今年の夏、北京五輪が開かれます。大国中国の復興を象徴するイベントになるでしょう。しかし、中国は多くの問題も抱え、台頭を喜んでばかりもいられません。
二〇〇八年は中国が改革・開放を始めてから三十周年の記念すべき年でもあります。この間、毎年二けた近い成長を遂げ、国内総生産(GDP)はアメリカ、日本、ドイツに次ぐ世界四位に躍り出ました。このままの成長が続けば近い将来、日本の経済規模を上回るのは確実です。
日本の景気も左右
名目的なGDPではなく、物価の違いを考えに入れた購買力で見ると、中国の経済規模は日本の二倍以上に達し、米国に次ぐ世界第二位の経済大国になっているとの推計(米CIAなど)もあります。
日本にとって中国は既にアメリカを上回る貿易総量を誇る経済のパートナーになり、日本の景気も中国の経済に左右されます。製造業やサービス業の、さまざまな部門が中国に移転し日中が経済共同体になったというのは例えではなく現実です。
また、中国は国連安保理常任理事国五大国の一角を占め、国際政治で発言力を増しています。七月に洞爺湖で開かれる主要国首脳会議(G8)のメンバーでないことがおかしいぐらいです。
それにもかかわらず日中関係、中国と周辺世界の将来は手放しで楽観できません。中国の国防費は公表分だけでも十九年連続で二けたの伸びを続け、〇七年には、日本の〇七年度防衛予算を上回りました。軍事力の透明性が他国に比べ低いのも気掛かりです。「鉄砲から国家権力が生まれた」(毛沢東)国柄で軍は政治に強い影響力を持ちます。
民主主義を発展させ総統や立法委員も直接選挙で選ぶまでになった台湾に、独立をうかがえば武力を使っても干渉すると身構えています。共産党独裁の下で野党の存在は許されず、マスコミに対する統制は、それほど緩和されていません。
途上国の権利主張
急速な経済成長に加え単位あたりのエネルギー消費が多い粗放的な発展を遂げたため、資源の消費が急増し一九九三年から石油純輸入国となりました。中東のみならずアフリカ、中南米でも、エネルギー獲得の強い衝動に駆られています。
二酸化炭素の排出量が米国を抜いて世界一になったといわれますが、温室効果ガス削減には発展途上国として先進国と異なる扱いを主張しています。大気や水の汚染も深刻で進行する砂漠化が日本などへの「黄砂」の急増として影響しています。
深刻なのは国内の急激な格差の拡大です。「世界最大」(中国社会科学院)という都市と農村の所得格差は縮まらず一億二千万という出稼ぎ農民の労働条件は劣悪です。人口の七割を占める農村住民、都市の貧困層に対する医療や養老の保障は緒に就いたばかりです。人口の老齢化が始まる二〇二〇年前後から年金問題が中国を揺るがす深刻な問題になると指摘する研究者もいます。
この大国の持続的発展と将来の安定には疑問符が投げ掛けられています。中国の政治的、経済的存在感は改革・開放以前とは比較にならないほど高まっており、国内が乱れれば中国の内政が東アジアの安全保障問題にもなりかねません。
「中国問題」はその急速な発展と国力の充実に伴い周辺諸国にとって二十一世紀最大の難題として浮上してきました。中国と付き合う難しさの本質は何でしょうか。
つまるところ、中国が豊かで強い国になろうとしているのに、政権は過去、百五十年にわたり列強の侵略や圧迫に苦しんだトラウマ(心的外傷)から解放されていないところにあるようにも思えます。
それは時に、いささか過剰に思える国権と国益の主張や、海外からの批判に対する厳しい反発として噴き出します。日本も東アジアで早く近代化に成功しながら、人権や自由より国権や対外拡張を優先した歴史があり、中国をとやかく言う資格はないのかもしれません。
しかし、過剰な国権主張やナショナリズムが周辺国のみならず自国民にも苦しみを強いることを知るものとして言わざるを得ないのです。
日中関係は一昨年の安倍晋三前首相の訪中で復活した首脳交流で正常化しました。年末の福田康夫首相の訪中では「春が来た」と形容され、福田首相は今年を日中関係の「飛躍元年」にすると意気込んでいます。
しかし、現在の関係は「中国問題」について率直に意見を交換し、双方の近代化の欠陥を学び合うほど成熟していると思えません。
もろい日中友好の連呼
むしろ、関係悪化を恐れるあまり、意見が食い違う問題では突っ込んだやり取りを避け、友好の連呼に終始している感も否めません。
こうした「日中友好」のもろさを私たちは思い知らされました。中国は大国として飛躍を遂げようとしています。今こそ、その問題を直視し率直に話し合い、日本の失敗をも糧に克服の道をともに探る関係を築くことこそ必要ではないでしょうか。
この記事を印刷する