想定討論者からのメッセージ / 吉川徹
本 > 『学歴と格差・不平等』
拙著『学歴と格差・不平等』について
久しぶりに近況を書きます。
専門誌である『日本労働研究雑誌』最新号において
書評をしていただきました。
今回の評者は原純輔先生(東北大学)。
学歴と格差社会について、何か本を書かれるとすれば
この人ではないかと誰もが思っていた重鎮です。
正確に読み解いていただいて、おほめいただいています。
もちろん、今後の課題も指摘してくださっています。
私の中では同書の想定討論者のうちのお1人であったので
ホッとしつつ、たいへんうれしく思いました。
原先生が読まれたとして、
不十分なところがないようにしよう
という考えが、同書の学術的な目配りと
重みの源になっています。
その点では、他の何人かの先人とともに、
原純輔という社会学者の存在には
感謝しなければなりません。
なお、この手の専門誌では『家計経済研究』に
おいて香川めいさんにすでに書評をしていただいています。
6月かな?
こちらもやはり正確に読み解いていただいています。
上梓後すでに1年以上が経ちます。
専門書も人間の子どもと同じで、1歳までが赤ちゃんで、
この後は幼児期です。これにてほぼ、乳児期は終えた
感じですね。
この子はこういう子です。
次回作に期待していただきましょう。
久しぶりに近況を書きます。
専門誌である『日本労働研究雑誌』最新号において
書評をしていただきました。
今回の評者は原純輔先生(東北大学)。
学歴と格差社会について、何か本を書かれるとすれば
この人ではないかと誰もが思っていた重鎮です。
正確に読み解いていただいて、おほめいただいています。
もちろん、今後の課題も指摘してくださっています。
私の中では同書の想定討論者のうちのお1人であったので
ホッとしつつ、たいへんうれしく思いました。
原先生が読まれたとして、
不十分なところがないようにしよう
という考えが、同書の学術的な目配りと
重みの源になっています。
その点では、他の何人かの先人とともに、
原純輔という社会学者の存在には
感謝しなければなりません。
なお、この手の専門誌では『家計経済研究』に
おいて香川めいさんにすでに書評をしていただいています。
6月かな?
こちらもやはり正確に読み解いていただいています。
上梓後すでに1年以上が経ちます。
専門書も人間の子どもと同じで、1歳までが赤ちゃんで、
この後は幼児期です。これにてほぼ、乳児期は終えた
感じですね。
この子はこういう子です。
次回作に期待していただきましょう。
2007年11月5日(月) at 11:06 / コメント( 3 )/ トラックバック( 0 )
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学校は人的資本を形成するのか?との対立 / 篠原義之 URL
吉川徹先生
『学歴と格差・不平等』を読ませていただきました。文中の記述に対して質問させていただきたく思います。
P120に「・・よって、大学進学率の現在の安定・膠着は、この論理に基づくマクロな外枠に規制されて成立しているというわけではない。」という記述があります。この記述は、矢野・島(2000)の教育投資の収益率が正であることや大卒層と高卒層の賃金格差の存在を論拠としています。
しかし、昨今ネット上で話題になっている東京大学の齋藤経史氏による『学校は人的資本を形成するのか?(http://keijisaito.info/econ/jp/gjk/j1_econ_education.htm)』によると大卒・高卒間の賃金格差が見せかけにすぎないことが、素人にも分かるように書いてあります。世代からみて大卒・高卒の賃金格差がはっきりした縮小拡大を示す以上、齋藤氏の実証分析には説得力があります。また大学教育の社会的な意味での収益はゼロかマイナスであることも示されています。
シグナリング理論であっても、個人的な収益はプラスであるかもしれません。しかし、それは学歴別の平均賃金からは判別できないようにも思います。つまり、『大学進学に「うまみ」がなくなったから進学率が膠着した』ということは十分あり得ることだろうと考えます。こうした考えは吉川先生の記述と対立しますが、どのようにお考えでしょうか?
また吉川先生が引用されている矢野・島(2000)では賃金センサスを用いて、収益率6%と算出しています。しかし、これは齋藤氏の指摘するように分布の区分の位置によっても変化し、一時点のデータから世代を横断して計測しても無意味であろうと考えます。従来の収益率の分析は参考にすらならないように思います。この点に関しても、ご意見をいただければ幸いです。
篠原義之
『学歴と格差・不平等』を読ませていただきました。文中の記述に対して質問させていただきたく思います。
P120に「・・よって、大学進学率の現在の安定・膠着は、この論理に基づくマクロな外枠に規制されて成立しているというわけではない。」という記述があります。この記述は、矢野・島(2000)の教育投資の収益率が正であることや大卒層と高卒層の賃金格差の存在を論拠としています。
しかし、昨今ネット上で話題になっている東京大学の齋藤経史氏による『学校は人的資本を形成するのか?(http://keijisaito.info/econ/jp/gjk/j1_econ_education.htm)』によると大卒・高卒間の賃金格差が見せかけにすぎないことが、素人にも分かるように書いてあります。世代からみて大卒・高卒の賃金格差がはっきりした縮小拡大を示す以上、齋藤氏の実証分析には説得力があります。また大学教育の社会的な意味での収益はゼロかマイナスであることも示されています。
シグナリング理論であっても、個人的な収益はプラスであるかもしれません。しかし、それは学歴別の平均賃金からは判別できないようにも思います。つまり、『大学進学に「うまみ」がなくなったから進学率が膠着した』ということは十分あり得ることだろうと考えます。こうした考えは吉川先生の記述と対立しますが、どのようにお考えでしょうか?
また吉川先生が引用されている矢野・島(2000)では賃金センサスを用いて、収益率6%と算出しています。しかし、これは齋藤氏の指摘するように分布の区分の位置によっても変化し、一時点のデータから世代を横断して計測しても無意味であろうと考えます。従来の収益率の分析は参考にすらならないように思います。この点に関しても、ご意見をいただければ幸いです。
篠原義之
2007年12月25日(火) at 19:05
教育の経済学 /
吉川徹 URL
篠原さんコメントありがとうございます。
いい勉強の機会になります。
斎藤氏はとてもいい研究をされていますね。
HPは知りませんでした。
ちなみに、ごく最近出された、荒井一博先生の新書
『学歴社会の法則』
もとてもわかりやすくてよい本です。
さて、『学歴と格差・不平等』における記述についてですが
大学進学率が日本において
1950年代後半から伸びが鈍り
1980年代後半生まれで50%で全入状態になる
という変化は何が原因なのか?と論じています。
いろいろな要因があるのですが、何が主要因なのか
よくわかりません。
齋藤氏の研究に従うならば、
大学進学の収益率は、1920年代にはマイナスになり
その後どんどん低下を続け、団塊の世代でどん底になる
ということのようです。
これは、日本の大学進学率の変化とどう関連する
のでしょうか?もうちょっと勉強しないとわかりません。
私が本の中で引用した研究では、違う指標を使って
大学進学収益率は常にプラスであるとしていますが、
どちらにしても、教育の経済学で示される推移と
実際の進学率の変化は一致しないということが
言いたかったわけです。
大学進学率は、教育の経済学の理論とは別の要因
つまり、ソシオロジカルな要因によって成り立っている
というのが私の主張です。
いい勉強の機会になります。
斎藤氏はとてもいい研究をされていますね。
HPは知りませんでした。
ちなみに、ごく最近出された、荒井一博先生の新書
『学歴社会の法則』
もとてもわかりやすくてよい本です。
さて、『学歴と格差・不平等』における記述についてですが
大学進学率が日本において
1950年代後半から伸びが鈍り
1980年代後半生まれで50%で全入状態になる
という変化は何が原因なのか?と論じています。
いろいろな要因があるのですが、何が主要因なのか
よくわかりません。
齋藤氏の研究に従うならば、
大学進学の収益率は、1920年代にはマイナスになり
その後どんどん低下を続け、団塊の世代でどん底になる
ということのようです。
これは、日本の大学進学率の変化とどう関連する
のでしょうか?もうちょっと勉強しないとわかりません。
私が本の中で引用した研究では、違う指標を使って
大学進学収益率は常にプラスであるとしていますが、
どちらにしても、教育の経済学で示される推移と
実際の進学率の変化は一致しないということが
言いたかったわけです。
大学進学率は、教育の経済学の理論とは別の要因
つまり、ソシオロジカルな要因によって成り立っている
というのが私の主張です。
2007年12月26日(水) at 8:22
進学の収益率と大学進学率 / 篠原義之 URL
吉川徹先生
>齋藤氏の研究に従うならば、
>大学進学の収益率は、1920年代にはマイナスになり
>その後どんどん低下を続け、団塊の世代でどん底になる
>ということのようです。
これは吉川先生が早々にご返信をなされたこともあり、読み違えてしまったのではないかと考えます。僭越ながら、例を用いて齋藤氏の分析のポイントをご紹介します。
10万円、20万円、40万円の賃金(生産性)の3人の労働者がいるとします。過去においては上位1人が大卒でしたが、現代は進学率が高まり上位2人が大卒になるとします。単純化のため、大学は賃金(生産性)に影響を与えず、物価も一定であるとお考えください。
[過去]
10万円, 20万円/←高卒・大卒→/ 40万円
高卒平均賃金:15万円、大卒平均賃金:40万円
⇒見せかけの大学進学の投資収益25万円
[現代]
10万円 /←高卒・大卒→/20万円, 40万円
高卒平均賃金:10万円、大卒平均賃金:30万円
⇒見せかけの大学進学の投資収益20万円
上記の例では、大学に進学することの真の収益は過去も現代もゼロのままです。しかし、大卒と高卒を区分する位置が変化するだけで、見せかけの進学の投資収益は25万円から20万円へ変化します。吉川先生が引用なされた矢野・島(2000)では、この見せかけの指標を投資収益として計算しています。しかし、計測した期間の大学進学率は一定ではありませんから、見せかけの投資収益は大学の効果にかかわらず変化します。
また、実際の賃金(生産性)は、数値例の中央の20万円の賃金を持つ労働者が多く、山形の分布と考えるのが自然です。山形の分布の場合、格差の指標を(大卒平均賃金/高卒平均賃金)とすると、進学率の上昇によって格差の指標は縮小した後に拡大します。それが以下のページの表中の矢印に現れています。
http://keijisaito.info/econ/jp/gjk/j2_wage_data.htm
しかし、これらの指標は見せかけにすぎず、実際の高等教育の収益ではありません。齋藤氏は分位数を用いて、社会的な意味での高等教育の効果を測り、職場訓練との差し引きでマイナスかゼロと結論づけています。
一方で完全なシグナリングであっても個人的な収益は存在します。また、その収益は大学のレベルによっても異なると考えられます。例えば、東京大学や大阪大学に進学できる者は、高校卒業時に就職しては生涯賃金が低下するでしょう。高い偏差値の学生は個人的な収益が高いと考えます。一方、低位の偏差値の大学にしか進学できない者は、高校卒業時に就職して技能を身につける方が、大学進学をするより生涯賃金が高い傾向にあると考えられます。すると、教育の経済学で考えられるような個人的な収益によって、進学率の膠着が説明できる可能性は十分にあります。
無論、個人的な収益を測ることができない以上、これは仮説にしかすぎません。しかし従来の収益率の分析に致命的な問題があり、データによる裏付けがないという点においては、吉川先生の主張される「教育の経済学の理論とは別の要因から大学進学率は成り立っている」も同様に仮説であると考えます。このため「・・よって、大学進学率の現在の安定・膠着は、この論理に基づくマクロな外枠に規制されて成立しているというわけではない。」と言い切ることはできないように考えます。
篠原義之
>齋藤氏の研究に従うならば、
>大学進学の収益率は、1920年代にはマイナスになり
>その後どんどん低下を続け、団塊の世代でどん底になる
>ということのようです。
これは吉川先生が早々にご返信をなされたこともあり、読み違えてしまったのではないかと考えます。僭越ながら、例を用いて齋藤氏の分析のポイントをご紹介します。
10万円、20万円、40万円の賃金(生産性)の3人の労働者がいるとします。過去においては上位1人が大卒でしたが、現代は進学率が高まり上位2人が大卒になるとします。単純化のため、大学は賃金(生産性)に影響を与えず、物価も一定であるとお考えください。
[過去]
10万円, 20万円/←高卒・大卒→/ 40万円
高卒平均賃金:15万円、大卒平均賃金:40万円
⇒見せかけの大学進学の投資収益25万円
[現代]
10万円 /←高卒・大卒→/20万円, 40万円
高卒平均賃金:10万円、大卒平均賃金:30万円
⇒見せかけの大学進学の投資収益20万円
上記の例では、大学に進学することの真の収益は過去も現代もゼロのままです。しかし、大卒と高卒を区分する位置が変化するだけで、見せかけの進学の投資収益は25万円から20万円へ変化します。吉川先生が引用なされた矢野・島(2000)では、この見せかけの指標を投資収益として計算しています。しかし、計測した期間の大学進学率は一定ではありませんから、見せかけの投資収益は大学の効果にかかわらず変化します。
また、実際の賃金(生産性)は、数値例の中央の20万円の賃金を持つ労働者が多く、山形の分布と考えるのが自然です。山形の分布の場合、格差の指標を(大卒平均賃金/高卒平均賃金)とすると、進学率の上昇によって格差の指標は縮小した後に拡大します。それが以下のページの表中の矢印に現れています。
http://keijisaito.info/econ/jp/gjk/j2_wage_data.htm
しかし、これらの指標は見せかけにすぎず、実際の高等教育の収益ではありません。齋藤氏は分位数を用いて、社会的な意味での高等教育の効果を測り、職場訓練との差し引きでマイナスかゼロと結論づけています。
一方で完全なシグナリングであっても個人的な収益は存在します。また、その収益は大学のレベルによっても異なると考えられます。例えば、東京大学や大阪大学に進学できる者は、高校卒業時に就職しては生涯賃金が低下するでしょう。高い偏差値の学生は個人的な収益が高いと考えます。一方、低位の偏差値の大学にしか進学できない者は、高校卒業時に就職して技能を身につける方が、大学進学をするより生涯賃金が高い傾向にあると考えられます。すると、教育の経済学で考えられるような個人的な収益によって、進学率の膠着が説明できる可能性は十分にあります。
無論、個人的な収益を測ることができない以上、これは仮説にしかすぎません。しかし従来の収益率の分析に致命的な問題があり、データによる裏付けがないという点においては、吉川先生の主張される「教育の経済学の理論とは別の要因から大学進学率は成り立っている」も同様に仮説であると考えます。このため「・・よって、大学進学率の現在の安定・膠着は、この論理に基づくマクロな外枠に規制されて成立しているというわけではない。」と言い切ることはできないように考えます。
篠原義之
2007年12月30日(日) at 19:06
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