このボケが今頃何を言ってるのか、って思う方もいらっしゃるでしょう。でも別に東京タワーの映画
の評論をするつもりはないのです。ま、少しは関係あるのですが。TVドラマの方も全部ではありません
が見ていました。映画も拝見いたしました。中々良い作品でしたが、見ているのがいささかつらいシーン
が多々ありました。オカンの運命がつらいのではなく、昭和という時代の雰囲気が、見ていたいような
見ていたくはないような複雑な思いがしていたのです。時代考証が良く出来ていればいるほど、セットの
細部につい眼がいってしまうのです。そうだあんなもの家にもあったなぁ。細かい小道具にあの時代の
持っていた雰囲気が一斉に蘇ってしまうのです。これは懐かしいというよりも心をチクチクと刺すよう
な痛みを伴っているのです。子供時代は、決して経済的にも恵まれた家庭ではありませんでしたから、
良い記憶などあまりなく、嫌な思いでだけが、心の奥底に澱んで沈殿しているのです。この映画は、そん
な思い出したくも記憶を呼び戻す働きをしてしまいました。生きた蛙を電車に引かせる残酷な子供の遊び
とか、安っぽいステレオセット、フイルムのはいていないフジカシングルエイトの撮影カメラ、描きかけ
のデッサン、主人公の肩掛けカバン、場末のいっぱい飲み屋に集う人々、画面に映し出されるモノ、人々
は私には、単に懐かしい記憶ばかりではなく、多くは苦い思いを伴っているのです。お正月、凧のない
私は、裕福な家庭の子が、他の子供たちに自慢しながら揚げていた蝉凧の糸を剃刀で切ってやったこと
があります。とんでもない嫌なやつでした。その子の母親が家へ怒鳴り込んできました。私はあとですぐ
上の兄にぶん殴られて折檻され、その夜はご飯抜きでした。そんな類の記憶が多いのです。それが私の
昭和という時代でした。誰もが当然のことながら「三丁目の夕日」の如く郷愁を誘うよき思い出を持って
いる訳ではありません。ファンタジーと現実の姿は違いますね。
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