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第20発『少女が見た夢』


 平穏は、静かに失われていった。

 体育祭の日の放課後、滝川は保健の授業を受け持つ女性教師に付き添われて下校していった。
美しい思い出だけが残るはずの学校行事の終わりに起こった突然の“事件”に、
三年三組は一時騒然となった。
 翌日の道徳の時間は、内藤恭子の時と同じように、犯人探しに割り当てられた。
「今から紙を配るので、この事件について思ったことを無記名で書いて提出しなさい」
「全員、二分間目を瞑りなさい。その間に、今回の事件を起こした者は無言で挙手をしなさい」
担任の野宮先生はあの手この手で犯人を追及しようとしたが、どれも空振りに終わった。
この日は終わりの会を一時間以上延長してまで犯人探しが行われたが、
早く帰りたい生徒からの不満の声が募るばかりで、事件の真相に繋がる手がかりは何一つ出てこなかった。
それもそのはずだ。
事件の首謀者である僕と北原が、終始無関係を装っていたのだから。
 その週の土曜日には、ついに三年生全員を体育館に集めての緊急集会まで開かれた。
壇上の生徒指導部の教師たちは、事件の詳細には触れずに、
「君たちくらいの年齢は、もっとも心が不安定になりやすい時期です。
けれど、それで人を傷つけるようなことをしてはいけません」
というような内容の、コンマ一秒も心に留まらない定型文を十五分にわたって読み上げた。
 事件が波紋を呼び、ついに集会が開かれるまでになったのには、理由があった。
滝川が事件のあったその週、学校に登校しなくなったのだ。
よほど大きなショックを受けたのか、その週は滝川は塾にも顔を出さなかったそうだ。
 もっとも、翌週になると滝川も学業に復帰し、犯人探しもうやむやになった。
新聞の一面を飾るニュースだって、一週間も経てば人々の記憶の隅に追いやられる。
ましてや“同級生が数日間登校拒否になった”程度の事件など、
何も考えずに毎日を生きている中学生にとっては、三面記事以下のそれでしかない。
十月の半ばにさしかかる頃には、事件のことはすっかり話題に上がらなくなっていた。
みるみるうちに小さくなって、人々の記憶の隅に追いやられる。
……一部の人間を、除いて。


「思った以上に効果はてきめんだったね」
 ある日、いつものように放課後に女子トイレに現われた北原が、ぽつりとそんなことを言った。
「もうみんな、あの事件のことを遠い昔のことのようにしか思ってないよ。
だけど、滝川さんが心に負った傷は癒えてない。…滝川さん、思った以上に脆かったね。
事件の被害者になっても翌日にはすっかり立ち直っていた須川たちや内藤さんとは大違い」
北原は、計画の成功を喜ぶでもなく、昨日のテレビ番組の内容でも語るかのように、淡々と語った。
相変わらずの、感情を読みにくい喋り方。
僕が返事をしなくても、彼女は個室の壁と会話をしているかのように二の句を継いでいく。
「滝川さんは、以前と比べると目に見えて男子を警戒している。クラスでの振る舞い方が全然違うもの」
 北原が言うように、事件後の滝川はまるで別人になっていた。
明るくて誰にでも友好的ないつもの自分を気丈に装ってはいても、
男子生徒の前では一線を引いているように見える。
昼休みに長岡と机を引っつけたり、所構わず長岡とのバカップルぶりを披露することはなくなり、
休み時間に男子の輪に混ざって会話をする回数も極端に減っていた。
それでも、下校時には二人は肩を並べて一緒に学校を出ているようだった。
しかしそれも、下校デートというよりは、
自分を狙う男子生徒に怯える滝川を、長岡がガードマンとして守っている、という様子だった。
「あの自慢の笑顔も、今じゃどこかぎこちない感じがする」
 北原の独り言は続いていた。
「…ねぇ、黒沢くん。今度は荒井さんをやっちゃってよ」
唐突に話題が変わって、個室の中で僕は思わず顔を上げた。
「同じクラスの荒井真希。あの子最近、ちょっとウザいんだ」
「…ウザい?どういう意味だ」
「今まで散々好き勝手してた須川や原田が、受験を控えて焦ってるのか、
最近はあんまり私を相手にしなくなった。そう思ったら、今度は荒井さんが調子に乗り出したの」
 荒井といえば、クラスでも地味派に分類される女子の派閥のリーダーだ。
聞けば、須川が北原という玩具に飽きたのを見て、
入れ替わるように荒井がチクチクと北原に嫌がらせをするようになったらしい。
「派手な女子の前では大きな顔できないくせに、私の前では女王様みたいな尊大な態度を取るのよ」
「くだらない話だな…」
性格の悪い女子と、その女子に腹の底で恨みを募らせる女子。
どこにでも転がっていそうな、よくある話だ。
「黒沢くん、やってくれるよね?また滝川さんの時みたいにさ。私も手伝うから」
立場は違っても、本当は荒井も北原も、似た者どうしなのかもしれない。
過去最低の取り引き。
僕には無関係で、心底どうでもいい話だった。
「いいよ、やってやるよ」
ほとんど間を空けずに、僕は二つ返事で新しい復讐計画を引き受けた。
「本当?ありがとう。でも、そう言ってくれると思ってた。取り引きは、まだ有効なんだしね」
「……取り引きなんて、どうでもいいよ」
「え?」
「どうでもいいんだ、全部…」
 滝川を汚したあの日から、もう何も感じない。
抑えられない性衝動も、今ではそれを義務的に鎮火するだけ。
日課にも、以前のような愉悦は感じられなくなっていた。
感情を司る回路を、あの日、大量の精子といっしょに、捨ててしまったのかもしれない。
嫉妬も、自己嫌悪も、何もかも失くしてしまった。
 あの日から僕は、流されるまま。
ただそこにある風景を、じっと見つめているだけだ。

 次の日の放課後には、僕は北原に持ちかけられた計画を実行に移していた。
北原が忘れ物を取りに行くという名目で職員室に教室の鍵を借りに行き、
僕は無人の教室で、荒井のリコーダーに下半身から排出した白濁色の不純物を流し込んだ。
その翌日の音楽の授業で、荒井は青褪めながら「具合が悪いので保健室に行きます」と言い残し、
音楽室を退室した。
 幸いなことに、今回の計画は明るみに出ることなく達成された。
目に見えぬ男子生徒から嫌がらせを受けた羞恥を、
荒井はそっと胸にしまい込んで、それを口外することはなかった。

 その更に翌週、僕はまたしても北原から新たな取り引きを持ちかけられた。
「榛名さんにも、荒井さんと同様の制裁を与えてもらえないかな」
榛名景子は荒井のグループの二番手で、荒井といっしょになって北原に嫌がらせをしているのだそうだ。
須川グループにおける原田、長岡グループにおけるピザ太のポジション。どこにでもいるくっつき虫。
 その程度の相手、どうせ荒井がおとなしくなれば榛名も自ずと手を引くのではないか、
と僕は北原に提案した。
特定のグループを集中的に攻撃すれば、いくら北原が女子生徒だといっても、
疑いの目を向けられることは避けられないと思ったからだ。
「ダメだよそれじゃ。私の気が済まないの。
教科書を隠されたり、机の上にチョークの粉を撒かれたり……
私、あいつらにいっぱいヒドイことされてるんだよ」
 滝川の件で味を占めたのか、北原の要求は徐々にエスカレートしてきているようだった。
僕が難色を示すと、二言目には取り引きという言葉を持ち出してくる。
日ごろの鬱憤を晴らすというのは、一度味わうとなかなかやめられないものなのだろう。
今の北原と僕の間には、明らかな温度差があった。
 それでも僕は彼女の要求を引き受けた。
感覚が麻痺しているせいか、計画の実行に伴うリスクにも鈍感になっていた。
もう、誰に何をしたって構わない。その後のことなんて、気にもならない。
何もかもに対して捨て鉢になっている自分が、そこにいた。


 そして、計画の当日。
僕は放課後のことだけを考えて、退屈な一日を消化していった。
その日の体育の時間には、珍しく長岡が僕に声をかけてきた。
「あの、黒沢殿……えっと、いっしょにストレッチ…やりませんか」
僕たちの周りでは、男子生徒が仲のいい者どうしで二人一組になって柔軟体操を始めていた。
本格的に授業に入る前の決まり事だ。
「いや、いいよ僕は。誰か余ったやつとやるから…」
僕は体育祭の合同練習をやったあの日からずっと、徹底的に長岡を避け続けていた。
 彼との接し方がわからなくなってから、もう一月以上経つ。
最近は長岡も僕に避けられていることに気がついたのか、僕に付きまとうのを止めたようだった。
けれども彼は、どうにかして僕との自然な関係を保とうと、たまにこうやって声をかけてくる。
僕は、それに答えることができなかった。
長岡の顔を見るとやっぱり、滝川の顔が浮かんでしまうから。
 長岡は、目を泳がせながら白々しい嘘をついてみせた。
「じ、実はワタクシ、余り者になってしまいまして!ペアを探しあぐねていたところなのですよ!」
「お前は人気者だろ。柔軟に付き合ってくれる仲間くらい、いくらでもいるんじゃないか?」
僕がそう言った傍から、小林隆太の「おーい長岡ー」と呼ぶ声がした。
「ほら。お仲間が呼んでるぞ。行ってこいよ」
「黒沢殿……」
そこで言葉を切ると長岡は押し黙ってしまい、数秒間の逡巡のあと、
ばつの悪そうな表情を浮かべて小林の待つほうへと去っていった。
 これでいい、と思った。
時は流れる。時は振り返らない。
もう僕たちは、あの頃には戻れない。

 秋の夕暮れが青かった空を飲み込む時刻。
僕は前回とまったく同じ方法で、無人の教室に侵入した。
「ターゲットは、榛名さんが文化祭用に描いた水彩画。よろしくね」
教室の鍵を開ける際、見張り役を引き受けた北原が、嬉々としてそんなことを告げた。
 先週、この学校の文化祭が行われた。
文化祭といっても、中学の文化祭なんてたった一日の小さな規模のもので、
文化祭実行委員会を除くほとんどの生徒は、“授業が半日で終わる日”くらいにしか捉えていなかった。
見所は実行委員会と教師たちが二ヶ月かけて準備をした演劇くらいで、
それも素人目には小学生の学芸会としか映らないレベルのものだった。
当然、クラス別の模擬店なんかがあるはずもなく、
どのクラスも美術の授業で描いた絵や、一日もあれば作れそうなバルーンアートを展示するくらいしか、
文化祭らしい取り組みをしていなかった。風情も何もあったものではない。
 三年三組もその例に漏れず、文化祭の日には各生徒が描いた水彩画を教室に展示した。
絵のテーマは“将来の夢”。
近頃じゃ小学生の作文のお題でしかお目にかかれないような、幼稚で安易なテーマだった。
 その絵がこの日の美術の授業で返却されたのだが、鞄に収まるようなサイズではなかったので、
家に持って帰らずに、丸めて教室のロッカーに保管している生徒がほとんどだった。
「じゃ、頼んだよ」
 北原のそのセリフが計画開始のホイッスルだった。
僕は人気のない教室に足を踏み入れて、教室の後ろに並んでいるロッカーへと歩を進める。
電気が落ちているせいもあり、窓から入る十一月の夕暮れに染められて、教室はセピア色に褪せていた。
 榛名のロッカーを見つけて、その場で足を止める。
教室の中のロッカーは安っぽい作りで、鍵穴がついておらず、
その気になれば誰だって他人のロッカーを開けることができる。
お陰で教科書やマンガの盗難が耐えない。
そうは言っても、さすがに自慰を目的として他人のロッカーを開ける人間は、僕以外にいないだろうが。
 教室の外を一瞥すると、監視役の北原が、僕に背を向けてぽつんと小さく立っていた。
……さて、やるか。
 そう思って、視線を榛名のロッカーに戻しかけたその時、
突如、僕の胸に好奇心の花が咲いた。

――滝川のロッカーを、調べてみよう。

文化祭の日には自分のクラスの展示物になんて興味が沸かなかったので、
どれが誰の絵だったかなんて、いちいち確認しなかったのだ。
 北原も僕に背を向けていることだし、今この教室には、僕以外に誰もいないのだ。
計画のついでに、ちょっと滝川の描いた絵を覗いてみるのもいいんじゃないか。
いわゆる魔が差した、というやつだ。
 滝川の名札が入ったロッカーの扉を開け、その中に入っている、
輪ゴムで括られた画用紙に手を伸ばす。
彼女が水彩絵の具で描いた将来の夢は、一体どんなものだったか。
 確か滝川は、二人でファミリーレストランに行った時に、服飾関係の仕事に就きたいと言っていた。
パリコレで見るような奇抜なドレスをデザインする彼女の姿を脳裏に思い描きながら、
僕は丸められた水彩画の輪ゴムを外した。
 絵の具を乗せすぎてデコボコになった画用紙を、目の前に広げる。
すると、そこには。

遊園地の中に笑顔で並んでいる、五人の男女の姿が描かれていた。

真ん中の男女は、手を繋いで糸みたいに目を細くして笑っている。
背の高い男のほうは、ブロッコリーみたいな天然パーマで。
彼と手をつないでいる女性は、誰がどう見ても滝川マギステル自身に見えた。
そのカップルの両脇には、少し太めの男の子と、眼鏡をかけた背の低い女の子。
そして、個性のない格好で、文庫本を片手に持っている男の子が描かれていた。
彼らの頭上に聳える観覧車のプレートには、UniversalSutudioJapan、という文字が刻まれている。
 僕は、画用紙の下に貼り付けられている白い紙に視線を落とした。
絵を描いた生徒の氏名と作品のタイトル、作品に込めた想いを綴る、葉書サイズの薄い紙だ。
 その紙に綺麗な整った字で書かれた絵のタイトルは“修学旅行”。
その下には、
「私がこの三年間で一番楽しかったイベントは修学旅行。卒業したら、またみんなで行きたいな」
という、滝川の小さな夢が綴られていた。
 あの修学旅行で、滝川は長岡に好意を持った。
それまでほとんど会話をする機会のなかった北原やピザ太にも偏見を持たずに接して、
僕には、生まれて初めて異性を好きになるきっかけを与えてくれた。
彼女が自分の班を抜け出してきて得た、新しい出会い。
 彼女の胸には、その時の感動が今も色褪せることなく残っていたのだろう。
そして、その時の記憶を宝物のように大切にして、
彼女はほんのちょっと先の、将来を夢見ていた。
「滝川……」
水彩画に描かれた五人の男女の笑顔を見ていると、なんだか心がくしゃくしゃになりそうだった。
 滝川は、どんな気持ちでこの絵を描いたのだろう?
目に見えない誰かに狙われて、クラス全体を巻き込んだ事件の被害者にされて。
それでも彼女は、この絵を描いた。
 今、僕の手によって汚された滝川は、この絵の中にいる彼女のようには笑わなくなった。
彼女の心に、影が落ちている。
その影を落としたのは―――僕だ。

彼女の思い描いた夢の中には、彼女と並んで笑っている、僕の姿が、あったのに。

「ごめんな…滝川…」
滝川を汚した時から、失っていたはずの感情の回路は、今、僕の中で音を立てて動いている。
どうしようもない後悔と自責の念が、全身を駆け巡っている。
 胸の奥から何かが込み上げてきて、僕はぎゅっと瞼を閉じた。
そして、画用紙をそっと丸めて、輪ゴムを留めてロッカーの中に戻した。

 廊下に出ると、北原が期待に満ちた表情で僕を振り返った。
「どう?榛名さんの絵に、ちゃんと新たに白い絵の具を乗せてきてくれた?」
僕は何も言わずに、首を横に振った。
もうずっと何も感じなくなっていたのに、今は北原の輝く目が憐れに思えていた。
「…どうしたの?ひょっとして、何もしないで戻ってきたの?」
北原は、眉を八の字にして僕の顔を見上げていた。
僕は今度は首を縦に振った。
すると北原は、打って変わって不服そうな表情を見せた。
「ちょっと…それ、どういうこと?なんで榛名さんに制裁を加えてくれなかったの?」
僕は、彼女に背を向けて一歩踏み出す。
北原は苛立ちをあらわにして、僕を呼び止めようとした。
「取り引きのこと、忘れたわけじゃないよね!?」
もう何度も聞いたセリフ。僕を縛り続けてきた言葉も、今は宙を掻くだけだ。
「ああ、その取り引きなら…」
彼女の表情を見ることなく、僕は左手を天秤のように掲げてみせた。
「今日限りで無効だ」
そのまま、僕は階段のほうへと歩き出す。
僕の背中に、「どういうこと!?ちゃんと説明してよ!」という叫びにも似た声が届いた。
振り向いて、僕は答える。
「明日になればわかるよ」


 計画が未遂に終わった日の、翌日。
この日も僕は、やはり放課後のことだけを考えて、退屈な一日を過ごした。
放課後のことだけを考える、というのには理由があった。
僕はこの日、ある決意をして、じっとその時を待っていたのだ。
 一日の授業を全部消化して終わりの会の時間になると、教室の中は解放的な雰囲気に包まれた。
生徒たちはみな机の上に鞄を置いて、すぐにでも帰れる用意をしている。
あとは、ほとんど代わり映えのしない野宮先生の決まり文句を聞くだけだ。
「え〜、今日も特に何もありません。最近は五時を回ると外も暗くなるし、
危ないからあんまり寄り道しないで帰るように。それじゃ、日直」
阿吽の呼吸で、日直の生徒が「起立」と号令をかけようとする。
「先生」
号令を遮るように、僕は挙手をした。
「帰る前にみんなに言うことがあります」
半分腰を上げていた生徒たちの視線が、僕に集中する。
 この機を逃すと、一生言いそびれてしまう言葉がある。
そうなると、もう二度と滝川の夢は叶わなくなるかもしれない。
滝川や長岡。僕が一度はその関係を捨てようとした人たち。
彼らと肩を並べて、笑って、もう一度行きたい場所がある。
ちゃんと言うんだ。
北原が、滝川が、長岡が―――
みんなが見ている、その前で。
 野宮先生は、狐につままれたような顔をして僕を見ていた。
「あー…黒沢が何かみんなに話したいことがあるそうだ。着席して黙って聞くように」
僕は、椅子を引いて立ち上がり、ゆっくりと教壇に向かって歩き始める。
背中にみんなの視線を感じる。
クラスの全員が一斉に僕に関心を示すのは、ひょっとするとこれが初めてかもしれない。
 僕は教壇の前に立ち、三十三人に向けて、言葉を紡ぎだす。
「実は、ずっとみんなに隠していたことがあります」
教室はしん、と静まり返っていた。
影の薄い生徒の突然の演説に、面食らっているようでもあった。
「僕みたいな普段自己主張をしない人間がいきなり何を言いだすんだ、と思うかもしれません。
でも、これはとても重要な話です。みんな、よく聞いて下さい」
そう言うと、小林が「黒沢転校でもすんのかー?」と呑気な質問を返してきた。
「茶かさないでくれよ」
一変して、教室がどっと沸いた。
 笑っていないのは、僕のことをよく知る人物たち。
滝川と、長岡と―――そして、北原綾。
「気を取り直して、改めてみんなに言わなきゃいけないことがあります。
みんなは、覚えていますか?今年の六月に、内藤さんが被害にあった事件を」
三十三人が、急に怪訝な表情になる。彼らは、それぞれに顔を見合わせていた。
「それと、滝川さんが被害にあった事件も。これは記憶に新しいと思います」
俄かに、ざわめく教室。
その中から、「黒沢くん…?」と呟く滝川の声も、僕の耳にしっかり届いていた。
「他にも、先生には知らされていないけど、何人か、被害に遭われた方がいると思います」
僕の二つの眼に、六十六の視線が突き刺さる。
一人では到底受け止めきれない数だ。
 次の言葉を言い終えた瞬間に、僕はその六十六の視線に押し負けるだろう。
だけど、言わなくては。
あとのことはどうだっていい。どう糾弾されたって構わない。
僕が笑顔を奪った人たちがいる。その人たちが見ている前で、はっきりと告げよう。
僕が一番好きだった人に、ちゃんと言っておきたいんだ。

「あの一連の事件は、全部僕がやりました。本当に、すみませんでした」
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