My Fairy King

   

 

 

 昼、目を閉じれば妖精王の面影があった。声が聞こえることすらあった。夜、眠りにつけば妖精王は僕の枕元に現れた。

 妖精王はいつも、寂しげに微笑んでいた。僕の髪を撫で、額に口接けをくれる。

でも僕が手を伸ばすと、月の光が雲にかき消される様に、いなくなってしまうのだ。

 ある月の綺麗な夜に、窓から差し込む月光の中に立った妖精王とベッドにいる僕は、ただ静かに見つめ合っていた。僕は手を伸ばさなかった。

少しでも長く、彼を見ていたかった。彼は夜の虹だった。七色に、金に銀に淡く輝く虹だった。いつもその姿はやがて薄れて、消えてしまう。

 彼は唇の動きだけで、僕に語りかけた。

<帰ってきておくれ>

 僕は胸の奥がぎゅっと苦しかった。

<おいで>

 妖精王は僕に手を差しのべた。彼の手が触れて急に体が軽くなり、僕は僕の体を抜け出していた。

妖精王の手が背に触れて、僕の背に濃い緑の翼をくれた。ふわりとベッドから飛びたって見下ろすと、僕が眠っていた。

妖精王は僕の手を取り、もう一方の手で軽く僕の顔を自分の方へ向けると、微笑んで人指し指を軽く僕の唇に当てた。

 優しく手を引かれて、僕は王と二人、僕らの部屋のガラス窓を通り抜けた。王は従順な夜風を導き、僕は美しい翼を広げて風に乗った。

部屋を振り返ると、僕と兄さんが眠っているのが見えた。

 夜が僕を包んで、黒いベルベットの外套を僕にくれた。外套の裾では、星が煌めいていた。王と僕は眠る町の上を通りすぎて、丘の上へ来た。

<私たちの神聖な丘だ。……篝火が見えてきただろう>

 僕は頷いた。丘の上には燃やされていない薪が組まれ、丘の裾には篝火が丘を囲むように焚かれ、妖精たちが集まっている。

<今夜は大切な儀式の夜なのだよ。……お前を> 妖精王は少し、僕の手を握る手に力を込めた。

<お前を、正式に私の世界の守人とする儀式だ。……急な事を言ってすまない。しかし……世界に危機が迫っている。

 この満月を逃せば、また一月待たねばならぬのだ>

 妖精王は僕を見つめていた。僕は王の瞳が刻々と輝きを変えるのを見つめていた。いつになく不安げな薄い緑や銀色が揺れていた。

<こんな大切な事は、今すぐ決定を下すのは間違っている……大切なお前に後悔はさせたくない。今ならまだ、引き返せる>

 僕には断る理由は無いし、僕の心は決まっていた。それを答えようとして、また妖精王に遮られた。

<世界の守人になるという事は、命を世界に分け与えるという事だ。私と……世界と運命を共にするという事だ。

そして私がもしいなくなるような事があれば、私の代わりに王となって欲しい>

 僕らは薪の積まれた丘の上へ舞い降りようとしていた。丘の裾からぐるりと僕らを囲む妖精の貴族達は王の前に跪き、静寂が満ちた。

月明かりの下、妖精貴族達のマントやドレスを飾る星の様な宝石がちかちかと明滅し、貴婦人の耳飾りがゆらゆら揺れていた。

それは静寂そのものを奏でているようだった。

 僕は王と向かい合って丘に降り立ち、王を見上げて頷いた。

「僕は……この命をあなたにあげるよ」

 王は僕を抱きしめてくれた。

<……すまない……お前はまだ、幼子だというのに。この運命はあるいは、幼子には重すぎるかもしれぬ……>

 僕はあなた達を守りたい、と答えた。妖精達を消滅へ追い込もうとしているのは他でもない、彼らを忘れようとしている僕達人間なのだから。

 王は僕から一歩下がって跪き、美しい剣を抜いて僕との間に横たえた。右手を左胸に当て、静かにこう述べた。

<私は世界を、あなたに捧げる。私は世界を、あなたの為に守る>

 王は僕の手を取って、手の甲に口接けた。

<この剣にかけて誓おう>

 王は剣の柄に手を置き、僕を見つめた。静かな炎を宿したアメジストの瞳は、どこまでも真摯だった。

<あなたを愛し、あなたを守り、あなたに全てを捧げる、と>

 王は立ち上がり、剣を僕との間に立てて僕の手を取り、二人の手を重ねた。

<誓いの印を>

 一番上に重ねられていた僕の左手の薬指に剣の光が一筋絡み付き、それはやがて美しい石の一つ光る指輪になった。

<お前の最初の仕事はその命の火で、私の治める世界とこの世界とを結び付けることだ>

 僕は妖精王を見上げた。

「でも……どうやって」

<あれに火をともしておくれ>   王が指差したのは、高く積まれた薪だった。

<私の国の木だ>

「でも僕、火なんて……」

<全てはお前の思うままだ。思いさえすれば、お前の炎は現れる>

 王は微笑んだ。

<お前にはできるのだ。……お前は、私の大切な愛し子なのだから>

 僕は王に肩を押されて、薪の山へ歩み寄った。僕は炎が現れてくれる様に祈りながら、水をすくいあげる様に両手を掲げた。

てのひらのくぼみに明るい金色の炎が現れ、僕の手いっぱいに燃え上がった。

僕がそっと手を薪に近付けると、炎は一瞬のうちに大きく広がり、明るく強くきらめいた。妖精の貴族たちの間に歓声が上がる。

<新たなる守人に忠誠を!>

 妖精貴族の一人が高らかに言い、全ての妖精貴族達が跪き、頭を垂れた。

 炎がともったのはここだけではなかった。全ての丘の上に、炎は燃えていた。

<地上だけでは無い>

 王は僕の肩を抱き、遥か遠くを見ながら言った。─────妖精達は、人間には想像もつかない程遠くまで見えるのだ。

<海の底、泉の上、大木の傍……私たちの国とこの世界の狭間全てに、世界を結ぶ炎が燃えている。そしてその炎こそ、お前なのだ>

 王は口許をふと緩め、僕を見た。

<よくやった、我が愛し子よ>

 僕は王に抱きついた。王は僕を抱きしめて、髪を撫でてくれた。僕はずっと、どんなにこうして王に抱き締めて欲しかった事だろう!

 王は僕の顔を上げさせて、額に口接けをくれて微笑むと、貴族達の方へ向かって言った。

<音楽を!>

 僕達のまわりで貴族達が立ち上がった。フィドル、リラ、フルート……僕の知らない沢山の楽器も、一斉に奏でられ始めた。

ダンスが始まり、妖精貴族達の蝶やかげろうの羽が炎を反射して、虹色に輝いた。王は僕の手を取り、ダンスの輪に加わった。

 王と手を取り合ってくるくる回る僕の視界で、くるくると色彩が、音が踊る。

妖精達は純粋な色彩、音楽、美しさそのものだった。明るい炎と音楽が、戯れながら夜空に吸い込まれて消えていった。

 やがて夜明けが近付いて東の空が白みはじめた。

妖精王がぱちんと指を鳴らすと、炎から翼のある馬が何頭も現れた。彼がもう一度指を鳴らすと、薪と炎は跡形もなく消え去った。

 王は強い鷲の翼を持つ馬にひらりと飛び乗ると、僕に手を差し延べた。

<おいで>

 

 僕は王に抱かれるようにしてふわりと馬上に持ち上げられ、騎乗した妖精貴族たちを見た。

絹の色鮮やかなケープは夜明け前の濃い青で、色とりどりのドレスや長衣を覆っていた。

耳や首、細くしなやかな手首を飾る宝石は、妖精たちと同じく自ら輝いていた。

 鷲の翼はみるみるうちに僕たちを丘から遠ざけ、星々へと近付けた。夜風は冷たく柔らかく僕の頬を撫で、王の黄金色の髪をなびかせた。

彼の髪を押さえている飾り環から額へ垂れている雫型の宝石は僕の左手に光る指輪の石と、空の星と同じ輝きを放っていた。

 地平線に金色の光が一筋現れた。

<ごらん>

 王は僕の耳に囁いた。

<朝の女王が仕事を始めたようだ>

 巨人? いいや、それは神に違いなかった。美しい灰色の靄のドレスを纏った女性の姿が、確かに僕にも見えていたのだ。

彼女はその透き通る白い手で金色の光をいく筋も紡ぎだした。金の光に染められて彼女の黒髪は裾から銀色に変わり、金の糸は徐々に幅が広くなって、

彼女の手からゆっくりと輝きの中心である聖なる繭の蝶が生まれ出ようとしていた。

 僕は羽を広げた太陽の姿を見た。輝く貴公子は腕を広げ朝の女王を抱きしめて、彼の輝きにその後は全く見えなくなった。

 妖精貴族達は歓声を上げ、夜の盛装をその身から脱ぎ捨てていった。

<朝は幾度でも生まれ変わる。私たちもまた新しくなるのだ>

 妖精貴族達のふわふわしたスカーフやマントや宝石が、僕達の翔ぶ後ろに輝く軌跡を描いた。

数えきれない真珠は葉先や花びらに落ちて朝露になり、草の上に落ちた宝石は花や美しい実になった。

 僕は瑪瑙が木苺になるのを見て、思わず笑った。そして皆が笑っているのに気付いた。妖精達の笑い声は光になって僕たちを包んでいた。

彼らは装飾を脱ぎ捨て、美しい白の長衣と解き放った金や銀の髪だけで身を飾っていた。性別すら脱ぎ捨てた彼らは、天使を思わせた。

──────遥か昔、天を追われた堕天使のうち、罪の軽かった者は地上に住まう事を許されて妖精族となったという。

翼のある馬にのり、華奢な手足と翔ぶには向かない繊細な羽をきらめかせて無垢な笑い声をあげる彼らの姿は、天使であった名残を思わせる様だった。

 王は馬を僕の部屋の窓の外で止めた。

<戻ってきてくれ>

 朝日の中で見る妖精王は妖精貴族達と同じ様に華奢で光に透けてしまいそうで、どこか不安げだった。

 僕の心はもう、ずっと前に決まっていた。

「戻るよ」

 この家に帰れなくなるわけではないのだもの。僕は笑って頷いて部屋の中へ入り、体に戻るとそのまま眠りに就いた。

 

 

  sept purte neuf

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