My Fairy King
12
そこは星空だった。僕は辺りを見回して、僕より前にいたはずのレプラコーンの姿を探した。
<ここじゃ、守り人よ>
振り返るとそこにいたのは、あの小人ではなかった。真白い長衣を纏った背の高い老人が、すっくと立っていたのだ。
「あなたは………」
<あれはわしの昼間だけの姿じゃ。それに>
老人はいたずらっぽく笑う。レプラコーンの目が、白いふさふさした眉の下から、僕を見ていた。
<レプラコーンと言うのも、たまたまあの姿を見た人間がくれた名前じゃ。………マーリンと呼ばれた事もある。だが今は、レプラコーンでもマーリンでもない。
………まぁどうでも良いじゃろう。守り人よ、ここはどこだと思う?>
どこ、と言われても。僕には美しい夜空にしか見えないのだ。
「ここは………星空?」
老人は頷く。
<人の目には、そう見えような。………ここは世界の狭間じゃ。ここから、あらゆる世界に行ける。あの星々の一つ一つが、世界なのじゃ。
星空に似通うのは当然………星空はここに通じておるからな。物質的に通じている訳ではないが>
美しい星々は近くに遠くに、限りない澄んだ闇の中に浮かんでいた。あれ一つ一つが世界であるなら、世界とはなんと沢山あることだろう!
<人々はそれぞれに、自分の世界を持っている。それがあの星々なのじゃよ。………これから向かうのは、あれじゃ>
遠く離れた、小さな小さな星。僕にはなぜか、その光が懐かしく思えた。だけどあんなに遠い。
<守り人よ、ここは大自在の世界。さぁ、目を閉じて翼を広げよ。されば、あの星はすぐそこじゃ>
老人に促されて、僕は目を閉じる。広げた翼──────儀式の夜、王が僕にくれた翼に、宇宙の風を感じた。記憶の欠片が僕の頬をかすめて、遠ざかっていった。
小さな星の大気が、ふわりと僕を包んだ。泣きたくなるほど懐かしい空気と、──────妖精国を滅ぼそうとしていたあの闇が混じりあっていた。
どうしてだろう、僕は急に、とても悲しくなった。
<目を開けて良いぞ>
僕は暗闇の繭の前に立っていた。ひどく濃い暗闇が、僕の回りに立ち込めていた。この暗闇は、繭から放たれて来るらしかった。
<ここからはお前さんの仕事じゃ。………わしの手には負えん>
「じゃあ………僕一人でやらなきゃならないんだね?」
<そうじゃ。………幸運を祈る>
僕は姿の見えない老人に向かって頷いた。
しくしくとすすり泣く声が、暗闇を縫って僕の耳に届いた。僕は、────────心臓が止まりそうになった。あまりに、聞き慣れた声だった。
「兄さん!」
暗闇は僕の声を吸い取ってしまう。
「兄さん! どこにいるの?! 兄さん!」
僕は声を張り上げながらやみくもに進んだ。近付いているのか、遠ざかっているのかわからなかった。すすり泣く声はあらゆる方向から聞こえた。
「兄さん、僕だよ! ねえ!」
僕まで悲しくなってきた。
僕と兄さんはいつでも一緒だった。同じものを見、同じものを聞き、同じことを考え、同じことをしていた。
僕らは、二人で二人だった。
涙で曇った目の前に、ぼう、と薄明かりがともった。暗闇が渦巻く中心からほんの少しだけ、懐かしくて胸がいっぱいになる様な光が溢れていた。
「兄さん!」
僕は暗闇を透かして、あまりに見慣れた横顔、自分と同じ顔立ちを見た。兄さんは暗闇の渦の中で丸くなっていた。
「兄さん! 僕だよ!」
声がようやく届いたのか、兄さんは目を開けて立ち上がり、僕を見た。暗闇は渦巻くのをやめ、静かになった。
不吉なほど、暗闇は静かに凪いでいた。
僕と兄さんは向かい合って立っていた。鏡に向かって、立っているようだった。
何を言っていいのかわからなかった。
「兄さん」
「………妖精国を救うために来たんだろう」
泣きはらした赤い目に、見る見るうちに涙が溢れて、暗闇が騒いだ。
「お前は幻に拐われようとしてるんだ! 妖精なんているはず無いのに! お前は………」
ざわ、と暗闇が波立った。
「お前は、いるはずのないものを追い掛けて、僕を置いて行こうとしてるんだ!」
「兄さん!」
暗闇がどうと僕に吹き寄せた。兄さんの姿はまた見えなくなった。
「妖精なんていない! 妖精王も妖精国も、ある筈が無いんだ!」
息苦しい。吹き荒れる暗闇の中では、翼を広げることすら出来なかった。
僕の指にはまっていた指輪の石が急に明るく輝いて、絡み付くような暗闇がほどけていく。
薄明るくなったそこは宇宙ではなく、妖精国だった。
腐臭が鼻をつき、あんなに青かった空は重苦しい灰色で、ときどきくすんだ赤の稲光がそれを切り裂いた。
轟く雷鳴、妖精達の痛々しい悲鳴が血生臭い空気に満ちていた。
あの暗闇が樹々や華奢な草花を締め付け、しなやかな梢は狂暴な風に悲鳴を上げながら芽吹き花咲き、死の直前の輝きを放ってやがて枯れていった。
兄さんが暗闇をまとわりつかせて、僕の前に立っていた。暗闇は兄さんの細い体を包み、締めあげて漆黒の長衣へと変わった。
妖精貴族達の夜の外套のような美しい黒ではなく、あの暗闇そのものの不吉な黒だった。
「ある筈の無いものがあるからいけないんだ」
兄さんが呟く。不穏な風を孕んで黒い裾が翻れば、黒の騎士が新たに現れる。
「こんな国、無ければいい!! 滅びてしまえばいいんだ!!」
「違う! 僕があって欲しいと思うから妖精国はあるんだよ………!」
兄さんは僕をにらみつけた。
「うるさい!」
「兄さん! 僕からこの国を奪わないで!」
「行け!」
黒い騎士は放たれた。暗闇が駆け抜ける速度で黒い馬が走り去り、僕は翼を広げてその後を追う。
嫌な予感がした。黒い騎士は王を殺しに行くのだと、僕は確信していた。
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