皇祖皇太神宮(すみ おや すみら おお たましい たまや)のお話し

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・上は当サイトの訪問者様から送って頂いた写真です。御皇城山、現在の呉羽山だと思います。

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・上の2点も頂いた写真です。
 ここに神様が居られるのが解るでしょうか?
 とても優しい神様です。
 日本を攻撃したのは、やはり、「伊」と「中」だと言っております。
 他の国も複合して絡んでいます。悪しき者たちには禊が必要です。
・今もこの神様を邪魔していた霊が出てきました。イタリア人と大蛇です。
・多くの霊験ある神社には、足を引くものが必ずいます。
・それで、祝詞の始めに、祓いたまえ、清めたまえ、と入ります。
 こちらの神様も霊験あらたかな神様です。
 お参りをされると良いと思います。  
2006年08月05日

■本光の内容は皇祖皇太神宮のサイトの内容に管理人がルビを打ち、皆様の理解を促進しようとするページです。
したがって、殆どの内容が皇祖皇太神宮に帰します。無断の転載は御遠慮ください。
古代日本の歴史は大化の時代に葬られたそうです。歴史が大きく化けてしまったので大化と言います。
古事記と日本書紀は、出来た年代が近いにも関わらず、内容が違います。
太安万侶はどちらにも関わっています。真実は何処にあるのでしょうか?
shinbun_01.jpg(97405 byte) ■少なくとも、昭和11年「不敬罪」で告訴された皇祖皇太神宮天津教が昭和19年に大審院(現在の最高裁)で、不敬罪が消滅後とは言え、無罪を勝ち取ったと言う事実を知っていただきたいと思います。
誰が告発したのかは知りませんが、この告発直後に岩波書店の人気雑誌「思想」に「天津教古文書の批判」と題された53ページにも及ぶ論文が発表されたのだそうです。
それも書いた人が京都帝国大学の文学部長まで務めた狩野亨吉と言う権威者だったそうです。
もちろん、この時、竹内巨麿氏は逮捕されていて、岩波の記事に反論が出来なかったのだそうです。攻める方は凄く準備が整っていたとしか思えません。

■何故、こんな権威ある方が嘘の記事を書いたかと言えば、騙されたのだそうです。狩野氏が膨大な論文を書くにあたり、ある者が狩野氏に偽の神宝、数点を見せたのだそうです。 そのため、騙されたと知った狩野氏は詫び状を書いたそうです。その偽の神宝は狩野氏を騙すために誰かがわざわざ造ったそうです。
そして、真にタイミングの良いアメリカの東京大空襲(大爆撃)です。竹内文書約4000点の研究結果と史跡調査報告書が大審院の倉庫の中で灰燼に消えてしまいました。
■真実の日本の歴史を亡き者にしたいのは、歴史が無い国の首脳や、日本に住みついて日本の歴史を否定したい渡来人たちの子孫です。
 下に掲載したのは竹内文書の神代文字の巻です。
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 神代文字は地域時代によって400種類もあったのだそうです。私の住むところから近い吉見町でも発見されています。
全ての地域時代で神代文字が同じものなら、簡単に否定され、文書も多数が捏造されてしまったと思います。
もちろん、アメリカのドル紙幣ではありませんが、国家ぐるみで捏造するものさえいたのだと思います。
氏姓さえ、多くの工作員が詐称したのだそうです。かれらも上からの命令だったとは思います。

kiyomaroshi_01.jpg(85841 byte) ■未だに、悪い渡来人の子孫たち(=工作員)は、この岩波書店の記事を元に竹内文書は偽物だ神代文字は嘘だとマスコミで騒いでいます。
このため本来の日本人の霊性まで低下しています。
竹内文書が嘘か本当かは皆様が検証してください。少なくとも先代の竹内巨麿氏が一代で書いたとはとても思えません。
そして、皇祖皇太神宮には勅使(参議官佐中将従三位藤原在実朝臣)や武蔵坊弁慶(伊豫守源義顕家臣)の花押の入った祈願文まで存在するのです。 (写真は竹内巨麿氏。)


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■こちらを守っておられる神様によれば、これ以降鎌倉幕府の時代になり、神宮は圧迫をされてしまったのだそうです。
武士など言うものが、どんな者だったか、皆さんにも想像がつくと思います。名誉と見栄と私腹を肥やすものが多かったのだそうです。
 源義経も平家を討ったのに不遇な最後でした。弁慶と言う方は花押からも判ると思いますが立派な人物でした。

・神宮は徳川幕府になり、加賀前田の領になったとき、文書を差し出せと言われ、これを断ったのだそうです。
そのため神宮は前田に領地を取り上げられ、大変な目に遭ったそうです。
武士と言うのは、今なら強盗殺人者の集団です。殿はその親玉だったわけです。
たまには良い殿もいたようですが、あまり知りません。

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・上の写真は竹内家に御降嫁された神倭朝96代(97代)後醍醐天皇の末の皇女良子内親王御骨壷と御遺品
後醍醐天皇は2度の倒幕に失敗し、南朝を開始いたしました。これは神宮の経営に影響をしたかもしれません。



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■地図にある宝達山にはモーゼの墓があるそうです。そして二上山には竹内宿禰の廟があるそうです。
・写真は二上山山頂の竹内宿禰の廟だそうです。











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・尖山は上古24代天皇ニニギノミコトの陵と言われている。たしかに、ピラミッドに見える。
togariyama_02.jpg(43279 byte)  
 これは尖山の山肌の写真である。エジプトのピラミッドかと思ってしまう。尖山は山の角度が60度以上にもなるようである。  

・竹内文書は戦前から研究されており、山根キク女子や酒井勝軍(かつとき)氏が有名です。
sakai_katutoki.jpg(10726 byte) ・酒井勝軍
●生まれは明治六年ー。山形県の士族、中将だったようである。
昭和2年、ユダヤ研究の実績を買われ、日本陸軍から、ユダヤ・シオニズム運動の調査のため、中東・パレスチナに派遣される。 このときエジプトにも赴き、ピラミッドを研究したそうである。
・葦嶽山ピラミッドを発見する。昭和9年9月のことだった。 ここで酒井は、ひとりの同志を得る。元陸軍砲兵大佐で、当時は現役を退き、生まれ故郷の郷土史を手がけていた、上原清治である。 上原の発見したピラミッドは数知れない。
  もちろん、これらの資料はアメリカに空襲で焼かれてしまった。
yamane_kiku.jpg(9635 byte) ・山根キク
●生い立ち 明治26年(1893)6月1日山口県萩の醤油造り屋の長女に生まれる
14歳の時,キリスト教に触れ,ひかれる。修繕女学校卒業、横浜の共立女子神学校に入学。 卒業式(大正4年)での儀式中にイエスの生涯・復活への疑義を発して式を混乱させる。
1935(昭10)  天津教の竹内巨麿氏及び「竹内文献」に出会い、長年のイエスの生涯についての疑問が氷解する。 この文献を信じた結果、青森戸来村(現:新郷村)の沢口家の守る「キリストの墓」近辺を調査して、1937年にその存在を世に出す。
・この2名を貶すものもおります。本人はどう思っているのか知れませんが、ウガヤの存在は記紀にも載っています。 確かに名誉や見栄も人生では大切に思う方もいるのでしょうが、酒井勝軍が発見した遺跡は、闇の勢力によって破壊されたものさえあります。
 もし発見したのが贋物なら、大変な労力を使ってまで破壊する事は無かったと思います。



 神宮のご紹介(神宮のサイトの案内より抜粋)

きく 神宮は宇宙開闢(かいびゃく)の神皇 天地神一大神(あめつちまひとつのおおかみ) (元無極體主王御神(もとふみくらいみぬしおおかみ))から 天御光太陽貴王日大光日大神(あめみひかりおおひなかきおうひおおてるひおおかみ)(またの名メシヤ)までの天神七代、天日豊本葦牙気皇主身光大神天皇(あめひのもとあしかびきみのしみひかりおおかみてんのう)から二十六朝千百六十八代、そして神武朝の現代までの代代の天皇、皇后を合祀したお宮でありまして 皇祖皇太神宮(すみおやすみらおおたましいたまや)と申し上げます。

本来は 天神人祖一神宮(あまつかみくにつかみはじめたましいたまや)と称して 天超根中国の皇城山(あまこしねなかつくにおみじんやま)(元宮が富山市金屋字平奥五六四三番地(呉羽山近く)に建立され、毎年八月大祭が施行されます。)に遷し奉祭されてありましたが、上古第十代 高皇産靈身光天都日嗣天皇(たかみむすびみひかるあまつひつぎすめらみこと)の御代に神勅があって、初代天皇以来千二百九十三代の今上天皇までを合祀し奉る神宮を皇祖皇太神宮、万国の五色人祖祖(いろひとおやかみ)(外国の国王、王妃、民主尊(みっとそん)ら)を祀る神宮を 別祖大神宮(とこおやおおたましいたまや)と改名されたのであります。(内宮外宮のはじまり)

■代々の天皇は必ず、皇祖皇太神宮(すみおやすみらおおたましいたま)の大前で、自ら祭主となって大祭礼を行いたまい、即位された後、天津高御座(あまつたかみくら)に御せられ、南面し、手には万国棟梁(とうりょう)天皇としてなくてはならぬ神剣 神日本魂剣(かみやまとたましいつるぎ)を執(も)ち、身には天照日神の稜威燦(あまてらすひのかみみいつさん)として十六方に光り輝くさまを現した日輪章(菊型御紋章)をつけたまい、世界万国から集まった尊者民主(みっとそん)の祝賀を受けられました。

amanoukihune_1.jpg(16670 byte) ■天皇が日本国だけの天皇となったのは神武天皇以後のことで、それまでの代代の天皇は一代に一度は必ず万国を巡幸(世界一周)されることを恒例とし天空浮船(あめそらうきふね)に乗って巡幸されながら、万国それぞれの国王、尊者、民主に(えつ)を賜り、任命されるなど光明赫灼とした、正に万国の棟梁、世界天皇でした。

神宮には上古第二十四代 天仁仁杵身光天皇(あめのににぎりみひかりすめらのみや)(五世つづく)の御代に懸族四社(護法守天空神、稲荷福主王神、赤池白竜神、五色商運神)をはじめ九十七狐王の魂も妃られました。

また、不合朝六十九代 神足別豊(かんたるわけとよすき) 天皇の御代にモーゼ来日。(↓モーゼの骨石)

七十代 神心伝物部建(かんこころつとうものべたて)天皇の御代に釈迦、 神倭(かんやまと)朝初代 神武天皇の御代に老子、 第三代安寧(あんねい)天皇 の御代に孔子、第六代考安天皇の御代に孟子、 第十一代垂仁(すいにん)天皇の御代にキリスト来日。 (↓キリストの文字、イスキリ文字)
管理人注
管理人がイエス様にお尋ねしましたところ、左は85歳の時のもので、右は104歳の時書いたものだそうです。
それで右のものが遺書と言われるものだと思います。イエス様は貨幣によって滅び行く世界の事を後世の人に伝えたかったのだそうです。
今の一言で、これはイエス様のものであると確信してしまいました。もちろん私も子供の頃、聖書を読みました。
2006/04/25

第三十代欽明天皇(通常では第29代)の御代にモハメットとそれぞれ来日、参朝し、修業して帰りました。

このように皇祖皇太神宮は、特定の神だけを祀る神社(かみやしろ)ではなく、すべての神々を祀る神宮(たましいたまや)であり、ユダヤ教、道教、儒教、キリスト教、仏教、イスラム教すべてを包括する万教帰一の神宮であります。

神州日本に生きる民族としての誇りを堅持し、世界の五色人もまた皇孫であるとの秘史の教えにしたがい、祖宗を祀り、世界の平和と繁栄のためにつとめることが、神宮を奉斉する私たちの使命です。

宇宙開闢の神皇 天地身一大神(あめつちまひとつのおおかみ)元無極體主王大御神(もとふみくらいみのしおおかみ))から天神七代 天日豊本葦牙気皇主身光大神天皇(あめひのもとあしかびきみのしみひかりおおかみてんのう)から現天皇まで二十七朝千二百九十三代にわたる皇祖皇宗の神々をお祀りする皇祖皇太神宮は、祭式 行事 礼法など一般の神道 神社と異なるところが多々あります。

そこで今回は、初めて参拝される方がまず疑問に思われる 「なぜこの神宮では四拝八拍をするのか」「なぜ組手のとき人指だけ立てるのだろうか」 ということからご説明します。

神前で拍手するということは、世界にその例がなく、日本神道のみに残されてきた古風ですが、これは人体のもっている陰陽の神気を勢い良く打ち合わせ、その瞬間に発せられる音魂(おとだま)をもって神招(からおき)する、又は神靈に語りかける、ということです。
葛城山で一言主神は雄略天皇から御衣を渡されたときは拍手して受けられた、神もまた悦びの時は慶手を賜う−という記録もありますように、神様も天皇にたいして拍手されるというところに、私たちは深い意味を知るべきでしょう。

皇祖皇太神宮では、天津神にたいし四度拝八平手(伊勢神宮式 八開手という)します。これは四方結んで八方に開くという義であり、国津神にたいし二度拝四平手(出雲大社式)しますのは、天地を結んで四方に開くという義であります。(平手は百六十まで打ってよしという記録もあります)

また組手をしたとき、第二指だけを立てて剣の形に組みますのは(しゃく)にかえるということです。

笏はそもそも天皇が即位式をなさる(御親祭)とき先帝の左腕(肘から先)の長さの神剣をもって大嘗(おおなめ)御祭(みまつり)をなされたところからきたものです。(現在は一位(いちい)の木でもって平板につくられ本来の意味が忘れられています。)

笏は祝詞(紹刀と書かれたこともある)奏上のとき(ついえ)にそえる−という記録もありますが、皇祖皇太神宮では、古式のまま破邪の神剣 をもって祭式をおこないます。

その笏が手近にないとき、この組手をもって代える−というわけです。

皇祖皇太神宮はわが国最古の神宮でありますので、他にない古式神事がそのまま残されています。とくに三年か五年に一度行われる鎮火祭(ひわたり)、毎年の大祭で奉納される探湯祭(くがたち)、毎月の月次祭や各種祭典で行われる鳴動祭(かまなり)はこの神宮の三大神事であります。
これらの神事は一般の伝承とは大いに異なるものでありますので今回はそのいわれを簡単にご紹介します。

まず鎮火祭は、一般には伊佐奈美命(いざなみのみこと)加具土神(かぐつちのかみ)をお産みになり夜見国へ引篭られるときの教えによって後代宮城の四方で年二回行われる(ホシヅメマツリという)火難防除のお祭りとされていますが、これはヒワタリをしません。
また火渡りも教派神道の一部や修験道阿蘇神社などで松薪でおこなわれますが、神宮では木炭そのものが使われます。そしてそのいわれにも仁仁岐尊に一度妊娠を疑われた木花咲夜姫が天津神の子であることを照明するために産屋に火をかけられた−というのではなく神宮秘史ではつぎのように伝えられています。

天仁仁杵天皇大神(あめににぎすめらみことおおかみ)の御代「天皇詔シテ皇后木花佐久夜姫命 産宮(うぼのみや)八尺四角の宮、全部カヤ造り、エンの下三尺二寸、全部ケシゴスミオツメその中真座定メ賜テ火中ニテ御安産二柱皇子産ム、皇后自身両手に二柱皇子を抱キテ火中宮より出(い)で達手(たつて)、天皇大神御前捧奉天皇喜ビ詔賜フ二柱皇族子火明命(ほあかりのみこと)後改火火出見命(ほほでみのみこと) 火須勢理命(ほすせりのみこと) 御名付給イ−(後略)

管理人注
・上古の時代は出産時、魔除のため、このような支度をしたのだそうである。
 それでイザナミも火傷をしてしまったのだそうである。上古の間はこのような形式だったそうである。
 もうお一方火傷されてしまった方がいるそうである。


また深湯祭は、一般には応神天皇の御代弟の讒言(ざんげん)を受けた竹内宿禰が磯城川の浜で探湯して勝ったとか、天皇の御代多くのものが姓氏を詐争したのでその白黒をつけるため探湯させたとか、単に熱湯の中に手を入れ神裁(さばき)をうける神事のようにいわれていますが、神宮の探湯祭は熱湯を笹束でかぶり、舞いちらすものですし、鳴動祭も吉備津神社でおこなっているような鳴動の有無で吉凶を占するという単純なものでなく、神宮では男釜(おがま)、女釜(めがま)に必ず降神賜りそれぞれ公事と私事の諸願を祈念するものであります。

秘史では「角織天皇大神(つのぐいすめらみことおおかみ)自身祭主(中略)大神宮大前、御食造(みけつくり)御鳴動祭主、皇子角織草木根主命(つのぐいくさきねのしみこと)阿曽女豊穀姫命(あそめとよこくひめのみこと)豊穀繁姫命(とよこくしげひめのみこと) 探湯祭主皇子大海川姫命(おおうみかわひめのみこと) 鎮火祭主皇子野山倉頭男命(のやまくらかしらおのみこと)(中略)鎮火祭上下五色人万億大難禍除、禍敵全滅亡、諸病平癒、身体健康、長寿安産、安全子養祭ル、探湯祭諸々生霊死霊万害窓敵引マキクシザシテ抜イ禍難ヲ滅亡、家地神殿八方清メ上下和合安泰平安祭、御鳴動祭、諸々願成就ス、五穀成就、大長億吉事兆兆勝倍神力添和合立身無窮、家運長久神助天然神力添守祭(後略)



管理人のお話
2006/02/18
烏帽子を被った役人であると言う方が参られた。
この方によると、阿曽女豊穀姫命は伊勢神宮の外宮に祭られている豊受大神様だと言う。確かに豊受様は人生を阿蘇で過ごされたといっていた。上古天皇としての天照大神様のところに2005年に書いている。そして角織天皇大神は伏見稲荷大社で祭る四大神様だといっている。私は伏見稲荷大社において初午が始まったのは、稲荷神様が伏見稲荷(当時の稲荷山)に鎮座された時であり、四大神様は御神木の杉の木にお住まいだったと聞いている。
 その大事な杉の木を当時の潤和天皇が東寺建立のために伐ってしまったのである。それで、潤和天皇には病が起こったそうである。この原因を知った潤和天皇は、稲荷神様に詫びたのである。
 この後、稲荷神社の官位は従5位より119年で正一位にまで上り詰めたのである。
御食造(みけつくり)の神とは一般的に稲荷神様を示す。龍神様や稲荷狐は、その守護をする役とお手伝いをする眷族である。
霊獣としての狐は、その頂点に神様のお使いの稲荷狐がいて、その稲荷狐を補佐している狐がいる、その下に悪さもする野狐がいると言う構造になっている。
日本の開運で紹介している神社のお狐は、まじめな狐なので、新興宗教のように、悪さもする野狐と一緒にしないで頂きたい。


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