2007-07-14
■[文化] ひきこもりの祭典2007 こわれ者の祭典in東北
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昨日ご紹介した、「ひきこもりの祭典2007 こわれ者の祭典in東北」に行ってまいりました。会場は仙台メディアテークの1階で、始まった時点ではかなりの人が集まっていました。運営は、ボランティアの方がやっていたようですが、スポットライト二台、リアルタイムでモニターに舞台の様子を映すためのビデオカメラが二台、さらにリアルタイムで字幕を流すためのスタッフもいるなど、イベントは非常に周到に準備されていました。
今回のプログラムは休憩を挟んで前半後半に分かれており、それぞれ一時間半ずつ合計3時間くらいの長丁場でした。今回は、仙台のNPO黒川こころの応援団が主催する「ひきもりの祭典」というイベントに、新潟で活動している「こわれ者の祭典」のメンバーがお呼ばれしたということのようです。
構成は、ステージ上に椅子が並べられ、トークをしつつ、その合間に色々な人のパフォーマンスが挟まるという感じでした。一応司会は、ラジオ局の高橋亜由美さんという方と黒川こころの応援団の小野田豊さんだったのですが、話をどう進めて良いか分からないときには、「こわれ者の祭典」の主催者である月乃光司さんに話がふられ、月野さんがいっしょうけんめいトークを成り立たせようと奮闘するという感じでした。
月乃さんは、イベント慣れしているせいか、話も上手いですし、場の空気を読んで、話を盛り上げたり、客が拍手のタイミングを迷っているときに率先して拍手したりと、八面六臂の大活躍でした。
全体的に、「こわれ者」のメンバーは、空気も読めるし、話しもできるし、パフォーマンスもこなれているなど、人前で表現することになれており、必要なスキルを身に付けているという感じがしました。逆に、地元のみなさんは、非常にガチな感じで、客席で困惑させられたり、どう反応して良いのか困るような場面が多々ありました。
最初のパフォーマーは、地元のケンさんで、二曲ほどアコギを弾いて歌っていました。歌は、母親に対する感謝、そして自分が迷惑をかけたことへの謝罪という感じでした。
次は、月乃光司さんの絶叫朗読でした。月野さんは、以前ひきこもりだったことがあり、その時に着ていたパジャマをステージ衣装にしているそうです。月乃さんは、自分はひきこもりで、アルコール中毒で、精神疾患があり苦しかったが、それらの経験があったから、今の自分があり、仲間と出会えたので、それらの経験も肯定し、感謝しているそうです。
月乃さんが強調していたのは、自分と同じ苦しみを持つ人と仲間になると、苦しみが和らぐということです。これは、今日主演した他の「こわれ者」の方々も強調していたことです。ひきこもりや精神障害者は、他人とは違うということで、社会的に孤立し、白い目で見られ、そのことに苦しむそうですが、仲間ができると、社会的な孤立から解放され、他人からの承認が得られるので、苦しみが和らぐのだろうと思います。すなわち、準拠集団が自分とは敵対的な一般社会から、自分と親和的な「こわれ者」や自助グループに変わることで、メンバーは、苦しみの源泉であった他者からの評価、あるいは他者からの評価を想定したが故の自己嫌悪から解放され、気持ちが楽になるのでしょう。
ただ、ひきこもりから本当の意味で抜け出すためには、仲間を作り、孤立状態から回復した後、上山和樹さんがずっと問題にしているように、経済的に自立する必要があります。月乃さんは、3年ほど簡単な仕事をして、それなりに社会に慣れた後、正社員として仕事を探せば良いのではないかと述べていました。
次は、「こわれ者」のKacco さんが、詩の朗読をしました。Kacco さんは、ゴシックロリータの格好をした男性で、摂食障害やひきこもり経験者だったそうです。身長は高いのですが、足も細く、非常に華奢なので、衣装がよく似合っていました。彼は、子供の頃から普通ではいられず、周りとのズレに苦しんだそうです。しかし、イラストを一心不乱に描くことで、周りの目が気にならなくなっていき、自分が他の人たちと違っても良いと思うようになったそうです。そのため、ありののままの自分を肯定しようという詩を朗読していました。
現実には、ありののままの自分が肯定される機会は社会でほとんどないので、やはりそれを認めてくれる仲間と出会い、彼らの受け入れてもらうことが、生きづらさを和らげるために重要なのだと思いました。
ちなみに、Kaccoさんは、女性のような姿をしていますが、女装癖があるとか、ニューハーフというわけではないそうです。
次に登場したのは、昔からずっといじめられ続けてきたCold Joker さんが、次作の短編物語を朗読しました。普通の喋りは、緊張であわあわしていたましたが、朗読は非常にしっかりしていました。内容は、光に向かって歩く人々が、影に向かって歩きつづける少年に、光に向かって歩こうと誘うが、少年はそれでも闇へ向かって歩きづけるという、両者のすれ違いを描いた話でした。内容は非常に寓意的で、昔の文学作品のような重厚な表現が使われていました。聞いていても、いじめとどう関わるのかが分からないような内容で、その意味で経験が表現として昇華されていると思いました。
次に登場したのが、地元のスマイリー小野さんです。ずっと精神疾患がある65歳の男性だそうで、アコギを抱えて弾き語りで歌っていました。この方は、話しも何を言っているのか聞き取れず、演奏も歌もなんだか良く分からないもので、非常にインパクトがありました。竹久夢二の「よいまち草」という歌を歌ったそうですが、コードも変えずギターを弾き、小声で歌っていたと思ったら突然シャウトするなど奔放な歌と演奏を聴かせてくれました。
前半戦最後は、地元のフリースクールに通っている赤間直人君が、ギターでハイスタンダードの曲を演奏しました。カラオケに合わせて、エレキギターをかき鳴らし、時折コーラスを入れるという感じで、初々しかったです。
また、前半のトークに参加していた障害者プロレスの庄司俊哉さんは、昔大槻ケンジのマネージャーをやっていたそうです。彼によると、芸能人は結構紙一重なところがあるのだそうです。
また、トークの中で、「民間芸能人」という概念が提示され、みんな各々好き勝手に表現すればよい、表現すると楽になるという話も出ていました。
ここまでで前半戦が終わり、後半戦は、ステージ上のメンバーががらっと入れ替わりました。また、前半だけで普通のイベント一回分の長さがあったためか、前半だけで帰ってしまった人も多かったようで、聴衆の数は半分くらいになっていました。
後半戦最初のパフォーマーは、再び月乃さんで、赤間君のギター伴奏で、また別の詩を朗読していました。この詩で月乃さんは、「アルコール依存症でありがとう」と全ての過去や病気に対して感謝を述べていました。面白かったのは、途中で月乃さんが努めている会社の上司を実名でばかやろー、死ねと言った後、でもあなたのおかげで強くなれたと感謝を述べていたことです。仕事でずいぶん怒られることも多いそうで、ムカツク気持ちと、感謝の気持ちの間で葛藤があるのだそうです。
次は、地元の渡邊伯加さんが、親からの束縛や彼氏のストーカー行為から逃れ仙台にやって来て、仙台で二年間ホームレスをした後、再び彼氏に暴力を振るわれ、依存するようになったので、またホームレスに戻りたいというおかしい欲求を持ってしまっていることを述べていました。
次は、「こわれ者」のアイコさんが、詩の朗読と、ピアノ弾き語りを行いました。アイコさんは、ロリータ風のかわいらしいファッションに身を包んでおり、アニメの声優のような声で話していました。詩の朗読の時は、他の人が椅子に座ったり、立っていたのに対し、内股のままペタンと床に座っていました。アイコさんは、祖父に虐待を受け、それを守ってくれなかった父に対する恨みが残っているそうです。また、小さい頃は殺伐とした家族が普通で、「ちびまる子ちゃん」のような家庭は、アニメの中だけだったと思っていたが、現実に存在することに気づいて、高校くらいで愕然したそうです。やはり、詩の朗読も、弾き語りも達者なものでした。
その後、地元の阿部央希さんが、相方とボクシングの真似をするというパフォーマンスを行いましたが、率直に言って何をやっているのか全く分かりませんでした。
次に、やはり地元の阿部哲也さんが、なべやかんについて話すというパフォーマンスを行いましたが、そもそも何故なべやかんなのか、またギャグなのか何なのか全く不明であり、パフォーマンスをどのように受け取って良いのか全く分からず、その余りの不可解さに唖然とさせられました。
次に、「こわれ者」のマチオさんが、昨日までは非常に精神状態が悪く、何も手に着かずどうなることかと思ったが、自分はみんなに支えられているので、何とか仙台に来て、こうして人前で自分の気持ちを話すことができていると語っていました。マチオさんも、家族と良い関係が築けず、家族と別居するようになってから気が楽になったと述べていました。
次に地元のミッキー木村さんが、エレキギターの伴奏つきで、「人間動物園」という曲と「灼熱のロックンロール」という曲を歌いました。後者は、タイトルと異なり、どちらかというと落ち着いた曲だったので、何故ロックンロールなのだろうと思いました。
次に、青森でシンクタンクに勤めているという桐原尚之さんと柴田牧子さんが漫才を行いました。桐原さんは、喋りが達者なのですが、柴田さんは大変挙動不審気味で、喋りもあわあわ終始身体を小さくして、可変的な速度と抑揚で喋っていたので、そのギャップを使ったネタをやっていました。
最初は、練習してきたネタを柴田さんが忘れて、桐原さんがそれを責めるというネタだったのですが、柴田さんが挙動不審気味終始自信がなさそうな態度をしており、喋りの抑揚や速度が安定していなかったので、本当に覚えてきたことが全て飛んだんじゃないかと観客がハラハラするという、非常に際どいところを狙ったネタでした。この時、ステージ上で座っていた脳性マヒブラザーズのDAIGOさんが、無茶苦茶のけぞりながら大爆笑していたのが印象的でした。その後も、桐原さんが突然述べた単語を、柴田さんが反復しようとするが、耳慣れないややこしい単語の時はあわあわしてしまうという、これまた見ていてハラハラするようなネタをやっていました。
そして、障害者関係の単語が連発された後、突然「障害者支援法障害者権利条約」についてパワーポイントを使って説明するという真面目な話しに移ってしまいました。シュール極まりないギャグと真面目な話がシームレスに繋がったため、これはネタの一部なのだろうか、真剣な話なのだろうかと、大いに困惑させられました。これほど受け手にとって、審級の理解が難しいネタはないと思います。私もきちんと審級のズラしを理解しきれなかったところがあったので、その高度なシュールギャグに敗北感を覚えました。
トリを飾ったのは、「こわれ者」のDAIGOさんと周佐則雄さんの「脳性マヒブラザーズ」です。お二人は、新潟で芸人さんに指導を受けるなど、本格的に漫才に取り組んでいるそうです。今回は、桃太郎を題材にしていたネタをやっていたのですが、普通に面白い漫才になっていたので驚きました。漫才のネタは非常にベタで、分かりやすいものだったので、安心して楽しむことができました。司会の高橋さんが、何度も腹を抱えて笑い転げていたのが印象的でした。
この後、フィナーレで壇上に出演者が登り、「昼には太陽 夜は月」という曲を歌って、3時間の長きに渡るイベントは幕を閉じました。
全体としては、イベント経験豊富な「こわれ者」のメンバーのパフォーマンスと余りそういう機会がなかったであろう地元の人たちのパフォーマンスには、根本的な違いがあったと言えます。つまり、観客に理解できる表現を行っているか、そうでないかということです。そのため、「こわれ者」の方々の話は良く理解ができましたし、パフォーマンスも安心して見ていられました。
ただ、こういったイベントは、必ずしも観客のためのイベントというだけではなく、むしろ出演者のためのイベントだと思うので、パフォーマンスが理解可能か否かということは、必ずしも重要ではないとも思います。そういう意味では、定禅寺ジャズフェスティバルやとっておきの音楽祭に共通するところがあると思います。
このようなイベントが、精神障害者が仲間を見つけ、自分の思いを表現し、気持ちを楽にすることに役立つとするなら、それだけで大変意義のあることだと思います。
それから、障害者支援法ではなく障害者権利条約です。批准の話をしたと思います。批准の話をした以上は法律のはずないことを解るべきと思います。条約です。
ちなみに、条約の国内法の制定は支援法ではなく差別禁止法となると思います。
こわれものの祭典の方につき、イメージアップされて文章を書いているようですが、あなたは私のことが誰かわからないのでしょうか?
日本障害フォーラムに参加している以上は、条約の件話すことは大変意味があると思います。そして、そういう時期にさしかかっております。
柴田氏はああ見えて、青森県精神障害者連合会の副会長です。少し言葉を慎んでください。
審級以前に学ぶべき事を学べないあなたが勉強不足といったことを深く反省し、国際的な動きにあわせるべきです。
しいて言いますと、パフォーマンスの大会に我々が出席したという視点です。
そもそも、国際的な動きと、政府との関係をやっている私、学会で報告する私、がパフォーマンスに参加したといったことです。
勉強の範囲をこわれものしかしらなかった、壊れたあなたが、私を知らずに手当たり私大かいてしまったという、不覚ですね。
申し訳ありませんが、全国「精神病」者集団ニュースでこの件を取り上げます。
また、ホームページにも公開して批評させていただきます。
先日の「ひきこもりの祭典」は、公開の場で行われたイベントですので、その出演者の方々の名前を挙げることは問題ないと判断し、書いてしまいました。申し訳ありません。また、文中で、出演者の方に対して配慮の足りない表現をしてしまったことを、重ねてお詫び申し上げます。
私としては、この文章を削除し、代わりに謝罪文を掲載したいと思うのですが、そちらのホームページで批評されるということでしたら、残しておいた方がよろしいでしょうか。こちらのコメント覧、あるいは以下のメールアドレスまでご連絡いただければと思います。
beentocanaan(あっとまーく)gmail.com (あっとまーく)を@に変化して送って下さい。
ただ、申しますと、ひきこもり祭典も、こわれ者も、我々自助グループの経営者も、「人は生まれもって平等であり、多様性を認め、足りないところを認め、すぐれたところを認めること。個人の完全無欠性を尊重する事」を非常にモットーとしております。
もちろん、こわれ者の月乃さんがおっしゃっていた、人は皆こわれている、小野田さんがおっしゃっていた、さおりの不規則性は美しさです、これらはすべて、人の完全無欠性を主張しているわけです。
それに対して、このホームページは個人の完全無欠性、つまりインテグリティの尊重がなされておりません。
今回の企画で学んでほしかったことが、まるで私の目からは感じられません。ある種のショックでした。
こわれ者も黒川心の応援団も、我々も力量不足に改めて気付かされたと思います。だからこそ、我々の完全無欠性の尊重の主張にブレーキを掛けない為にも、こういった主張をしなければなりません。
私からはこのページが「こわれものの人が壊れていない、他は壊れすぎ」と言っているようで、今回の祭典があなたと私にとって、失敗であったと言う結果になりました。
謝罪の形式は必要としておりませんが、なにか多様性についての感想文がほしいです。
他に訂正の御要望がなく、謝罪の必要もないということですが(と解釈してよろしいのでしょうか?)、文章中に誤解を招く要素があったようなので、やはり削除しようかと思うのですが、いかがでしょうか?コメントは残した方がよろしいでしょうか?
多様性についての感想文ということですが、「人は生まれもって平等であり、多様性を認め、足りないところを認め、すぐれたところを認めること。」ということに関しては、私も大いに賛同する次第です。
ただ「全体としては、イベント経験豊富な「こわれ者」のメンバーのパフォーマンスと余りそういう機会がなかったであろう地元の人たちのパフォーマンスには、根本的な違いがあったと言えます。」といった文中には、あなたがこわれ者からはまなばべなかったことがあり、地元の人から学んだことが活用されず、個人のインテグリティの尊重のラインには達していないと感じ取れます。
その部分と、「人は生まれもって平等であり、多様性を認め、足りないところを認め、すぐれたところを認めること。」ということに関しては、私も大いに賛同する次第です。」お部分と矛盾をします。
小野田さんが言ったさおり美しさに気づかず、襤褸布と思い、一方でこちらはなんかいいらしい、と思っていると読み取れます。
そこにある美しさを学びとって欲しいということです。
「その後、地元の阿部央希さんが、相方とボクシングの真似をするというパフォーマンスを行いましたが、率直に言って何をやっているのか全く分かりませんでした。」
ここでも、完全無欠性の主張を学び取れていません。
「次に登場したのは、昔からずっといじめられ続けてきたCold Joker さんが、次作の短編物語を朗読しました。」
ここでも完全無欠性を学べていません。
むしろ、ここまで完全無欠性を学者のごとく考えなければいけなかったのかと思っていると思いますが、我々は見世物ではありません。やはり、見せているわけです。啓発活動の一環ですので、趣旨を勘違いされては困るといった立場ではあります。
この辺のインテグリティについての、感想が欲しかったのですが・・・うまく伝えることができなかったようで申し訳ありません。
これはちょっとした本音です。
私の考え方としては、活動の際に生き方モデルを提示する活動が意味を持っているのか?という疑問があります。
雨宮処凛さんにしても、すごい生き方という本を出しておりますが、なにがすごい生き方なんだ!と思わされることがあります。また、ブログではメールで相談をする活動をしていますが、あなたは相談することよりも、沈黙を破ることが優先するべきじゃないの?と思います。
こわれものの祭典にも同じことを思っています。
あの活動はあの活動で必要ですし、自分の好きなことをやって、メッセージに変えていくことはいいとは思うのですが、やはり32万人の病棟に監禁された患者へのメッセージにはなりませんし、彼らの沈黙は続きます。
そんななか、健常者だけが勘違いするような活動。べてるの家にも同じことが言えますが、そこは私としてはちょっと違うんじゃないの?と思ったりもします。
そういう中で、こわれものが優れているような文章は、あまりに現実的ではないような気がしたという因子もございますね。
逆に、私はまた昨日も3時間睡眠で活動をして、仲間の声を拾い上げるシステム研究に励み、一方では生き方に満足し生き方モデルを主張しているわけです。
なにかしらの、ギャップを感じるのはわかりますよね。
生き方は所詮生き方に過ぎず、モデルケースとして主張するべきではなく、ネットワークの中で生き方を学びとると信じておりましたから余計に完全な納得ができません。
ただ、彼らのすごいところは、オルタナティブの理念を忘れていないところにあります。逆に私たちのように、経営者という立場だと、自助を全てにしたり、自助を正しいとする人もたくさんいます。
そういう意味では、利用者という特別な立場で存在し続けた月乃さんにはオルタナティブがはじめから身についているのはすごいことと思います。
http://nanjouaya.com/hogoshitsu/memory/aya-book/
南条あや(鈴木純)の本です。彼女は卒業するまで自殺しませんといい、卒業してからすぐに自殺しました。これが、サブコメントが「ここにいるのは、特別な少女ではありません。」と続きます。
一方で雨宮処凛さんは生きていて、私たちと同じ活動をしています。そのメインタイトルがすごい生き方です。
http://www.sanctuarybooks.jp/sugoi/who.html
まぁ、死ぬより生きているほうがすごいこととは確かに言えるかもしれませんが、みょうな矛盾を感じるわけです。
私は彼女たちどっちも好きですので、雨宮さんを否定しているわけではないのですが、社会を言う枠組みで彼女たちに語れば、彼女たちも私と同じことを言うと思うのですがね。
この日記やコメントは、資料として残しておいた方が良いということなので、そのままにしておこうと思います。
私としては、基本的な価値感は、桐原さんと共有していると考えております。ただ、私の文章をどのように受け止めるかは、読み手の皆様方の自由ですので、なるほどと思いながら拝読させていただいております。
私としては、特にメッセージ性を含まないパフォーマンスに関しては、精神障害者やひきこもりの方が行ったということは余り意識せず見ておりました。また、私は、個人のパフォーマンスが、パフォーマー個人のインテグリティーと結びついているとは考えておりません。
私としては、基本的に桐原さんたちの活動には賛同しております。袖振り合うも他生の縁と申しますし、このようなアクセス数の少ないブログで良ければ、何か告知がありましたら、コメント覧を使っていただいても構いません。また、私が日記本文としてご紹介することもできます。お気軽にお申し付けいただければと思います。
どうやら、今回の発言は敵を作ってしまう原因になったようでその点は反省しております。
このページなんですがね。
http://twitter.com/hisamichi/statuses/173222032
『hisamichi @heimin 管理人さんはこないだのチャットで少しお話しした方なんですが 議論ではなくご自分の頭で理解したい、というスタンスにお見受けしました こういう良きギャラリーを頭ごなしに脅かして何のトクになるんでしょうね 桐原尚之って人の発言は弱者権力の典型例だと思います (5 days ago) 』
どうも、頭ごなしに脅かしていると私は位置づけられてしまったようですので、その点が今回の反省点です。文章もできるだけ気をつけて入力したほうがいいということが解りました。
管理人様には、この文章を作った方を教えていただければ直接事情を説明したいと考えます。
その際には、そちら側からの選抜した第三者も混じっての話し合いとしたいのですが。
ステージはなんでも大丈夫です。スカイプ、チャット、メーリングリスト、直接私が出向いて会いに行く、どれでもいいのですが・・・まぁ、私がそちらに行くことになるのでしたら、居酒屋を紹介して欲しいですが。ちなみに私はお金がないので絶対割勘です。断じておごりません。っていうか、おごれません。挙句の果てに金額まで指定します。たとえば3000円くらいとか・・・
話し合いの要点は、なんにしても、このページから出発した話がこのページで話し合われないことに不満があります。
みんな一緒に話ができないものかと思いますが、という提案です。
議論じゃなくていいから、なんか思ったことを言っていく形式が必要と感じます。
管理人様の考え方をわかるのにだいぶ時間がかかってしまいましたが、管理人様も私も互いに意見を出し合ったと考えております。
この意見は、まだ私にははっきりとした自分の考えとは言いがたいものを感じます。
でも、公開されたステージでは、どちらかが不利になる可能性がありますので、プライベートな一種の友人同士の集まりとして話し合いをもてればと考えます。
もし、そちらに行くことになりましたら、当然旅費は私の分は私が出しますのできになさらないでください。
ではまた!
私は、hisamichiさんとはこの間一度だけチャットをしただけの仲であり、全く面識がありません。そのため、桐原さんが hisamichiさんに連絡を取りたいのであれば、個人的に連絡を取っていただくしかありません。
私やhisamichi さんと直接会ってお話ししたいと言うことですが、現状では、双方に信頼関係がない状態ですので、不可能であると思います。信頼を築くというのは、特にネット上ではなかなか難しいものですのが、ものには順序があるということで、またの機会によろしくお願いいたします。
私には、このブログを見ただけでは管理人様の立場ははっきりとは伝わりませんので、先日の申し入れをしたまででございます。
要するに、管理人様はNPOの関係者とか精神障害者活動の関係者ではなく、また、一個人としてのブログの管理人と言う立場を取っていると言う事で了承しました。
ネット上の繋がりしか我々に存在しないと言うことはそう言った事と受け取りました。
ただ、はっきりしたことは、やはり記事を書いた管理人様と記事の最も当事者となる立場の人とのインフォームドコンセプトの必要性はいっそうに高まったと言えます。
そう言った意味では、この系統のトラックバックはhisamichiさんのいう、脅かすという表現の不適切さもはっきりしてまいりました。
今回の件は、特に話し合いによる双方の合意と納得とはせずに、最も本人的立場からの説明責任義務を果たしたまでという立場をわたしがとったところまでで終わりましょう。
ブログは見たいので勝手に観覧し、面白い記事が有ればトラックはするかもしれません。それは、今回の件に関係なくします。よろしく。