捕鯨問題に見る異文化の対立についての考察

―2002年IWC下関会議を中心に―

愛媛大学農学部 細川隆雄

1.はじめに

本稿の目的は、捕鯨問題を事例として異文化の対立について考察を加えることである。1970年代にクジラは環境保護のシンボルとなり、誰かが意図的に情報発信したのであろうがクジラ絶滅説が世界中に流布され、鯨を捕るな食べるなという国際世論が形成された。そういった国際世論に圧倒されて日本の商業捕鯨の息の根は止められた。日本は「鯨を捕るな食べるな」という価値観を押し付けられたのである。すなわち鯨に関わる生活文化および食文化が否定されたのである。

2002年4〜5月に、第54回IWC年次会議が下関で開かれたが、IWC年次会議は今年も建設的な結論を導き出すことはできなかった。鯨類の「持続的利用」を意図するために作られた国際捕鯨委員会がもはや反捕鯨の組織に変質し、アメリカを中心とするアングロサクソン国家に乗っ取られている事態が明確となった。IWCの正常化を意図した日本の建設的な提案はことごとく否決された。捕鯨問題の根底には文化的対立が潜んでいると思われる。

2.IWCはどのように反捕鯨機関に変質したのか

IWC(国際捕鯨委員会)は組織された当時、その名が示すように「クジラ資源の有効利用」を推進するための国際機関であったが、それが環境ブームが巻き起こった1970年代に変質していった。IWCを反捕鯨の機関に変質させたのはアメリカ政府と、グリーンピースに代表される急進的な環境保護団体であった。

1970年代初め、アメリカはベトナム戦争という泥沼に入り込み、抜き差しならぬ状況に陥りつつあった。枯葉剤の大量投下と環境への壊滅的影響、反戦運動の盛り上がりと麻薬の蔓延、脱走兵の続出等々、反米、反体制、反戦気運をなんとしても方向転換させる戦略を考え出す必要があった。その結果ホワイトハウスに特別戦略諮問機関が設置され、英知を絞った末の作戦として自然保護が全面に打ち出されることになった。そしてその象徴としてクジラ保護に標準が定められた。クジラは地球環境を守るためのシンボルとなった。自然保護に関してカリスマ性に富む多くの理論家、運動化が動員され、それが1972年のストックホルム国連人間環境会議(地球サミット)の開催へとつながっていった。

1972年ストックホルムで開かれた国連人間環境会議の主題はベトナムの枯葉剤投下などについてのアメリカ批判となるはずであったが、アメリカの狙いどおりに捕鯨問題がメインテーマとなりアメリカの提案による「商業捕鯨の10年間のモラトリアム勧告」が採択された。このころはローマ・クラブの「成長の限界」に象徴されるように地球資源有限論が声高に叫ばれたときであった。もっとも、このストックホルムでの決定はあくまでも「勧告」であって拘束力は無いものであった。事実、その直後に開かれたIWCでは「勧告には科学的根拠なし」として無視された。だが、アメリカはあきらめなかった。72年以降アメリカ主導の反捕鯨運動が大々的に展開されるようになる。

アメリカを中心とする反捕鯨勢力は当初「クジラ絶滅論」を持ち出したが、なかなか思い通りにならないことがわかると、評決による数の力で捕鯨を葬り去る作戦に出る。アメリカを中心とする反捕鯨勢力による、非捕鯨国、非漁業国への強力な働きかけの結果、捕鯨と無関係なIWC加盟国が急増した。1972年の国連人間環境会議から商業捕鯨モラトリアムの決議をする82年までの10年間にIWC新規加入は25ヶ国にのぼった。アメリカの戦略は成功する。1982年のIWC総会で商業捕鯨モラトリアムの決議は採択された。賛成25、反対7、棄権5であった。

3.2002年IWC下関総会においてまたしても否決された日本の提案

総会議長は日本の沿岸捕鯨50頭枠の提案についての経緯を次のように説明した。

「昨年、日本が委員会に対して提案した付表の修正について強く要請しました。その理由は次の通りです。社会的経済的文化的宗教的そして食料面において、沿岸捕鯨が大変重要であることは明らかだと言うことであります。IWCにおいては何度もこのような状況については認めてきたと言うことであります。2001年年次会議で採択された決議の中でもそれは認められております」。

日本代表いわく。「議長、どうもありがとうございます。日本はこの50頭のミンククジラの暫定救済枠を要求します。これは沿岸小型捕鯨を行う地域のためであります」。日本代表は、今年の3月21日に山口県長門市において開催された第1回日本伝統捕鯨地域サミットとその場で採択された長門宣言について述べ、沿岸地域捕鯨のおかれている困難な状況について「長門宣言」に依拠しつつ説明した後、ミンククジラ50頭枠捕獲提案の趣旨を次のように述べた。

「"クジラの完全利用とその恵みへの感謝を基礎としてわが国の伝統と文化を誇りそれを保存し発展させる"と言う点を長門宣言は高らかにアピールした。しかしながらIWCは伝統的な生活様式を地域社会から奪ってしまった。祖先から受け継いできた生活様式と、自らの食料に対するプライドは奪われ、身の前の海にたくさんのミンククジラが生息するにもかかわらず、正当な理由もなくミンククジラを捕るなと言われ続けている。このことから生じる様々な精神的ストレスは計り知れないものがあります。このような事態を打開するために日本はミンククジラ50頭枠の捕獲の提案をします」。

日本による趣旨説明の後、議長の指示に従って日本の提案に対する各国の意見が次のように述べられた。

モナコ代表いわく。「1993年のダブリン年次会議と同様、モナコと致しましては小さな捕鯨の村が日本にあって、それに対して非常に同情すると言う気持ちをここで再度伝えたいと思います」。

ノルウェー代表いわく。「ノルウェーの基本的考え方としては、捕鯨というのはこれを原住民生存捕鯨と呼ぼうが、伝統的と呼ぼうが、正当な商業的活動であるということであります。なぜ商業的かといえば、これは人間が生きるために行う活動であるというからであります。天然資源を利用することによって生きていこうということは、それが生存のためであろうと、それが分業と言う形をとる以上、貿易、通商ということにかかわってくるわけです。従って我々と致しましては商業捕鯨か原住民生存捕鯨かといった、捕鯨の分類の数を増やすと言うことに対しては、基本的に賛成ではありません。しかしながら、日本の要請、提案に対してもメリットがあるというのは十分に理解しうるわけであります」。

スペイン代表いわく。「私は皆様方に対して想起していただきたい点があります。スペインはモラトリアムが1982年に提案されたときにそれを指示することによって国内の捕鯨産業を犠牲にした唯一の捕鯨国です。それ以降新しい捕鯨活動のカテゴリーの設立に関してずっと終始一貫して反対しつづけてきました。したがって日本の提案に対しても反対致します」。

アンティグア・バブーダ代表いわく。「議長、ご存知のようにこの提案はこの10年以上も続いてきたものであります。IWCの全加盟国にとって大変重要な意義を持つものであります。なぜかと言いますと、地域社会、コミュニティ、国々には我々の採ったこの項目の決定によって大きな影響を受けるからです。先住民その他の人々が自分たちの文化をいかに維持するか、経済をいかに維持するか、生活様式をいかに維持するか、それも持続的な形で維持できるかと言うことであります。外部からの価値とか、慣習とか、ある特定の経済生産方式というものを他の国の人々に押し付けてはならないということであります。われわれは複合的な世界に住んでいるわけであり、人類の文明というものはそういう複合性多様性を必ず認めなければならない。彼らの生活は水産資源を食料安全保障のために利用することに依存しているのです。重要な人間の文明の保存をお願いしているのであります。50頭のミンククジラの割り当ては本当に小さな一歩ですが、沿岸のコミュニティの再構築のための小さな一歩でもあります。わたしは人間の尊厳のためにお願いしたい。私はこの日本の提案に賛成します」。

各国の発言のあと投票用紙が配られ日本の提案に対する賛否が問われた。投票の結果、賛成は20票、反対は21票、棄権は3票であった。

4.アメリカに対する日本の反撃

先住民捕鯨に関してアメリカ政務次官から日本政府に対して質問があった。質問の趣旨は日本が核兵器なみの破壊的なことをやっているということであり日本がIWCの仕事を破壊しようとしているという日本への非難であった。これについて日本がどう考えるかという質問がおこなわれたが日本代表は記者会見において次のように答えた。

「そういう非難はあたっていない。われわれ日本がやろうとしているのはむしろIWCの正常化ということであります。ところが本会議のここまでの動きで何回も出てきましたように、明確なるダブルスタンダード(二枚舌)が原住民生存捕鯨の話において動いているわけです。たとえば、アメリカの先住民の方々が捕っているボーンヘッド(ホッキョククジラ)と日本が沿岸小型捕鯨で要求している北太平洋のミンククジラについていえば、科学的知見の蓄積状況からすれば、むしろミンククジラの方が多いのであります。この点、アメリカの言うことは議論がまったくダブルスタンダードになっております。すなわちアメリカはホッキョククジラについては、データがないから新しい仮説を作るのをやめても捕ることを決めましょうと言う。しかし一方ミンククジラについては、データがないからもっともっと様々な仮説を作ってみなければわからないと言う。あるいはこれも日本側からの発表(日本からの提案の趣旨説明)にありましたが、世界中の文化人類学者と社会学者によれば、日本の沿岸小型捕鯨とアラスカのイヌイットの方々の生存捕鯨とは文化的にも経済的にも社会的にも変わりはないという結論が出ております。ところがアラスカのボーンヘッドに対する捕獲は許されるが、日本の沿岸捕鯨のミンククジラの捕獲は駄目だということを、アメリカ政府は主張しつづけてきたわけです。今回またミンククジラ50頭枠の日本の提案は否決されたわけですが、こういう状態でアメリカの主張するようにこれまで通りにダブルスタンダードを認めていくということはむしろIWCの崩壊につながるというのがわれわれ日本の危機感であります。われわれはIWCを壊そうとしているのではなくてむしろIWCを正常化しようとしているわけです。条約を無視して条約ではクジラの持続的利用を維持するという点が明確に規定されているのですがそれをまったく無視するやり方、あるいは科学的データを無視するやり方こそがIWCの破壊につながるわけであって、われわれの事を破壊的アプローチであるという主張は全くの誤りであります」。

5.おわりに

以上、IWCが反捕鯨組織に変質していったプロセス、下関総会において日本提案が否決されたプロセス等について述べてきたが、反捕鯨国、反捕鯨団体の主張は一方主義的であり独善主義的であると言わざるを得ない。「商業捕鯨禁止に科学的根拠がありやなしや」と問うた場合、明らかに科学的根拠は無いのである。「環境保護」という言葉はなるほど美しい。だが「環境保護」という美名のもとに一部の人たちの権利が侵害されているという点、そしてまたそれによって覆い隠されたものがあるという点を見落とすべきではない。また捕鯨問題の背後には、異文化の対立ということが潜んでいる点も見落としてはならない。