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「命の最期に、患者と家族が『ありがとう』と言い合える関係づくりがわたしの仕事」と語る船戸崇史医師=養老郡養老町船附、船戸クリニック
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2005(平成17)年4月。首のリンパ節のしこりとひどい肩凝りを訴える女性が、養老郡養老町の船戸クリニックを訪ねてきた。岐阜市の杉山順子さん=当時(35)=。5年前にがんを経験していたため、念のため細胞の検査を受けた。結果は悪性。「なんでわたしが…。なんで…」。全身が震えた。
子宮頸(けい)がんで子宮を全摘出して5年。最初にがんを経験したのは、結婚から2年が経過した6月ごろのことだった。子宮に進行性の悪性のがんが見つかった。子宮の全摘出はもう子どもを望めないことを意味する。悩んだ末、岐阜大学医学部付属病院で手術を受けた。夫と話し合いの末、離婚した。
在宅という珍しい形の終末期医療で知られる船戸クリニック。船戸崇史医師(48)は元消化器外科医だ。「医者といったら外科医で、『おれのメスでなんでも治してやる』って本気で考えていた。だけど、切っても切っても再発して患者が帰ってくる。むなしくなった」と振り返る。
1994年、養老町の国道258号沿いにクリニックを開院した。「病院ではなく自宅で死んだ方が患者にとっていいんじゃないか」。メスを置き、患者の最期に寄り添う終末期医療を在宅という形で始めた。さまざまな病気の末期の患者が毎月、1、2人のペースで亡くなっていく。だが、根治するのではなく、身体と心の痛みを和らげ、家族とともに静かに最期を迎える手助けをするのが方針だ。
県が昨年度に行った県民健康意識調査で、保健医療について望むことの第2位に「在宅ケアの充実」がランクインした。国民病であるがんの患者には、「命の最期は自宅で」という意識は強い。「自宅で最期を迎える人とその家族は、むしろ、死をプラスとして考えられる。末期の患者にとって、医療はむしろ家族との間の障害でしかない」と船戸医師は指摘する。
再発が判明してから8カ月が経過した06年1月11日。杉山さんは家族にみとられながら、自宅で息を引き取った。間もなく2年。妹の森中裕子さん(35)さんは今も船戸クリニック主催のがん患者らの旅行に、ボランティアスタッフとして参加している。「姉の闘病中、わたしたち家族に生じた変化は、市中の病院では絶対に体験できなかった。自分自身も学んだことは数知れない。姉には感謝したい」。こう語る裕子さんの表情は晴れやかだ。
開院からこれまでに在宅でみとってきた末期患者の数は200人以上。治療不可能として現代医療から見放された患者たちが、船戸クリニックの門をたたく。
船戸医師は語る。
「西洋医学で死は敗北。だけど、亡くなる直前にあたって医療が行うべき本来の役割は、延命治療ではない。家族と患者がお互いにありがとうと言い合える関係づくりではないでしょうか」
終末期医療 末期がん患者らに施す身体的、精神的苦痛を取り除く医療。延命を目的とするのではなく、生活の質の向上を目指す。県内では、岐阜中央病院(岐阜市)が終末期医療を専門とする緩和ケア病棟を設置。緩和ケアチームを配置する市中病院も増加している。
※第一部はこれで終わり、第2部は4月に掲載する予定です。
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