沖縄県内在住の外国出身の方にインタビューを行いました。


川上 良子さん

沖縄のすぐお隣、台湾の基隆(キールン)出身。
那覇市壺屋の市場近くで精進料理「金壺」を営んでいます。地元客、台湾出身のお客や観光客も足を運ぶ人気の料理店の看板おばちゃん。来日27年、今はすっかりウチナーンチュになりました。

沖縄に来てどのくらいですか?

 1973年、丁度沖縄が日本復帰した翌年に初めて来ました。最初は主人の実家が ある宮古島にいて、それから本島の那覇にずっといます。


沖縄にきたきっかけはなんですか?

 主人が台湾で働いていたのね。20歳の時に知り合って結婚して、6人の子供をも うけました。台湾ではずっと専業主婦していたんだけど、おとうさんが沖縄に引き上 げることになって、それで沖縄に来たんです。


着いたときには想像していたのと同じでしたか?

 ぜんぜん違いましたよー。ビックリしました。だって台湾では両親を始め親戚縁者みんなから、沖縄は大変貧しい小さな島で、みんなお米が食べられなくて、お芋ばっかり食べていると言われてね。本当に大丈夫かしらって、ずっと心配していたんです。でも着いたら台湾よりもずっと都会でした。当時は復帰直後ということもあったんでしょうが、アメリカの雰囲気も色濃く残っていましたから、台湾より都会で国際的なところだと感じました。


実際生活してみてどう感じましたか。

 最初、主人の姑と生活してた時は言葉が大変でしたね。あちらは方言でしか話せないし、私の日本語も上手ではなかったし、しかも標準語ですからね。台湾語を忘れるくらい日本語を勉強しましたよ。姑は明治生まれの女性で、手にハジチをいれていたんです。今は笑い話ですが、はじめてそれを見た時、台湾の高砂族みたい!ってビックリしました。
 宮古から那覇に出てきてまもなく主人が身体をこわしてしまってね、働けなくなったの。だから私が働くようになって。中華料理屋で長いこと働きましたね。6人の子供もまだ学生だったし、とにかく働きましたね。でも沖縄の人はみんな親切で優しくて、いつもいろいろと助けてくれました。台湾の人にも精神的に近い部分があるんでしょうかね、いい人たちがたくさんいますよ。
 主人の身体にいいものを、と精進料理を研究しまして、漢方とかもとりいれながら。それが高じて9年前にこの店を出しました。お客さんは「こんなに安くておばちゃん儲からないんじゃない?」とよく言われますけど、今は娘と二人でこの店を切り盛りしているし、みんなよくしてくれますよ。


沖縄に来た人に是非行ってみてほしいというところがあれば教えてください。

 私は車の免許ないからこの店の近所以外しらないのよ。でも台湾の親戚から「沖縄 にお嫁に行って羨ましい」ってよく言われるのよ。でも一番のいいところは沖縄の人の人柄だと思いますよ。


沖縄でサミットが行われるわけですが。

 ごめんなさいね、サミットってよくわからないのよ。いつも料理ばっかりつくっているし(笑)。あんなえらい人たちに何言うのかね(笑)。


サミットの開催に向けて沖縄がやるべきことは何だと思いますか。

 やるべきことと言うわけではないんですが、外国の人から見ても沖縄の人たちは優しいと思いますからね、それを世界の人々に知ってもらいたいですね。


サミットを最大限に活用するには沖縄は何をしなければいけないでしょうか。

 沖縄は地理的条件からいっても、今以上にアジアの国々と国際交流を盛んに行ってもらいたいですね。台湾にだって飛行機で1時間でいけますしね。東京に行くよりずっと近いでしょ?王朝があった時代から、琉球は盛んに中国や台湾、その他のアジアの国々と交流してきたのだもの、沖縄の人なら外国の人たちのなかでも十分にやっていけるでしょう。沖縄にはいいところがいっぱいあるから、そのへんを知ってほしいですね。
 それから台湾の大地震の時、沖縄からもたくさんの救援があってとても感謝しています。私も沖縄の人のために美味しくて身体にいい料理、たくさんつくりますね。

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