空高く春を謳う
 部活動も、お正月の三が日は流石に休み。久々の休暇は、むしろ日頃練習で時間を過ごしている野球部員にとっては、暇すぎて何をすれば良いのか分からない状況らしい。
 田島から「暇だー」というメールを受け取って、三橋は自分と同じ状況に置かれている彼の様子を思い浮かべ苦笑した。きっと床に寝転がり、じたばたと暴れているに違いない。
「お、れ、も……たいく、つ……」
 携帯電話の小さな画面を真正面に見つめ、一文字ずつ口に出して文章を打ち込んでいく。膝の上に載せたクッションを肘で押し潰し、ソファの上で小さく身体を丸めた三橋は、どうにか完成した文面を頭から読み返し、これでよし、と頷いて送信ボタンを押した。
 画面が紙飛行機の図柄に切り替わり、遠くへと飛んでいく。
「ふー……」
 早く部活が始まれば良いのに。デパートで買ってきたというおせち料理は美味しかったが、やっぱり汗を流した後にグラウンドで食べるおにぎりの味には敵わない。
 部員の中には何人か、田舎に帰るというメンバーも居たので、全員が揃うのは始業式になってからだ。
 自分も群馬に帰るかどうか判断を任せられたのだが、今年は野球に打ち込みたいという理由で断った。祖父に会いづらいというのもある、自分の我が儘で三星を出て行ったわけだから、まだ直接顔を合わせるのは恐かった。
 両親だけは、流石に年始の挨拶に出向かないわけにはいかないと、昨晩から実家に帰っている。だから今は、家にひとりきり。おせち料理は食べきっても良いと言い残されているものの、三段もあるお重をひとりで片づけるのは流石に無謀だ。
 お腹一杯、眠くもなる。
 携帯電話を閉じ、ズボンの後ろポケットに押し込んで立ち上がる。抱えていたクッションは横に退かして、三橋は壁の時計を見上げた。
 テレビをつけても面白い番組は無くて、欠伸を噛み殺してどうやって夕方まで過ごそうかを考える。宿題をするのが一番良いのだが、そんな気分でも無く、自堕落に寝て過ごそうかと部屋に戻る道を行こうとした三橋だったが。
「……う?」
 外でカタン、という音が聞こえて、足を止める。一緒に首も傾げて振り返った彼は、何だろうかと忍び足で庭を見渡せる大きな窓に近づいた。冷たいガラス板に手を添え、額も押し当てて様子を窺う。
 走り去る自転車の後ろ姿が見えて、一瞬考え込んだ彼は、
「年賀状!」
 思い当たる節に行き当たり、ゴツンと勢いよく窓にぶつかって目の前に星を散らせた。
 そういえばまだ届いて居なかったのだ、と慌てて踵を返して玄関へ向かう。慌ただしく草履を爪先に引っかけて鍵を開け、植物だらけの庭を横断して表へと駆け出した。
 閉じている門から上半身を乗り出した三橋の目にはもう配達員の姿は見えなかったが、郵便受けを覗き込むと想像通り、中には束になった年賀状が押し込められていた。
 蓋を引っ張って取り出し、両手で大事に抱え込む。両親の分もあるので、量はそれなりに多い。自分にも届いているだろうか、逸る気持ちを抑えて三橋はポストを元の状態に戻すと、来た道を足音響かせて走った。
 玄関を閉め、暖房が効いているリビングへ滑り込む。たった数分間だけだったのに外の冷気は痛いくらいに肌を刺して、冷え切った身体を温めながら三橋は葉書を一枚ずつ丁寧に紐解いていった。
 父親へ届いた分、母親へ届いた分、そして自分への。中学時代は誰からも貰えなかったのを思い出すと急にしんみりしてしまって、泣きそうになった目元を乱暴に擦って涙を堪えた。
「阿部君から、だ」
 太めの字で、そこそこ丁寧に書かれている癖字に自然と表情が緩む。
 チームメイトほぼ全員から、賀状は届いていた。他には監督に、マネージャーに、浜田からも。みんな、どんな顔をしながらこれを書いてくれたのだろう。想像すると怪しい笑いがこみ上げてきて、他に誰も居なくて良かったと心から思いつつ、三橋は最後の一枚を父親宛ての山に置いた。
 手の中が空っぽになり、広げた掌を胸に押し当てて三橋は膝を丸める。
「来る、わけ……ない、もんね」
 だってあの人は、此処の住所を知らない筈だ。教えていないから当然だが。
 反対に、自分も彼の住所を知らない、家の在処も。知っているのは名前、学校、携帯番号、メールアドレス。
 左利き、背が高い、急速は自分と違って凄い。ちょっと我が儘で乱暴だけど、根は優しくていい人。
 三橋は俯かせた顔を強引に持ち上げ、年賀状をまとめると自分の部屋へと戻った。静かすぎる家の中は足音が嫌に響いて、耳を覆いたくなりながら彼は机の引き出しを開け、中に入れていたものを取り出す。
 出し損ねた年賀状、絵柄はパソコンで父親が作ってくれたものだが、文章は自分で頑張って書いた。宛名も、手書きにしてみた。そうすることで、一枚ずつ相手の顔を思い浮かべる事が出来るから。
 けれど彼が取り出した分には、宛先が書かれていない。余分に作った残りでない事は、裏面の絵の隣にメッセージが書かれている事から分かる。
 出したくても出せなかった年賀状だ。
 住所が記載されていないから、相手に届かない。ポストに投函されても、郵便局員が困るだけ。
 だから出さなかった、手渡し出来れば良いと思っていたけれど、休みの予定を聞きそびれたまま年を越してしまい、タイミングを見失って結局連絡を取る事も無かった。
 他の人に宛てたものよりもほんの少し緊張した文字が並んでいる。それを三橋は右上から左下へ読み、溜息と共に再び引き出しへ戻そうと腕を下ろした。
「うっ」
 そこへ、ポケットに入れたままだった携帯電話が唐突に震えた。後ろから押されたような衝撃に身悶え、椅子の背凭れにぶつかった三橋はぜいぜい息を吐きながらそれを取り出し、広げた。
 メールの着信、差出人は。
「……」
 一瞬限界まで目を見開き、三橋はゆっくりとボタンを押した。呼び出された画面には、謹賀新年と実に素っ気なく、飾り気の無い正月を祝う文字が並んでいる。
「あれ」
 これで終わりかと思いきや、スクロールバーが短い。空白を置いて下にまだ文章が続いているのに遅れて気付いた彼は、ゆっくりと下向きの矢印を押して続きを探した。
 そうしてやっと出てきた文面に目を通し、三橋は再び目を見開き、慌てて窓の外に顔を向けた。
「う、あ……うあっ」
 どうしよう、急がないと。途端に焦りが先走り、先ず何をすれば良いのかが分からなくて三橋は慌てた。弾みで椅子の脚に足を引っかけて派手に転び、額を床に擦りつけてその痛みに涙する。
 ドタバタと騒々しい音と埃が一緒になって舞い上がり、赤くなった顔を上げた彼は、無事だった携帯電話に記されている文章を再度目で追って、痛いのを堪えて起きあがった。
 首を左右に巡らせて上着を探し、鍵と携帯電話、そして仕舞い損ねていた年賀状とをセットにしてひっつかむ。足音響かせながら上着に袖を通して階段を駆け下り、その最中、三段を残して転げ落ちそうになったのをどうにか踏みとどまって、握りしめていた鍵束を鳴らしドアを開けた。
 吹き抜けた北風に身震いしながら外に出て、悴む指で懸命に鍵穴に鍵を通して横に捻る。踵を踏み付けた靴をその後できちんと履いて、三橋は白い息に目を細めた。
 見下ろした携帯電話の画面は、どさくさの最中に最初の待ち受けまで戻ってしまっていた。
 鍵をコートのポケットにねじ込み、冷たくなっていく手に息吹きかけて熱を呼び戻す。ふわふわの髪の毛を揺らした彼は、もう一度ぶるっと大きく震え、握りしめて角が曲がってしまった年賀状を慌てて膝で引き延ばした。
「え、と」
 何処だっただろう。記憶に焼き付けた文面を脳裏に呼び覚まし、三橋は丸い目を平たくして周囲を見回した。庭を抜けて、門を超えて道路に出る。振り返れば注連縄飾りを吊した玄関が見えた。
 正面に向き直り、右を向く。一直線に続く道路に等間隔で並ぶ電信柱、その影に。
 笑いを噛み殺している人の姿があった。
「はっ……!」
「わりー、あんまり面白いから」
 クク、と喉を鳴らしてまだ笑っている榛名が、驚きに口を菱形にしている三橋を手招いてマフラーを首から解く。自分の温もりがまだ残っているそれを駆け寄ってきた三橋の首に回して緩く結び、彼はもう一度、今度は真顔で「悪いな」と呟いた。
「忙しかったか?」
「う、ひ、暇、です」
 とっても、と消え入りそうな声で付け足せば、一瞬きょとんとした榛名はまた声を立てて笑った。
 そうかそうか、と機嫌良さそうに言って彼は三橋の背中を遠慮無しに叩き、痛さから逃げようとするのを後ろから捕まえてコートの上から脇を擽ってくる。
 しかし三橋が両腕をぎゅっと前で丸め込んでいるので巧くいかず、何を持っているのかと肩越しに覗き込んだ。
「なんだ、それ」
「うはっ、わ……こ、これ」
「ん?」
 解放されて前につんのめった三橋が、身を小さくしたまま振り返ってどうぞ、と頭を下げて差し出せば、榛名は怪訝に顔を顰めて彼の手からカードを引き抜く。表書きの無い年賀状を裏返し、僅かに眉を持ち上げて、彼は口を噤んだ。
 三橋がもじもじと、居心地悪そうに視線を足もとに落として両手を弄っている。
「ミハシ」
「はひっ」
「……早く暖かくなるといいな」
 白い歯を見せてニッと笑った榛名に言われ、三橋は一瞬首を傾げ、直後に勢いよく前に出て頷いた。
「はい!」
「いっぱい、見せてやるよ。だからお前も、勝ち残れよ?」
 野球帽を被ったネズミの絵が描かれた年賀状を三橋に向け、榛名が冬の空を見上げる。ウィンク混じりに言われ、三橋は照れくさそうにしながらはにかんだ。

『榛名さんの投げるトコ、もっといっぱい、見せてください』

 澄んだ青空に北風が溶けていく。
 春まで、あと少し。


2007/12/24 脱稿




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