパターンが多いように思います。
その点、キリスト教的倫理観を表わしているというか、大衆的というか、安心して読める話になっています。
地主は立ち上がって、何本も倒れた木の幹が重なりあって柵のようになっている上から、難の気なしに向こうをのぞいてみると、柵のむこう側に犬が背伸びをして立っているのを見た。なんだか犬の胴体が気味わるいくらい長く伸び、そのせいか、不格好な頭が本物の倍もあるようにみえた。それを見たとたんに、またしても夢がもどってきた。……犬は、ややそばらく、倒れた木の幹のあいだへしきりと頭をつっこんでいたが、そのうちにだんだん首が長く伸びてきて、胴体が白い大きなトカゲみたいによじれ、なおも懸命にもぐりこもうとして、目をすえ、ウーウーうなりながら、柵にのみこまれるように身をもんでいた。
〜大地主トビーの遺言
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レ・ファニュの特徴は、怪異を最後まではっきりとは書かず、ほのめかす手法を使うことにあるでしょう。
一生を怪奇ものや犯罪物にささげた、ゴシック文学の大家です。
アメリカ近代文学心理派の父とよばれるヘンリー・ジェイムスは、「朦朧法」という手法を案出して「ねじの回転」などの名作を残していますが、ファニュの影響も無かったとはいえないかもしれないと思います。
「ねじの回転」は、今回紹介していませんが、たしか新潮文庫から出ていたと思いますので、こちらも是非読んでみて下さい。
創元推理文庫「怪奇小説傑作集・1」のあとがきによれば、「ジェイン・エア」(シャーロット・ブロンテ)や「嵐が丘」(エミリー・ブロンテ)への影響も述べられています。
かれはしゃがみこみ、黄金の四つの三角形で足首を飾った右足のサンダルの紐をゆわえ直した。そして次のように呼びかけながら立ち上った。 −エアロ・カナよ。嫉妬深い神よ、天国の住居の門番よ、私に仕えるものたちを通すため、門をあけて西の方に引き退がれ! そうして、こう叫んだ。 −コカビエル!(ヘブライ語で「神の星」の意味) すると、天上の武器がかき鳴らす銀の響きに似た騒々しい音がきこえ、コカビエルと彼が指揮する三十六万伍千の天使たちが躍りでてきた。魔術師は、今はひざまずき、腕を十字に組んで祈りつづけているペテロに、勝ち誇った視線をなげつけた。
〜魔術師シモン
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詩人アポリネールは、その短い生涯の中で、いくつもの怪奇小説を書いています。
とはいえ、彼の小説は、恐怖が主題の他の作家とは毛色が違い、幻想に富んだファンタジーの肌触りがあります。
日本でいえば、稲垣足穂に似たところがあるかもしれません。
やがてわたしたちは、それぞれ別方向へと伸びていくらしい何本かの狭い小列に分散した。一隊は小路にはいって左がわに消え、ゾッとするような呻き声をあとに残した。ほかの一隊は狂気の笑いをひびかせながら雑草だらけの地下鉄口へ、折り重なるように降りていった。わたしが加わった列は、広々とした原野に吸い寄せられていった。ほどなく、暑い秋とは縁もゆかりもない冷気が顔にあたるのを感じた。それもおのはずだ、暗い荒野をすすんでいく目に、あたりの邪悪な雪に反射する地獄のような月光が映っていた。足跡もない不可思議な雪原は、ただ一方にだけ果てしなくのびていた。雪原の行きつく先には、その縁を取りまいた光りかがやく絶壁のためにいっそう暗さを増している深淵が、ひろがっていた。夢見るような足どりで深淵のなかに下っていくその列は、ひどく幅が狭かった。けれど、みどり色にかがやく雪のなかにポッカリ口をひらいた深淵が恐ろしくてわたしはいつまでもうしろで逡巡していた。
〜ニヤルラトホテップ
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ラヴクラフトの作品は、一つの体系をつくりあげており、それを総称してクトゥルフ神話(またはクトゥルー神話、ク・リトル・リトル神話)などといいます。
なぜ、呼び名が色々あるかといえば、クトゥルーの名前はCthulhuと表記され、人間に発音できないものとされているからです。
ラヴクラフトは人知を超えた存在が世界にほんのつかの間かかわりをもつことから起こる、絶対的恐怖「宇宙的恐怖」を表現しようとしました。
その謎めいた壮大な構想、「ネクロノミコン」などの魅力的な小道具、魅力的な邪悪な神々とその眷族などが多くの人をひきつけた結果、神話体系は作者を離れ、他の作家が参入することで今も増殖しつづけています。
とつぜん、猫が起きあがり、穴に向かって首をのばしたが、縁が崩れやすくなっていたので、そのままズルズルと中へ辷りこんでしまった。一同は猫の落下する音を聞いた。 われわれは、猫がどんな啼き声をたてるものか知っている。だが、あの穴に落ちたときのような猫の叫び声は、まずだれも耳にしたことはあるまいし、そうだといいと思う。目撃者はよく記憶していないが、とにかく二声か三声の悲鳴があがると、バタバタともがくような音がつたわってきた。それだけだった。
〜秦皮の木
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M.R.ジェイムズは、20世紀初頭の、イギリス恐怖小説の3大巨匠の一人です。
レ・ファニュに影響を受けた彼の作風は、自分でも認めているとおり古風です。
ですが、背景となる歴史や、登場人物の日常的行動の導入部があり、それがしだいにクライマックスにむけて恐怖を加速させていく筆致は、安定した合理的構造をもっており、現代的とも言えます。
というのは、弟の書斎の窓をちらりとそのとき見上げたその瞬間に、窓のブラインドがサッと引かれて、そこからなにか生きている物が、下界をギョロリとのぞいたのでございます。いいえ、はっきり顔だの、人間らしいものを見たとは申せませんが、とにかく生きているもので、ギラギラした目が二つ、わたくしのことをギョロリと睨みつけたのです。その目が、わたくしのモヤモヤした恐怖と同じで、形も姿もないボーッとした、なんだか得体のわからない物のまんなかについていて、それがなにか凶々しいもの、ふた目と見られぬ腐爛したものの印をあらわしているのです。わたくしはもう、なんとも言えない恐怖と嫌厭で、まるで瘧にでもおそわれたようにガタガタ、ブルブル震えながら、そこにつっ立ったまま、五分ばかりは手も足もどうにも動かすことができませんでした。家のなかへはいるがいなや、わたくしはもう夢中で階段を駆け上がって、弟の部屋の扉を叩いて、 「フランシス、フランシス」とどなりました。「後生だから返事をして。あんたの部屋のなかに、気味のわるい物がいるの、何なのよ? そんなもの、ほうり出してしまいなさい、フランシス。もぎり捨ててしまいなさい」 すると、ズルズル、ズルズル足を引きずるような音と、誰かがものを言い悩んで、口の中でグルグル言っているような音が聞こえて、やがてしゃがれた、ひきつったような声が聞こえましたが、なにを言っているのか言葉がよくわかりません。 「ここにはね、なんにもいやしないよ」とその声は申すのです。「お願いだから、うるさいうこと言わないでくれよ。きょうはぼく、気分が悪いんだからね」
〜白い粉薬の話
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イギリス恐怖小説3大小説家のもう一人、アーサー・マッケンです。
彼の特徴は、この話や「パンの大神」にあるような、恐怖の裏に堕落の甘美な味、人間に知ることが許されていない性的快楽がテーマにあることにあるのではないでしょうか。
ゆえに、発表当時は「穢らわしい」と酷評をあび、アメリカで再評価されるまでに30年の月日がかかりました。
神学生には、この物音の実体を理解する力はなかった。それはかつて彼の聞いたいかなる音にも似ていず、いろいろな矛盾する要素の複合体のように聞こえた。「風のような、泣き声のような」と彼は回想している。「孤独な、野生の動物のような、荒々しくいやらしい力を持っていました……」 その声が熄み、死のような沈黙が落ちるより早く、案内人は言語に絶する叫び声をあげて。寝床から跳び出した。そして柱に激しくつまずいてテントを大きく揺るがせながら、気狂いのように両腕をいっぱいに広げ、まといつく毛布を足で蹴り放そうとした。一、二秒の間、彼は蒼白い光の中に影のようになって、入口のところに立ちつくしていたが、次の一瞬、シンプソンが止める間もあらばこそ、猛烈な勢いでテントをはねのけると−外へと消え去ってしまった。驚いたことに、その瞬間、例の声は遠くのほうで弱まっていた。シンプソンは胸をしめつけられるような恐怖の中で、連れの名を大声で呼んだが、その時、妙に熱狂した歓喜の声が聞こえてきたのだ。 「ああ、ああ、おれの足が焦げてる! 足が焦げてる、ああ、ああ! こんなに高く、こんなにすごい速さで!」
〜ウェンディゴ
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3大巨匠の3人目は、A.ブラックウッドです。
彼の特徴は、大自然の神秘的霊性が人間を侵食していく恐怖、あるいは、その喜びが中心テーマになっていることでしょうか。
そういうところは、「となりのトトロ」や「もののけ姫」と似ているかもしれません(笑)
当時のホームズ人気に影響された、推理小説の趣のある心霊探偵ジョン・サイレンスものも有名です。
「あれが初めて生えてきたのは、彼女の右手の親指だった。それは小さな灰色のホクロめいた、まるい点にすぎなかった。神よ! 彼女がそこを見せたとき、わしの心臓がどんなに恐怖におののいたことか。わしらは石灰酸と水で、それをきれいにした。翌朝、彼女はまた手を見せた。灰色のいぼ状のものは復活している。しばしわしらは黙って、お互いを見つめあった。それから、黙ったまま、再びそれの除去作業にかかった。その作業の途中に、彼女がふいに口を切った。 「『あなたの顔の横についているのは何?』彼女の声は不安にとがっていた。わしは手をあててさわってみた。 「『そこよ! 耳のそばの髪の下−もう少し真ん中寄り』わしの指はその場所をさぐりあて、そしてわしは悟った」
〜夜の声
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この作品は、一部の人たちには有名なのですが、なぜかといえば、のちに福島正美がこの作品を翻案して「マタンゴ」を書き上げたからです。
あの化け物キノコの映画をご覧になった方も多いでしょう。
ホジスンはこのキノコを人間の霊的尊厳を汚すものとして書いていますが、福島はこれを原爆の恐怖の暗喩として扱い、のちに橋本治はエイズの暗喩としてマタンゴものを書きました。これらの作品は、怪獣文学大全(河出文庫)でまとめて読むことができます。
彼の作品は、水夫時代を反映して海を扱ったものが多くあります。
また、ホームズ人気にあやかって、先述のジョン・サイレンスと並ぶ心霊探偵カーナッキを創造しました。
「それじゃ」二人がわたしの仕官室に落ちつくと、わたしは笑いながら切り出した……。「あの女は本当にギロチンにかけられたのかね?」 「もちろんですとも。お笑いになるのはまちがいです」と彼はまじめくさった顔で答えた。 「申し上げたとおり、あの人はギロチンにかけられました。今夜、あなたはあの人が通るとすぐに十字を切ったり、アヴェ・マリアのお祈りを唱える人々をごらんになったでしょう。あの大部分の者がそれを目撃しています!……」 わたしが呆然として目をみはると、ピエトロ=サントはあっさりいってのけた。「あの人がいつもビロードの首飾りをしているのは傷痕を隠すためなんです!」 「ピエトロ=サント君、からかうのもいい加減にしたまえ! あのアンジェルッチアというべっぴんさんに、わたしの目の前で首飾りをはずすように頼んでみよう。その傷痕とやらを是非、見てみたい……」 町役場の書記はかぶりを振った。「あの人は首飾りを決してとらないでしょう。なぜなら、ここの誰もが知っていますが、あれをはずしたら首が落ちてしまうからです!」
〜ビロードの首飾りの女
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最後はフランスの作家、ガストン・ルルーです。
「黄色い部屋の謎」などの推理小説、「オペラ座の怪人」などの著作でよく知られていますね。
この短編集におさめられた作品には、どれも心霊的なものはありません。そういう意味で、今回とりあげたものの中では異色です。
超自然なものよりは、人間心理に重点を置いた怪奇譚です。
今回紹介したような話をまとめて読みたい方には、創元推理文庫の「怪奇小説集」(全5巻)をお勧めします。意外な人の名前も発見できることでしょう。
さて、次回は幻想文学にするか、モダンホラーにするか、新青年関連の作家にするか、悩んでいます。リクエストがあれば、申し出おねがいします。