100年先を見越して、社会を変える。そのために、目に見えない気体を制御する。今年は、そんな困難な課題に人類が挑戦する第一歩となる年だ。
10年前に採択された京都議定書の約束期間の元年というだけではない。京都以降(ポスト京都)の交渉も本格的に始まる。
議定書の約束により、日本は今年から12年までの5年間で、二酸化炭素など温室効果ガスの排出量を90年に比べて6%削減しなくてはならない。国連「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」によれば、2050年までに世界の排出量を半減させなければ、世界に温暖化の悪影響が及ぶという。
産業革命以来の化石燃料の大量消費を続ける限り、気候の安定は望めない。地球の危機を避けるには、ここ20~30年が勝負だというIPCCの指摘に耳を傾けたい。
◇覚悟は予想以上
昨年、アル・ゴア氏と共にノーベル平和賞を受賞したIPCCのパチャウリ議長は、年末に来日した際、自分の足元から変えることの大切さを指摘した。そのためには、一人一人の覚悟が必要となる。
毎日新聞が昨年末に実施した世論調査によると、「温暖化問題に関心がある」と答えた人は全体の9割。京都議定書の約束を守るために「生活レベルを下げることができる」と答えた人は半数に達する。約束を守るために「経済成長を犠牲にしても、排出を抑制する」と考える人も14%いる。
ここからは、予想以上の覚悟が読み取れる。課題は、そうした人々の意識をいかに実際の行動に結びつけるかだ。
環境省と経済産業省の合同審議会は、昨年末、議定書の目標達成計画の見直し案をまとめた。この中では、産業界の自主行動計画や、住宅などの省エネ対策と並び、国民運動の推進が追加対策の要とされた。政府はそのためのキャンペーン費用などを来年度予算に計上している。
だが、PR活動だけでライフスタイルが変わると期待するのは楽観的だ。「足元から変えよう」と思う人々の行動を後押しするのは、技術や社会構造の変革であり、それを支える政策であるはずだ。
例えば、太陽光発電で家庭やオフィスの電力をまかないたいという意識があっても、技術面や制度面で、それを活用しやすい体制がなくては普及しない。乗用車の利用を控えようと思っても、それに代わる公共交通などの使い勝手が悪ければ、行動を変えにくい。
足元を見つめる一方で、産業や運輸部門における排出削減は見逃せない。ここでも、鍵を握るのは、技術や政策だ。
日本の省エネ技術は世界一と言われてきたが、それに安住せず、さらなる技術革新が必要だ。トップランナー制度のように、開発された省エネ技術の活用を促進する政策も欠かせない。
目標達成計画の見直しでは、国内排出権取引の実施を主張する人々と産業界との間で意見が対立し、両論併記となった。対策強化に対する産業界の反発には、京都議定書そのものへの反発もある。
確かに議定書には欠陥がある。世界最大の排出国である米国は離脱し、大量排出国である中国やインドには削減義務がない。結果的に、削減義務のある国々の排出量は、世界の排出量の3割に過ぎない。
だからこそ、ポスト京都で、いかに実効性のある削減を進めていくかが重要になる。昨年12月にインドネシアで開催された「気候変動枠組み条約第13回締約国会議(COP13)」では、「全員参加」によるポスト京都の枠組み交渉が合意された。今後は、いかに有効な中身を盛り込んでいくかが課題となる。
そこで議論の焦点となるのが、数値目標や削減の具体的方法だ。COP13では「先進国は20年に90年比で25~40%削減」といった案も俎上(そじょう)に載った。国際交渉でリーダーシップを握るには、日本の態度をはっきりさせ、公平で実効性のある削減の仕組みを提言していかなくてはならない。
◇排出半減へ
戦略的な政策とは別に、戦後の高度経済成長によって日本が得た「豊かさ」の中身も考えてみたい。世論調査に表れた「生活レベルを下げてもいい」という声の裏に、今の豊かさへの疑問もあると思えるからだ。
日本が京都議定書で約束している「90年比で6%削減」の排出量は、80年代後半の排出量に相当する。2050年に世界がめざすべき「半減」は、日本でいえば60年代後半の排出量に当たる。
エネルギー効率の改善や人口の増加など、さまざまな要素がからむので、削減は単純に「そのころの生活に戻る」ことを意味しない。しかも、先進工業国である日本は、半減以上の削減を迫られるだろう。
ただ、温室効果ガスの排出倍増によって得たものすべてが、本当に必要な豊かさかどうかは再考の余地がある。そこから、二酸化炭素の排出を抑えた低炭素社会を構築するヒントも生まれるのではないだろうか。
毎日新聞 2008年1月6日 0時06分