2005年8月11日(木) |
<日本人は物事を決めるのにその場の「空気」で決める> 吉田満は一九七八年四月、東奥情報懇談会上十三例会で「責任者の決断」と題して講演した。戦史をたどりながら折々の責任者の決断を論じる中で、評論家山本七平が著した「空気の研究」を引用し、戦艦大和を沖縄に特攻出撃させたときの海軍の「空気」について語った。 −山本七平は「日本人は物事を決めるのにその場の空気で決める」と言っている。危機的な状況に際して、論理など通じない「空気」になっていたのだろう。 実際、当時の責任者の一人だった軍令部次長、小沢治三郎中将は終戦後「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」と証言している。 重要な意思決定に空気が作用する。それはあまりに日本的な光景だ。 山本七平は「空気」をキーワードに日本社会の特殊性を解き明かした。 空気とは「非常に強固でほぼ絶対的な支配力を持つ判断基準」であり、それに抵抗する者を社会的に葬るほどの力を持つ超能力である−と定義、大和の実例で説く。 作戦を立てたのは素人ではない。戦闘機の護衛のない「裸戦艦」は戦力にならず、敵の餌食となって沈められるだけなのをよく知っていた、海軍の専門家たちである。 実は、沖縄戦に先立つサイパン陥落時にも同様の大和出撃案が出されたが、軍令部は「目的地に到達できない。たとえ到達できたとしても艦が無傷でなければ主砲を撃てない」というまっとうな理由で退けた。 論理的には、サイパン行きが駄目なら沖縄行きも却下のはずだ。妥当とするデータや根拠は全くない。だが、巨額の税金をつぎ込んで造った世界一の戦艦が何のお役にも立てないのでは国民に相済まない、という議論になると誰もが黙る。その空気に支配された人々が最悪の選択をした。なぜ、と問われても「あのときはそうせざるを得なかった」と答えるしかない。まさしく超能力だ。 戦後になっても「空気」が猛威を振るっている、とみる山本七平は、その超能力に対抗するには「水を差す」のが一番だと教える。あなたの言っていることには意味がない、と言えばいい。 −たとえば、太平洋戦争が始まるときでも「そういったって石油がないじゃないか」と新聞が一言書けば、あれだけの「空気」も瞬時に崩し得たかも知れません。(「空気の思想史」) だが、新聞は軍部の尻馬に乗るだけだった。 吉田満もエッセー「海軍という世界」に似たようなことを書いている。 海軍の人間はきびきびとさりげなく「シレッと」行動するのを好んだ。 −しかし今度の戦争で、その開始から終局まで陸軍を中心とする無思慮と蛮勇に海軍が押し切られる場面が多かったのは、シレッとし過ぎた結果ともいえるのではないか。いつの頃からか、ネーヴィーの伝統に一種のエリート意識、みずからの手を汚すことを潔しとせぬ貴族趣味が加わり、受け入れ難い相手とトコトンまで争わずに、自分の主張、確信だけを出して事を決着する正念場から身を引くという通弊が生まれた。 誰もが水を差す勇気を欠いたのだった。 だが、水も万能ではない。しょせん空気を壊すだけ。水を差すだけの否定的人間ばかりでは何もできない。「水を差す」行為を超えて、今後どうしていったらいいのかが一番大きな課題だと、この日本人論の大家は書き残した。 |