飲酒運転で幼い三人の命を奪った事故の原因が脇見だったという判決に、違和感を覚えた人も多かったのではないか。きのう福岡地裁での裁判では、厳罰を科す危険運転致死傷罪は認められなかった ビールや焼酎を大量に飲んだ揚げ句の運転が、「高度に酩酊(めいてい)した状態」ではないとされた。裁判長はよほどの酒豪か、それとも酒に縁のない人物か。厳密な法解釈の結果、と識者は言うが、飲酒をしたから大事故を招く脇見が生じたのではないのか 司法の限界という言葉が聞かれる。きのう救済法案が衆院を通過した薬害肝炎訴訟も、患者の望む一律救済の道を開いたのは、裁判所ではなかった。世論に後押しされた形で首相が下した「政治決断」だった 政治家には、だれもがなれるものではない。が、来年から私たちは裁判員になる可能性がある。社会常識を裁判に反映させる狙いである。福岡で裁かれた事故も、この制度の対象になるだろう。きのうの判決で抱いた違和感をぬぐうため、ひと肌脱ごうと心に決めるか、それとも法解釈のややこしさに音を上げてしまうのか 年の初めに、大きな宿題を課せられたような判決である。
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