My Fairy King
11
僕は走って走って、森を抜けて丘に出た。太陽の光に、緑の草がきらきら揺れていた。
僕は太陽の貴公子が見えるかと思って空を見上げたけれど、ただ眩しいだけだった。
緩やかな丘の斜面を登って頂上に着くと、果たしてそれは、そこにあった。
美しいフェアリー・サークル。くるりと輪を描いて、妖精たちの軽い軽い足に踏みしだかれた草が寝ている。
<やれやれ、やっとおいでなすった>
しわがれ声が草むらから聞こえてきた。僕が振り返ると、僕の膝くらいまでの背丈で白い髭の、赤い小さな帽子を被った妖精が立っていた。
片手に華奢な作りのサンダル、もう片手に木槌を持っている。
「妖精の靴屋のレプラコーンさん?」
<そうともさ、やつら毎晩ダンスで靴を履き潰すんだからな>
妖精はふんと鼻を鳴らした。
<世界の守り人、ってのはあんただね?>
僕は頷いた。妖精は白いもしゃもしゃ眉毛の奥の茶色い目をきらっと光らせて、にかっと笑った。
<見ればわかる、と王が言いなすった意味がわかったよ。………なるほど、我らの王が惚れなさるわけだ!!>
僕は目をそらして、空を見上げた。
<さて。わしはここでお前さんをお待ちして、妖精国にお連れするお役を仰せつかった。わしがこれから扉を開く。開いたら、躊躇せずに進め。
そうすれば王が導いてくださる筈だから安全だが、もし躊躇して王の手を掴み損ねたら、>
レプラコーンは急に声を潜めた。
<世界の狭間に落ち込んだら、もうこっちにもあっちにも帰れんぞ>
僕は息をのんだ。レプラコーンは僕を安心させる様に続けた。
<お前さんが王の手を掴み損ねる事は無かろうし、逆はもっと有り得ない。………恐れるな、お前さんは我らの王が選びなすったお方だものさ>
レプラコーンはそう言うと、木槌でどしんと地面を叩いた。
突然つむじ風がフェアリー・サークルの中に渦巻き、妖精国の風がこちらに吹き込んできた。
<おいで>
懐かしい王の声が僕を招いた。僕はフェアリー・サークルの方に真っ直ぐ歩き、手を前へ伸ばしてつむじ風へ入った。
つむじ風の中は虚無の暗闇だった。果てしない、はかり知れない闇。
手にも足にも感覚は無くて、手足があるのか自信もなくて、ただあるのは僕の混乱だけだった。怖かった。
<存在しようとしろ! 意思を失うな!>
王の声が、暗闇に響いた。
<全てを存在せしめているのは存在しようとする意思、生命の意思だ!>
暗闇の中に王の輝く手が現れ、僕の手が王の手に触れた。王が触れたそこに確かに、僕の手はあった。暗闇の中確かに、僕は、僕の体は存在していた。
僕はそこにいた。
鮮やかな色彩が溢れた。視界に蒼い蒼い空が満ち、足に大地の若草を、頬に柔らかな風を、そして肩を抱きしめる暖かな腕を感じていた。
<良くやった>
王は強く強く僕を抱きしめていた。
僕はここに、王がいるから存在している。僕は僕だけじゃ、僕がここにいるのかどうかすら確信なんて持てなかった。
僕ですらそうなのだ。だから、妖精国は守り人を必要とするのだ。
<すぐに迎えに行ってやれなくて、済まなかった>
王は呟く様に言った。
<お前を呼び寄せたのは………間違いだったかもしれぬ………>
その時、青空をドォンと爆裂音が切り裂いた。驚いて振り向くと、青空に真っ暗な裂目ができていた。
生臭く、不吉な暗闇の風が僕の顔をなで、王の髪を揺らした。
暗闇は妖精国へ吹き込んで空を濁らせ、やがてわだかまった闇は黒い甲冑やマントに身を包んだ騎士や闇の槍を振りかざす戦士へと変わった。
<……!!!>
王の瞳が、恐怖に揺れるのを僕は見た。次の瞬間、王の瞳は怒りに紅へと染まった。
しゃらん、と涼やかな音を立てて、王の美しい長剣が抜かれた。生身の刃はきらきらと、それこそ冴えざえと月のごとく輝いた。
<安心しろ、守ってやる>
王は僕を見下ろして微笑んだ。その瞬間だけ、瞳は柔らかなアメジストになった。
<お前も、………我が国も>
ざぁっと力強い風が吹いた。しかしそれは生臭い暗闇の風ではなく、清らかな妖精国の風だった。
風は渦を巻き僕たちを取り囲み、次々と煌めく甲冑を身に付けた妖精軍が現れた。
朝日の金、月の銀の甲冑には鮮やかな色彩の宝石たちで紋章が施され、彼らが動く度に涼やかな音を立てた。
<王よ、遅くなりましたことをお詫びいたします>
背に抜けるような青空のマントを流し、金の甲冑をサファイアの魚の紋章で飾った妖精貴族の一人が王の前に跪き、
胸へ美しい手を当てて王と僕へ微笑んだ。
<心配召されるな、我らの守り人よ。……我らが共に戦います!!>
王は頷き、彼へ微笑み返した。王はいつの間にか、長衣ではなく銀の鎖帷子と美しい白銀の甲冑を身に付けていた。
純白のマントは翻され、それよりも白い翼が力強く広げられて生臭い闇の風を払う。
<いざ、共に行かん!! 清き夜と想いの子らよ!!> 妖精軍ははその美しい武器を打ち鳴らして歓声を上げ、
それを合図とするかのように闇の軍がときの声を上げる。妖精軍は一斉に武器を構え、生臭い風と共に攻め来る闇の軍へ輝く刃を向けた。
僕も戦うために、儀式の夜に炎を作り出したように、自分の手の中に美しい剣を作り出した。
しかし次の瞬間王の腕は僕をすくいあげるように抱き上げ、背後へと投げたのだ。
<さらば!! 必ず会おう、我が愛し子よ!!>
僕の耳に王の力強い声が響き、僕の体は王の想いが導く清らかな風に乗せられて、妖精軍の遥か後ろへ、妖精国の彼方へと運ばれた。
そして襟首をぐいと掴まれたかと思うと、僕はフェアリーサークルの真ん中、レプラコーンの足元へ横たわっていたのだ。
この世界の空は、限りなく青かった。妖精国の異変など、嘘であったかのように。
<嘘ではない>
レプラコーンが眉根にしわを寄せて僕を見下ろしていた。僕は飛び起きた。
「………僕を戻して!! 僕も戦える!!」
レプラコーンは悲しげに首を横に振った。
<そうしてやりたい。………だが妖精国は、おまえさんを失うわけにはいかぬ>
「あの黒い軍は? ………彼らは何なの?」
レプラコーンは黙り込み、それから僕を真っ直ぐに見てこう言った。
<守り人よ。………戦う覚悟は、あるか?>
僕は頷いて、真っ直ぐにレプラコーンを見た。
<ならばわしが助けよう。………だがお前さんが戦うのは妖精国においてではない>
「………どういう事?」
<………全て、見ればわかる………しかしお前さんには、つらい戦いとなろう。………それでも、戦うか?>
「はい」
ほんの一瞬だけ浮かんだ王の瞳の恐れを見たその時から、僕は戦うと決めていた。だって僕は、世界を守る者なのだから。
レプラコーンは悲しげに僕を見た。
<さすがは、王の愛しなすったお方。………ついて来なされ>
レプラコーンの木槌が地面を叩き、つむじ風が起こった。僕はレプラコーンについて、そっと足を踏み出した。
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