宮武外骨(1867-1955・慶応3年-昭和30年)
昭和30年7月28日歿 88歳 染井霊園

当時五十八歳になっても、マダ知識欲の失せない古書研究家、探しているものをいちいち挙げれば、新聞全紙を埋めても足りない。それよりか自分一身上の大問題について探しているものを申し上げる。
亡妻の墓を建てない墳墓廃止論の実行、養女廃嫡のために宮武をやめた廃姓廃家の実行、今は一人身で子孫のために計る心配はないが、ただ自分死後の肉体をかたづけることに心配している。友達が何とかしてくれるだろうとは思うが、墓を建てられると今の主張に反する。自認稀代[世にまれな]のスネモノ、灰にして棄てられるのも借しい気がする。そこでこの死後の肉体を買い取ってくれる人を探している。ただしそれには条件が付く。かりに千円(死馬の骨と同額)で買い取るとすれば、その契約[と]同時に半金五百円を保証金として前はらいにもらい、あとの半金は死体と引き換え(友達の呑み料)、それで前取りの半金は死体の解剖料と骸骨箱入りの保存料として東大医学部精神科へ前納しておく。ゆえに死体は引き取らないで、すぐに同科へ寄付してよろしい。半狂堂主人[外骨]の死体解剖骸骨保存、呉秀三博士と杉田直樹博士が待ち受けているはず。オイサキの短い者です。至急申し込みを要する。
(「東京朝日新聞」広告より)

幼名を「亀四郎」というが、その名を戸籍上も正当な「外骨」などという奇想天外な名にしてしまった男を記憶にとどめたい。ジャーナリストとしての最晩年を明治新聞雑誌文庫創設に捧げ、退職後は自叙伝の大成につとめたが、足腰の衰えはいかんともしがたく老衰のため4人目の妻、能子に看取られ昭和30年のこの日、天寿を全うした。

尋常な人間の感覚では焦点を結ぶことが出来ないであろう。宮武外骨の駆け抜けた生涯を追いかけることは、あまりにも無謀だと気づかされるのに一時もいらなかったが、偶然にも訪ねあてたこの霊園の石碑、木陰でひっそりと佇んでいる「宮武外骨霊位」墓は、正岡子規・尾崎紅葉・夏目漱石・幸田露伴など大家と呼ばれる文士と生まれ年を一にする男。「我地球上に在って風致の美もなく生産の実もなくして、いたずらに広い面積を占めている」と墳墓廃止論を唱えた男。一代の危険人物の奇妙な形の碑であった。