「南北分断の原因はソ連の封鎖措置」
韓国学中央研究院・梁東安教授の新見解
これまで学界では、分断の原因について、韓半島内部における分裂(内因論)と、米国・ソ連などの外圧(外因論)の両方があるとする「複合論」が大勢を占めており、一部では48年の南北両政府の樹立こそが分断の原因とする見方も存在していた。
梁教授はまず、「分断(division)」という概念の定義をはっきりさせるべきだ、と主張した。その定義とは、(1)領土が物理的に分割されたために、(2)それぞれ新しい統治体制が成立した、というものだ。梁教授は分断の原因を究明するにあたって、法医学の概念を援用した。それは「人間が死に至る過程で、致命的な作用を及ぼした原因と、そうではない障害がいくつか存在する場合、死に至った原因は前者であると判断するべきであり、その中でも最初に発生した障害が優先されるべきだ」というものだ。
これを韓半島の分断に当てはめた場合、正確な原因となる障害は、45年8月から12月にかけてのソ連軍による38度線以北の封鎖が最初となる。ソ連は進駐直後、38度線以北の西海(黄海)沿岸と東海(日本海)沿岸にあるすべての交通の要衝を占領し、さらに南北間の人的・物的な交流を禁止した。当時、同じようにソ連が分割占領していたドイツやオーストリアではこのような封鎖措置はとられなかった。
その後、ソ連は北朝鮮各地に人民委員会を設置し、社会主義国家の幹部となり得る人材を育成するなど、韓半島南部とは大きく違う統治体制を作り上げた。そうした過程を経て誕生した、韓半島北部だけの「新しい主権的な統治体制」が、46年2月に設立された「北朝鮮臨時人民委員会」だった。同委員会は自らを「政府」とは呼ばなかったが、事実上の政府だった。法令を定め施行する、主権を持った行政機関の学術的な名称は「政府」以外には存在し得ないためだ。こうして「韓半島北部だけの単独政権」が先に樹立されたことで、「分断」の二つの定義が成立したというわけだ。
その上で梁教授は、「従って、南北両政府の樹立を分断の原因とする見方は、“死に至った症状を死の原因と見なす”ミスを犯したようなものだ」と主張した。また、「左右合作運動や南北交渉の失敗など、内部的な原因と外部的な原因がともに分断の原因になった」(親日反民族行為真相究明委員会の姜万吉〈カン・マンギル〉委員長)、「分断は米国の責任」(姜禎求〈カン・ジョング〉東国大教授)、「米ソの共同責任」(白凡学術院のシン・ヨンハ院長)といった見解は、すべて実際の「死亡原因」とは見なせない「類似原因」であり、これを分断の原因とするのは判断ミス、あるいは状況の解釈の誤りである、と指摘した。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
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