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任天堂社長「ゲームの敵だったお母さんが買ってくれれば」

2008年01月04日

 街角では老若男女が脳を鍛え、大学など教育現場にも進出した「ニンテンドーDS」。体を動かすスタイルが受け、長くお茶の間の主役の座にいたテレビ番組を脅かしつつある「Wii」。ここ1年ほどでゲーム機は「頭や体に悪い」といったイメージを覆し、瞬く間に人々の生活に深く入り込んだ。仕掛け人である任天堂の岩田聡社長(48)に、ゲームと家族との新しい関係を聞いた。(聞き手・曽根宏司=大阪本社経済エディター)

写真任天堂の岩田聡社長=26日、京都市南区の任天堂本社で
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      ◇

 ――WiiとDSがこれほどまでヒットしたのはなぜでしょうか。

 両機種が目指した「ゲーム人口を増やす」という戦略が正しかったということだと思う。数年前はゲームをする人が減り、「勉強の邪魔になる」「犯罪の原因になる」などネガティブな話題が多かった。04年に発売したDSは、誰からも嫌われない存在になることを狙った。

 ――具体的にはどんな工夫をしたのですか。

 ゲームをしない人に理由を聞くと、難しすぎる、時間がかかりすぎるという答えが圧倒的に多かった。着目したのは簡単に操作でき、電車の待ち時間など細切れの時間に入り込めるゲーム機と、これまで無縁だった人が興味を持ってくれるソフト。複雑なボタン操作はできなくても、ペンで書くことはできる。それで、DSとそのソフト「脳を鍛える大人のDSトレーニング」が社会現象になり、Wiiのヒットにもつながった。

 ――ヒットは予想通りということですか。

 いえいえ。そう言えれば格好いいが、ゲームというのはお客様に驚いてもらえなければ売れないので、理詰めでヒットはさせられない。そして、すぐに飽きられるのが宿命。今は両機種を超える商品を生み出さなければというやりがいと、プレッシャーを感じている。

 ――リモコンを振って操作するWiiは、体を動かす遊び方が売りですね。

 操作が簡単という意味ではDSの延長線上にあるが、リビングに置くという点がはっきり違う。大画面テレビが増える中で、どういうゲーム機を作れるか。高精細なグラフィックや壮大なストーリーを目指すという選択肢もあったが、それではゲーム人口は増えない。出した答えが画面に入って本当にスポーツをする感覚で体を動かす、体感型のゲームだった。

 ――一人ではなく、家族で楽しんでいる人も多いようです。

 茶の間のテレビに人が集まっていたのが20世紀のだんらんの形。そこにファミコンが現れ、家族でコントローラーを奪い合った。ゲームにとって幸せな時代だった。なのに、いつの間にかコントローラーは複雑になり、お父さんやお母さんに後ずさりされるようになった。Wiiが提案するのは、ゲームを中心に家族が笑い合い、話し合う新しいライフスタイルで、21世紀型のだんらんだ。

 ――家族のあり方も変えてきたわけですね。

 面白い娯楽をつくったら、それで終わりというのではなく、忙しい現代人にも、これなら私もできるというゲームを提案している。ヒットしたソフトの多くも、世代間のコミュニケーションを生み出す力をもたらし、対話がなかった孫と祖父が話をするきっかけをつくった。かつてゲームの敵だったお母さんが率先して買ってくれるようになれば、業界の未来は明るい。

 ――任天堂と他社で、ものづくりのスタイルに違いはありますか。

 何が人を驚かせ、面白がらせるのかを感じられるのは少数の特別な感性を持つ人だけなので、個の力がとても大きい。その意味では一般の製造業と違う部分があるかもしれない。

 ただ、プログラムを作って商品化するには、たくさんの人間でトラブルや問題点を一つ一つつぶす地味な仕事も重要だ。個と組織の力の両方が無ければ面白いゲームは生まれない。任天堂の良いところは、年齢や社歴にとらわれず、優れた個人の才能にすべての社員が敬意を持ち、組織として全力で支援することだ。

 ――中途入社した岩田社長は、任天堂にどのような影響を与えたのでしょうか。

 外から見た任天堂の姿が分かる利点はある。それは任天堂に限らず経営者には必要な視点で、当時の任天堂には幹部候補を社外に出向させるといった余裕はなかったので外にいた私に白羽の矢が立った。インターネット対応など、時代や環境に合わせて変えた部分はある。だが、外から来た僕が新しいことに手を出して任天堂の良さをつぶすことは許されない。

 ――工場を持たないなど、経営スタイルにiPodを生んだ米アップルとの共通点を感じます。

 私自身も長年アップル製品の愛用者だが、経営者としてモデルにしたことはない。「品ぞろえを絞る」「シンプルな製品をつくる」「驚きや新しいライフスタイルを提案する」といった両社の共通点は、アップルがエレクトロニクス会社として、任天堂がゲーム会社としてやるべきことを追求した結果、自然に行き着いた形だと思う。

 ――携帯電話もゲーム機能があり高機能化が進んでいます。手ごわいライバルになりませんか。

 通信機能を持つなど共通点は多い。ただ、携帯は1台で通話もメールもゲームもテレビもと、万能端末に向かっている。その結果、説明書はとんでもなく分厚くなり、エンジニア出身の私でさえ機能の把握は難しい。その点DSは、説明書なしでも使える。分かりやすさは、難しいと遊んでもらえないゲーム作りで磨いた任天堂の強みだ。

 ――08年は、我々にどんな「驚き」を与えてくれるのでしょう。

 DSが通信機能を生かし、情報端末になる。国内で約2千万台も普及しているのだから、ゲームだけではもったいない。例えば電車を降り、DSに情報をダウンロードすれば駅周辺の地図やお店の案内などが見られる、などの使い方を考えている。今後駅や地下街、飲食店など、無線LANの設備があるところを中心にDSをネット接続できる場所を増やしていく。

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 《いわた・さとる》 1959年、北海道生まれ。高校在学中の76年に、プログラムが可能な電卓で初めてゲームを作る。東京工業大に進んでからもプログラミングに没頭し、82年に卒業すると、学生時代からアルバイトで働いていたコンピューター関連のハル研究所に入社した。83年に発売されたファミリーコンピュータ向けのゲーム作りを任天堂から請け負い、「バルーンファイト」などのヒット作品を生む。経営難に陥ったハル研究所の社長に93年に就き、任天堂の資金支援を受けて会社の再建を進めた。00年に山内溥(ひろし)社長(当時)の誘いで任天堂に入り、02年に後継指名を受けて、42歳で社長に就任した。

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