リテラシー単体だと読み書き能力のことになりますが、○○リテラシーというようになると、その分野に関する知識、教養、能力ということになります。今日は前者について書いてみます。
日本語、特に会話の中ではニュアンスや雰囲気で言葉の省略があっても意味は伝わりますよね。例えば「バカじゃないの」と会話で笑いながら言う分には、侮蔑の意味よりも呆れた感が伝わりますが、メールなどの文中では「バカじゃないの」と表現すると前後の言葉でフォローしない限りは文字にはニュアンスがなく、文字情報だけなので侮蔑感のみが相手に伝わることになります。(笑)とかニュアンスを伝える言葉があれば別になってきますよね。
インターネットの普及に伴い、昔はペンと便せんが必要だった手紙が電子メールになって簡便になっています。私はパソコン通信の時代から電子メールを利用していますが、手紙だと一発本番の人はいないと思うのです。電子メールは一発本番打ちの人が多いのでしょうか?推敲されていないことが多いように感じます。携帯電話の短文メールの影響かも知れませんけどね。送信者も推敲して読み返せば意味が通っていない、誰が、何を、どのようにするのか、5W1HとかSVOCが抜けている文章にはならないと思うのです。
以前に友人とのメールのやり取りの中で、これでは送信者自身しか分からないだろうというメールが来たことがあります。内容が抜け抜けなので、改めて受信者から問い合わせしなければならなかった。そういうメールを他人に内容を伝えられないメールという意味で私は「自己満メール」と呼んでいます。で、問い合わせのやり取りが数往復あり、送信者である友人に、
「受信者に内容が伝わらないような自分にだけ分かるメールは意味ないよ。送信前に見直しするようにしないと」
と指摘したところ、逆ギレされまして険悪になったことが。友人は友人で自分はリテラシーが高いと思っていたようですが、読解力が高い方である私でも分からないのですから、まして他の人はねぇ…試しに送信者と私の共通の他の友人にFWして(内容はプライバシーとか仕事の件ではなかったので)見てもらったところ、
「さっぱり意味が分からん」
とのお返事。やはりね…
何故、こんなことを書いたのかというと、メール文中でも微妙なニュアンスの違いってありますよね。これまた受信者のリテラシーに依る場合が多いのですけれど分かる人には分かる。
例えば、「よろしくお願いいたします」よりは「お手数をお掛けしますが、よろしくお願いいたします」の方が良かったかな、とか送信後に見返しして思うことがあるのですよ。それこそ受信者は全く気にしていないかも知れませんけれどね。
そんなことがあるので、相手に私の本意を理解していただくために私のメールは重くなりがちです(雰囲気じゃなくて長さ)。勘違いされそうなところは、くどいぐらいに省略しませんから。俯瞰して文章を他人目線で推敲することを心掛けています。
「分かりやすく簡便」がベストですが、同じ分量でも、「分かりにくくて内容が抜け抜け」は勘弁ですね。
あ、今日のブログもくどいか…