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すごいなあ

新年明けまして、おめでとうございます。

掲示板が、こういうの、炎上っていうの? すごいことになってるんで、
リンクはずしました。
やや過激な文面で、意思表示された書き込みがあったので、
説明を兼ねて、状況を書いただけですが、やはり、こういう反応が来るっていうのが、
本の世界とは違いますね。
掲示板の文章を読む人が本の読者だけじゃないですからね。
そういう意味では、簡単に思ったことを書いたのは軽率でした。

役者さんの起用に関して、どうこうという話じゃないんですよ。
今、見せていただいているシナリオが、納得できないところが
多いので、直しをしているという話です。

ここは、今のところ、無事ですが、もしかすると、
長いことないかもしれませんね。
ここも荒れるようなら閉鎖します。

とりあえず、普通にいつも見ていただいている方に、こんなことになって、
すみませんとお詫びいたします。


2007年~2008年に

大晦日ですね。いやはや、もう、何がなんだかわからないくらい、
バッタバタの年末です。
年賀状は今日の夕方に出しましたので、いつ着くのだろ~~~(^^;
すみません、佐藤から来ねーと思った方、少し待ってください。

今年は、本当に、ありえないような凄い年でした。
「一瞬……」が二つの大きな賞をいただき、「しゃべれども……」が映画になり、
地味~にボーッと生きていたのが、いきなりメッチャ華やかでしたねえ。
色々な人とお会いできました。お話できました。
色々なことを体験できました。
本当に外向きのオープンな一年でした。
十代の頃の人付き合いの苦手な、二十代の頃の人付き合いの不器用な
自分には考えられないことですね。
この一年、あまり創作の文章を書かなかったのは、やばいなと
思っていますが、今はあちこちで、スペシャルなパワーを充電して、
来年行くぞーーーーという気分です。
はい、来年はクローズしますんで、引きこもりますんで、元に戻りますんで、
ちゃんと書きますんで、頑張ります!!
ま、取材には行きますが。かなりダイナミックに取材しないといけないんで。

ここに書きたいこと、あったのですが、まったく余裕がなかったですね。
年が明けて、書けそうなら、ぼちぼち書きますね。

では、年の終わりに、最後のご挨拶を。
2007年、本を読んでくださった皆様、応援してくださった皆様、
お手紙や読者カードやここの書き込みで、熱いメッセージをくださった皆様、
本当に本当にどうもありがとうございました。
励みになりました。力が湧きました。
良いお年を。
2008年が、皆様に良い一年になりますように。
では、また、来年!!

イグアナくんの軽装版が出ました

最新でないような気がする「最新情報」のページにアップしておきましたが、
『イグアナくんのおじゃまな毎日』の軽装版が、偕成社から出ました。(既に出とります(^^;)

イグアナくんのおじゃまな毎日 (偕成社ポッシュ 軽装版)

イグアナくんのおじゃまな毎日 (偕成社ポッシュ 軽装版)

  • 作者: 佐藤 多佳子
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 2007/11
  • メディア: 単行本



今まで、この本は、入手困難……つうか、入手不可能状態だったので、まだ読んだことなくて、
読んでみてもいいな~と思う方、手にとっていただけると幸いです。
解説は、上橋菜穂子さんが書いてくださいました。
上橋さんはトークがとても上手とうかがっていますが(対面でしゃべった時は、そらもう
楽しかったです♪)、軽快な明るい文章でプッシュしてくださっているのが、とっても素敵です。
図書館で読んでるから、もういいよという方、とりあえず、解説、立ち読みしてくださいまし(笑)

この本のイラストを描いてくださった、はらださんは、夫の古い知り合いです。
夫は高校時代から岩波ホールでアルバイトをしていたのですが、その時に
上司?としてお世話になりました。
映画のお仕事のかたわら、素敵な絵本やイラストを作っていらっしゃいます。

パシュラル先生

パシュラル先生

  • 作者: はらだ たけひで
  • 出版社/メーカー: すえもりブックス
  • 発売日: 1989/10
  • メディア: 単行本


イグアナくんの本は、一度、中央公論で文庫になったのですが(もうないです(^^;)、その時も
やはり、はらださんのイラストでした。
本の形が変わる時には、イラストが変わることが多いのですが、イグアナくんは、
ずっと、はらださんのこのキュートな絵で続いているのが、とても嬉しいですね。

あとがきに書いていますが、イグアナのことを知るために、お邪魔させていただいた
山内さんご夫妻には、本当にお世話になりました。
思えば、私が「取材」の面白さを知ることになるきっかけですねー。
自分の頭の中で漠然と描いていた設定よりも、現実のほうがはるかにパワーが
あって面白くて、これを生かさないと……というのが、「一瞬の風になれ」に
続いているわけです。
私は子供の本の作家だと言いながら、あまり児童書をちゃんと書いていないので、
この本が復活してくれたのは、本当に嬉しいです。
この流れに続く仕事ができるように頑張ります。

ところで、しばらくここをさぼっていた間には、色んなことがありました。
「一瞬」の取材でお世話になった石島さんがご結婚されて、その祝う会が
麻高陸上部の現役、OB、70名(でしたっけ?)を超えるスケールで開催され、
部外者の私も呼んでいただきました。
石島さんは、10年という長きにわたって、コーチを続けられていたので、
教え子さんたちは、もう本当に大変な数になり、こんなおめでたい席には
何をおいても駆けつけなれればという、ホットな70名が集結しました。
さすがに知らない方のほうが多かったのですが、当時、取材させてもらった
部員さんたちは、大学生や社会人になっていて、久しぶりにお会いするのが
本当に懐かしかったです。
みんな、大人っぽくなっていて、ビックリしました。
現役時代のエピソードをいただいた人や、こっそりモデルにさせてもらった人や、
実はちょっとドキドキだったのですが、喜んでいただいていたようで、
すごくほっとしました。
とても、とても、いいパーティーでした。
これだけの若者に熱く慕われる「コーチ」は偉大です!!

Jリーグも、来週が最終節になりましたね。
今節が、ホーム最終戦の場合、引退する選手のセレモニーなどが行われ、
昨日はJ1、今日はJ2、試合後のピッチはいつもと雰囲気が違いました。
優勝争いや昇格争いから脱落したり、残留や降格(圏)が決定したり、
まさに悲喜こもごもです。
どれだけ大きなものを賭けてゲームをしているかが、改めて
切実に伝わってくる時期です。
今日は、京都の秋田選手の引退セレモニーを見ました。
え? 秋田は京都にいたの? 的な情報量の私ですが、
なんだか泣けてしまいました。
すごくいいスピーチでした。本当に良かったです。
お子さんが三人、アントラーズ、グランパス、サンガのユニを着て、
奥さんが昔の代表ユニを着て登場すると、笑顔の秋田選手がじわっと
泣き顔になりました。
秋田というと、とにかく、もう、もう、もう、邪魔~~~~で恐ろしい巨大な壁として
中山ゴンちゃんを始めジュビロの攻撃陣の前に立ちふさがってくれた長い
歴史が胸に迫りました。
あれだけ「鹿島」な選手が、京都でやめていく風景にどれだけ違和感が
あるのだろうと思ったのですが、すごく自然で美しい引退でした。
秋田選手、お疲れ様でした。
決して忘れることのない選手の一人です。
来年は、中山の引退、見るのかなあ?? で、名波はどうするのかなあ??
あーーー、時の流れを感じます(ToT)

……と、サッカーの話をしておいて、後先になりましたが、
オシム監督のご回復、お祈り申し上げます。
良くなられることを信じています。



オーサービジットとサポの愚痴愚痴

ものごっつ、ご無沙汰です。
創作と微妙にズレたところで(とはいうものの佐藤の仕事です)多忙で、頭グルグルでありました。
ちょっと余裕ができたので、少しでも書きます。

何をしていたのかというと、人と会って話を聞くこと、イベント、フィクション以外の文章書き、
といったところでしょうか。創作もぼちぼちやってますが、これからはもっとちゃんとやるぞっっっ。

掲示板のほうにも書き込んでいただきましたが、富山県の高校と神奈川県の中学に
朝日新聞のオーサービジットの企画でお邪魔しました。
何らかのスペシャリストの人が、学校で授業みたいなのをする企画です。
自分にできるかどうか、すごーーーい不安だったのですが、興味のほうが勝ってお引き受けしました。
たくさん応募していただいて、ありがとうございました。
応募の色紙、朝日新聞のほうからチョイスしてもらったもの、しっかり見ました。
そこから自分でいくつか選んで、さらに新聞社のほうで、他の方との兼ね合わせも考慮して
最終決定します。
行きたいなあと思う学校が、本当にたくさんありました。
熱いメッセージを送ったのに来てくれなかったよ~という学校の方、すみません。
そして、富山南高校、中野島中学校の皆さん、お世話になりました。ありがとうございました。

新聞に出る前にあまり語るといけないかもしれないので、中野島のほうはオフにしておきます。
私は一人でしゃべるのはとても苦手なので、(講演はほぼ100%お断りしています)
生徒さんになるべく色々やってもらう形で考えました。
富山南は、図書委員会だったので、本を紹介する立場ということで、ポップ作りを
していただきました。本屋大賞で、書店員さんたちの手作りポップをたくさんプレゼントして
いただき、強烈な印象だったのですね。本屋大賞でいただいたそのポップを見本として、
生徒さんたちに見てもらい、個々にお薦めの本を一冊選んでポップを製作、ここまで
やっておいて、当日、スライドで拡大したものを一つひとつ見ながら、工夫した点や
その本の魅力について全員の図書委員さんに紹介してもらい、私がコメントしました。
前に出てきて、自分のポップの映像を見ながら、皆の前でしゃべるのは、とても大変
だったと思うのですが、すごく心をこめて、一生懸命に話していただけました。
選んでくれた本もバリエーションが豊かで、私は未読のものも多くて申し訳なかったのですが、
とてもとても楽しい時間になりました。
中野島のほうは、紙面に出てから、また、ここで書きますね。
どちらの学校の生徒さんも、とてもまっすぐな明るい印象の人が多く、楽しかったです!!
本当にありがとうございました。

教師になりたいと思ったことは一度もなく、実習に行ったこともなく、教えるということに
情熱はなく、なので、もう、イベントと割り切って臨みました。
学校という場に行くのは好きです。
もちろん、イベントなので、いい面がクローズアップされて、私は「いいとこどり」なのでしょうが、
学校の日常はもっと色々な問題を抱えているはずですが、それでも、生徒さんたちの
エネルギーに触れてパワーをいっぱいいただきました。

ところで、話は思い切り変わりますが、
浦和レッズおよびサポーターの皆様、アジア・チャンピオン、おめでとうございます。
これがどれだけの偉業かは、我々ジュビロを応援する者たちが一番知っていると思います。
リーグ戦との並行で強行日程の中、見事な精神力と、鉄壁の守備と少ないチャンスでの
確実な得点力、チームの結束力を見せてくれました。
レッズは強かったです。いい試合、多かったです。素晴らしかったです。
もっと、純粋にそれを楽しみたかったです(ToT)
このところ、ジュビサポには少しつらい日々でした。
ジュビロがアジアのチャンピオンになったことが、サッカー史から抹殺されたような
マスコミの扱いだったので。
大会の名称や戦い方が違うのですね、ジュビロがアジアで勝った時と。
でも、クラブチームの対戦でアジアのチャンピオンを決めるというのは同じです。
だから、「日本人初」というのが、やたらやたらやたら強調されていて、
じゃあ、ジュビロのあの勝利はなんだったの~???とその都度、悲しくなりました。
理由は簡単です。大会が違うということで、もちろん、「日本人初」は嘘ではありません。
でもって、前にジュビロが勝っていますというより、浦和が初めてやりました!!と
煽るほうが、センセーショナルでアピールするわけです。
マスコミ、特にスポーツ・マスコミって、そんなもんです。
わざわざ、宣伝効果を落としてまで、昔のジュビロのことを持ち出したりしません。
しかし、緘口令がしかれていたかと思うほど、見事に抹殺されていました。
あーあ。
スタンドから石が投げ込まれるような、12万人近いアウェーの地で優勝したのになあ。
ま、昔話ですね。
これは、サポの愚痴になりますね。
だって、これから、また、リーグなどで勝って、出場権を得てACLで戦えば
こんなグチグチ言わなくていいですもん。
頑張れっ、ヤング?ジュビロ!! 中位の常連にならずに、とりあえず優勝争いに
からもうよ。
ベイスターズが弱くても平気なんだけど(何十年もそれで慣れてる)、ジュビロは
強く美しいサッカーをしてほしいなあ……とつくづく思います。

フライパンといつものスポーツ雑談

いや、マジで「月記」になってきましたな(^^; タイトル変えようかな。
短い文でも、ちょこちょこ書いたほうが本当はいいのですよね。
とにかく超~~~ズボラなので、申し訳ないです。

新学期が始まり、お弁当作りの日々が帰ってきました。眠いぞー。
前に引っ越し祝いで、クリステルという高価なフライパンをいただいてから、
あまりの使い勝手の良さにそればかり使うようになったのですが、
こげつくようになって……(ToT)
10年保証とかいうのがあるらしいけど、4年の寿命だったかなあ。
使い方が粗雑なのかもしれません。
前は、安いし、軽いし、こげつかないしというので、テフロン加工のアルミの
フライパンを買って、1、2年で買い替えていたのですが、(テフロンは
かなり気安くはげてくれて、安いぶんだけ寿命は短いですね)
このクリステルを使ってから、なんか、料理の味が違うような気がして、
少なくとも、料理する時に、アルミ・フライパンより快感があって、もう元には
戻れないよーと。
でも、買い換えようとして、値段見て、ぶっとびました(笑)
10年使えればいいけど、4年ではなあ~~。
それで、ネットで探して、鉄のフライパンを買いました。
(私はネット・ショッピングが好きです)
クリステルが鉄だと勘違いしていて、鉄を探したのですが、
実は多層ステンレスというものだったのですね。
結構重いのよ、で、黒いし、鉄だと思っていました。
鉄のフライパンは重いです。
色々調べて、焼きとかいうのをしなくてよくて(既にしてある)、
こげつかない、ほどほどの重さという、諸条件のよさそうなものを買いました。
値段的には、アルミ>鉄>>>クリステルというところです(^^;

重いのがイヤだったので、1.2mmという薄いフライパンを買ったところ、
ただでなくても火の通りがいい鉄のフライパンが、もう、もう、あっという間に
煙ぼーぼーで、素材じゅーじゅーで、すぐこげつくし、
目玉焼きがうまくできないし、これはシマッタかもと。
引退させたクリステルをカムバックさせたり、じたばたしていたのですが、
鉄のヤツ、すぐに洗って、油しいて、よくペーバーでふきとって……と
ズホラーな私には珍しくマメに面倒を見ていたら、だんだん、とっても
使い勝手が良くなってきました。
鉄のフライパンは使い続けると、油が馴染んで、いい感じになってくるのですね。
こげつかなくなったし、火加減はわかってきたし、もう目玉焼きもオムレツも
バッチリです(*^◇^)焼肉もギョーザも♪
なんか、手をかけて、「育てた」調理器具って、愛おしい気がしますねえ。

……と珍しく主婦ネタを(笑)

昨日の代表戦、やったねっっっ。
(本当はこの話がとってもしたい(笑)
すごく緊張する仕事があって、その夜は寝付けなかったので、
もう起きて見てしまおうかと思ったのですが、カンテツになるから
さすがにやめて、結果がわかってもしゃーねえと思って録画で
我慢したのですが、奇跡的に家人にもテレビにも結果は
伝えられずに、楽しく見られました。
あのつよーーーーいスイスに勝つとはなあ。
巻が2点ぶんの働きをできて良かったなあ。
世間に袋叩きにされてる感のある巻は、確かにあーあと思うこと多いのですが、
あの不器用さやひたむきさがガンバレーという気持ちになるので、
結果を出してくれると嬉しいです。
しかし、「千葉っ子」とはいえ、オシムさんも何を言われても、ビクともせずに
しっかり起用しますね。
私は実は代表の10番の選手が好きじゃないのですが、(大きな試合で力を
出せずに、言い訳ばかりするから)、でも、最近は、さすがだなあと思うプレーが
多いですね。献身的な守備もするようになりましたね(笑)
いい顔になってきたと思います。責任感のある顔とでもいうか。
がんばれっ、シュンスケ、と、もしかして初めて思いました(笑)
オシムさんにも相手DFにもビビらずにゴリゴリ、ドリブル仕掛けていく
松井のゴツさも面白いですね。
決勝点につながった、ケンゴ選手のミドルも良かった~~♪
途中から出て力を出すのってむずかしいと思うけど、ケンゴ選手、
ここ2試合、強烈に印象に残るいい働きしてますねー。
失点しても、ヨシカツが怒り吠えなかったのは、守備の組織が崩された
わけじゃないからなのかなとおかしかった。
チームが熟してきたんだと嬉しい。一試合だけのマグレとか言わないでくれよ~~。

横浜は六連敗のあと、三連勝しました。
三浦が投げてるから昨日は久しぶりに見ていて、U22のほうは見逃しました(^^;
阪神、中日と強いチーム相手にしっかり投げて、「番長」少しは意地を見せてくれました。
もうクライマックス・シリーズは無理だろうけど、それでも勝てばとっても嬉しいのが
ファンですねえ。
そういえば、この前、ラジオ聞いていたら(台所仕事中はナイター聞きます)
TBSの戸崎アナウンサーが延長戦で、喉がガラガラになって咳き込み始めて、
ついに途中降板、レポーターやってた他のアナがリリーフという、ン十年、
野球聞いてるけど、こんなの初めて~~~という中継がありました。
解説の田淵が、お茶でも飲んできたら~とのほほーんとしていたのが笑えました。
昔、「タブチくん」の漫画に、解説者になったタブチがろくに解説ができなくて、
アナのほうがよくわかってて、タブチが実況して、アナが解説するというネタが
ありましたが、それを思い出して、タブチ、実況してやれよーーーと思ったのでした。

世界陸上開幕

始まりましたね。
朝からテレビでたっぷりと見ました。
酷暑の男子マラソンは、見ないで結果だけ聞くと、5位、6位、7位、ふーん……という
感じだったかもしれませんが、ずっと見ていると、なんというんでしょうね、残念、もう一息で
メダル、という気持ちももちろんありますが、同じくらい、よーく走ったなあ~~と思いました。
やはり、感動があります。
それから、少し用事をしていて、100mの一次予選を見て、よっしゃ!!朝原選手、
ものすごいじゃないかっっと盛り上がり、
夜は室伏選手が早めに決勝が決まり安心し、100mの二次予選を見て、
朝原、あんなに早いのに四位ぎりぎり? さすがに二次になるとチガウなあと思い、
塚原、惜しいっっ、ああっっと歯ぎしりをし、
400mHで沈没しました。
わかりきったことですが、厳しいですね、一発勝負は。
まず成迫選手おめでとうございます!!というところなのですが、
為末選手、この前お話ししたこともあり、残念でした……。
残念でしたの一言ではすまないくらい色々思いましたが、
敢えて書くまいと思います。
来年に五輪があるのがいいですね。
そんなに簡単に切り替えられないかもしれませんが、今回が五輪だと
いうのとは全然違います。
為末選手だけでなく、今日、残念な結果だった日本の選手の皆さん、
また、ぜひ、来年に向けて頑張ってください。
日本選手は出ていなくても砲丸投げの決勝のド迫力に目を奪われ、
最後は10000mにまた地団駄でした。
惜しいっっ。福士選手、10位と8位とどのくらい本人的に違うのかわかりませんが、
やはり惜しいです。
でも、インタビューで良い笑顔でしたね。納得のいくレースだったのでしょうか。
攻めた勝負ができたというのはすごいですね。
しかし、あんなにシューズが脱げたり、まとめてコケたりするのって初めて見たなあ。
いつまでも集団が大きいと、アクシデントも多いわけですね。

駆け足の感想文でした。
明日、長居に行きます。
朝原選手の走りがナマで見られるのが嬉しいです。
決勝で見たいです!!!!!
100mの勝者は誰になるのでしょう。

上橋菜穂子さん、岡田准一さん

今週になると、ちったあ涼しくなると、天気予報は言っていませんでしたっけ~~~?
先週末は、小海線沿線の高原に一泊旅行して一息つきましたが、一ヶ月くらい
居続けたいものですねえ。
野辺山は、二年前の秋に娘と一緒に行って大好きになった場所です。
学生時代に確か、合宿で行っているのですが、その時はこれほど景色のいい印象が
ないのが不思議です。畑と野原と林のコントラストがひたすら美しく、人の手の入っていない
あるがままの緑の広い世界が胸にしみます。
私は海か山かと聞かれたら、海の人なのですが、こう暑いと、海辺でどうこうというより、
涼しい山に行きたくなりますね。

さて、ぼけーっとしているうちに、書きたいことも色々あったのですが、
今更な話になりつつあります。たとえば、横浜ナイス・ゲーム! なんつーのも
あったのですが、今やボロボロで貯金も底をつきました。
ジュビロは何をやってるのか(何がやりたいのか)よくわかりません(^^;
スポーツの話題は、当たり前ですが、日々更新しないとダメですね。
世界陸上がもうじき開幕するということで、パウエルが鳥取で夜遊びしたとか、
色々な話題も飛び込んできます。(他の例はないのか)
チケットが売れてないそうなので、お近くの方、ぜひ、いらしてください!!
(でも、高くない?……小さな声で)

これも少し前の話になりましたが、上橋菜穂子さんと対談しました。
守り人シリーズや「獣の奏者」で有名なファンタジー作家(と呼んでいいのかな?)
と今更紹介する必要もないでしょう。
上橋さんの特集を雑誌が組むので、その企画の一つです。
発売近くなったら、詳細をお知らせします。
年齢もデビュー年も一緒の上橋さんは、むかーし、児童文学の受賞式場で
ちょろっとお話したことがありますが、ほんとに昔です(笑)
お互い、二十代のネーチャンだったのに、四十代のオバチャンになってしまいました。
今度、「イグアナくんのおじゃまな毎日」が偕成社の軽装版で出るのですが、
上橋さんに解説を書いていただいています。
私のほうも、守り人シリーズに書かせていただく予定です。
上橋さんとは、書くもののジャンルが違うのですが、創作に関して驚くほど、
共通点があり、お互いにビックリしました。
雑誌の企画の対談というより、それぞれ知りたいことや言いたいことを
バシバシぶつけていく熱い盛り上がりで、すごく長い時間、お話ししました。
とっても楽しかったです(*^◇^)

そして、今日は、V6の岡田准一さんのラジオ番組のゲストに呼ばれて、
収録に行ってきました。今度の日曜日に放送されますので、関東近辺の方、
聞いてください。ちと遅い時間ですが。(最新情報アップしています)
この仕事の話をすると、私の友人一家(母と娘姉妹)は、皆ついてくると断言しました。
(ゴメンネ、連れていけなくて)
講談社の担当さん(注:女性)が、一人ではなく二人来てくれました(笑)
そのお二人の感想、「ほんっっとにキレイな方ですね!」
「ガラス越しだけど、吸い込まれそうな目ですね!」
私も、とりあえず、まじまじとお顔を眺めいってしまいました。
しゃべるタイミングとズレたので、スタッフの方に大丈夫ですか?と心配されました(^^;
前に香里奈さんを間近で見た時に、こんなに小さい顔の人がいていいのかと
思いましたが、男性でこんなに小さい顔の人がいていいのかと岡田さんを見て思いました。
しゃべると、とても気さくで、お話し上手で、私も気楽になってベラベラしゃべってきました。
とても引き出しの多い方なのではないかなと感じました。
それにしても、色々な方と会う機会をいただき、幸せなことです。




すすき野原を行くと?

先週の木、金と、箱根に行ってきました。
荻原規子さんとのプチ旅行で、ちょうど一年前も行ったのですねー。
一泊くらいで軽くどっか行こうよーということで、箱根、鎌倉、箱根と、
今回で三回目です。
箱根は、一泊二日で、いい感じで楽しめるなあとつくづく思いました。
夏は涼しいし、テーマが違うと、がらりと印象の違う旅ができるのがいいですね。
去年は芦ノ湖のレイクサイドに泊まり、船にもたくさん乗って湖を楽しみ、
今年は仙石原高原で、トレッキングになりそこねた散歩と博物館、美術館めぐり。
ルネ・ラリック博物館でラリックの数々のガラス作品を見て、ポーラ美術館でガレと
花の絵の特集をしていたので、美しいガラスを存分に堪能することができました。
荻原さんのブログで、このへんのことを書いてくれているので、興味のある方、
読んでみてください。
オリエント急行にも乗っちゃったもんね♪ さて、オリエント急行とガラスは
どんな関係があるでしょう? 答えは荻原さんのブログに(笑)

で、私は一日目のことを少し書こうかな。
威張ることではないのですが、私は重度の方向音痴です。
というか、地図がまったく読めません(^^;東西南北まったくわかりません。
助手席でナビのまねごとをやらされると、夫がキレます。
ぶっちゃけ、何の役にもたたない……理解してもらえないようなのですが、
ほんっっっとにわからないのです。今いる場所と地図の関係が。
前置きが長くなりましたが、そんな私と荻原さんは、あまり変わりません。
ものすごい名勝負になりそう。なかなか危険な取り合わせです。
仙石原高原は、すすき野原で有名です。
秋には一面黄金の世界となるような広大なすすき野原が
ゆうゆうと広がっているのですが、今の季節は、まさに緑の海です。
山を背景にゆるやかな上りで広がっていく緑のすすき野原に
一筋の道があり、そこをのんびりと進んでいきました。
私のおおざっぱな見通しでは、そこから自然探索路につながり、
二時間近く歩くけど芦ノ湖まで出られる……はずでした。
逆にその道を下りてくる植物好きのご夫婦にも出会いましたし、
観光用の道とは到底思えないような細い細い道を疑いもせずに進みました。
今思うと謎の道ですね。コンクリートの道らしきものがあるのですが、
平均台ほどの幅しかなく、とにかくすすきをはじめ、夏草がびっしり生い茂っていて、
長いパンツをはいていても足が痛いくらい。
台風の影響で、時折雨がパラつき、空はきれいな夏の青と、怪しい雨雲の灰色が
次々と違う割合でミックスされていきます。
すすき野原をのぼりきって、林に入りました。道がますます、あるように見えなく
なります。まさに草をかきわけ、かきわけ、進むことに。
まあ、そのへんで、私も不安になり、ガイドブックを取り出して、地図を眺め、
このへんにいるんだよね?でも、荻原さんはあまり真剣に見ません(笑)
二人とも怖いものがいくつかありました。
ヘビ出そうじゃない? 山ヒルって高原にはいないっけ? 
ここで雷なったらヤバクない? すごーくヤバクない?
っていうか、この道、どこ行くの~~~~、どこかに行くの~~?
折りたたみ傘を杖のようにしてヘビよけに地面をたたきたいのだけど、
長さがたりなくて、私が傘を手でたたいてパンパン音を出していたら、
歌うといいかもと荻原さんが言うので、何か歌ってと頼んだのですが、
元合唱部は歌ってはくれませんでした(笑)
やめようか? もうちょっとだけ行ってみない? 
を二回くらい繰り返し、いくらなんでも、これはオカシイと結論して
引き返すことに。
思った以上に遠くまで来ていて、なかなか下りるのに時間がかかりました。

長々と書きましたが、ぜんっぜん反対方向に来ていたんですよね。
つまり、スタート地点がまるで違っていたわけ。
あとで地元の人に聞いたら、その道はどこかには通じているらしいけど、
行ったことがないと言われました。イノシシが出るとも。
いやはや、私はこんな逸話はたくさんあります。
旅先や取材先で何度もプチ遭難してます。
正しい自然探索路は、あとで見つかったのですが、
少しだけ行ってみようと進んでいったところ、あまり行かないうちに、
私の足がつりました。なさけねー。長い風邪で動いてなかったからなあ。
トレッキングは挫折です。
ヘンなお散歩になりました。
湿生花園や武士の里美術館は楽しかったです。
宿は素敵でした。食事も露天風呂もおしゃれなバーも。

荻原さん~、また、来年も箱根行きます? 

アジアカップ

イヤな風邪をひきまして、まだ、ごほごほやっております。微熱なんだけど、えらいしんどくて、
まあ、風邪ごときでガタガタ言ってはいけないけれど、今日は、私や娘がどんな風邪をひいても
なぜか決してうつらないはずの旦那まで発熱してしまいました。強力ウィルス?

勝ったね!!(どうなんだ、この話題転換は(^^;)
サッカーがしっかり見られる程度に治ってくれていて良かった~~。
だって、見てるだけで体力消耗するようなタフな試合だったものねえ。
延長、PKで、最初から最後まで、ちょっとも気の抜けないゲームでした。
いやー、ひさしぶりに、ほんっっっっとにマジで応援した。
どーーーーーーーしても勝ってほしいと思って試合見たのって、前はいつ?
……って思うと、やっぱり、ドイツW杯のオーストラリア戦かもしれない。
あの一戦って、自分で思っていた以上に「傷」になっていたんだなと、昨日の
試合を見て改めて思いました。

実は、私はジーコ・ジャパンが好きじゃなくて、なぜか、どうしても気持ちが
入らなくて、W杯以前からですね、親善試合なんか見ていて寝てしまったこと
あるくらいで、黄金世代の華やかなメンツなのに、乗れなかったんですねえ。
W杯前も、予選通過は無理って思ってて、その通りだったのだけど、あまりにも
試合ぶりがひどかったので、当然とは思わず愕然としましたよね。
(ちなみに、素晴らしい内容だったテストマッチのドイツ戦は見てないので、すみません)
サッカーを見ない人にとっては、わからない感覚かもしれませんが、
W杯って、W杯の代表って、自分とこの国は、こんな国なんだよーと世界に
「見せる」場だと思うのですよ。そりゃ、でっかいものを背負ってるはずですよ。
国民気質とか、それが培われた歴史、風土、文化、全部、背負って、
ボール・ゲームの中に展開するわけですよ。
(選手にそういうこと考えてプレーしてくれっていうのじゃなくて、自然に
にじみ出てくるものだと)
で、日本人って、しょーもねー、でも、ほんとに日本人、しょーもねーとこあるわけ
だし……と国民的自己反省をつきつけられたのが、ドイツW杯だったと。
ま、あの監督さんと、その監督さんを連れてきた協会にあらかたの責任が
あるとは思いますけどね。

今回、W杯とアジア杯じゃ、まるでモノが違うし、チームも違うし、リベンジとか
あまりにあおられると、けっこう不愉快だったのだけど、いざ、試合始まって
見てると、やっぱり必要以上に「勝ってほしかった」気持ちはありました。
いいゲームだったと思います。
ナイス・ファイトでした。それが一番嬉しかったです。
中澤が試合後のインタビューで一番に口にしたように、昨日のオーストラリアは
本当の力を出してないと思いますし、そのコンディション最悪の相手がよれよれでも、
120分で勝ちきれなかった事実は事実ですが、あの小言幸兵衛のようなオシム監督が
いい内容だったのを見てくれと言ったのには、大きくうなずけます。
さすがに走らざる者来るべからずのチームだけあって、あのハードな気候の中、
120分走って、動けなくなった選手がいなかったのが、すごいなと思いました。
クリエイティブだったし、ミスも少なかった。集中力を切らさなかった。
試合展開を読んで緩急をつけて、落ちついてプレーできてた。
どーーーーーしても勝ってくれと思ったのは、途中からは、相手がオーストラリアだから
じゃなくて、このチームを、アジア杯という本気の場でもっと見たくなったからです。

オシム・ジャパンは、ここでも書いたことありますが、ずいぶん前に一度
生観戦しました。親善試合だったけど、その時は、とにかく、下手だなーと
ビックリしたので、すごく単純なパス交換やトラップなどの基本的なプレーが
ミスばかりで、これが代表?と思ったくらい。
やはり、この競技は、メンツをある程度固定して、意思疎通して初めて成り立つ
ものがあるのだなと改めて思いました。今の代表のパスの精度やボールの止め方は、
ものすごくうまいですよね。こういう基本的なことも、チームとして完成して
いかないとできないものなのかな。(馬鹿なこと言ってますかね?(^^;)
オシム・ジャパンのウリの「連動性」ということが本当にわかるほど、私はサッカーを
見られませんが、今の代表の試合は見ていて面白いです。(絶対寝ません)

昨日は、ケンゴくん、頑張ってましたねえ。
あの細っこい身体でも、巨大なオージーに立ち向かえてましたね。すごいな。
もう一人の中村さんより良かったように見えました。あの方の才能について疑う
ものではないのですが、どうして、ここ一番の試合で、どこかピリッとしないのでしょうか。
(まあ、一番手のPKしっかり決めてくれたし、得点シーンの起点になったし、よく走って
守備してたし、仕事はそれなりにしてますが)
やはり、細身の鈴木啓太も守れますねえ。すごいなあ。
PKになったら、勝てないと思ってましたね。向こうのGK良かったし、日本の
メンタルに自信なかったし。まさか、またもや、川口に神が降臨するなんて
都合のいいこと思えなかったし。
(ジュビロの試合を比較的よく見る者の感想として、Jリーグで、そんなにPK
止めてる記憶ないような……???)
面白い選手ですね、ヨシカツは。もっと止めるつもりでいたらしいですね。
高原がPK力いっぱいフカした時に中山ゴンちゃんを思い出したのは、私だけ?
遠藤のPKには、あの緊張した中、笑いました。あれは、GKは力抜けるんじゃない?
最後の中澤は、決めるなと思いました。そういう格の選手だと思っているので。
中澤って、とても好きな選手です。ビドゥカを完璧に押さえてベンチに追いやったのは、
ほんと感動しました。(守備の戦術とボランチの力ももちろん大ということですが)
でも、やはり、何と言っても、高原の同点弾ですね。
日本代表にとって、ようやく正しくFWと呼べる選手が現れたかと思う方も多いのでは。
(ただ最前線にいるだけのMFもどきではなく)

いや、ゴタゴタ書いて、まことに読みづらく申し訳ありません。
しかし、巨体FWのビドゥカをいかに封じ込めたか、などの解説を聞いたりすると、
攻撃はもとより守備の戦術の一つもなかったらしい、ジーコ・ジャパンが
つくづくともったいない気になってきます。
オシム・ジャパンがどこまでのチームになれるか、これから実に楽しみです。
ひたむきさのあるチームで、応援する気持ちがガッツリ湧いてきます。

あ、そうだ、そうだ、奥田民生が、このアジア・カップのイメージ・ソング作った
のですよ。NHKで試合の前後にかかる曲、あれです。「イナビカリ」
民生の声にのって、日本代表の勝利の映像が見られるなんて、
なんてなんて贅沢な!!
ブラボーッ。

また会いましょう

日曜日の夕方に、訃報が届きました。
あまりに思いがけないことで、オタオタして物事が手につかなくなってしまいました。
小学校の同級生で、四年から六年まで一緒のクラスだったMちゃんです。
今年の年賀状に、具合を悪くして実家に帰っているという文章があったのですが、
元気そうな写真と一緒で、まさか、それほどの大病だとは夢にも思いませんでした。
昨日、告別式に行きました。仲良しだった三人の友達と一緒に。
この三人は、五月に行われた同窓会で会ったばかりで、その時Mちゃんは欠席
でしたが、お仕事忙しいのかなーくらいにのんきなこと話していました。
最期のお顔を見て、お花をお棺に入れ、お見送りしましたが、まだ、信じられません。

最後に会ったのは、もう十年以上前の同窓会になるのでしょうか。
その前は、その前はと思い出をたどっていっても、会った回数は決して多くはないです。
日々の暮らしに追われて、いつでも会えると先延ばしにしていて、いきなり、
もう会えなくなってしまう……こんな理不尽なことがあるのは知っていたのにと、
キリキリと思いました。大学の先輩の訃報を聞いた時のショックを思い出しました。
その時に友達と話したのです。なるべく、たくさん会おうねと。
いつでも会えるけど、ちゃんと努力して会わないと会えないからと。

Mちゃんは、六年生の夏に転校してしまったので一緒に卒業はしていません。
東京に戻ってきたのがいつぐらいでしたか。
スポーツインストラクターとして、子供たちに水泳を教えるお仕事をしていたのですが、
プールの水にアレルギーが出て、それから、大変な勉強をして、鍼灸治療師の専門
学校に合格し、(当時は本当に狭き門だったようです)何年もの勉強、修業ののち、
世田谷の治療院を、後に結婚するご主人と一緒に開業しました。
(細かいところが違っていたらすみません)
私は二十代半ば過ぎまで、社会人としては試行錯誤……というよりフラフラしてましたので、
新しい夢にどんどんチャレンジしていくMちゃんの気合と力に本当に励まされたものです。
心身ともに弾むように明るく元気な人でした。そして、治療家が天職であったと思われる
ような思いやり、いたわり、優しさに満ちた人でした。
昨日、式場で色々な時代のお写真を見ましたが、毎日一緒に過ごした小学生の時と、
まったく変わらないのが、明るい丸い大きな目と、光がさすように明るい笑みです。

今年の2月5日の日付で、Mちゃんは、お別れの挨拶を記しています。
印刷したものをいただきましたので、全文、ここに書き写したいほど、
すごいものです。大きな愛と感謝と、希望すら感じ取れるような文を、
先の限られた中で、書くことができる人がいるのです。
一部だけ書かせていただきます。
「私の人生は、夢なかばで終わってしまいましたが、とても幸せな
一生でした。好きな道に進み、暖かい家族に囲まれ、思いやりのある
友人と出会い……こんなに幸せな人生はないだろうと思います。
治療家でありながら、病を抑え込む事ができず、残念ではありますが、
私の事ですから、又、次の世界で、続きを勉強していくのだろうと
思っています。」
病気が再発する前に、Mちゃんはお仕事の幅を広げようと、エステの
勉強を始めていたそうです。
まだまだ、やりたいことがどんなにたくさんあっただろうかと思います。
44歳という年は、私はこのところ、ずいぶん年を食ったな……などと
自嘲気味に思うことが多かったのですが、こんなにこんなに、まだ
若いのだと胸を切られるように思いました。
使える身体と、使える時間を与えられている私たちは、本当に
頑張って生きないといけないです。

ご遺族の方は、本当に皆様、しっかりしていらっしゃいました。
お母様と妹さんと少しだけお話できましたが、笑顔さえ向けて
いただいて、私のほうは、もうまるっきり言葉の一つも出て
こなくて情けない限りでした。
Mちゃんと、Mちゃんを支えた家族の方々が、苦しい日々を
どれだけ力強く生きてこられたのか、それだけでよくわかりました。

Mちゃんの言葉から
「私は旅に出ます。いつかどこかで、又、お会いしたいです」
また、会いましょう。必ず。
色々お話しましょう。

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