2008-01-09
■魂の叫び
その見識、判断が妥当である、おおかた間違っていないからといって
それを言っちゃぁアカンでしょう、もともこもないでしょう、おしまいでしょう、てなもんがある。
もともと不安定な足場、土台のない所で必至に生きている人の橋桁を横から突いて崩すことの意味(意義)が私には見当たらないのです。それは正しい見解という名の暴力に近い。
そこまで言われたら、もう行き場がない、ということが、この世には、人の世にはあると思うんですよ。
なぜならこの世は、生い立ちに恵まれた人ばかりではないからです。
足を踏まれたら誰でも思わず「痛いっ」と反射してしまうではありませんか。
それを痛いと言うな、痛いとも思うなと、教え押さえ諭すのが
私にとって父権的、家父長制的なるものであった。
あるいは宗教であり(宗教の機能の陥穽のひとつに不条理を受容させる機能がある)
正しき指標を示す父は母は決して、正しく潔く子を愛したワケではなかった。
泣きながら帰ってきました、小さな私。
だからひとこと言ってやりましょう。
○○のバカッ!