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神戸の市民救命士30万人 人口の2割「震災忘れぬ証し」

2008年01月08日16時00分

 95年の阪神大震災で4500人以上が亡くなった神戸市で、震災以降、消防庁が定めた救命講習を受け「市民救命士」の認定を受ける人が増え続けている。市は2年前、民間が救命講習を主催できる全国初の試みを始め、市民救命士の数は昨年末時点で延べ30万人を超え、全国3位になった。あの日、がれきの下に6時間閉じこめられて見ず知らずの住民に助け出され、「恩返しに」と市民救命士の養成を続ける男性もいる。

 同市東灘区の篠嵜(しのざき)正昭さん(59)は震災の朝、自宅アパートの1階で寝ていた。突き上げる揺れを感じた直後、轟音(ごうおん)が響いた。目を開けると、眼前に天井があった。「動けない。助けてくれ」。何度も叫ぶうち、意識が遠のいていった。

 正午すぎ、「生きてるか、大丈夫か」との声で意識が戻った。10人ほどの住民が、引っ張り出してくれた。「生き埋めの人がたくさんおってな、待たせてごめんな」。服を泥だらけにした若者たちは、そう声をかけるとすぐに立ち去った。仕事が忙しく、近所付き合いはろくにしてこなかった。

 「次は自分が誰かを救う番だ」。心に決めた。

 97年、市消防局主催の講習を受けて市民救命士の認定を受けた。2年後、さらに高度な講習を受け、同局から市民救命士を目指す市民を指導する「救急インストラクター」に認定され、ボランティア団体「神戸救急グループ」を立ち上げた。

 被災体験や被災者への思いが多くの人を市民救命士へといざなう。震災で全壊した近所の家からお年寄りの女性を助け出した泰地(たいち)英雄さん(65)=同市須磨区=もその一人だ。救出時に住民同士が笑顔で拍手し合った光景が忘れられなかった。06年、「震災体験を生かそう」と顔見知りの篠嵜さんに誘われて市民救命士になり、インストラクターの認定も受けた。

 震災後、九州から神戸市北区に転居してきた富山里美さん(28)は昨年、震災犠牲者の氏名が刻まれている「慰霊と復興のモニュメント」(神戸市中央区)を訪れたのを機に「自分ができることは何か」と考えた。区役所の紹介で神戸救急グループに入り、今月末には市民救命士認定のための講習に参加する。

 神戸市では震災以降、市民救命士の認定を得ようとする市民が年2万〜3万人と、震災前の約2倍に増えた。市は06年、それまで市の主催に限っていた統一講習を、救急インストラクターが所属する民間団体も主催できるよう、全国で初めて要綱を改正。民間の指導で市民救命士の認定を受けた人は、1万1000人を超えた。市の人口(約153万人)のかなりの割合が市民救命士に認定された計算だ。

 神戸救急グループには現在、救急インストラクターの認定を持つ会社員や主婦など約20人が参加。月に2、3回、消防署や自治会の集会所などで救命講習を開く。

 篠嵜さんは「13年たっても市民が震災を忘れていない証しだと思う。災害のときこそ、住民同士の助け合いの力が試される。体が動く限り、応急手当ての方法を教えていきたい」と話す。

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