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Haruka Inui

Haruka Inui at his drawing desk. Photo by Saburo Murakami.
乾 はるか
プロフィール:
1959年12月25日に山口県に生まれる。大学卒業後、SF漫画家を目指す。
1981年に「週刊少年チャンピオン」にて『パラレル亜美』でデビュー。
1984年にタツノコプロのテレビアニメの『未来警察ウラシマン』のコミカライズ(漫画版)を「習慣少年チャンピオン」で連載。
1988年に『お元気クリニック』を描き始め、マンガ界に大きな衝撃を与える。エロチックコメディーの領域を超えて、ビザールコミックに変貌していく。フェティッシュブームを巻き起こすと言っても過言ではない。次々とヒット作を生み出し、性の限界に挑み続ける。世界中に作品が翻訳され、特に、ヨーロッパで大きな人気漫画家の一人である。
代表的な作品は、『女王様ウォ-ズ』(1993)、『Q嬢の物語』(1994)、『乱丸XXX』(1997)、『恋身女子高生パティ』(2002)。








Ogenki Clinic




The stories of Miss Q




Mistress War




Ranmaru XXX


乾はるか、独占インタビュー!

乾はるかは、日本が世界に誇る最高のフェチ漫画家の一人です。乾はるかが生み出した作品なしでは、フェチという言葉自体が日本で一般的に普及することはなかったといっても過言ではない。特に、あの大ベストセラーとなった『お元気クリニック』が90年代のフェチブームを巻き起こした驚異的な作品である。忘れることはできません。『お元気クリニック』の1コマ1コマの女性の美しさにかける乾氏の情熱が凄まじいことである。アミタイツ、レザーのリアル感が多くのファンを魅了した。ここで、[nu]が独占インタビューを大公開。

[nu]:乾先生のマンガの原点はどこありますか?

乾:自分の作品の原点は、これに影響されたという作品が、ずっと『バーバレッラ』だと思っていました。あのジェーン・フォンダの色っぽさというものを追い求めていたと思ったんですよ。そうしたら、別の作品があると思い出しました。同じ時期に見た映画でした。イタリア映画の黄金の七人でした。

[nu]: ロッサーナ・ポデスタが出ている映画ですね。

乾:そうそう。『黄金の七人』シリーズとは、本当は違う映画なんですが、『黄金の七人・エロチカ大作戦』という名前がついているんですが、あれをこの間借りてきて、これだ!と思いだしました。当時ビデオレンタルがなかったから、何回もテレビで見た。これに感じていたんだと思った。あれは本当に名作ですね。

[nu]:ロッサーナ・ポデスタが、ルパン三世に出ている峰不二子にもよく似ていますよね。

乾:絶対そうですね。ぴったりとしたキャットスーツ、アミタイツなどね。本当にきれいですね。あれが原点ですよ!それに、『エロチカ大作戦』の主役が、男だったですね。3つの玉のもった男、しかも巨根だという設定。まさにこれは『お元気クリニック』の原点ですね。死ぬほど見ましたね。今も感じます。すばらしい映画ですよ。ロッサーナ・ポデスタに比べて、アメリカ映画の女優が美人じゃないですよ。不細工ですね。

[nu]:美人は美人ですが、人造人間みたいな作られた美しさでもあります。

乾:それはそうですが、ちょっと崩れていないと主役になれない。きれいだとバカな女役になってしまいます。だから、口が大きかったり、目が引っ込んでいたり、顎がでかかったり。なんか、癖がないと主役になれない。例えば、『チャーリズエンジェル』はひどいですよね。なぜキャメロンディアズがきれいとされているのかな?スタイルがいいけど、顔がひどい。頭が四角くて

[nu]:逆に、黄金の七人のロッサーナ・ポデスタが、逆に女性らしいですね。

乾:イタリア映画の女優って、本当にきれいですね。本当に色っぽい。

[nu]:『お元気クリニック』の話になりますが、なぜ描き始めたのですか。

乾:僕を育ててくれた編集者がプレイコミックの編集者になったとき、SEXクリニックのマンガを描いてくれないかと頼まれたのです。かなり自由に描きました。当時の日本にはフェチという概念がなかったですね。フェチと言ったらパンティぐらいでしたよね。だから、それが欲求不満みたいな形で、ビデオを見ても感じないし、女の裸ばかりで、裸には全然感じないから。自分で描くしかないと思いました。すごく楽しかったし、アイディアがだんだんと出てきました。ストーリーを一気に描いてたので、始まると、どこで一話が終わるか僕にもわからなかった。本当にライブ感覚で描いてました。ずいぶんパクられましたね。

[nu]:名前をどうやって決めましたか。

乾:駄洒落ですね。たたせる子だから、「多々瀬・ルコ」でいいじゃない?と当時の編集長に言われたので、そこから発展してほとんどの名前を駄洒落で決めました。「気持イコ」は、自分の快楽ばっかり求めているから、この名前になりました。一番難しかったのは、先生の名前でした。何ヶ月たっていても、名前が出てこない!結局、御毛栗(おげくり)は、『お元気クリニック』の略で決めました。陰毛のそばのクリ(栗)トリスを触るというイメージで、御毛栗触にしました。義理の母の多々瀬増代(たたせ・ますよ)も、同じ趣旨で生まれた。女王様だから、旧姓は鞭打増代(むちうち・ますよ)。

[nu]:多々瀬ルコや登場する女性たちのコスチュームは、非常に美しいですね。どうやって決めましたか。

乾:当時はナースのコスチュームといえば、白いパンストに白いサンダル。でも、ある日、向かいのビルにあった歯医者の看護婦を見たときに、彼女がピンクのコスチュームに黒いパンストをしていました。色っぽいなと思いました。ありえない組み合わせだから、そのイメージを忘れることはなかったです。SEXのクリニックを描くと言われたときに、それを思い出した。それにハイヒールをはかせばバニーギャルみたいにして、非常に受けた。ほかは、色々な女王様の写真やビデオを見て、描きました。全米No1の女王様「ミストレス・アントワネット」のコスチュームを多く描きました。実に素晴らしい女王様です。当時は自由にリアルに描けたのに、今はコンビニでエロマンガ雑誌がおいてあるから、過激にかけないね。ディルドだとわかっていても、だめですね。

[nu]:多くの女性にペニスバンドをつけたり、シーメイルも登場しているから、なぜでしょうか。

乾:それが北川繚子女王のビデオの影響ですね。調教ビデオ3部作北川プロのビデオですよ。彼女のビデオを見て、ペニスバンドをつけたときの格好良さはすごかったですね。そして、男性のペニスはきっと美しいと、どこかで思っているから。それが、女性の美しい体についてれば、2倍も3倍も美しいじゃないか。それでいっぱい描いた。あるビデオの中で、女王様がディルドをご褒美として奴隷になめさせるビデオを見たときにすごく感じちゃった。

[nu]:『お元気クリニック』は途中で、フェチからSM色が強くなりましたね。女性の描き方も変わりましたし、見上げるように描かれていますね。

乾:ま、いうまでもなく、フェチがマゾの入り口でもあるから、入門編みたいなものですから、フェチを追及しいくと、どうしてもM思考になってしまう。そして、北川女王をモデルにしてしまうと、SM色が出てきますね。

[nu]:長いインタビュー、ありがとうございました。



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