市民記者の芹沢です。
下記に手元の「資料」をご案内申し上げます。
1928午12月13日
慶尚南道大邸市に生まれる。
貧しいながらも両親と兄と本人と五人の弟の大家族で暮らす。
学校にも通ったが、下に弟が沢山いたので一年程で辞める。
その後、夜学に通い、日木人の先生に日本の歌を教えて貰う。
1944年 秋
15歳の時、家で寝ていると、小窓を叩く音に目を覚まし手招きされるままに外に出てみると、日本軍人が立っていました。そして、脅かされるままに連行されました。
慶州から平壌、安州から中国大連、そして台湾新竹海軍慰安所へ。
1945年 春
16歳。慰安所が爆撃にあい、家の下敷きになる。
親切にしてくれた特攻隊の軍人は、出撃して帰って来ませんでした。
8月。日本の敗戦で解放され、収容所に集められました。
1946年 春
17歳。帰還船で釜山港へ。
大邸駅から走って父母の元へ。しかし、誰にも被害を語れませんでした。いつか誰かに知られてしまうのではないかと、毎日恐れながら暮らしていました。それでも幾つかの仕事をしながら、弟達の援助で生活していました。
1992年6月25日
63歳。恐る恐る何度も迷い、そして勇気を振り絞って名乗り出でました。その後、韓国、日本、アメリカ、カナダ、フィリッピンと抗議活動を続けています。
韓国・日本大使館前での水曜デモ。参加720回を超える
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