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助かる命 助ける使命 ――安心を築く(1)

岐阜発ドクターヘリ 「救急は、座して患者を待っていては駄目だ」


ドクターヘリの重要性を語る岐阜大医学部付属病院の小倉真治・高次救命治療センター長(同病院ヘリポートで)=譜久村真樹撮影

 暮れも押し迫った昨年12月27日。岐阜大医学部付属病院の高次救命治療センター(岐阜市)に、救急隊から連絡が入った。「高山市内で作業事故です。患者は50歳代女性。指を根元から切断しています」。当番医はフライトジャケットを羽織り、医療器具の入った赤いリュックをつかむと、屋上のヘリポートへ走った。

 ヘリは約200キロの距離を、女性を収容して、わずか50分で往復した。女性はすでに大量に出血。激しい痛みに時折、うめき声を上げたが、機内ではヘリのローター音にほとんどかき消された。着陸すると、ストレッチャーに乗せられた女性は、専用エレベーターで1階の治療室へ一気に運び込まれた。

 「病院への搬送時間が短いほど、チャンスは増える」。屋上に待機していたセンター長の小倉真治(48)は、再び離陸するヘリを見上げ、少し、ほっとした表情を見せた。

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 24時間体制の同センターは現在、常勤医師26人、看護師約80人。山間地が8割以上を占める岐阜県で、全域を約30分でカバーするヘリの出動回数は年間80回を超え、抜群の機動性を発揮している。

 郡上市内のスキー場で2005年2月、心筋梗塞(こうそく)で倒れ、ヘリで運ばれた同市の男性会社員(57)も、「ヘリが無ければ、自分は生きていなかった」と、しみじみ振り返る。男性の心臓は救急車の中で停止し、最寄りの病院では手の施しようがなかった。治療は一刻を争い、わずかな時間差が生死を左右した。

 ただ、課題はある。運航は昼間に限られ、悪天候では飛ぶことができない。

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 香川県で生まれ、船医になるのが夢だった。大航海へのあこがれと、船には医師が1人しかいないという究極の状況に、ロマンを感じたからだ。岐阜大医学部に進学し、医療の現場に触れてからは、「どう頑張っても助けられない患者はいる」ことを知ったが、それでも、「1人でも多くを助けたい」と救急のスペシャリストを目指した。卒業後、故郷の香川医大病院で救命救急センターの設立を手がけ、手腕を買われて、2004年に岐阜大付属病院の初代センター長となった。

 だが、ドクターヘリ導入は容易ではなかった。

 着任早々、防災ヘリを使わせてくれるよう、県に頼み込んだが、前例がないと、あっさり断られた。ヘリの機動性などを説明するため、資料を抱え、何度も足を運んだ。「患者を見殺しにするつもりなのか」と、声を荒らげたこともあった。「救急は、座して患者を待っていては駄目だ」。信念は揺るがず、交渉は半年以上に及んだ。

 運用が始まって3年半。ドクターヘリの担当は当番制で、ほかの救命医と同様、自らもヘリに乗る。センターでの指揮や急患の治療などもこなし、仮眠もできないまま、昼夜、ぶっ通しで現場に立つことも珍しくない。

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 救急の現場を巡っては、昨夏、奈良県の妊婦が9病院に受け入れを断られ、死産したことをきっかけに、患者のたらい回し問題がクローズアップされている。年末には、救急搬送中の大阪府の女性(89)が30病院に受け入れを拒否された末、死亡した。そんな記事を見るたび、「これからの救急の課題は情報だ」と痛感する。

 現場と病院が情報を共有すれば、患者のたらい回しをなくせ、治療時間もさらに短縮できる。

 救急隊員からの音声情報を文字に変換して病院へ送信する一方、事前に入力された当番医などの情報を基にコンピューターが受け入れ先の病院まで誘導する――。工学部教授と連携し、研究してきたソフトがようやく完成。昨年8月には、岐阜市の防災訓練で試験運用され、県外の消防本部からも「実用化したい」と問い合わせがあった。

 「過疎地や山間部の医師不足は深刻で、救急の診療体制はすでに崩壊している。一刻も早く、市民が安心できる体制に変えるのが、私の仕事だ」。突き動かしているのは、強烈な使命感だった。 (敬称略、譜久村真樹)

 医師不足や年金記録漏れ、相次ぐ偽装問題など、社会への信頼は揺らぎ、市民生活にも深刻な影を落とす。様々な分野で、制度の崩壊を懸念する声も上がる。そんな混迷の時代に、不安を払しょくしようと、情熱を傾け、ひたむきに取り組む人たちを紹介する。

導入は現在11道県

 ドクターヘリ
 人工呼吸器や心電図など医療機器を備えた専門のヘリが、病院などに常駐し、要請から5分程度で医師を乗せ、現場へ急行する。現場の医師らが、重傷のやけどや四肢切断など、生命の危機が迫っていると判断した場合、出動を要請する。地方の「医療過疎」に対応する切り札としても期待されていたが、多額な維持費用などから、導入はこれまで北海道や愛知県など11道県にとどまっている。


九死に一生 「10分遅かったら…」

NPO救急ヘリ病院ネットワーク理事長 国松孝次氏


「救急医療についての議論を深めて」と語る国松氏(東京・千代田区で)=関口寛人撮影

 ドクターヘリの全国配備を目指す特別措置法の施行について、元警察庁長官で、ドクターヘリの普及活動を続けるNPO「救急ヘリ病院ネットワーク」の国松孝次理事長(70)にインタビューし、今後の課題などを聞いた。

 国松さんは1995年3月、東京・荒川区の自宅マンション前で何者かに狙撃されて重傷を負ったが、奇跡的に助かり、約3か月後に復帰。退任後は駐スイス大使などを経験し、2003年、同ネットワークの理事長を引き受けた。

 活動のきっかけについて、国松さんは「狙撃されて重傷を負った時、現場から30分で病院に着いた。動脈が切れ、すごい出血だった。何とか一命を取りとめたのは、名医のおかげかと思ったら、その医師に『あと10分遅かったら助かってない』と言われ、救急搬送の重要さを痛感した」と語った。

 国は01年度から、救命救急センターがドクターヘリを配備する場合、年間経費1億7000万円を上限に国と都道府県が半分ずつ補助する事業を始めたが、自治体の財政難から配備は進まなかった。このため特措法では、補助制度に加え、民間から寄付を募って基金を創設する制度を盛り込み、各自治体の財政負担の軽減を図っている。

 特措法の成立について、国松さんは「日本は欧米に比べ、ドクターヘリの配備が著しく遅れ、医療過疎といわれる所では、助かる命が助からないケースもある。法の成立で全国配備に向けた土台はできた。今後は、土台の上に立派な家が建つよう、私たちも努力したい」と歓迎した。

救命救急センターへの
平均搬送時間

東京 15分

愛知 25分

岐阜 30分

三重 60分

長崎 90分

(救急ヘリ病院ネットワーク試算)

 また、課題には、「財源と救急医の確保」を挙げ、「財政規模の小さな県にとっては約1億円の負担は小さくないが、命を救うという観点で、判断してほしい」と付け加えた。

 同ネットワークによると、救命救急センターへの平均搬送時間を試算した結果、各県の同センターの整備状況によって、最大6倍の差があるという。最短は東京都の約15分、最長は長崎県の約90分で、東海3県では愛知約25分、岐阜約30分、三重約60分。

 国松さんは「住民にこうした実態を知ってもらい、救急医療についての議論を深めることも重要だ」と強調。「ドクターヘリを使えば救命率が高くなり、予後もいい。医療費も安く済むという研究結果もある。各自治体は早急に検討会を設置するなどしてほしい」と呼びかけている。


2008年1月4日  読売新聞)
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