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槍ケ岳雪崩:34年前にも同様事故 危険性への切実感は?

 北アルプスの槍ケ岳で登山者4人が亡くなった雪崩事故。現場と極めて近い場所で、ほぼ同じパターンの遭難が、30年以上前にもあった。私は当時、京都大山岳部員として登山中、雪崩に遭い、大切な仲間を失った。ニュースを聞いて「あの時の教訓がなぜ生かされなかったのか」という、やりきれない“既視感”にとらわれた。

 1973年11月20日未明、槍ケ岳に合宿へ向かっていた山岳部のパーティー22人がテントで就寝中、雪崩に遭い5人が亡くなった。当時も厳しい冬型の気圧配置で、胸までのラッセル。目的地点にたどり着けず、今回の事故の現場となった槍平小屋から数百メートル進んだ所で4張りのテントを設営した。

 午前零時35分ごろ、「ザザーッ」という音と共に新雪雪崩が襲った。テントは数十センチ~1メートル余りの雪に埋もれた。寝袋に入っていた私は全身が圧迫され、身動きが取れなくなった。当時の事故報告書はテント1張り当たりの雪の荷重を540~1080キログラムと推定している。

 たまたま寝返りをうって横向きに寝ていた私は、顔の前に空間があり、呼吸ができた。しかし、あお向けに寝ていた友人はテントの布で顔を覆われ、身動きもならずに窒息死した。埋もれ方が浅かったテントから先に脱出した仲間が、残りのテント上の雪を掘り、数十分後に何とか体を動かせるようになり、ナイフでテントを切り裂いて脱出した。仲間の助けがなければ自力脱出は無理だったろう。

 私たちを襲ったのはテントごと流されてしまうような大規模な雪崩ではなかった。それでも、大半のメンバーが動けなくなった。一歩違えば全員遭難の可能性もあった。

 当時の私たちは雪崩の危険がある場所にテントを張ったことに加え、「天候判断の甘さ」を厳しく批判された。

 今回の遭難場所は山小屋にも近く、雪崩には比較的安全性が高いと考えられていた。しかし、年末年始に天候が悪化することは分かっていた。そんな状況で、雪崩の危険にどれほどの切実感を持ってテント地を選定したのだろうか。その判断を十分に検証していく必要があるだろう。【京都支局・榊原雅晴】

毎日新聞 2008年1月1日 21時58分

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