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評価 |
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推薦 |
日付 |
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サブ |
14 |
0 |
01/04 09:54 |
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F-Taro |
21 |
1 |
01/04 09:25 |
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「けなし屋」への対処方法
けなし屋のやりかたは、大方、以下の方法によります。--- 1. 文章の本筋とは関係ない「間違い」を見つけ、そこを集中的に攻める。 2. 文章の部分が間違っている → 全体が間違っている、という印象で攻撃のための文章を書く。 3. 文章の全体が間違っている → それを書いた人自身が間違っている、として、人格攻撃に移る。 4. その人格攻撃の結果のみを、他の掲示板その他で「晒し」、広める。 --- そして、対処は以下のようにします。 --- 1. まずは完全に無視すること。 2. 瑣末なことと本質的なことをきちんと区別して反論し表現すること 3. 誠実、かつまじめに対応すること 4. 「です・ます」調でていねいに答えること 5. 正々堂々とすること ひと言へのコメント |
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大谷憲史 |
52 |
0 |
01/04 02:53 |
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くるくるり |
74 |
11 |
01/04 00:42 |
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小澤健二 |
80 |
1 |
01/04 00:00 |
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予想通りで予想外!?
正月早々、「問題提起」してしまい、大変恐縮しております。また、それに関して賛否両論色々なコメントありがとうございます。 このテーマに関して万人が納得するような「答え」は恐らくなく、これを読んだ方々がそれぞれ心の中から導き出すものなのだと思います。 これは僕が「オーマイニュース」に関わるようになってからずっと思っていたことで、いつか記事にしようと思っていたのですが、「総攻撃」を食らうのが怖くてずっと書けずにいましたが、変な「モヤモヤ」を抱えて年を越すのは嫌だったので「玉砕」覚悟で書くことにしました。 ここで予想外だった事がふたつありました。 ひとつはこの記事が掲載されたこと。 自分で読んでみてもかなり刺激的な文章で、「炎上」するかもしれないハイリスクなものを掲載してくれた編集部の決断に驚きと感謝の気持ちで一杯です。 そしてもうひとつは皆さんの論調が冷静だったことです。 中には当然「予想通り・・」と言うものもありますが、「総攻撃」も覚悟していただけに、皆さんのご意見を拝見して、怖かったけど書いてよかったと思っております。 この文章が「オーマイニュース」に「一石」を投じることが出来れば他に何も望むことはありません。 ひと言へのコメント |
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新緑 |
85 |
9 |
01/03 21:09 |
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全力失笑 |
93 |
14 |
01/03 18:08 |
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なるさす |
110 |
24 |
01/03 17:43 |
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くるくるりさんに同意
記者氏の言う「けなし屋」ってのが誰なのかさっぱりわからない。具体的な内容がわからないから、どこまでが批判でどこからけなし屋と 定義しているのか判断のしようがない。 とりあえず、記者氏の言う「けなし屋」ってのがどの記事のなんという 人のコメントなのかを言ってください。 ただね、たたかれる記事ってのは、相応の理由があることは知っておくべき。 たとえば島田記者の書いたウトロの記事や、小澤記者自身の オキナワの記事、これらは無痴と思い込みによって方向付けられた 偏向記事だと断言できる。 ああいう記事に大して「敬意」や「優しさ」を持って接する必要性を 私は感じない。 むしろああいう記事によって間違った知識を仕入れてしまうことを 防ぐ意味では、きついコメントこそ必要だと思うけど。 基本的な間違いや知識不足を指摘されたり、表現方法について 批判を受けたりする記者はたくさんいる。 でもそれらのコメントを受け止め、成長してきた市民記者だって たくさんいる。 そんな中で辞めていく記者がいるのも、それはしょうがないと思う。 記者氏の言葉を借りて「批判や誤解を恐れずにあえて書かせて もらえば」、100人の記者が登録したとして、100人全員を保護する 必要があるのか? 枯れ木も山の賑わい的に、質を考えず量だけ増やすことに意味が あるのか? 明らかな間違いを犯している記事や、自身の思想を押し付けるためだけの 記事を掲載し続ける意味はあるのか? ってこと。 記者としての責任について実名云々言ってるけど、なにより重視されるのは 記事の内容とその後の対応ではないのかな? 小澤記者はオキナワの記事に対する意見反論に対しまったくと 言っていいほどコメントを返してないけど、それはオーマイ的に どうなのよ、と問いたい。 記事に対しコメントを発し、記者自身からそれに対する意見が 帰ってくるシステムこそがオーマイなんじゃない? ただ自分の好きなことを書いて満足したいなら、それこそブログでも 持てばいいわけで。 「オーマイで記事を書く」ということを軽く考えすぎじゃないかな? 私は、記者としての本当の責任とは、自分の書いた記事と読者に対し 最後までしっかりと向き合うことだと思うけど、違うかな? 結局小澤記者が言いたいのは「記事を書くのは大変なんだから お前らもっと優しくしろよ」ってことでしょうか? ひと言へのコメント |
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くるくるり |
185 |
31 |
01/03 09:34 |
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貶し屋は誰
検索できる範囲で小澤さんの記事のコメント欄を追ってみたんだけど。全く誰のことを言っているのかわからなかった。 この記事に書いているような人格攻撃も見当たらなかった。 記事の内容からすると全力失笑さんと新緑さんのことかな。 だとすればこの記事はただの恨み節でしかない。 上記お二方にたいする記者さんの対応は最初からけんか腰であり、 読者からしたら不快なものでしかなかった。 そもそもこのお二方のコメントは至極真っ当で的を射ているものに思えたけど。 オーマイニュースにオピニオン会員といわれてた人たちがいなくなってから、(いやこのオピニオンの中にも人格攻撃をしている人はほんの一部だったのだけれども、)コメント欄であんたそれはないでしょうといえるコメントを連発してたのってあのmintさんくらいだったでしょ。 そのm○ntさんだって打率5割くらいでまともなことを言っていたわけで。 このオーマイニュースという場所でなんどもなんども言われ続けていることなんだけど、 人様に自分の記事を発表するってことはどういうことなのか。 考えが浅い記者がいまだに多すぎる気がする。 まあこの記事のコメント欄の流れを見ているとああオーマイニュースも変わったんだなと思う。 何この公開SNS。 そういうのを求めている人たちにはいい方向に進んでいるんですね。 ひと言へのコメント |
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KA |
209 |
4 |
01/03 04:28 |
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いろいろ意見が出ていますが
Cyhyraethさんには申し訳ないですが,酷い言葉を浴びせる行為をテクニックなどと呼ぶのは 私には賛同できないです. 記事の内容が不十分だからといって 記者さんを傷つける行為は許されないし, そんなに相手にして欲しければ, 建設的な意見を添えるなどの配慮をすることを優先すべきだ と思います. それが出来ない人は, ネットの世界でお山の大将をやっているようにしか 私には映らないです. 確かに,コメント欄で指摘される点について, 参考になるものは多々あると,私もそう思っています. ただ,全面的に賛同するのは,どうなんでしょう. 私が関わったコメンテーターの中にも 間違った意見を時々する人がいましたが, 逆に私からコメンテーターにそれを指摘する場合, 日頃からひどい言葉を浴びせる人に限って 最後まで認めたがらなかったり, その後全く反応がなかったりする人がちらほらいました. せめて,いい加減なことを指摘する人は 後で責任もってきちんと謝って欲しいというのが本音であります. そういう人は,メリットよりデメリットの方が大きい存在なので コメンテーターとして失格だと思っています. そういうコメンテーターも必要だ, というご意見もあるかも知れませんし, その考え自体は尊重しますが, 個人的には,コメンテーターに関して媚を売っているような感覚が 私の中にはまだ残っています. ひと言へのコメント |
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通りすがり |
190 |
31 |
01/03 02:57 |
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親方「五星紅旗」?!
記事の内容には部分的には賛成です。おっしゃるように、建設的でない中傷コメントをする人はいますよね。ただ、たとえば記者さんによる『親方「五星紅旗」?!』の記事のやり取りを見ていると、冷静に記事を批評してくれている人にたいして記者さんが失礼な言葉遣いのコメントを返していることも散見されます。「批評家」なのに、記者さんによって「けなし屋」に分類されている人もいるようにも感じられます。 また、『親方「五星紅旗」?!』の記事の書き方に、逆に、「けなし屋」の要素があるようにも見えます。記事を読んで、航空会社のサービスが低いことは理解できましたし、それを批評することも自由です。しかし、 >「まあ、しょせん中国の会社だからな……」 これは記者さんの基準で言っても、批評家のコメントではなく、「けなし屋」のコメントでしょう。 さらに、私は「記事を書いた方が批評する方より偉い」という意見には賛成できません。 レストランでまずいものを出されて文句を言ったとします。コックが出てきて「料理は食べる方よりも作る方がえらいんですよ。出される料理がなければ食べることも批評することもできないですから」と言った場合に納得できる人などいないでしょう。 こういう観点で見ると、記者さんの記事の書き方やコメントの仕方が「けなし屋」を集めている面もあるのではないかと思います。記事の内容が非常に面白くても、書き方などで反発を買ってしまい、損をしているように見えることがあります。 ひと言へのコメント |
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神倉山 |
150 |
19 |
01/03 02:52 |
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じぇじぇ |
165 |
17 |
01/03 01:09 |
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高橋篤哉: |
186 |
3 |
01/02 23:39 |
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ハンミョウ |
215 |
3 |
01/02 19:03 |
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sally |
279 |
31 |
01/02 18:04 |
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ジャオ |
257 |
16 |
01/02 16:05 |
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闘ってやるっ ヽ(`⌒´メ)ノ
私にとっては「記事に一言」は本当に勉強になります。小澤さんの言う「ケナシ屋」さんも含めてです。 日本人の考え方、特に中国人との違いを一番意識できるのはこのコメント欄です。一般の掲示板と違って、少なくともどのペンネームの人がどんなコメントをしているかがわかるだけ、そこから先へ進みようもあります。 Cyhyraethさん、ご隠居さん、nowaさんなどとはずいぶん言い争いをして、時にはグヤジー(≧ヘ≦)という気になりますが、相手を言い負かすために勉強もさせられますし、私はけっこう楽しんでます。 (^O^) 文章経国之大業、不朽之盛事!(文を書くのは国を治めるのと同じぐらい大変、将来に残る事業)っていいますが、ホントですね。私は気楽過ぎますが・・・・ 秋瑾 ひと言へのコメント |
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Cyhyraeth |
290 |
28 |
01/02 10:49 |
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「けなし屋」か
そういうの相手にいちいち疲弊するのもどうかと思うが。> 「こんなくだらないことを書くとは、まったくどうしようもない人間だ」 > 「こいつは一体何様のつもりなのだろう。」 > 「よくも恥ずかしくもなくこんなことを書けるものだ。」 > 「こんな色付きの記事を書くとは何を考えているのだろう」 俺もよく似たようなコメント書くけどさ(俺以外に書いてる人あんまり見たことないけど)、記事の中の誤りや矛盾の指摘に対して全く応えようとしない記者を引っ張り出すためのテクニックって認識しといて欲しいな。あまり成功した事ないけど。 あと、 > 僕の記事はあくまでも自分の主観で書いたものがほとんどである。要するに自分が思ったことをストレートに書き連ねていくというスタイルだ。 無料のブログサービスだけでも掃いて捨てるほどある現状で、それでも(実名と銀行口座まで教えてまで)OMNに投稿する理由は何だろうな? ひと言へのコメント |
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じぇじぇ |
266 |
36 |
01/02 10:12 |
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“けなし屋”も大事
・・と受け止めている自分がいます。なぜなら、“ほめ上手は、けなし上手”でもある、と受けとめているからです。 ですが私が言う、その“けなし屋”たちは、小澤記者が言うところの >辛口コメンテーターや批評家など、耳の痛いことを書く人のことではない。人を馬鹿にすることを目的に、無意味に記事や記者を「攻撃」する「けなし屋」だ。 と重なる人たち、でもあります。小澤記者自身、“辛口※者”の存在を切り分けていますので、その点は理解されてる方なんだろうとは思います。 私の場合、オーマイデビュー記事にその“けなし屋”※が散乱しました。でも未だにこのオーマイから離れていません。1番の理由は、“くそぉ~自分が伝えたかったこと分かってもらうぞぉ”という意地があったからです。1本や2本書いて、ちょっと叩かれたと言って、やめた人は根性が柔だっただけではないでしょうか。そういう方はきっと一般社会でも、“親が薦めるからこの会社に入ったの。でも・・・”とか、“仕事は好きだけど、でも上司が煩いから辞める”などという思考の方なのではないのかなぁと感じます。 >そこで編集部に提案したいのだが、コメントも実名以外は認めないようにしたらいかがだろうかと思うのだ。 そうではなく、“登録者は全員、プロフィール欄を開放してもらうこと”を条件にしたほうがいいと思います。そしてプロフィール欄には、“在住都道府県・年齢”などの最低項目は、記入必須とすることから始めたほうがいいのでは。実名・匿名論争はホントに意味がないことです。創刊当初から登録の方の中には既にご存じの方が多いと思いますが、私の名前は確かに戸籍名です。ですがもう、日本にいる間は、通称名(フルネーム違います)で仕事をしてきたので、戸籍名であって匿名のようなものです。通称名で銀行口座も持っています。だからと言って、“ちょっとやそっと穴があってもいいだろう。まぁ適当な記事でいいだろう”なんて1回も思ったことありません。 “人格を完全否定する”※は良くないと思う。でもそれ以外の辛口※者には、そういう人たちにも自分の思いを納得してもらえるような記事を書く努力をすればいいだけではないでしょうか。努力し続けても、毎度、そんな※を書く人には、他のコメント者が批判しているさまも見受けられます。 ひと言へのコメント |
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こみー |
186 |
4 |
01/02 10:07 |
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冥王星 |
194 |
16 |
01/02 09:45 |
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確かに
いますね。「けなし屋」と思われる市民記者が。私もそれらしい方とコメント欄でバトルをしたことがありますが、認識の共有を目指すのではなく、単なる批判のための批判でしかなく、時間の無駄だなぁと思ったこともありました。 ましてプロフィールも市民記者に公開していないし、公平じゃないなぁと思っています。 まぁ私の場合、徹底して理不尽と思われるコメントに対しては、私なりの方法で反論しますので、また「こいつか」って思う程度ですが。 でも、人は色々いますから、嫌気がさす方もいるでしょうね。 記事を公開するということは、誹謗中傷は論外として、厳しい的を得たコメントもあるわけですし、その点はある程度覚悟は必要でしょうね。 まぁ的を得た厳しいコメントであっても命までとられるわけ無いのですし、そこを楽しむ余裕も必要かなぁと。。それが、また次の記事につながればいいかなぁと。 ひと言へのコメント |