雄図
 コンコン、とノックの音。
「はいはい、開いてますよ。開いてますとも」
 毎年この時期、最近は大体この日の時間。暗闇に紛れる格好で、大抵ひとりきりになった頃合いを見計らってやってくる、彼。
 ぶっきらぼうに返事をし、ドアの隙間から潜り込んでくる影を待って綱吉は頬杖を崩して溜息を零した。
「毎年、飽きないね。お前も」
「言っただろう?」
 含み笑いを口元に浮かべ、何が楽しいんだか、実に愉しげな男を睨み付け、綱吉は椅子を引いて仕方なしに立ち上がる。歩み寄ってくる彼を待ちかまえ、いつの間にやら追い抜かれてしまった背丈を恨めしげに見上げた。
 最初に約束をしたのは、ずっと昔。まさかこんなにも長く続くとは思ってもみなくて、当時の幼い自分を思い返すと情けないやら、恥ずかしいやら、格好悪いやら。
 ひとり百面相しながら落ち込んでいる綱吉の顎を人差し指で掬い上げ、男はいつもと同じ不敵な笑みで綱吉を見下ろす。
「有り難く思え、もらいに来てやったぞ」
「うう……」
 俺はちっとも有り難く無い。そう呟いた声を無視し、彼は不遜な態度で綱吉を引き寄せた。


 テレビはお正月特別番組ばかりで、面白くない。かといって、他に見るものもない。
 レンタルショップで映画でも借りてくれば良かった。しかし年末に店に行った時、観たいと思ったものはどれも貸し出し中だったから、きっと似たような考えの人が世の中には大勢居るのだろう。自分はそのスタートラインが、他の人よりもちょっと遅かっただけで。
「あーあぁ」
 つまんない、とリモコンを押してテレビを消し、綱吉はコタツの天板にだらしなく凭れ掛かった。
 顎を押し付け、背中を丸めて前屈みになる。奈々お手製の紺色の褞袍もあって、この寒い時期でも屋内はホカホカだ。コタツも良い具合に暖まっており、足先からじんわり染み込んで来る温もりに心までもが弛緩する。
 もぞもぞとコタツ布団から抜き取った手で、目の前の籠に積まれた蜜柑をひとつ取り、微かに漂う甘酸っぱい匂いに綱吉は顔をあげた。
 実に自堕落な正月である。自分でも分かっているが、わざわざ寒い外に遊びに行こうという気も起こらない。
 両手で蜜柑を掴み、蔕に近い箇所に親指を突き立てる。そのままぐっと力を込めると、柔らかな皮に爪が突き刺さり表面に穴が空いた。
 後は指を食い込ませ、捻りながら皮を剥いていくだけだ。途中で薄皮を破いてしまったようで指先に汁が散ったが、構わずに蜜柑を回しながら上から下に皮を身から分離していった。
 最後まで底辺にくっついていた箇所を引っ張り、綱吉の右手には薄皮に包まれたオレンジ色の身だけが残される。濃い茶色の天板では、白い筋を無数にこびり付けた皮が不恰好な花の形を作っていた。
 あとはこれを綺麗にしていくだけだ、と右手の蜜柑を左手に移し変え、綱吉は背筋を伸ばして座り直す。セーターの上に羽織った褞袍の袖が邪魔にならぬよう少しだけたくし上げ、毛細血管のように表面に張り付いている筋を、彼は丁寧に爪を使って一本ずつ取り除いた。
「がははは、ランボさんいただき!」
「ああ!」
 白い糸が皮の上に山を作り、やっと終わりが見えた頃。
 蜜柑に集中していた綱吉の斜め後ろから、いつの間に近くまで来ていたのか、ランボが飛びかかってきた。
 大口を開けた彼が、人の左手ごとかぶりつく。咄嗟に腕を引いて避けた綱吉だったが、逃げ遅れた蜜柑は敢え無くランボに囚われ、ひとくちで飲み込まれてしまった。
「ちょっ、ランボ。なにするんだよ!」
「へっへーんだ、もう食べちゃったもんねー」
 あっかんべー、と汁の散った唇を舐めたランボが生意気に舌を出して、油断していた綱吉が悪いと言い放つ。
 確かに蜜柑にばかり気を取られて背後への警戒を疎かにしていたのは間違いないが、自宅のコタツに入っている時にまで気を張ってなどいたくない。折角の正月なのだ、羽を伸ばしてのんびりしたいではないか。
「くう……また最初からか」
 五歳児にしてやられたと思うと悔しくてならないが、食べられてしまったものは仕方が無い。綱吉は涙を飲んでランボに振り上げようとしていた拳を下ろすと、その手で卓上の蜜柑籠を引き寄せた。
「ツナ兄、どうしたの?」
 力なく肩を落として蜜柑を剥いていたら、台所から出てきたフゥ太がリビングに顔を出す。
「んー?」
 やっとありつける、とさっきよりは手抜きで剥いた蜜柑を頬張っていたところで名前を呼ばれ、横を見た綱吉は近づいてくるフゥ太に首を傾げた。手に何か持っている、大事に握られているそれは、近くから見ると正体は直ぐに判明した。
 ぽち袋だ。
「フゥ太、それ」
「えへへー、ママンに貰ったんだ」
 いいでしょう、と可愛らしいネズミの絵柄が書かれた袋を掲げた彼に、綱吉は苦笑する。
「へえ、良かったな」
 袋の膨らみ具合から、中身は小銭だろう。その程度の額ならいつもお小遣いとして奈々から貰っているだろうに、それでも嬉しいらしい。恐らくはぽち袋に入れられたお年玉、だから。
「ランボさんも貰ったんだもんねー」
 お前まだいたのか、とすっかり忘れていたランボがコタツの反対側で急に声をあげる。イーピンも女の子らしい花柄の袋を見せてくれたので、奈々は全員に配ったようだ。
 自分は貰っていないぞ、と言いたくなったが、我慢する。毎月のお小遣いは既に貰っているから、それが彼女からのお年玉代わりだ。有り難味など全く無いが仕方が無い。
「ツナー。ツナもお年玉、おくれ」
「嫌だよ、俺はまだ中学生だぞ」
 褞袍の袖を引いたランボに言われ、腕を振って払いのけて綱吉が唇を尖らせる。
「ええー」
「俺はまだ、貰う方なの」
 少ない小遣いを割いてまで、彼らに施しをしてやる義理は何処にも無い。こんなところでだけ甘えられてもちっとも嬉しくなくて、しつこく絡んでくるランボの額を軽く叩き、綱吉は彼の図々しい申し出を却下した。
「それに、お前、さっき俺の蜜柑食べただろ」
 折角綺麗に皮が剥けたのに。忘れかけていた恨みを思い出し、もう一発彼を叩こうとしたら先に逃げられた。
 フゥ太が声を立てて笑い、泣き出す寸前のランボを抱き上げる。貰ったばかりのお年玉でお菓子を買いに行こうと幼子に誘った彼は、ついでとばかりに綱吉も一緒にと声をかけた。が、この寒空の下、外出する気など毛頭ない彼は丁寧にお断りして、再びコタツの中に足を投げ出した。
「いってきまーす」
 元気一杯の子供達を見送り、ひとりリビングでランボが付けっ放しにしていったテレビを眺める。
「ツナ」
「んー?」
 集中出来るわけもなく、ぼうっとしていたらまた呼ぶ声がする。背筋を伸ばして右を向けば、お揃いの褞袍姿のリボーンが立っていた。
「なに? お前もお年玉くれって?」
 怠さが先に立ち、まともに相手をする気も起きない。先ほどランボに言われた内容をそのまま返せば、お前にそんな甲斐性はないだろう、と呆れた様子で肩を竦められた。
 思わずムッとして、ならば用はなんだ、と聞き返すが特に意味があって呼んだわけではないらしい。
「なんなんだよ……」
 舞い降りて来ていた眠気も去って、手持ち無沙汰に綱吉は蜜柑の皮屑をゴミ箱に棄てようと膝を立ててコタツから這い出た。前方には変わらずリボーンがおり、この体勢だと彼との視線は近い。
「だが、ま、貰っといてやるか」
「は?」
 丸い黒眼に見詰められ、綱吉が固まる。なんだろう、と彼の発言の意味を理解するより早く、前に出た彼の小さな唇が間抜けに開かれたままの綱吉に重なった。
 ち、と鳥の囀りに似た音が微かにリビングに響き渡る。
「……っ!!」
「来年もそれで許してやる」
「ま、ちょっ!」
 今お前は何をした。自分の口を蜜柑の皮ごと手で押さえつけた綱吉が狼狽するのを鼻で笑い、リボーンはなにやら聞き捨てならない事も言い放ってにやりと笑った。



2007/12/23 脱稿




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