
教職大学院(きょうしょくだいがくいん)ってなに?
リーダー育てる「先生の学校」
みんなが通(かよ)っている小中(しょうちゅう)学校(がっこう)の先生(せんせい)は優(やさ)しいかな? それとも怖(こわ)いかな? どちらにしてもみんなのことを一生懸命(いっしょうけんめい)考(かんが)えて毎日(まいにち)、いろんなことを教(おし)えてくれていますよね。
そんな先生たちが、もう一度(いちど)勉強(べんきょう)する「教職大学院」が四月(しがつ)、岡山大(おかやまだい)に誕生(たんじょう)します。
先生たちにも困(こま)り事(ごと)があるようです。例(たと)えば、学校でのいじめをどうすればなくすことができるか。みんなの勉強の成績(せいせき)や体力(たいりょく)を一層(いっそう)アップさせるにはどんな工夫(くふう)が必要(ひつよう)だろうか―。
教職大学院は、先生たちにこうした悩みを解決(かいけつ)できる力(ちから)をしっかりと付(つ)けてもらい、学校づくりのリーダーになってもらおうという、いわば「先生たちの学校」です。
ところで「大学院って一体(いったい)なんだろう」という人(ひと)もいるでしょう。
小中学校を卒業(そつぎょう)した後(あと)、もっと勉強しようと思(おも)ったら高校(こうこう)や大学などに進(すす)むことになります。大学を卒業した人向(む)けの学校が大学院で、先生や学校とも関係(かんけい)が深(ふか)い教育(きょういく)学を学(まな)ぶこともできます。
岡山大にも教育学が勉強できる大学院はありますが、知識(ちしき)を教えることに重点(じゅうてん)が置(お)かれているようです。新(あたら)しく加(くわ)わる教職大学院では、小中学校などでの実習(じっしゅう)にも力(ちから)を入(い)れることにしています。
教職大学院は、一学(いちがく)年(ねん)当(あ)たりの人数(にんずう)は二十(にじゅう)人(にん)で、勉強期間(きかん)は二年です。活躍(かつやく)する先生以外(いがい)にも、将来(しょうらい)の“大型(おおがた)新人(しんじん)”を育(そだ)てる目的(もくてき)で、大学を卒業したばかりの人も受(う)け入れる予定(よてい)です。
別(べつ)のいくつかの大学でも今年(ことし)、教職大学院がお目(め)見(み)えします。教職大学院があるのは中国(ちゅうごく)地方(ちほう)では岡山大だけなので、岡山県内(けんない)での期待(きたい)はとても大(おお)きいようです。
みんなも勉強で大変(たいへん)でしょうが、教職大学院に入ったら先生もきっと大変だと思います。そんな先生がいたら応援(おうえん)してあげましょうね。
(臼杵正純)

わたしたちの感想 岡山市立福谷小5年 津山市立広野小5年 記者の授業を受けて
本紙記者と多目的活動車「さん太」を派遣してのNIE(教育に新聞を)出前授業が津山市立広野小学校(同市田熊)と岡山市立福谷小学校(同市河原)で行われました。広野小は五年の社会科単元「わたしたちのくらしをささえる情報」、福谷小は五年の国語単元「工夫して発信しよう」で、講師は山陽新聞地域活動部の木村友美、中村映一郎記者です。十一月二十七、二十八日の授業を受けた両小児童の感想文が送られてきたので紹介します。
出前授業の希望者は、編集局地域活動部086―244―3928。
浅野敏伸 取材ポイント学ぶ
今日、山陽新聞社の記者の木村友美先生に新聞の作り方や取材のポイントを教わりました。
木村先生は、「一番大切なのは取材のポイントです」と言って、「いつ・どこで・だれが・なぜ・何を・どうした」の六つのポイントを最初に教えてくれました。木村先生の教え方は分かりやすく楽しく教えてくれたのでよかったです。
次に、取材に必要なものやカメラのとり方をいろいろ教えてくれました。「カメラは、いろいろな角度からたくさん写真をとる」ということを実際に写真をとりながら教えてくれました。
最後に今日やったことをすぐにちっちゃい新聞にしてくれたのでよかったです。
この勉強をしてぼくは、今日習ったことを使っていい新聞を作ろうと思いました。
水田 あゆ美 道具の多さに驚き
今日、山陽新聞社の記者の木村友美先生に新聞の作り方を教わりました。私がびっくりしたのは、取材するときメジャーなどいろんな道具がいることです。
ほかにカメラをとる角度や何枚も続けてとること、その中にはいい写真が一枚はあるということも教えてくれました。取材するときはいろんなことに注意しないといけないんだなと思いました。
私は新聞を作っていた車にもおどろきました。バスみたいな車だと思ったら、新聞を作るいろんな機械がならんでいました。機械であっという間に新聞ができたことにもびっくりしました。
今日は山陽新聞の記者が来る! とびっくりしたけど、取材をするときのポイントや写真のとり方など聞いてがんばるぞと思いました。聞いておどろくことがたくさんありましたが、新聞作りをがんばります。
神田 愛海里 人の役に立つ仕事
山陽新聞社の「さん太」号がやってきました。新聞のできるまでのビデオを見ると、山陽新聞は山陽新報という名前で、明治十二年一月四日からあったことがわかりました。
他にも、新聞のカラーの記事にするときは赤・青・黄・黒の四色を別々にすることや、岡山県を中心に三十も支社があることや、地方版では全国でトップクラスだということもわかりました。
記者の木村さんの話を聞くと、何時間もかけてとった写真がボツになったり、時間までに原稿を間に合わせなくてはいけないので携帯で送ったりという記者の仕事のたいへんさがわかりました。でも新聞記者の仕事は、人の役に立っていいなあとおもいました。
「さん太」号がきてから、新聞を読む時、一つの記事を作るのにも、いろんな人の苦労を考えるようになりました。
井上莉沙 見出しと写真工夫
新聞記者の木村さんは、取材のポイントは、いつ・どこで・だれが・なぜ・何を・どうしたということを必ず聞くことだと教えてくれました。また、それに合う写真もとらないといけないが、何十枚もとった中から一枚を選ぶそうです。取材は一人で行くので、大変だなあと思いました。
また、新聞には社会のことや政治のことや文化のことや経済のことなどいろいろなページがあるということを知りました。そして、見出しにも工夫があると知りました。
「さん太」号の中には、新聞ができる機械がいろいろありました。最後に私たちが勉強している写真がのった新聞をもらいました。こんなに早く新聞ができあがるとは思ってもいなかったので、びっくりしました。
今度新聞を作るときは、見出しや写真の入れ方などいろいろ考えて作ってみたいと思います。
先生のひとこと 関心を持つきっかけに 津山市立広野小 新免 裕美教諭
新聞記者の方から実際の新聞取材の様子が聞けたことや自分たちの学習の様子が新聞記事になったことは、子どもたちが新聞に関心をもつ大きなきっかけとなりました。
記事にするには、正確な情報やスピードが必要です。また、写真にも記事と同じくメッセージをのせていることを知りました。一つの記事になるまでに多くの人がかかわっていることもわかりました。
この学習を終えて、新聞を見る子どもたちの姿からは、これまでと違った様子が伝わってきます。子どもたちにとって、身近に感じられる新聞になってきたのではないかと思います。ありがとうございました。 |