卵ぶっかけご飯
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苦手な食べもの・飲みもの。
1・牡蠣
2・レーズン
3・日本酒
もしも、僕に『食わず嫌い王決定戦』のような場面があったとしたら、判定前の「試食」すらできないと思う。特に、「牡蠣」は口に入れるだけでアウト。アノ番組に出るタレントさんは、苦手なものでも1度はポーカーフェイスで食べてるのがスゴイと思う・・・。
苦手なもの。
1・虫 (幼虫・・・・・・・・・・・・・・・・)
2・暑さ(23度以上)・寒さ(10度以下)
3・不躾な視線
なぜだろうね。どうやったって、苦手なモノは苦手なのだ。
苦手なものと言えば・・・・、
みのや師匠は「ネズミ」が苦手だと言う。
僕が高校の頃、京都で聴いていた深夜放送でも、本番中にディレクターにネズミの縫いぐるみを放り込まれ狼狽していた師匠を思い出す。今年初めのラジオでも、「子年」にちなんだ放送内容で、笑わせてもらった。
で、元日に、そんなみのや師匠からの年賀状が届いた。(師匠、ありがとうございます♪)
毎年、師匠の年賀状はデザインが面白いのだが、今年「子年」の年賀状はどんなデザインなのか楽しみにしていた。果たして、ネズミをデザインした年賀状になるのだろうか・・・・。それとも、干支には触れずまったく関係ないデザインになっているのだろうか・・・。
届いた年賀状を見て・・・・、なるほどぉぉぉぉと思わず叫んでしまった。
メインの図柄は、「UFOと宇宙人」のイラストだった(笑)。(1箇所にネズミのデザインが隠されていたが・・・)UFOと宇宙人と言えば、師匠の「大好き」分野ではないか!!
年賀状のデザインって面白い。
今年も皆さんから色んな年賀状が届いた。
毎年、その歳の干支の動物のデザインが多いけど、犬好きな人は犬の写真をメインにしていたり・・・。他にも、家族の写真。こどもの写真。習字で達筆な文字が書いてあったり、絵手紙風のもの、お坊さんなら法語、音楽好きな人なら楽器のイラストとか、本当に色々で、楽しい。
年賀状は贈り物だと思う・・・(笑)
で。
今年。僕が送った年賀状のデザインは、ギターを抱えた自分自身↓↓↓・・・・。やっぱり、「自分大好き」人間なのでした(笑)
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バンドの解散コンサートから1週間が過ぎた。
1週間過ぎれば、新年になっていた。
またどんどんと月日は過ぎていくのだろう・・・。
僕の部屋には、バンド活動で使用したマイクスタンドや譜面台、音響機器、ケーブル類が、先週のコンサート終了後に運んだまま整理もせずにそのままの状態になっていた。なぜか、整理したり、片付けたりする気になれなかった。ギターもケースに入れたまま1週間触れなかった。
1月1日の深夜、
新年のスタートの節目として、そして、バンド解散後、これから「ひとり」でやっていく創作活動の「拠点」とするべく、僕の書斎(?)を「スタジオ」に改造することにした。
バンド練習のメインで使用していた「ミキサー」や「スピーカー」は僕個人の所有物ではないのだが、バンドマスターのOさんから「無期限」で預からせてもらうことになったので、それらを配置し、ケーブルをつなぎ、マイクスタンド、譜面台、イスを並べてみた。所有しているアコースティックギターを全部並べてみた。(スタジオ化と言っても、まぁ、それだけの事なんだけど・・・。)
スイッチを入れさえすれば、すぐに「最高の音」で歌えるようにセットした。
新年を迎えた夜に、書斎に完成した「スタジオ」で、ひとりぼっちで僕は歌い始めた。ムキダシの「声」とギターの「音」が、なんだか心細いような、物足りないような気がした。
でも、自分の「声」が、以前よりも好きになっていた。
もともと「一人」で歌い始めた。そんな自分にとって10年以上のバンド活動は、シンプルな原曲にみんなの力が加わることで、「歌」の色んな「顔」を発見することができて、ホントに楽しかった。
そう、久しぶりに、一人でのギター弾き語りスタイルに戻った。そして、今後は「一人」が当たり前の「演奏スタイル」になっていく。
しばらく「新曲」を作っていなかったが、またこれからの「日々」の中で沸き起こる気持ちを、この「書斎スタジオ」で、「歌」に変えていけたら・・・・そう思う。
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改めまして、新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
と言うわけで、皆さん、どんな新年初日をお迎えになりましたか?
今日は、お寺では、「修正会(しゅしょうえ)」というお正月の法要が勤まりました。住職としての年頭の挨拶は、真宗教団連合から出ている「2008年・法語カレンダー」の1月の言葉を手がかりにお話させていただきました。
「仏の教えを論じる人は多いが、その要(かなめ)を教える人は少ない」
という言葉です。ここで考えてみたいのは「要(かなめ)」って何だろう??って事です。
都会のカルチャースクールなどでは、「仏教」を知的対象として受講する方が多いと聞きます。「あぁ、仏教ってこんな事言ってるのね・・・・・な・る・ほ・ど・・・・」と言う風に自分の知的好奇心が満たされたからと言って、知識教養として仏教に詳しくなっても(意味がないとは言いませんけど・・・)、必ずしも仏教をいただいているとは限りません。何ページに何が書いてある、、とか、ダレソレはこんな事を言った、、、などと得意になってみたところで、その人の人生の「一大事」が発生したとき間に合わないのであれば、ヒマ人の時間つぶしに過ぎないのではないか、とおもうのです。
さて、日頃僕が、お坊さんとして語っている「仏教」はどうなっているのか?もちろん、お坊さんですから勉強はしなくちゃいけません。
しかし、この私、KONO自身が100%間違いなく、老いていく、縁があれば病になる、そして必ず死んで行かなきゃならない「人間存在」であるっていう「根本問題」に対して、仏教の「要」を聞き、学び、体得し、KONOの人生に於いて実践しているのだろうか??それを語っているのだろうか?
そんな事を改めて、このカレンダーの言葉から見つめ直す機会をいただいたのでした。
実は、昨日(大晦日)に亡くなった方がいて、三が日を避けて、1月4日にお通夜が決まっています。いのちの真実には待ったがありません。
ふり返れば昨年、私が住職になってから、「葬儀」の数が例年になく多くて、葬儀、法要に明け暮れる日々・・・・。「葬式仏教」と批判されようが、「葬式ボウズ」とシタリ顔で揶揄されようが、自分は、目の前に迫った「葬儀」の一つ一つをお勤めしなきゃならないのです。
ひとつひとつの葬儀には、もちろん、一人一人の「人生」があり、それぞれの遺族の「哀しみ」があり、そして、その「場」に行かなきゃならない「新米住職」の自分が、どう振る舞ったらいいのか、ココロの置き方をどうしたらいいのか、遺族の方に何をお伝えしたらいいか・・・・・、本当にシンドイ私がいて・・・。「葬儀をするために住職になったんじゃないのに・・・」と悶々としている自分がいました。
今もシンドイ自分である事は変わりませんが、去年の途中からハッキリと思ったことは、
一つ一つの「葬儀」や「法事」や「お参り」を
「自分のために」
勤めさせていただく・・・・ってことなんです。
「自分のために」って言ってしまうと、誤解されるかもしれないけれど、
まず私KONOが、亡くなった方の前に身を置き、自分の独自・唯一・有限・無常なる「いのちの事実」を学ばせていただこうって事。「法話」をするときも、遺族の人の前で話している「形態」はとっているけど、「自分のために、自分に言い聞かせるために」話そう、って思ったのです。
仏教を「物知り博士」になってどれほど論じ、説いてみたって、私KONO自身の人生はどうなってんねん?俺自身はどうやねん?どうなっていくの?っていう点がハッキリしていないと「要」でないと思うのです。
だから、「要」とは、「この私自身はどう??」っていう1点に立って学び、歩き続けていくことではないのかな・・・、
住職になってからよくこんな質問をされます。「法事を命日より遅らせたらダメ?」とか「墓参りをしないとバチが当たる?」などなど。誤解を恐れずに言うと、法事を遅らせようが、いや、法事をしなかろうが、墓参りを忘れようが、どうだっていい。実は、そんなのは「要」ではないからです。じゃ、なぜ、遅らせたらダメなの?忘れちゃダメなの?誰が言った??経典の何ページかに書いてあった?? じゃ、法事をきちんとして、墓参りも忘れない「優等生」でいたら、その人は死なないの?病気にならないの?災いがこないの??・・・・・そんなことありません。私より先に亡くなった方は、「死の縁(条件)が整えば、死ななきゃならない命だよ。あんたの現在の生き方はどうだい?大丈夫かい?」という「真実」を教えてくださってます。それを学ぶために、「法事」があり、「墓参り」があるのでしょう。
文字通り「修正会」という、年頭にあたって私自身のあり方を見つめ「軌道修正」する法要で、仏教の「要」について確認させていただたな、と感じた新年初日でした。
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いよいよ年末です。明日は大晦日。今年もあと1日か・・・。
一昨日28日(金)は、ホスピス病棟のボランティアで「餅つき」があったので行ってきました。ベテランボランティアのご婦人の皆さんがすべて段取りをしてくださっていたので、僕らは、臼に入った餅を杵でペッタンペッタンしただけ。ほとんどお手伝いらしいこともできず、「お餅食べて行ってね」というお言葉に、結構たくさん食べ過ぎて、腹一杯・・・・。
それにしても、臼と杵で餅をつくなんて、実は、小学校の子供会の時以来のこと。最近はウチのお寺ではお餅も買うようになったので、久しぶりに年末らしい雰囲気を味わった。
そう、そのボランティアに行っていて、28日(金)はみのや師匠のラジオ「午後もトコトン」の今年最後の放送をオンタイムで聴けなかった。
で、タイマー録音してたのを、帰った後に聴いたのだが、番組の「人物図鑑」というコーナーに「お寺の本堂でコンサートを開いた副住職さん」が電話出演してた。
「おぉ!!お寺でコンサートを企画なんて、俺じゃないの!!俺も出れる!!」
と思ってしまった(笑)。 しかも、そのお寺サンは、ウチと同じ浄土真宗の宗派・「真宗大谷派(お東)」だったので、なおさら
「なに?トコトンっていう番組の出演基準って??俺を出してよ!俺もライブ終ったばかりだよん♪」
と思ってしまった(苦笑)。
師匠もかつて「北斗縦断」というライブシリーズの中で、ウチのお寺も含めて北海道の何カ所かの「お寺」でコンサートをしているので、その話の中で、
「僕も違うトコですけどお寺でコンサートをさせてもらったことあるし、知り合いの住職さんも音楽好きでバンドやっている人がいる・・・」
とおっしゃっているのを聴き、「おぉ!俺は2つに該当」と興奮してしまった。
スッカリこの僕自身が「師匠の番組に出演しているかのような錯覚」に陥りながら、同業者?の副住職サンに静かな嫉妬の炎を燃やしながら(笑)番組を聴いていた。
でも、最後に、師匠がその副住職さんに
「修正会(お正月のお寺の法要)で何を皆さんにお伝えしたいですか?」
と質問したとき、「番組に電話出演妄想中」の僕の心の中でのシュミレーションは、
【一般的には、年頭に当たって「お願い事」をするのが初詣と思われておりますけど、仏教的にいうと、祈っても祈らなくても、そうなる縁(条件)が整えばそうなるし、そうなる縁が整わなければそうならない、そういうスタンスをハッキリと学ぶ事、つまり、何かに頼らずとも、今できる自分なりの力を精いっぱい尽くし、その結果、どう転んでも「自分の人生」として引き受けていくのだ!というスタンス。人生を喜び・哀しみ込みで喰らう・噛み締める ってことでしょうか!!】
・・・・・・・・・・もし、僕が番組に出てたら、語れば語るほど、師匠のようなフレーズがポンポンと飛び出してきそうで・・・・(苦笑)。
いや、逆に、師匠本人が相手だと、緊張して、しゃべれないかもな・・・(汗)
そんな訳で、すっかり興奮は冷め、「やっぱ、俺はみのや師匠がパーソナリティの番組には出れないなぁ・・・」と思ったのでした。 チャンチャン♪
その後、番組ラストでは、久しぶりの「生歌・弾き語り」で、「遠方より友・・・」を歌う師匠。
♪ほんとに帰って来いよ・・・・・
それを聴きながら僕がふと思ったことは、
お正月に、遠方に住む兄貴達に帰ってきて欲しいと思った。
帰ってきて、両親に会って欲しいと思った。
年老いた「今」の両親に会って欲しいと思った。
一度でも多く会って欲しいと思った。
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昨日、26日夜、所属バンド「メールハート」の解散コンサート、終了いたしました。
コンサート会場には、本当にたくさんの皆さんが来てくださいました。メンバーそれぞれの人生に於ける「重要登場人物」がこのラストコンサートに集まった感じです。ほんと、何でも話せる昔からの友や、かつて恋をした人、「歌」の題材になった人、家族、尊敬している先輩、檀家サン、こんな僕の「ファン」だと言ってくれる学生サン・・・・・。あと、遠方の友人・知人からのメール、電話。
自分に関わってくださった人々や「想い」が会場に集結していました。
だから、その時間が迫ると、何とも言えない「雰囲気」が自分の中に漂ってきて、今までにないくらい緊張してしまいました。いや、緊張してるのも分からないくらいに…。
もう何年もやっているのですから、最近のライブは、「緊張を楽しむ」感覚をもっていましたし、「トキメキ」もあったのですが、昨日は、いつのまにか余裕がなくなって本番になっていました。
ギターを弾くのが怖くなるくらい、緊張しました。カンタンなコードが分からないのです。例えるなら、とても細い綱の上をフラフラ渡っているような「危うさ」に何度も襲われ、不細工な演奏をしてしまった場面もありました。
でも、
後半にはなんとか「自分的ライブ感覚」を取り戻し、「歌の世界」を表現できたと思っています。
10年のバンド活動。知り合った皆様、お世話になった皆様、関わってくださった皆様、心からありがとうございました。
そして音楽を表現する喜び、苦しみ、悩み、付帯する色んなトキメキ、それらを共に味わってこれたメンバーに感謝です。
「お坊さん1本」じゃなくて良かった。
・・・・・でも、
バンドは終りました。
ある意味、「卒業式」だったのかな。
※今後は、BOSANソングライターKONOとして、本業と合体させた音楽活動を継続する形にしていきます。よろしくお願いいたします。
我が師・みのや師匠からもメールをいただきました!
「頑張ってenjoyしなさい!人生の大きな瞬間を噛み締めなさい。」
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