2007/12/3 月曜日

26年間も日本一の旅館・加賀屋さんに学ぶ・・・(2)

Filed under: 未分類 — 松本祐 @ 11:02:22

加賀屋は、明治39年、1906年開業100周年を迎えた。『もてなしの宿』として絶大な人気を得る今日の基礎を築いたのは、二代目の織田興之正・孝夫妻だと言われる。今の社長・会長兄弟の両親である。
とりわけ、旅館はおかみで持つ、と言われるように孝さんの伝説が色濃く残っている。ひとつにはかの有名な、『にじり膝』で、すべてのお客様に挨拶して廻るという過酷な試練を自分に課して、最後は膝がぼろぼろになり晩年は車椅子で過ごしたという正に命を張って、加賀屋の身代と暖簾を作ったのだ。にじり膝とは、座ったままで動き回る武道で言う「膝行」に似ているが、一切膝は畳から離さずに膝と膝を使って移動していく所作だ。孝さんは年中無休で体調が良かろうと悪かろうと毎日宴会が始まると上座から下座へ一人ずつ、「ようこそ、おいでました」と言い、目線は常にお客様より低く深々と頭を下げて廻ったのです。(細井勝著「加賀屋の流儀」より)その地味な繰り返しが「加賀屋のもてなしの心」を育て、お客様のこころを掴んだのだ。団体客で稼ぐ巨大ホテルの経営方式を取らず、「旅館」として一人ひとりのお客様のリピートという地味であるが真っ当な道をひたすら歩き続け、今に至ったのだ。よくある交際費や会社の経費という景気に左右される顧客層に頼らずにきた結果、個人客から「一度は行って見たい加賀屋」といわれるブランドを築きあげたのだった。

こうして、宿の女将が客室を廻って全てのお客様に挨拶をするという「加賀屋式サービス」は全国の旅館に広まっていったのだ。しかし、同じことをやり続けている旅館は全国に数多くあっても、バブル崩壊後、景気の後退、などで観光客が減り社内慰安旅行なども激減し温泉街もシャッターが閉まっている光景が全国どこにでも見られる。この時代に年間33万人という宿泊客を集め80%の宿泊率という驚異の業績を維持し続けていることは、他に例を見ない。そこには、命を懸けてやり遂げた孝さんのDNAが全社員、出入り業者にまで染み込んでいるのである。

やることはできても、やりきることは常人には不可能に近い。だから分かっていても、成功ができないのだ。そこには、メッキ(真似)とインゴット(本物)の違い、やりきることの違いがあるのである。
孝さんの言葉を借りると「私は一人のお客様に挨拶をしているのではない、その背後にいらっしゃる何万人の方に対して、こころからご挨拶をしているのです」・・・・・正に極めた人の重い言葉である。

私も社員を前に常に口にする言葉がある
「知っていることと、分かっていることは違う」
「分かっていることと、できることは違う」
「できることと、やり続けることは違う」
「やり続けることと、身に付いた事は違う」
だからこそ、身に付くまで地味な誰にも負けない努力をこつこつ、こつこつやり続けるのだ、と。

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