平成16年11月号(通巻47号)より
南京事件を無知と歪曲で描いた本宮ひろ志の愚行
集英社「週刊ヤングジャンプ」の連載漫画「国が燃える」の休載は当たり前
ジャーナリスト 阿羅 健一
 ●休載措置は常識的な幕引き
 南京大虐殺が描きだされて三回目、連載漫画「国が燃える」の休載が決まった。
 
 南京大虐殺を事実だとするその描き方から、休載は当然だと考える人がいれば、のらりくらり最後まで言い逃れするだろうと予想していた人もいて、彼らにとって休載は拍子抜けだったようだ。確かに拍子抜けした人がいて、しかも彼らの方がはるかに多かったけれど、振り返ってみれば、休載は当たり前で、常識的な幕引であったといえよう。

 「国が燃える」が「週刊ヤングジャンプ」に連載されたのは二年前。著者の本宮ひろ志は、「俺の空」や「サラリーマン金太郎」などで熱血漢を描き若者の間に人気を得ている漫画家。今回の「国が燃える」では、社会の悪と戦う男を、昭和という時代を背景に描いていた。「週刊ヤングジャンプ」は、毎週百数十万部が発行されていて、大学生や若者に人気がある漫画週刊誌であることは言うまでもない。
 
 昭和初期の国や軍部が悪として描かれてきて、九月二十二日発売号では、昭和十二年冬にいたった。

 そこから南京大虐殺が描かれだす。正義に燃える若者の前には、立ちはだかる巨大な悪がなければならない。これまでの流れとこれからの展開から「国が燃える」は南京大虐殺を悪として描かざるを得ないのだろうが、そこに描かれている南京大虐殺は歪曲と無知から成っていた。

 たとえば歪曲とは、法廷の被告席に立つ松井石根大将が「南京事件ではお恥ずかしい限りです…私は皆を集めて軍司令官として泣いて怒った…私だけでもこういう結果になるという事は当時の軍人達に一人でも多く深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい…」と語る場面である。

 中支那方面軍の司令官であった松井石根大将は、東京裁判で南京大虐殺の責任を問われ絞首刑の判決が下された。その松井大将が南京大虐殺を認めたと描かれたのである。

 それは事実だろうか。

 昭和十二年八月、松井大将の率いる日本軍は上海に上陸した。それから半年間、中支の日本軍を率いて戦うのだが、松井大将が軍紀に厳しかったのはよく知られている。苦戦した上海でもそうだったし、南京攻略を前にしても軍紀厳正を十万の日本軍にもとめた。日本軍が南京を陥落させたとき、何件かの不祥事が起き、その報告が大将まで届けられた。報告は松井大将にとってきわめて衝撃で、大将は激怒した。大アジア主義者であり、日中親善を念願としていた大将だから、数件ほどの不祥事にも心をいためたのである。

 敗戦となって突然事件の責任を問われるのだが、南京で事件らしきことの報告は受けたことがなく、責任を問われるようになってからも事件が起こったとは思っていない。「国が燃える」に引用されている言葉は、処刑の直前に松井大将が教戒師に、南京で受けた報告に対する自分の気持ちを述べたものである。

 この言葉は、どんな事件でも無視することなく、軍紀にはきわめて厳しかった松井大将を示しており、むしろ松井大将を賞賛すべきときの言葉である。

 このような言葉を、法廷で述べたように記述し、事件を認めたと描く。だから歪曲というのである。

 無知もたくさんある。「木炭トラックを集落に乗りつけて略奪して来て兵隊達に分けるんだ」「強姦をやらない兵隊なんかいなかった」というセリフが漫画にちりばめられている。この言葉は、南京城内に入ったこともない兵士の作り話で、アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』にも引用されていたものだ。

 研究が足りないし、事件に対する無知からくるとしても、昭和十二年の南京に木炭トラックがあるかどうか、疑問を持たなかったのだろうか。常識からして分かりそうなものである。
南京大虐殺の疑問を中国人にぶつけると、日本人の方が南京大虐殺を主張していると返ってきて返答に窮することがある。南京大虐殺を主張している日本人とはまさしく本宮ひろ志その人である。

 ●あらゆる層から集英社へ抗議
 「国が燃える」に描かれた南京大虐殺が歪曲と無知から成っていることは、現代史に関心を持つ人なら容易に気づくことで、「週刊ヤングジャンプ」が発売になってまもなく、インターネットで広まった。

 西村修平氏は、そのことをインターネットで知った。六年前、中国映画「南京1937」が公開されたとき、公共施設を映写場として貸与してよいものかどうか、西村修平氏は公共施設に質問状を出し、それによって貸与が撤回されたことがある。あの映画を彷彿させる残虐な場面が「国が燃える」にも描かれている。「人類が絶対に忘れてはならない日本軍による愚行があった。いわゆる“南京虐殺事件”である」と本宮ひろ志は断定している。見逃すわけにはいかないと思った西村氏は、さっそくその日、「週刊ヤングジャンプ」の編集部に問い合わせをした。

 あちらこちら回された電話は、最後に切れてしまう。電話で埒があかないと考えた西村氏はすぐに集英社に赴く。

 このときはまともに対応してもらえず、翌日、改めて集英社に向かう。フィクションとはいえ、実在の人物が登場し、南京事件は事実だと描いている。若者をたぶらかすものであり、見逃すことはできない、と西村氏は集英社に繰り返した。

 台風が東京を襲っているときで、雨の中での抗議がつづく。二人で始まった抗議が、三人、五人とふえる。とうとう五日目、集英社は一週間後に返事すると回答をする。

 チャンネル桜の社長をつとめる水島総氏がインターネットで知ったのは西村氏から数日遅れであった。チャンネル桜は、日本のあるべき姿、国益、それらを考える番組づくりを中心にこの夏にはじまった衛星放送である。中国とのせめぎ合いがつづいているなか、まともな史料を参考にしないで南京大虐殺が描かれてはチャンネル桜としてだまっているわけにいかない。チャンネル桜の主力番組は、平日夜八時から二時間の「報道ワイド日本」である。さっそくここで取り上げるとともに、集英社へ取材を申し込む。

 「国が燃える」は本宮ひろ志の企画なのか、南京事件を取り上げるに際してどのような資料選択をしたのか。

 チャンネル桜から数日遅れて知ったのは大田区議会議員の犬伏秀一氏である。犬伏区議会議員もやはりインターネットで「国が燃える」の内容を知った。

 本宮ひろ志と犬伏秀一議員は、航空自衛隊生徒の先輩後輩関係にあった。これまで本宮ひろ志が描く漫画には自衛隊生徒をうかがわせる場面があり、描かれる熱血漢もその流れにあると思っていたけれど、「国が燃える」の南京大虐殺は考証が稚拙であり、史実にない残虐シーンを若者向け雑誌に掲載していいのかも問題だ。

 いつもは外国人参政権などを話し合っている地方議員の意見を聞いてまわった。古賀俊昭都議会議員をはじめ四十三名から、見過ごすべきではないと意見が寄せられた。

 十月四日、犬伏議員は集英社に電話をする。長い間待たされたうえ、抗議があるなら書いて送ってほしいとの返事である。翌日、松浦芳子杉並区議会議員ら四人の議員と集英社に向かった。

 たとえば朝日新聞のように、マス・メディアの多くは自分の間違いを認めようとはしない。また、チャンネル桜の抗議で分かったが、取材はするけれど、取材されることは拒否する。「国が燃える」に抗議をした人たちは、抗議したものの、よい結果は簡単に望めないと思ったであろう。

 しかし、集英社内はそうでなかった。

 いったん抗議がはじまると、毎日二十件ほどの電話や手紙が寄せられだす。これまで集英社ではなかったことだった。インターネットは間違いの多さを批判して書き込みがふえだす。チャンネル桜は連日取り上げる。

 集英社では、連日、対策会議が開かれ、十月八日には最初の答えが出されることになった。事件が描かれて三回目の号が発売された翌日である。

 「国が燃える」は、残虐さが際立っていればいるほどストーリーが生きてくる。そのため南京の残虐な話が集められて描かれたけれど、作り上げられた話ばかりである。加えてニセ写真の引用。さらには裁判で係争中の百人斬り競争まで事実として描かれている。単行本化のとき間違いを訂正すると回答したものの、訂正すればストーリーが成りたたなくなる。

 抗議は、ひとつの組織だけからでなく、あらゆる層に及んでいた。抗議は拡大こそすれ、収束する気配はない。犬伏議員のように、続けながら訂正することを求める人もいたけれど、そうするとストーリーに一貫性がなくなる。

 回答から五日後の十三日、あと二回の連載をもって休載することが決まった。糊塗する道はどうしてもみつからなかったのである。単行本化では、五頁にわたって描きかえ、七頁を全部削除すると決まった。