婦日の寝不足日記

僕の身の回りでは毎日のようにテレビドラマさながらの出来事が起きます。
その全てを記す事はもちろん出来ませんが、どうしても漏れ出してしまう僕の心の声を聞いて下さい。
僕には語りたいことがあまりにもたくさんあるのです。

                              
2008年01月01日
今年はどんな年に
 年末から降り続いた雪は更に夜間激しくなり、朝起きたら大分積もっていた。昨年はこれほど一日で積もる事は無かったから、久しぶりの大雪だ。
 元旦の朝から雪またじしなければならないと、溜め息が出る住民も多かったろうが、僕は内心高山の正月はやはりこうでなくっちゃと思っていたりする。

 子供達は半分お年玉目当て?で朝から雪かき出動している。
 僕はと言うとここぞとばかり朝寝坊を決めこんでいたが、もちろんそうは問屋は卸さない。
 朝一番に電話で分娩室から出動要請が入り、今年の初仕事はやはり分娩室での裂傷縫合となった。
 ついでにその他診察を済ましてから、雪道を移動して今度は次男三男の恒例正月イベント初蹴り親子サッカーに出る。

 今年は激しい雪が降り続いていたので、グラウンドでの雪まみれサッカーは回避され、試合は体育館で行われた。
 肉離れ再発を恐れて、無理なダッシュは避けつつ、十分なストレッチしてから親子対抗試合には出る。
 年々運動神経が衰えていくのを感じるが、とりあえず肉離れからは完全?回復を果たしたしたようで、体育館の中で走り回れたのは良かった。

 さてさてこれからが今日の本番だった。腹いっぱいの雑煮とおせち料理を食べて、後は幸せに元旦の午後を過ごそうと思っていたら、なにやら不穏な連絡が助産師さんから入り出す。
 1月1日だとはいえ、分娩は何が起こるか分からない。状態は急転し超緊急の帝王切開となった。適応は胎盤早期剥離だ。

 サッカーでは小回りできなかったが、手術はこういう時に割りと小回りが効き、速やかに娩出対応できる。
 正月早々緊急出動蘇生していただいた小児科の先生、外科の先生、多くの看護師さんらには感謝しないといけない。こういうのは本当に10分の差で児の生死が分かれる事があるのだ。

 仕事を終えて、手術室から出てきたら、また別の妊婦さんが分娩台で第2期全開となっていた。おかげで分娩を待っている間にこの日記もUPできると前向きに考えよう。
 分娩はいつ何時何が起きるか分からない。常に平常心で冷静に対応する能力が必要だ。また多くのスタッフの協力も必要とする。
 今年も波乱の幕開けとなったが、とりあえず夜中の緊急手術でなくて良かったと思う。
 これからも心身の健康を壊さない範囲で、自分の出来る事をしっかりしていくしか無いと、新年に改めて思う僕なのであった。

大晦日の午後には子供達とゲレンデパウダーで贅沢したり


今年の初蹴りは体育館で親子バトル
2007年12月31日
最期の時を過ごすところは
 仕事は毎日色々とあるが、一応病院は年末年始休み中だ。
 こういう時に心身をリフレッシュしておかないと年明けからのハードワークが怖いので、分娩が入ってないことを確かめると、家族を誘い夜は四十八滝しぶきの湯に行き、今年出来たばかりの岩盤浴(900円に入浴料600円でした)など試してきた。

 子供達は広い露天風呂で遊ばせといて、自分は岩盤浴で汗をしっかりかき、デトックス気分を味わう。
 一時間という時間をかけのんびりして、更に雪の露天風呂を家族と楽しむのは、最高の贅沢かもしれないと思う。
 更に幸運にも夜中に分娩無く、しっかり朝まで眠れた。
 今日は大晦日だがもちろん仕事はたくさんある。午前中はほどんど病院で過ごし、各種処置や病棟回診及び段取りに励む。

 さて忙しい産婦人科医に年末年始は無い。その最大の理由の第一はもちろん分娩だが、それ以外にも僕にはたくさん目を離せない仕事がある。
 ガンの末期の方もいるし、化学療法で副作用要注意の方や、合併症妊娠で特に観察を要する方などもいる。
 それらの方をおいて、僕は心から正月気分などとても味わえない。こういうところが一人で看板を挙げている産婦人科医の辛いところだ。

 さてさて先日テレビを見ていたら、医療費抑制と絡み、介護保険を上手く使う事で多くのがん患者さんの死に場所を、病院から在宅にシフトするという試みが特集ニュースで流れていた。
 そのために複数の家庭医がチームを組んで、一人の在宅末期患者さんをケアするという。
 おそらく最後の方では訪問看護師さんも、ほとんど昼間は付きっ切りに近くなるのだろう。
 それ自体は悪くない試みだ。自宅で死にたいがん患者さんも多分世の中には多いだろう。家族の献身的なサポートさえあれば可能かもしれないとは思う。

 さてこの試みで僕が一番印象に残ったのは、複数の医師がチームを組んで、一人の末期患者さんをケアするという点だった。
 そうする事でモルヒネの様な劇薬?も家庭で使いやすくなるという。たくさん医師のいる地域が羨ましいと思う。
 僕はいつでも一人で多くのターミナルの方のケアに当たってきた。おかげで今ではモルヒネの使用なんてとても簡単だと思っているが、それよりも24時間急変に備えて待機している事の方がずっと大変だ。

 病院で亡くなられる場合は、多くの看護師さんや病院の全館当直の医師がいて、ある意味僕は随分と助かっている。患者さんの自宅まで出向く事は、病院に行くより大変だし、きめ細かいケアが出来ないものなのだ。
 だから自分のがん患者さんには在宅死された方は今まで一人しかいない(唯一の例外は内科の先生に主治医になっていただけた場合でした)。
 世の中の半数の方がガンで亡くなる時代だ。皆が最期の場所を選ぶにしても、もっと医療を充実させないといけないのだよという趣旨の話を、今日は書きました。

今から温泉で暖まろう。しぶきの湯が吹雪の湯になったりして
2007年12月30日
高次医療機関は何処に
 病院は年末休みとなっているが、もちろん僕には休みは無い。昨夜も深夜0時に分娩あり出動となった。
 低気圧が過ぎ強めの冬型となってきた様で、夜間高山での雨もやっと雪に変わっていた。
 僕が高山に引っ越してきた10年前には、この時期雨が降る事はまず無く雪ばかりだった記憶がある。
 正月の頃は既に雪が降り積もり車道の路面も凍っていた。たいてい正月前にも何回か家の前のスペースを雪かきする必要があったものだ。
 ところが大雪だった一昨年を除き、どんどん雪が減り昨年なんて一度も雪かきをしなかった。街に雪が積もらないのは雪国の住民には有難いことだが、山スキーで高山に来た僕としては、何だかとっても寂しい気はする。

 さて話は変わり、最近とみにマンパワーを失いつつある?日本産婦人科学会が、今何故か突然に産科臨床のガイドラインを作ろうとしている。
 従来コマーシャルレベルでは産婦人科の臨床マニュアルはたくさん作られてきたのだ。学会でも公式にそれと同様のものを作ろうと考えたのだろう。

 月一度送られてくる学会誌には、その内容のコンセンサス作りを目指した意見募集をしていた。
 僕は実は普段ほとんど学会誌を読まない人間なのだが、年一度年末だけはまとめて雑誌を整理しさらっと眺めるようにしている。
 そこでそのガイドラインの中味を知り、僕も一応昨日意見をFAXしておいた。ガイドライン作りはもちろん構わない。良い事だろう。
 ただ気になる事はそのガイドラインに沿った医療を行えない、もしくは行わなかった場合に、何らかのつまらないトラブルが医師と患者さんの間で起きるのではないかと言う事だ。

 さてガイドライン編集者の考えによると、ガイドラインに沿った医療が行えない場合は、速やかにそれを行える高度?医療機関を紹介するという事になっていた。
 それはもちろんもっとも当然な事だ。僕もできれば速やかに何か困った時があれば、それに対処できる医療機関に患者さんを紹介したい。
 しかし飛騨地域は産科過疎地で、いわゆる困難?な患者さんを2次的に受け入れれる施設は高山日赤病院しか無い。しかもそこでも産科医は2〜3人しかいない。24時間何時でもウェルカムでいてくれと言う方に無理がある。

 もともと飛騨は出来る事自体が限られた地域なのだ。周産期センターも無ければ、輸血センターも無い。
 ガイドラインに沿った医療を産科医に求めるのならば、それに応えうる産科医療供給態勢を作らなければならない。しかし産科医の人数が少ないのにはもうどうにもならない。

 産科医自体が産科医の首を絞める様なガイドラインを作ってはいけない。きっと僕は、仕事上更に何かを上積みして求められるのは、もう反射的?に耐えられなくなっているのだ。
2007年12月29日
僕の休みは何時来るの
 昨日はいわゆる病院仕事納めの日だった。
 病院の中には業務が終わると、ピザを取ったり、寿司を取ったりして「良いお年を」と挨拶して別れるセクションもある。
 しかし産婦人科には前からそういう習慣はない。というのは産婦人科の業務には基本的に年末も年始も無いからだ。
 年末年始でも多くの入院患者さんがいるし、分娩もある。病院が休日でも僕は毎日病院にいかなければならないのには変わりはない。だから僕はとても仕事納めの挨拶などする気はでないのだ。

 というわけで昨日の業務もなかなか終わらず、一段落するのは大分遅くなった。
 昨夜はたまたま午後9時に長男(及びその友人)の塾のお迎えと次男のサッカー選抜の練習のお迎えが重なっていた。それまでには何とか仕事を抜け出したい。
 外には冷たい雨(例年ならこの時期雪が降るのが普通ですが)が降っている。子供は親の仕事をそれなりに理解しているとはいえ、子供達を夜遅くに待たせておく訳にもいかない。
 ちょうど午後8時半過ぎに分娩が入りちと焦るが、分娩室から直行で何とか次男の迎えには間に合わせた。

 さて病院は休みとなっても、僕の仕事はまだまだ続く。
 まず深夜1時に「胎児の心拍が下がる」というスクランブル出動依頼の電話が来た。既に僕は暖かい布団で眠りに入っていた。心臓に悪いなと思いながらもすぐさま起きて出動する。
 分娩はクリステレル娩出法で対応した。裂傷も大きく縫合には気を使ったが、児は元気に泣いてくれてほっとした。
 
 帰宅して2度寝に入る。まだ2時だから、軽い睡眠薬(デパス)で緊張感をほぐして寝れば大丈夫だ。
 ところがあろう事か更にまた深夜3時過ぎに分娩室から呼び出し電話が入った。飛び込み分娩による出動依頼だ。
 もう半分寝ながら出動して半分寝ながら縫合する。得意の眠狂四郎円月縫合で対応した(詳細説明の必要ありません)。
 外は冷たい雨がまだ降り続いていた(雪にならないところはやはり今年も暖冬なのでしょう)。帰路こういう時に凍った道で、居眠り運転とかして、車の事故を起こしたらどうなるだろうかと少し思う。

 4時過ぎに自宅に再度帰り、やっと今度はきちんと眠れた。しかし今日は朝一番に歯医者の予約が入っていたので寝坊はできない。
 というわけで今朝は歯科の診察台の上でも眠りそうだった。とはいえガリガリ歯を削られている内に徐々に目は覚める。
 寝不足感はあるが、今日から病院はお休みだ。今日は年末大掃除に当てよう。
 高山のごみ処理場は今日の午後4時に閉まるという事で、先ほどまで多くの一年の不要物を持ってごみ処理場を何往復もしていた。

 今年は正月2日まで誰も代務の先生が来てくれない予定だ。代務料をいくら弾んでも高山まで来て年越ししてくれる有難い産科医は毎年いないのが普通だ。これは今の産科医の需給状況を見たら当たり前だと思う。
 どうも山の天気も良く無さそうだし、各種家族サービスで2日までは過ごそう。
 今日もまた愚痴ばかり書いてしまった。とはいえこのまま愚痴ばかりで年を越すのは、何とか避けたいものだと思っている。
2007年12月28日
地方の1次、2次、3次産科
 昨夜は深夜に起こされる事無く、朝を迎えれた。これで寝不足感無く、今日は仕事が出来る。
 今日はいわゆる仕事納めの日で、間違いなく忙しい。こういう時の前夜にどこからも起こされる事が無かったのは幸運だ。
 各種処置や分娩、検査があり楽ではないが、患者さんもさすがに少し敬遠してくれたのか、外来も予想より混まずに済んだ。
 重症要注意さんを含め20名以上の産婦人科入院患者さんを抱えている以上、安楽な気分にはとてもなれないが、それでもこれでとにかくは僕にも年末が来そうだ。

 さて話は変わり、今岐阜県(行政のやることですから全国ででしょうが)では産科救急の母体搬送マニュアル(らしきもの)を作ろうとしている。
 それは奈良で起きた脳出血妊婦搬送拒否及びそれに伴う母体死亡が、大きくマスコミに取り上げられた事がきっかけに他ならないだろう。
 奈良のケースではたとえ母体搬送がスムーズに行われていたとしても、救命できたとはとても思えない。それは医療のプロが散々主張している事だ。
 しかし世間やマスコミは母体が重ねて搬送拒否されたという事だけを、スキャンダラスにクローズアップした。
 産科医がどれほど過酷に働いているかを置いて、搬送拒否するのはけしからんという一方的な主張を、僕はとても面白くなく感じている。
 
 さてそんなこんなで僕の所にもそのマニュアル作成のご意見伺い?が、何時の間にか手元に届いていた。
 それによると僕のいる久美愛病院を2次搬送機関に一方的に指定している(少なくとも僕にはそうとしか思えない)。
 僕の所には産科医は僕一人しか居ない。僕も人間である以上、24時間365日産科待機はもう懲り懲りだ。そこで2次指定は断固として断っておいた。

 この辺の経緯は話せばまだ先がありそうだから、またいずれの機会にしよう。
 とにもかくにも内情も知らず、僕と言う当事者を差し置いて勝手に行政が事を決めようとした気がして、ちと憤懣やるかたない気はする。

 さてさてそのマニュアルでは、全ての産科医療機関を1次、2次、3次に分類している。しかし一つの医療圏とみなされる高山以北飛騨地域には実質3つしか産科医療機関は無い。そしてその中に産科医はたった4,5人しかいない。
 これを1次、2次、3次に分けて何の意味があるのだろうか。これはただの行政の辻褄あわせじゃないか。

 産婦人科医というのはある意味一人一人が独立した職人という面が強い。産科病院の母体搬送順序決めは、都市部のたくさん産科病院のあるところならともかく、飛騨のような地方ではほとんど実質的な意味を持たない。
 産婦人科医も人間だ。それぞれ都合や能力、得手不得手がある。
 飛騨の様な圧倒的産科医不足の地域では、病院の分類よりも産科医一人一人の都合や状況が重要だ。それそれの産科医師がそれぞれの事情の中で、それぞれやれる事にベストを尽くすしか他に方法は無いとしか、僕には思えないのだ。
2007年12月27日
正月モードに入れるか
 昨日は仕事も早く終わり予約時刻通りに歯科受診もできた。
 甘い物好きがいけないのか、「この虫歯意外に大きいぞ」などと言われながら昨日も歯をしっかり削られる。痛みに弱い僕はキーンと音を出す虫歯削り器(正式名は知りません)が、口の中に入ってくる度にドキドキしたりする。
 歯の磨耗具合というのは老化の指標になると聞いた事がある。あまり歯がどんどん削られると、もう自分の歯も長くは無いかという気がしてちと物悲しい気分にもなる。

 さて昨夜は夜中に起こされる事は無かったが、朝は分娩室からの呼び出し電話で始まった。ちょうど髭を剃っていた時に電話に出たので、そのまま髭剃り途中である事を忘れて出動してしまう。
 というわけで今日は何だか中途半端な髭剃り跡の顔で一日中仕事する事となった(常に仕事の追われ途中で髭剃る暇も無かったという事です)。

 さてさて朝に僕が分娩室に着いた時には、既に小児科の先生も分娩室に呼ばれていて、児の蘇生真っ最中であった。
 どうやら分娩監視装置に反応しない類の胎児仮死だったらしい。新生児というのは予測不可能に状態不良で産まれる事が時々ある。今日はそういうケースだったらしく、素早い小児科先生の対応に感謝する。

 母親の側の裂傷も大きく、やや縫合には時間がかかった。そんなこんなで外来開始時刻は大分遅くなる。
 縫合が終了し、遅れて外来診察室に到着した時には、待合の座席一杯の患者さんが一斉に僕を見るため、何時もながらにちと緊張した。とにかくそそくさと外来を始めるしかない。

 この週末から病院は年末休みだ。今日明日はもう最初から外来が猛烈に混む事は分かっている。
 ただひたすらに無心に数をこなす。秒単位外来を続けても外来カルテの束は積み重ねられ続け、時々それが崩れてくる。それを直している内にカルテの順番が狂ったりするが、とにかく先に仕事を進めるしか選択肢はない。
 昼にもまた別の分娩が入るし、各種検査もある。いらいらしながらもやっと先ほど業務が一段落した。

 年の瀬となり、世間ではだんだん年末年始モードに入ってきている。しかし分娩には正月休みも無ければ勤務時刻も無いのが普通だ。もちろん正月休み中にも心配な分娩が幾つもある。
 つまり僕の様な立場の産婦人科医には、代わりの医者がいない限り、バイト無しコンビニ店長?の如くの仕事が延々と続くのだ。

 一方看護婦さんや事務方さん、更に多くの患者さん(そうもいかない可哀想な方も多いですが)には、それなりの正月モードというのが存在している。
 毎年の事だが、僕の正月気分と世間の正月気分は大部ずれているに違いない(と言いながら、毎年隙があると僕は正月でも山に行きますが)。
 というわけで、正月休みに向かう段取りで、各方面から世間の正月モードの都合を自分に当てはめて強要されたりすると、それは無いよと思わず怒れる気分になる時もある。
2007年12月26日
癌と介護保険
 年末年始休み前の慌しい日が続いている。日、月と山スキーでがんばれた残像を胸にこの師走の日々をしのぐしかない。
 昨夜も深夜2時に分娩が入り、寒中出動を要した。外は氷点下の寒さだ。暖かい布団を抜け出して仕事に出かけるのは楽でないが、これが僕の仕事なのだから仕方ない。
 午前3時に帰宅して、2度寝にはまあまあ成功した。ここで上手く寝れるか寝れないかが翌日の寝不足感に大きく影響する。まあ今日は外来は助産師さんに任せているし、年末という事でドック検診や集団検診も無いからまだましだと思おう。

 今日水曜日はペーパーワークで固めてる日で、朝から書類の束と格闘する事が僕の仕事だ。その書類の中に埋もれるようにして思わぬ重要書類?が隠れていたりするから、油断はならない。

 さてそれとは別に、僕の書く書類の中には、主治医意見書というのがたまに混ざっている。これは何かというと介護保険業者による介護業務のレベルを決める書類だ。当人及びその家族にとってはかなり重要な書類と言って良いだろう。
 僕は産婦人科医だから他科の医師と比べ、主治医意見書を書く機会は少ない。僕がこの意見書を書くのは婦人科系癌の末期による場合のみにほぼ限られている。

 癌の末期というのは誰もが何らかの形で、日常行動に支障をきたすのが普通だ。脳卒中や心筋梗塞と異なり、最後までピンピンしてコロリと亡くなるケースはまずない。
 介護保険が出来上がるまでは、癌の末期の患者さんの多くは、最期が近づくとある程度長い期間病院内で過ごさなければならなかった。しかしこの制度が出来たお陰で、病院でなく自分の家で過ごせる期間は確実に長くなったと思う。
 だから介護保険の導入は、この10年間の政府の政策の中で、最も良かったものの一つだと僕は考えている(ただ業者さんは意外に儲からないので悲鳴を上げている様ですが)。

 しかしこの介護保険にはまだ幾つかの欠点がある。特に僕の場合気になるのは、この介護保険は寝たきりの認知症老人のみを主なる対象として作られている事だ。

 僕が関係している癌末期の方には認知症老人の方は少ない。つまり今の介護保険はややガン末期の方には使いにくいのだ。
 それは主治医意見書のテンプレートを見ても分かる。癌の末期で介護師さんの援助を必要とする期間は大体平均して1〜2ヶ月程度だろう。その間患者さんの様態は日々変化する。
 主治意見書は中味が、食事の介護から排泄の介護まで実に詳細に区分されているが、がん患者さんの様態は日々変化するので、まずそれに対して機敏に介護保険が対応できているとは思えない。

 更に言えば僕は実は癌患者さんの日常生活の程度をほとんど把握していない。これは僕の混雑外来を見れば、いちいち一人一人の日常を把握できないのは当然だと誰もが思うだろう。
 忙しい産科医は、いわゆる内科系家庭の主治医と比べ、きめ細かく患者さんを診る暇は無いのだ。

 これから癌で亡くなる人の数は確実に増える。この文章を読んでくれている方の半数は、いずれ癌で多分亡くなるだろう(これは統計的な事実なのです)。
 その最期の時に、介護保険が上手に機能できていないのはちと悲しい事だと皆さん思いませんか。
2007年12月25日
昨日の平湯大滝から金山岩への地図です。青線はつぼ足歩行


やっぱり自分の目が一番
 昨日の平湯温泉から金山岩へのルートは予想外の穴場コースだった。なかなか山深い雰囲気のある斜面が続き、さすがHosiyaさん一押しルートだと思う。こういったコースを僕が勝手にネットで世間に紹介?するのは何だか少し気が引けるが、Hosiyaさんはきっと何も気にせず気持ちよく許してくれるだろう。いつもお世話になります。
 
 さて昨日の金山岩頂上付近は、僕等が登頂した時にかなり激しい吹雪だった。
 立っているのも辛い風が吹き、うかうかしてると凍傷の危険もある。更にもっとも悪い事はホワイトアウトで視界無く、地形が複雑だった事だ。わずか100m下れば安全地帯なのにその100mが分からない。

 こういう時、昔なら多分登頂をあきらめて途中下山していただろう。
 しかし今では文明の利器GPSがある。いざとなれば頼みの綱はGPSだ。ところが昨日の山頂付近ではその肝心のGPSが変な方向を指し示していた。
 僕は風向きから考えてすぐにGPSの間違いに気づいたが、完全にGPSを信じ込み、GPSの指す方向に下っていたらかなり危険だったろう。一歩間違えば遭難の危険もある。

 頂上で道を見失い、眼鏡は凍りつき何も見えない。何とか登りの時のトレースを見つけないとやばい。思わず無理したかと悔やみ、一気にアドレナリン放出、身体の集中力が高まった。
 凍ったサングラスを外し、再度少し登り返すと、風でしょぼつく裸眼視力0,02の目で雪に埋もれかかったトレースを見つけ出した。

 僕は普段なら眼鏡無しでは、歩く事すらすらできない人間だ。
 しかし昨日の追い詰められた状態ではなぜかトレースを探し出し、不思議にスムーズに下降する事が出来た。
 GPSは文明の産んだ精密機械だ。その威力は山スキーの世界で既に揺るぎ無いものとなっている。しかし人間もいざという時には予想外の力を出す事ができるという。
 僕はやはり最後には、機械よりも自分の持つ能力と勘を信じようと、無事下山してから改めて思ったのでした。
2007年12月24日
ホワイト過ぎるクリスマス
 今日の午後まで代務の先生が来てくれている。
 懸案の左足太もも肉離れも大分良くなってきた気がするし、サポーターをつけていれば多分再び故障するという事は無いだろう(と見込もう)。

 というわけでこの日、月の連休は、岐阜の循環器ドクターMisao先生を誘い、日曜日に猫岳第3尾根を滑り、今日月曜日にはスーパー山スキーヤーHoshiyaさん御教示の平湯大滝から金山岩コースを滑ってきた。
 共に頂上まで登り、美味しいパウダーをゲットできたが、ラッセル深く森林限界から上部は悪天ホワイトアウトで苦労した。

 特に今日の金山岩では、吹雪につかまり山頂直下でかなり厳しい状況に追い込まれる。
 強風と寒冷でGPSも当てにならず久しぶりに登山でアドレナリン全開感を味わった気がする。
 とにもかくにも怪我も無く無事に下山できて良かった。ラッセルは厳しかったが肉離れの方も大丈夫でほっとする。

 そういえば今日はクリスマスイブだ。僕はキリスト教徒じゃないのでそれほど特別な日とは思わないが、今年のクリスマスは僕にとってホワイトアウトにつかまったホワイト過ぎるクリスマスとなった。

昨日の猫岳頂上直下。この上はGPS頼りで頂上を探した


今日は朝から猛ラッセルに耐えて進んだ。上部は風強く寒い。僕のカメラも寒さで作動せず


もちろん美味しいパウダーもいただきました。ほんの5秒ですがぜひどうぞ見てください
2007年12月22日
一日で家は建つ
 昨夜は代務の先生が来てくれている事を良い事に、忘年会の後2次会にも出かけ、深夜まで大分飲んで騒いでしまった。たまにはこういうストレス解消?法も良いだろう。
 おかげで今朝はもう二日酔いで頭から肩がかなり痛い。何だか仕事と宴会でアドレナリンを使い切ったか、少し気分が欝な感じもする。

 とはいえ、今日はとある家屋の建て上げ上棟式というのが行われる事となっていた。まあ僕は挨拶するくらいで、する事はそれほどあまり無いらしい。
 こういう事は一般人は生涯に何度もする事では無いので、他と比較する事はできないが、ハウスメーカーさんも気を使ってくれて、割と簡略な上棟式で済んだ様だ。

 さて驚いたのはこの日朝早くからクレーン車で一気に家を建て初め、今日一日の数時間で屋根まで一気に外観ができあがってしまった事だ。もちろん材料は滋賀県から運んできていたとの事だが、それまで基礎と足場しか出来てなかった。その手際よい進展ぶりにやや驚く。

 上棟式や地鎮祭といったものは、昔からの習慣礼儀なのだろうが、今は家を建てるのに大工の棟梁さんが何日もとんとん釘をたたいて作るという時代では全く無い。
 建築業界には、古くからのしきたりと、新しい建築工法が並立して成り立っているのだなあと改めて思ったりした。

基礎からここまで数時間
2007年12月21日
忘年会は時間と競争
 この金曜夜は病院忘年会があった。僕は産婦人科病棟の演芸出し物で重要な役割?を担う事となっていたので、キャンセルはできない。 なんとしても演芸タイム間に合うように仕事をこなさないといけない。
 あろう事か産科病棟の出し物は一番目で、午後6時45分には必ずグリーンホテルの忘年会会場に間に合わないといけなかった。もしその時刻に間に合わないと、看護師さんらの連日の厳しい特訓も台無しになる。

 というわけで金曜日は何時にも増して、大急ぎで仕事を進めなければならなかった。しかし午後には2件の開腹手術があり、しかも昼には特別な要注意分娩も入ってきていた。
 午前中の外来を何とか昼過ぎまでにこなして、要注意外来もやや強引な手法でクリアする。裂傷は最高強度の4度(説明は省略)であったが、後のトラブル無きよう、冷静かつ速やかに縫合する。

 午後の2件目の手術はまたとある理由でタフなものとなったが、これまた根性で何とか午後5時過ぎには手術室を出れた。時計とにらめっこしながら病棟回診とカルテ記入を済ませて、何とか6時半に忘年会会場に到着する。
 手術で大分汗をかいたので、ホテルの温泉に15分で入り、ぎりぎりの時刻で忘年会演芸タイムに間に合わせた。ここまで朝からまさしくタイトロープの綱渡りだった。

 さて僕の演芸パートはしょっぱなに皿回しを成功させるというものだった。なお練習の時にはほとんどその皿回しは失敗している。しかし僕は昔から本番一発勝負に強い。厳しい仕事の後に、僕は芸人にもなったりするのです。 
2007年12月20日
病院内で携帯電話の話とか
 昨日は割りと早く仕事が一段落した。こういう時に虫歯だらけ?の僕は歯医者にいかないといけない。電話で診察時刻を予約して歯を治療に出かける。
 流行ってる歯医者だけあって、それなりに待たされた。
 やっと自分の番が来て名前を呼ばれたとほぼ同時に、病院からの携帯電話が鳴った。ちょうど目の前に「病院内では携帯の電源を切ってください」というポスターが貼っていて、周囲の人から睨まれたりする。

 電話は分娩室からの呼び出し電話だった。
 歯科に出かけた時は多分間に合うだろうという見込みだったが、見込みは外れて意外に早く分娩が進んだようだ。仕方なく診察予約時間を変更すると病院にトンボ帰りで戻った。やや複雑な縫合を済ませて、再び約束の時間に歯科受診する。

 これまたやや待たされてからやっと順番が来た。歯科治療の椅子に座り看護師さんにエプロンを被せてもらっていた時に、また携帯が鳴った。看護士さんからちと睨まれる(気がした)。
 電話は近所の開業医さんからの緊急手術手伝い依頼電話だった。「ちと待っていて」と返事したら他の外科系医師を当たってくれるという。

 椅子に座ってしばらく待って、やっと歯科医先生が隣に来た。
 この時僕は少しだけ焦っていた。というのはこれから夜に週末の忘年会の出し物の特訓があり、時間通りに必ず練習に来るようにと、若手看護士さんらからうるうるする目でお願いされていたからだ。
 どんな出し物か詳しくは知らないが、僕は男芸者と化さねばならないらしく、僕がいないと練習にならないらしい。

 「さあ口を開けて」と歯医者さんから言われ。大きく口を開けたちょうどその時に、またあろう事か携帯電話が鳴った。今度は開業医さんからの事後報告電話だった。
 診察室内にはやはり「携帯の電源を切ってください」というポスターがあり。罰が悪すぎるなあと思う。
 あいた口を閉じ「ちょっと待って」と電話に出る。

 歯科の先生はもちろん何も言わずに待ってくれていたが、そんなこんなでその後の歯科治療はガリガリとかなり深くまで削られた(なんちゃってと思う。まさかその先生がこの日記を読む事は無いと信じよう)。
 そしてその後に、予定より一時間遅れで病院に戻り、看護士さんに言われるがままに出し物の練習をした。

 さて今日は他の事を書くつもりがなぜか携帯電話の話になってしまった。今時は携帯が無いと誰もが日常生活に困る時代だ。
 先日の職員旅行でも、片時も携帯を手放さず、定額制を良い事に朝から晩まで携帯とにらめっこしている方もいた。何だかたくさんチェックするものが常日頃携帯上にであるらしいが、何を見ているのか僕には想像もつかない。

 さぞかし周囲には多種多様多量の電波が乱れ飛んでいるのだろうと思う。
 僕も普段病院貸与のPHSと、個人の携帯を2台持ち歩いて生活している。飲んで帰る途中など、うちどちらか1台を何処かに落したり忘れたりする事も時々ある。
 また僕は肩こり、頭痛、腰痛、無精子、及び今や慢性化?した虫歯がある。この辺あまりにちと不気味な気がするので、僕は先日電波で乱れた身体の波を正常化するという、怪しいゴム製品をネットでついつい買ってしまい、今身に着けていたりする。
 
 さてさて産科の世界では、男性の精子がどんどん少なくなっているのは比較的知られている話だ。
 勃起不良による性交障害も予想以上に多い。この原因は全く不明だ。この辺の事と世間の電磁波が関係しているという仮説はあながち突飛とは言い切れないと思っていたりする。
2007年12月19日
看護と介護の未来は
 昨夜は分娩が2件あったが、共にまだ病院内で各種業務をこなしている時間だったので問題なかった。
 今日は業務を少な目に設定している水曜日だ。
 この1ヶ月ほどは忙しさが半端でなく、溢れた業務が水曜日にまとめられるため水曜日さえ全く楽できなかった。
 しかしその忙しさもやっと一段落してくれた様で、今日はまあまあ楽できている。分娩もあるし検診受診者も50人くらいいるが、それでも久しぶりに余裕ある一日だ。

 さて今年の看護学校講義も先週の期末テストで終了となった。今年度の学生さんらは比較的授業に不熱心の方が多かったので、成績は悪いのではないかと予想していたが、そうでもなく採点結果はまあまあ良い方で安心する。
 今までの僕のテストで多分初めて、産科婦人科両方で満点の生徒も出た。
 考えてみれば授業を真面目に受けるかどうかと、テストの成績というのは比例しなのが普通だ。これは僕が学生だった頃の事を思い出してもそう思う。

 さてさて点数が思ったより良かったのは、なぜだろうか。僕の教え方が良かったと捉える事も出来るが、クラスの人数が減って少数授業だったという事も関係しているのじゃなかろうか。
 今年の生徒の数は少なく24人だった。例年40人近くの学生さんがいたから、今年は人数が随分と少ない。

 人数が減った理由を看護学校専任講師の方に聞くと、高卒の方の看護学校進学希望者が全国的に減っていると言う。
 少子化で子供の数は減っているから、大学全入の時代はもう直ぐそこだ。大学に楽に進学できるのだから、高校生が看護学校に行こうとは思わなくなってるらしい。
 そういえば今日の新聞では、介護関係の会社に就職する人の人数もどんどん減っているいう記事が載っていた。こちらの理由は介護の仕事の給料が予想以上に低いからだと言う。コムスンのようなちと歪んだ会社があった事にも関係しているだろう。

 しかし考えてみれば、高齢化が進めば医療の需要は必ず増える。
 僕の周りを見ても患者さんの需要は医療の供給能力を遥かに超えて増えている様にしか見えない(これは医師不足の産婦人科だからそう思うのかなあ?)。つまり医療や福祉の分野は、日本最大の成長産業であってしかるべしというのが僕の考えだ。

 とはいえ僕の周りでは、相変わらず建設土木関係の方の景気が良く見える。つまりは日本の産業構造の変換が進んでないのだ。
 昨日の新聞では、今日本で一番の長寿県は男女共にお隣の長野県らしい。長野といえば田中康夫前知事の脱ダム宣言で、建築関係から福祉へと、いち早く産業の構造変換を目指した県と言える。
 おかげで長野はどこか不景気な感じがする県となったが、長寿に関して言えば世界的?に自慢できる先進地域となった様だ。

 これから更に少子高齢化が進む。このまま相変わらず福祉にお金を回さない政策を続けていると、日本は間違いなく不幸なお年寄りがやたら多い国となるだろう。
 世間では消えた年金を取り戻せという事が、大ニュースとなっている。しかしお金を持ったお年よりが幾ら増えても、福祉の供給側の体制が不備ならどうにもならないのだ。

 日本の医療や福祉は世界一社会主義的なのだから、これは明らかに政治の失敗だ。
 福祉関係に進む子供の数は倍増させないといけない。自分がどういう老人になるかは分からないが、その時に素敵な医療福祉の供給体制が出来ているとは、僕にはとても思えない。

昨日は病棟で看護学校生によるキャンドルサービスがあった。彼女(彼)等にはこれから先、死ぬほどがんばってもらうしかない
2007年12月18日
ここは最果てですから
 昨夜は病院医局の歓送迎会があった。仕事も上手い事早く引けたので、無事最初から出席する事が出来る。
 久美愛病院は小さな病院で医師数は30名足らずしかいない。昨日は新しく見えた医師が3名、去っていく医師が3名いて、それぞれ挨拶をしてくれた。またそのうち2名が高山まで来たと思ったら医局人事で1年も経たずに去っていくという医師であった。

 病院勤めの医師というのは、ある意味完全な転勤族で数年毎に勤務先病院を替わる事が多い。
 特に若手の医師はまさしく大学の駒で、教授の鶴の一声により、名大関連だったら西は大垣、東は静岡。そして北端は高山の久美愛病院まであちこち転勤を繰り返す事となる。
 独身ならまだしも、身重の家族や小さい赤ん坊連れで転勤を繰り返す事も多くそれなりに大変だ。かくいう僕も若い頃は妻子を連れて何回か転勤引っ越しを繰り返していた。

 とはいえ子供も大きくなり小学生くらいになると、さすがに医師の転勤も減る。土地を買ったり家を建てたりする様になると、なかなか転勤できないのが普通だろう。
 ある程度の歳で転勤される方は、特別な条件で引き抜かれる場合もあるが、それよりも何か公私の事情があり単身赴任となる方も多い(あくまでも推測、そういう訳ありの方に優秀な医師が多いから、世の中面白い)。

 さてさて久美愛病院は、たくさんある名古屋大学関連病院の中でも最果て北端の総合病院だ。
 おそらく大学から最も遠い関連病院だろう。医師の中には遠く島流しにされた流刑囚のような気分になる方もいるかもしれない。一方僕の様に喜んで最果ての地にすすんで赴任し、それなりに楽しく?暮らしている医師もいる。
 そんなこんなで、大学の無い地方の病院は、都市部大病院と比べ、医師の回転もやや早い気はする。
 僕も来年で高山に来て10年となるが、僕より長く久美愛で働いている医師はもう院内に数えるほどしかいなくなった。

 そんなわけで昨夜も色々な話をしながら、美味しい飛騨の酒と料理をたくさん飲んで食べてしまった。帰りには高山の宴会ならではの温泉もある。
 雪降る中帰宅して、今朝はまた分娩室からの呼び出し電話で起こされた。
 裂傷は複雑で縫合には時間がかかる。縫合し終わってからカルテを見て気づいたらVBACの方だった(このあたりの説明は省略)。

 分娩の時刻は夜中の3時だった。助産師さんは気を使って、宴会後の僕を起こさず要注意分娩をこなし、朝まで待ってから僕を呼び出していたのでした。
 裂傷が複雑だったのはともかくとして、朝まで寝かせてくれた助産師さんに感謝する。お陰で今日も寝不足感無しで仕事できる。
 こういう最果て病院では、最果てならではの楽しさと大変さ、また他には無い特別な事情もあるのですという話に今日はなりました。
2007年12月17日
仕事が増えると嬉しいか
 何だかんだとやる事はあって忙しかったのだが、珍しく分娩も無くとても平和な週末だった。
 特別な事を何かした訳でもないのだが、妙に時間ばかりが早く過ぎてしまう気がする。このまま歳を取るに連れて、ますます時間が早く進む様になるのじゃないかと心配だ。
 今流行のスローライフを気取るのも良いが、ゆっくりばかり生きていれば気づいたときには何も出来ない身体となっている。
 急いで生きなければ、老いさらばえるだけだ。開口健の名言に「悠々として急げ」という言葉があるが、まさしくその通りだと思う。

 さてそんなこんなで、今日も朝から忙しく仕事に追われている。
 月曜日は原則予約診察のみとしているのだが、そんな事はお構い無しに多くの自称他称急患さんが受診される。外来終了後にどうしても今日見てくれというご老人の方や腹痛の方も多い。

 この寒い中診察無しで帰すのはあまりに気の毒なので、できる限りこの手の方の診察には応じているが、その陰で診察や説明の時間を削られる別の患者さんがいる事も忘れてはならない。
 だから「3ヶ月前からお腹が痛いです」という理由で救急受診される方がいたりすると、そりゃ無いだろうと思わず言いたくなる事もある。

 さてさて僕の場合サラリーマン勤務医だから公務員?みたいなもので、たくさんの患者さんを診察したからといって、それがダイレクトに自分の収入に繋がるわけではない。
 だからどうしても多くの患者さんを診るというモチベーションは、独立開業医さんと比べて低くなるだろう。
 世の中には全く何の見返りも期待せず、医療に携わる人たちがたくさんいるわけだが、僕はそこまで偉い人では無い。

 そう思いながら、にもかかわらず他の勤務医と比べて僕は毎年数倍の売り上げを上げているし、一般産科開業医さんと比べてもかなり多く仕事している。しかも仕事は昼夜に渡り、その状態を割と平気?にもう何年間も続けている。なぜそれで平気なのか自分でも不思議だと思う時はある。

 これは何故かと言うと多分、「世の中には僕よりもっとたくさん仕事していてもプアながたくさんいる。仕事したくてもできない人もたくさんいる。それどころか世界には今日明日の食べ物にも心配しなければならない人がたくさんいる。」 そういう例を平均日本人よりたくさん見てきたからだとは思う。この点僕は割りとナーバスで感受性豊か??なのだ。

 そういう気の毒な例をたくさん知っているので、僕はどうしても自分が不幸だとは思えない(不満が無いとは言いませんが)。
 いくら睡眠時間を削って仕事していても、普通よりは多い収入を得ているわけだし、身体が動くならば多くの患者さんを救った方が世のため人のため、まためぐりめぐって自分のためになると思っている。
 また産婦人科という職業も、僕のモチベーションにかなり関係しているだろう。産科で新生児の命を救ったりする事は日常茶飯事だし、一人勤務医という関係で多くの婦人科ガン患者さんの人生に強くコミットせざるおえなくもなっている。

 ここまでがんばる必要は無いのじゃないかと言ってくれる同業の方は多いし、遣り甲斐や責任感は裏返せば大きな負担に繋がるものだ。
 しかしどう見ても僕がいなくなればこの地域の産科医療はとても困る事になる事が分かる。
 僕が人並みの仕事しかしなくなると、回りが困るのだ。
 少子化問題の事ひとつ考えても、これほど重要で遣り甲斐のある仕事は他にあまり無いと思うのだが、それは独り善がりで自分の首を絞める事に繋がるだけの考えなのだろうか。
2007年12月16日
コンタクトレンズと眼鏡とレーシックの話
 左足の肉離れの調子も大分良くなってきた。この調子だとサポーターさえつけておけばスキーも可能じゃないかと思う。
 山にも大分雪が増えてきたようだし、いよいよ気分は本格的パウダーシーズンに突入だ。
 しかし今週末は肝心の代務の先生が来てくれていない。しかも強い見方の開業医先生も母体保護法指定医講習に出かけて高山を離れる事となっている。僕はそのお留守番だ。更に天気も良くない。
 今朝起きたら、少しだが今冬始めて市街地でも雪が積もっていた。気温も低いし山は吹雪で間違いないだろう。
 総合的に判断して、今週も大人しく市内で産科待機しながら過ごすのが正解だ。

 というわけで今週末も各種雑用で忙しくまた有意義に過ごした。
 色々な事があり何を書こうかと迷うくらいだが、自分的に今週末最大の出来事は、産まれて始めてコンタクトレンズを試してみた事だ。
 僕は若い頃から近視が強く、中学2年生の頃あたりからずっと眼鏡人間だった。
 今では左右とも視力が0,03位しかない。眼鏡が無いと車も運転できないし、もちろんスキーや手術もできない。

 もし僕の目が良かったら、間違いなく僕の人生は今と全く異なるものとなっていただろう。
 まさかプロスポーツ選手になっていたなんて事は無いだろうが、少なくとも医者にはならず、なにか別の職業についていたに違いない。
 分厚い(今はレンズが良くなり薄くなったけど)眼鏡をかけていると女の子にももてないものだし、もちろん格闘技系のスポーツは不可だ。つまりは若い頃の僕は、目が良い人が羨ましくてしょうがなかったのだ。 

 さて昨日、僕はふと今の眼鏡のレンズがあまりに傷だらけなのが気になり、3年ぶりに眼鏡を作りに眼鏡屋さんに出かけた。
 そこで眼鏡屋さんはほとんどおもむろに「先生、スキーをやるならコンタクトの方が絶対に良いですよ」と強く僕にコンタクトレンズを勧めてきたのでした。

 何でも今のコンタクトレンズは一日ごとの使い捨てで、しかもソフトで目に優しく、まず運動中に外れる事も無いと言う。製品を見せてもらったが確かにプニャプニャのクラゲみたいで良く出来ている。更に値段も1個100円程度でそれほど高くない。
 更にお試しに1週間は無料サンプルを使わせてくるという。
 それらの言葉に僕は軽く乗せられ、早速コンタクトレンズを試してみる事とした。眼鏡屋さんに隣接した眼科医院を早速受診する事とあいなる。
 お知り合い?の眼科先生の医院は大繁盛していて、繁盛している所に相応しくさっさと能率よく各種診察を済ませてくれた。すぐさま、お勧めお試しワンデーソフトコンタクトを有難くいただく。

 さてさてその使いごこちだが、予想していた通り自分でコンタクトレンズの着脱するのが、ちと痛くて大変だった。しかもやはり最初は異物感がどうしてもある。
 更に僕は乱視合併なので、僕の目にぴったり合うコンタクトレンズは特注しないと無いらしい。だからお試し品では世の中が少し歪んで見える。
 眼鏡がない分目がキラキラ輝き、若く見えるのは良いのではと思ったが、配偶者の感想は変だから止めれというものだった。

 というわけで今日にはもう普通の眼鏡に戻したが、スキーの時は曇らないからコンタクトの方が良いかもしれない。また近いうちにお試し無料コンタクトをスキーで試してみようと思う。
 確かにこの歳で眼鏡からコンタクトに変えるには、眼鏡を止めてコンタクトにしようという本人の強い意志が必要だと思った。

 さて更に話は飛んで、今時は眼鏡よりもコンタクトよりも更により良い方法で、レーシック手術という視力矯正手術があるらしい。
 僕の知り合いにも何人もその手術経験者がいるし、聞いた話ではとにかく画期的な素晴らしい手術だと言う。

 大いに興味湧くところだが今更僕がレーシック手術を受けても、多分僕の人生はそれほど変わらない。
 そんな良い方法があるなら、若い頃に手術を受けたかったと心底思う。
 そんなこんなで、小学5年生なのに近眼の次男には、大人になったらこのレーシック手術を絶対に受けさせてやろうと内心思っていたりする。

若い頃にコンタクトにしていたら人生変わっていたかなあ


プニュプニョのレンズ。一個100円程度と思えば優れものだ

 
2007年12月15日
当たる人外れる人
 昨夜は仕事も比較的早く終わり、夜には労組主催のクリスマス会に出席する事ができた。
 労働組合活動が自分の待遇改善に役立つ事は決して無いだろうと思いつつも、僕はほとんどボランティアみたいに労組費だけは払い続けている。

 だから少しでも元を取ろうと??、とにもかくにも組合員年一度の恒例親睦会であるクリスマス会には毎年できるだけ出席している。
 例年なら遅くなってから会場に着いて、大皿の残り物とワインだけ飲んで帰る事の方が多いが、今年は珍しく会の最初から出席する事が出来た。

 お洒落?なイメージのクリスマスに相応しく、いつもより(多分)綺麗に着飾った若い助産師さん看護士さんらと、なぜかクリスマスを祝い、ワインとビンゴを楽しむ。考えてみれば僕がワインを飲むのは年にこの時だけでもある。

 さてさて今年はどういう訳か産科チームの中からビンゴの大当たりが出て、新人助産師さんがプレイステーション、新人看護士さんがニンテンドーDSを当てていた。僕は密かにやはり大当たりのアイポッドを狙っていたのだが、これは例年通りの大はずれで何も当たらず仕舞いとなる。

 さて僕はこの手のくじで何か当たるという事は殆ど無い。
 ラスベガスのスロットマシンでいわゆるジャックポットを当てた事があるが、それもその儲けたお金をその後一時間もしないですってしまったから、結局は同じ事だった。

 そんなわけで僕は年末ジャンボ宝くじとかも買った事が無い。買っても当たるわけはないと思っている。
 そういえばジャンボ宝くじで一等3億円が当たる確立というのは1千万分の一以下と聞いた事がある。
 ロト宝くじのCMには、三つの数字で一千万というのがあるが、ジャンボ宝くじに当てはめると一千万円ではなくて一千万分の一しか当たりませんよという意味に捉えた方が良い。

 なお分娩で母体死亡を起こす確立は1万分の一であり、(致死的奇形を除いても)周産気死亡を起こす確立はだいたい1千分の一だ。つまり出産で児が死ぬ確立はジャンボ宝くじに大当たりする確立の一万倍あるという事になる。
 新生児死亡ですごく怒る家族の方が世の中にはたくさんいる。中には裁判沙汰も辞さない方も多い。しかしその方々は、宝くじをどういう思いで買われてるのだろうか?
 周産気死亡を起こす確立というのは、宝くじ大当たり確立の一万倍も世の中にある事なのだ。

これはプレイステーション大当たりの瞬間です
 
2007年12月14日
強いものより環境に適応したものが生き残る
 久しぶりに昨日はまともな時間に帰宅できた。すかさず空いた時間に近所の歯医者さんを受診するこういう時に病院内に歯科があれば便利なのだが、ちと残念だ。まあ泌尿器科や耳鼻科すらまともには無いのに歯科がある訳は無いか。歯医者さんでは、痛い歯の周囲で「3箇所虫が食ってるねえ」と指摘され、さっそくガリガリ治療を受けた。
 歯の重要性は僕は良く認識しているつもりだ。しかしここのところ年に1,2回は歯科の治療を受けなければならない口腔となってしまった(これって普通かな??)。この原因は生来の甘いもの好きのためにあるのはほぼ間違いない。

 特に僕はチョコレートが好きで、ドラッグストアでまとめ買いしては、ほとんど毎日何らかのチョコ菓子を食べている。仕事の合間に控え室でチョコを食べるのは僕の密かな背徳の楽しみなのだ。
 その上毎日きちんと3食食べているから、普段からカロリーオーバーも著しい、週末に運動できない身体になれば僕はたちまちメタボな身体になるに違いない。
 これから忘年会や送別会のシーズンが来る。身体が少しでも動いてカッコよいジャンプターンを決めるためにも、食べすぎ飲みすぎには注意しないといけない。

 さて話は変わり、人間は身体の中に多量の微生物を持っているという事が巷に知られるようになってきた。特に腸内細菌の数は人間の全細胞の数より多いというのだから驚きだ。もちろん腸内のみならず、口腔内、膣内、指先にも多数多種類のの細菌がついているのが分かっている。これはどんなに薬を使ったり、どんなに身体を清潔に保っても無くす事は不可能だ。
 むしろ腸内細菌の種類が下手に変わると、健康を害する事に繋がると言う。
 つまりは上手く身体の中の微生物と共存する事が健康のためには大事という事なのだろう。

 虫歯の原因ももちろん微生物で、しかも種類も特定されているという。それでもその虫歯原因菌を人間は駆除できない。
 生まれつき一度も歯を磨いた事が無いのに、一本も虫歯が無いという人を僕は何人か知っているが、そういう人はもともと虫歯菌を持っていないのか、口腔内の微生物バランスがよほど良いのかなのだろう。

 さてさて産婦人科は今も昔も割りと感染症の多い分野だ。世の中に抗生剤が普及するまでは、母体死亡の最大原因は産褥熱だった。もちろんこれも感染症である。
 抗生剤がごく普通に使われるようになった現代では、一般的な産褥熱の割合は各段に減ったが、それでも、産後のマイコプラズマ肺炎とかMRSA乳腺炎、若い人のクラミジアによる腹膜炎は、今だからこそ割と良く見る疾患と言える。

 さてこれらの菌は、過去には割と問題にならなかった菌だ。
 なぜこれらの菌が近年問題になるようになったかというと、これらの菌は抗生剤漬けの現代人の体内環境に、適応力が強い微生物だからに違いない。

 ダーウィン以来、弱肉強食の世界で生き残る生物というのは、より強い生物だと考えられていた。しかし現実には強い生き物が生き残るという例は多くない。変化した環境に適応した生き物が生き残るのだ。これは現代人の体内の微生物の種類一つとっても明らかだと言える。

 さて地球温暖化は今人類の直面した最大の脅威とされている。
 以前もし動物同士が真剣勝負をした場合、地球上で最強の動物は北極熊だと聞いた事がある。
 しかし地球温暖化で北極の氷が解ければ北極熊は絶滅する。いくら強くても変化した環境に適応できなければどうにもならない。これが人類の所作によるものだと思うと何だかホッキョクグマが可愛そうだと思う。
 環境の変化のスピードは加速しているという。これから先様々な出来事が起きるだろう。虫歯から始まり、微生物から地球の未来まで思いをはせるのはあまりに突飛だっただろうか。
2007年12月13日
遠くに希望の光が
 昨夜は深夜業務無くきちんと眠れた。今日の外来も何時もの様に混んだが、もう毎日が満員御礼外来なので、混雑外来はもはやそれが日常だ。今日は午後に久しぶりに検査も手術も入ってなかった。病棟回診を済ませると少しは余裕の持てる時間が出来そうだ。

 こういう時にやらなければならない貯まった雑用は多いが、入院中の重症患者さん等も少し山場を超えてきた感じがする。
 長いトンネルもやっと明るみが指して出口が見えてきたようだ(多分)。
 これから先更に寒くなり雪に降る時期が来ると、多少は受診抑制が働いてくれるかもしれない。まだまだ油断は出来ないが、そうなると少しは楽できる日が来ると思おう。

 今日はこのまま早く帰宅できると、やっと歯医者に行けるかもしれない。
 ここの所のハードワークがたたってか、ずっと奥歯の歯茎が痛かったのだ。手術中とか処置中とか知らず知らずのうちに歯を強く噛み締めている事が多かったからだろう。
 この生活を続けていると、人より早く白髪や入れ歯になりそうで、それは何とか避けたいと思う。周囲を見ても忙しい産科医は人より早く老ける例が多い気も少ししたりする。

 さて話は変わり、ちょうど2週間前に受傷した肉離れも今では大分楽になってきた。
 サポーターをしていればもうほとんど違和感は無い。この調子なら、正月とは言わずクリスマスの頃には山スキーに復帰できるのではないかと密かに期待している。
 整形外科医はここで自重しないと、また肉離れが再発するという事をおっしゃるが、僕はプロスポーツ選手とは違う。肉離れが起きても、選手生命が絶たれてとたんに生活に困る訳ではない。

 また受傷したのはサッカーをしている時で、スキーをしていた時ではない。使う筋肉も多少は異なるだろうし、ここは無理せん程度でぼちぼちと山スキー復帰の事を考えても悪くはないだろう。
 何といっても肉離れ以来、運動不足も著しい。その分仕事でワークアウトしていたが、やはり仕事で疲れきるのと山で疲れきるのでは爽快感が全く異なるものだ。

 そこで今僕は肉離れの回復を早めるために、アミノ酸摂取や加圧トレーニング、その他軽いストレッチとか始めている。時間や手間のかかる事はできないが、やや疲れた僕の身体にも、それら工夫したリハビリの効果がどれだけかはあるんじゃないかと、内心楽しみにしている所もあったりする。
2007年12月12日
分娩の時刻は
 今更だが昨日の仕事もまた忙しかった。しかも帰宅時にまだ要注意の分娩が残っている。
 少しでも睡眠時間を確保するために陣痛促進の指示を午後から出していたのだが、にもかかわらず分娩は遷延してしまっていた。何時緊急で呼ばれるか分からない状態での睡眠はどうしても浅くなる。

 ちょうど雪道を運転中に車がスリップして大破するという夢を見ていた時に、携帯電話が鳴り呼び出された。
 時刻は深夜3時前だ。寒い中心筋梗塞や脳梗塞を少し心配しながら出動する。分娩は予想通り難産となり、新婚助産師さんによる炸裂クリステレルで出産に至った(詳細な内容は省略)。

 帰宅後2度寝に入る。この2度目の睡眠に成功すればその後の寝不足感はかなり減る。助産師外来の日なので、やや寝坊して出勤するつもりだった。
 しかし寝坊の願いは適わず、また早朝に分娩が2件追加され起こされた。これもちょうど辺境を旅してる夢を見ている時だった。僕は結構睡眠時に夢を見る方なのだ。
 何度も病院を行ったり来たりするのが面倒なので、朝食と髭剃りを済ませてから出動し分娩室に向かう。

 一仕事、二仕事済ませてから、外来横の指導室と名づけられた仮眠室で再び仮眠に入った。
 しかしまた直ぐに別の分娩で起こされて、それが済んだ時にはもうドックと集団検診の時刻がきていた。
 というわけで今日も一日うすら眠たい日が続く事となる。幸いな事は、今日はペーパーワークの水曜日で外来や手術は入ってなかった事だ。

 さて僕みたいな仕事を長く続けるには、分娩時刻の調整技術が必須の事となる。
 分娩時刻を自然の時間に任せていたら、夜中の業務があまりに増えて、僕の自然な体内時間が大いに狂わされてしまう。そうなればめぐりめぐって多くの患者さんに被害が及ぶ事にも繋がる。

 だが昨夜は様々な理由で、分娩時刻を上手く昼間に持ってくる事に失敗してしまった。
 分娩時刻を調整する方法は、分娩促進剤の使用法にかかっている。
 しかしその薬の欠点は分娩経過を進める事はできても遅らすのは難しい事にある。分娩という車にはアクセルはあってもブレーキは無いのだ。
 もちろん究極の技に帝王切開というのもあるが、その技を分娩時刻調整のために使うのは問題ありだ。危険も伴う技である以上、きちんと適応無く使う事はできないとされている。

 さてさて昨夜たまたま見たテレビで、生命の持つ体内時間の事がテーマに挙げられている番組があった。
 それによると朝日を浴びる事で体内時間を地球の自転にあわせる事が、生命にはとても重要な事であるらしい。
 しかし分娩にはもちろん決まった時間は無い。僕の身体は、朝日の代わりに分娩室の無影灯を浴びて一日をリセットしてしまう事が大いに違いない。そういえば無影灯の明かりというのは、光の進み方が直線的で日光に近い様にもできている。
 
 妊婦さんや助産師さんの中には自然な分娩を好んで、促進剤を使うのを避けたがる方もいるが。しかし自然な分娩のお陰で産科医の自然な体内時計が狂わされる事も多いのだよと、ここに僕はしっかり訴えておこう。
2007年12月11日
診察の質と量
 ここのところ外来患者さんの増加が著しい。
 妊婦健診はそのほとんどを助産師外来に回し、慢性患者さんの受診間隔を広げたりして工夫しているのだが、それでも追いつかない。
 もともと産婦人科というのは急性疾患が多いため、患者数をコントロールしずらい科ではある。突然の救急や分娩も多い。
 だからこそ普段のルチーン業務には少しでも余裕を残しておかなければならない。そうでないといざという時に、スムーズな対応ができないからだ。
 しかし現実には僕のところではルチーン業務の量から常軌を逸しているので、緊急非常時への対応能力はかなり落ちていると言える。それでも上手く今でも産科業務を維持できているのは、僕の能力のなせる業だと言っても全く過言でない(と自分で書いてしまおう)。

 また命に関わる深刻な問題を抱えて受診される方が多いにもかかわらず、次から次へとベルトコンベア式に患者さんを診察せざる終えないのは、全く申し訳ない気がする。多くのがん患者さんは、一縷の望みを託して受診しているのに、1分にも満たない時間で診察終了だとあまりにも気の毒だ。

 しかも入院中の患者さんの中には重症さんも多い。できれば回診も早めにしたい所だが、この状況では病棟業務はどうしても後回しにせざる終えない。
 外来診察には時間制限ありだが、入院中の患者さんの診察は何時でもやろうと思えば出来る。
 しかしそんな事では僕のプライベートな時間が減る。リフレッシュできないし、家族にも迷惑をかける事に繋がる。  

 とにもかくにも患者さんの数が多すぎるのが、諸悪の根源である事は明白だ。
 自分のためまた患者さんのためにも、受診者数制限もしくは分娩数制限を導入したいと心から思う。しかしそれは禁断の甘い果実でもある。僕がそれをしてしまうとあきらかに飛騨地方では産婦人科難民が出てくる事となるからだ。

 さてインターネットの時代となって、患者さんも評判をネットで集めて遠くまで受診するという時代が来ている。
 僕もたまにだがそういう所に請われて紹介状を書く事がある。しかしどうも人気のある医師の診療を受けようと思うと大変な待ち時間が出るらしい。考えてみればそれは当たり前だ。どんなスーパードクターだって全国から患者さんが集まってきたらそれは診きれる訳はない。人気のある病院では受診予約は1ヵ月後、手術予約は半年後なんて話も聞く。

 僕はもちろん全国から患者さんを集めるような医師ではないが、診療の質と量をどう維持するか、それは何時も考えている。いずれにせよ僕はもう少し上手く生きないといけないだろう。3年後も今と同様な暮らしをし続けていられるとは、とても思えないのだ。
2007年12月10日
仕事は誰がするの
 職員旅行絡みの温泉週末はあっという間に過ぎて、またすぐ仕事の日々に戻らないといけない。とりあえず今日の午後までいてくれる代務の先生のお陰で夜はしっかり眠れた。
 今日は午前中は外来診察がぎっしりと詰まり、午後からは開腹手術が3件とハードな一日だ。
 新たな要注意の急患さん受診もあるし、3件の開腹手術の麻酔も全て自分でかけなければならない。楽でない日々が延々と続いている。肉離れで山スキーにもいけないし、よくぞこれでプッツン切れずに仕事を続けていられると自分でも思う。

 さてさて、僕の勤める久美愛厚生病院は看板こそれっきとした総合病院だが、総医師数も30人程度と少なく、どちらかというと小規模な総合病院だ。
 この規模の病院は都会にあればとっくに淘汰されている所だろうが、きちんと生き残っているのは飛騨の地域医療にしっかりと根付いているからだと言える。

 とはいえ産科だけで考えれば、医師は僕一人しかいない。だから産科だけ考えると限りなく個人病院に近い態勢だ。
 にもかかわらず多くの患者さんは総合病院並みの医療レベルを期待して受診してきていたりする。僕もその期待に応えれる様今まで日々努力していたが、最近の忙しさにさすがにしんどくなってきた。

 僕のところには個人病院の産科医が手に負えない患者さんを僕に回してくる事も多い。他科の医師がこれは産科関係だからだという事で仕事を回してくる事もある。
 更に都会の大病院からも、近場に適当な産科病院が無いからという理由で、僕のところに患者さんを回してくる事もある。黙っていれば仕事は増える一方の態勢なのだ。

 一番困っているのは患者さんだから、誰かが何とかしてあげないと行けないのは良く承知している。しかしそこで自分ががんばりすぎると結局自分で自分の首を締める事に繋がる。

 僕は子供の頃から期待されると張り切る方で、他人の期待を裏切らないために精進する人間だった。すなわち良い子だったのだろう。
 しかし良い子だけでは上手く生きて行けない事にいい加減気づかないといけないと、この歳になってあらためて日々思っていたりする。
2007年12月09日
オンとオフのスイッチ
 この週末は寄り道つきの職員旅行で新潟の月岡温泉に行ってきた。
 ここのところガン手術多く特段にストレスフルな日々を送っていたから、もうとにかく僕の目的はリラックスと癒しだ。できれば携帯電話の電源を切って、完全に仕事から離れたい。
 しかし所詮は職員旅行だし、もし何かあった時の事を考えるとさすがにそこまでは出来なかった。

 逆に若い職員の中には、携帯を一時も離せない方も多く、寝る時すら手に持って寝ていたりしていた。何がそんなに携帯電話が楽しいのか、僕にはてんで見当がつかないが、そういうのを携帯中毒と言うらしい。
 なお僕は逆に携帯なんて手放せるものなら、少しでも身から離しておきたい。

 さてさて、携帯電話の電源が簡単にオンオフできるのと同様に、人間も仕事モードからリラックスモードにすぐスイッチが入れ替われば良いと思う。しかし人間そうは簡単にはいかない。何週間も連続し出発当日まで散々仕事していた緊張感は、遠く新潟まで車で走ってもすぐにはなかなかほぐれなかった。
 それでも極上温泉につかり、帰りはしっかり私用の寄り道をする事で、何とか24時間くらいは仕事から離れてリラックスできた気がする。
 
 また高山に近づくと病院から電話が入ってきたりして、嫌でも仕事モードに今戻されつつある。とはいえこの僅かな時間は、少しでも煮詰まらないために、とても価値あるものであったには違いないだろう。
2007年12月07日
職員旅行に行くのにも
 仕事は毎日きついが、ここのところ運良く深夜労働は無しで済んでいる。偶々の事ではあるがこれは幸運な事だ。今日の午後からは代務の先生が名古屋から来ていただける事となっている。
 今日昼からは日曜日までの予定で、新潟の温泉に職員旅行に行くつもりだ。週末を利用した年一度の慰安旅行だが、職員旅行に行くための時間をひねくり出すのも、僕にとって大変な事だ。

 僕の仕事量を決めているのは、病院ではなくて患者さんだ。いくら病院の慰安旅行だと行っても患者さんがのっぴきならない状況ならば、職員旅行にも行けない。
 似たような境遇にいる勤務医は他にもたくさんいるだろうが、それでも僕は特別大変だとやはり思う。

 僕以外の職員旅行のメンバーは今朝早く既にバスに乗って、温泉に出発している。僕はどうしても抜けられない仕事が山ほどあるので、後から一人で自家用車で職員旅行グループを追いかけ、現地合流の段取りとした。
 外来は受付時間45分で締め切りとする。それでも外来待合室は一杯となるから、一日で券を売り消り武道館を一杯にする人気ロックグループみたいだと思う。

 検査、外来、急患診察、回診、引継ぎ、その他業務を大急ぎで済ませて、何とか昼には職員旅行を追いかけて出発できそうだ。患者さんたちはあまりの慌しさに目を丸めていたが、許してもらおう。
 職員慰安旅行に行くのにも、こんなに大変で多くの方たちに迷惑をかける境遇にいる自分が可愛そうに思う。
 せめて極上?温泉で癒されてこようと思うが、実は一番悲しいのは、密かに狙っていた、旅行帰りのパウダー山スキー計画が肉離れで頓挫した事にもあったりしたりする。
2007年12月06日
不妊治療の進歩が産科医の首を絞める
 先月末から目の回るような忙しい日々が続いている。ただでさえもう限界的に仕事しているつもりなのに、更に輪をかけて忙しいとなるとやはり辛い。おかげで夜はバタンキューで直ぐに眠れる。
 今日は珍しくどんな電話にも起こされず朝を迎えた。

 ここの所の外来の混雑は目も当てられない状況なので、ちと早めに外来出動し、何時にもましてせっせと秒単位外来を続ける。何とか数をこなし仕事を先に進めないと、僕には週末休みさえ無くなる。
 外来終了後は、各種検査、最近目をかける事が出来なかった病棟業務、急患さんの処置となる。合間に家族への説明や事務方さんとの打ち合わせも入る。
 普段全く隙間無く仕事しているので、たまに隙間が出来ると必ずなにか他の業務が入り込んでくる。出来れば今日はちょっと早く仕事を終えたい思惑だったが、そんな願いは適わず今日も遅くまで仕事が続いた。

 さてさて多くの産婦人科医の間にはもう既に常識となっている事象の一つに、不妊症治療の進歩が産科医の仕事をますます逼迫させているというのがある。
 この10年間で体外受精を始めとする不妊症治療は、格段にポピュラーなものとなった。今や幼稚園児の1クラスに1名は、かって試験管ベビーと言われた体外受精による出生児という時代だ。
 
 しかし考えてみれば分かるが、体外受精というのはとっても不自然な妊娠法だ。
 つまり普通なら絶対に子を授からない様な高齢の方や合併症を持った方が、どんどん妊娠するようになっている。更には危険な双胎妊娠もどんどん増えている。
 つまり不妊症治療の進歩により、世の中に危険な分娩がどんどん増えているのだ。
 
 多くの現実を知らない方は、この不妊症治療の進歩が日本の少子化を救うと考えていたりする。しかしそれは大きな間違いだ。
 現実には、不妊治療の進歩が産科医の仕事を更に増やし疲弊させ、それがまた産科医不足に拍車をかけている。
 少子化を救うには、不妊症治療で危険な分娩を増やす事では駄目なのだ。
 安産で何人も子供を産める人が、更にもう1〜2人余分に安心して子供を産める政策を立てないといけない。

 行政の数ある的外れの政策の一つに、不妊症治療の助成事業というのがある。市町村が中心となり、体外受精を受ける患者さんに一律数十万円を援助するというものだ。
 もちろん高山にも形だけだがそういう制度があるし、都市部では利用者も多い事だろう。しかしその政策は逆に産科医のパワーを分散させ、少子化を更に進めている可能性がある。
 本当に正しい政策は3人、4人、5人と子供を産む人を、強烈に援助する事なのだ。

 さてこの事で僕は思う事がある。僕は最近なけなしの貯金をはたいて家を建てる事にした。直接の理由は病院提供の院宅では子供部屋の数が足りなくなったからだ。これはもちろん僕にとって経済的に大きな負担だ(人生設計の問題とも絡むしね)。
 子供が増えて何に困るかというと、僕の場合住宅問題だった。多分その事は都市部では尚更多くの人に当てはまる事だろう。

 つまり僕の考える少子化対策は、3人以上の子供のいる家庭に、確実にそれなりの住宅を提供する政策を建てる事である。
 これは不妊治療を助成するよりきっと役立つ。
 3〜4(4〜5)人以上の子供を持つ家庭が家を建てる場合、住宅資金を相当金額(部屋を一部屋増やせるくらい?)援助するというのが多分一番良いと思うのだが、果たしてどうだろうか。
2007年12月05日
分身の術を覚えたい
 毎日身を削られる忙しさの日々が続いている。仕事で毎日疲れきるおかげで、肉離れで運動にいけなくても運動不足という感じはあまりない。独特のイライラ感はあり時々周囲にぶつけたりしているが、夜は眠れてるからまだ大丈夫だ。
 
 今日も分娩室からの呼び出し電話で朝は始まった。同時に病棟からは入院中の患者さんがベッド上流産したという連絡が入る。
 更に救急外来からターミナルの患者さんが腹痛で受診してきたという連絡が入り、その上外来から別の進行流産の方が出血受診してきたという連絡が入った。この間約5分である。

 どれも僕に少しでも早く来て欲しいという連絡だ。しかし僕はもちろん一人しかいない。素早くトリアージをして、重症緊急度の高い順に仕事を片付けていく。
 この一つ一つの出来事にそれぞれのドラマがあるわけだが、僕にはそれぞれにきめ細かく対応する時間は無い。朝から戦場みたいなものだ。

 これらの緊急対応が済んで一段落したと思ったら、破水入院が入る。その指示を出していると今度はドック室から健診業務の依頼が来る。ドック室から戻ると今度は事務さんがレセプトの束を抱えて待っていた。
 水曜日定例の書類業務も多いし、その外に集団検診、看護学校講義、各種処置、また別の分娩。とにかく今日は一段と彼方此方から呼ばれ続けただ。師走で大忙しの人気芸能人さながらだと思う。

 おかげで今日も仕事でふらふらだ。足を壊して運動できない分、仕事で疲れきれている。
 何だかこれじゃ奴隷労働だよとも思う。しかしこの奴隷労働を命じている特定の誰かがいるわけではない。病院経営者側から仕事もっとせよなんて言われた事は、僕は未だかって一度も無い。
 僕はもう十分労働基準を越えた労働を長い事しているし、常軌を逸した売り上げも上げている。
 誰かが僕にもっと仕事せよみたいな事を一言でも言ってきたら、絶対切れてやろうと思っているのだが、まともな感覚を持っている人はそんな事を言う事は決してない。

 僕に仕事をさせているのは、困った顔や悲しい顔をして何とかして欲しいと僕の前に次々と現れる患者さんそのものだ。
 患者さんの多くはきっと僕より不幸だ(例外もありますが)。
 自分より強い誰かが、無理やり僕に仕事させているのならば、僕は幾らでも反抗し衝突し戦うだろう。しかしそういう人は実は何処にもいない。
 僕に無理やり仕事をさせている人たちの多くは、社会的弱者に当たる人たちが多いから、きっと僕は身体に鞭打ち続けていられるのだろう。
2007年12月04日
術後回診もできません
 昨夜と一昨日夜は、仕事こそハードだったものの夜中に呼ばれる事は無かった。
 太ももを痛めて以来トレーニングにも行けないし、しばらくは温泉にも入れない身体となった。おかげで夜は大人しく家で過ごすしかない。
 ちょうど星野ジャパンの野球オリンピック予選が行われており、めずらしく野球でテレビに釘付けとなる。

 やはり野球でもサッカーでも、国際試合が見てて面白い。
 特に一昨日の韓国戦はまさしく痺れる試合だった。派手なスタンドプレーこそ無いが、超一流の選手が勝ちに拘り、デッドボールや四球を狙い、データに基づいた計画野球を行う姿は、まるでプロレスのガチンコ勝負を見ているかの如くだった。
 プロの勝負は魅せる事が大事なのだろうが、たまにこういう真剣野球を見ると、野球も面白いスポーツだなあと改めて感じたりする。

 さてさて今日の仕事はまたしんどかった。
 ガン再発の患者さんは、それこそ命を懸けて僕の一つの挙動判断に注目している。多くのガン患者さんにとって、医師の前に座っている時間というのは、まさしく真剣勝負と同じ時間だ。

 僕は妊婦健診や、良性疾患、各種炎症性疾患に混ざり、同時に多くのガン患者さんの治療にも当たっている。
 しかし外来をやる日は一日に100人の患者さんの診察に当たらないといけない関係で、僕は命がかかったどんな重要な判断でも、いつもその場で数秒で決断を下さないといけなくなっている。
 もちろんその判断を得るために、患者さんに説明したり、意見交換をしたりする時間は非常に少ない。
 患者さんは少しでも僕の話をゆっくりと聞きたいのだろうが、誰かに余分に時間をかけたら、その陰で時間を減らされる患者さんが出てくる。非情でもとにかく僕はどんどん重要な判断をベルトコンベア式にしていかないといけないのだ。

 しかも僕は今日のような猛烈な外来診察をしながら、同時にたくさんの入院患者さんも抱えている。
 中には重要な手術で術後管理が難しい方もいる。抗がん剤を点滴している方もいる。更には分娩も突然入る。なにか特別な事が入院患者さんに起きてきても、僕は外来やその他業務で全く手が離せなかったりするのだ。
 仕事に余裕のある医師は一日に何度も回診する方も中にはいるが、僕にはそんな余裕は全く無い。

 だからせめて減らせる業務は徹底的に減らさないといけない。僕はもうその点で全く妥協するつもりはない。レセプト業務とか保険書類業務、病名付けとか、薬の処方の記載など、普通は医師がやらなければならない業務でも、どんどん周囲コメディカルの方たちに業務を回すようにしないといけない。
 仕事には重要度に差がある。真剣勝負の仕事の方が優先されるのは当然だろう。
2007年12月03日
手術を受けるのに同意書は何枚?
 深夜に呼ばれる事こそ無かったが、今朝も分娩室からの呼び出し電話で一日は始まった。とはいえ今日もいろいろな事があったので朝のことでも随分前の様に感じる。

 良く年を取れば、月日の経つのが早くなるという話を聞く。それは確かに僕もそう思う。30歳の頃の1年間は40歳の頃の1年間と比べ、確かに何倍も長かった。
 とはいえ一日の仕事の濃密度はもちろん今も昔もほとんど同じだ。一つ一つの仕事の価値が高い分、今の方が売り上げは多いだろう。
 自分の身の回りを動く時間の長さは変わらなくても、自分自身が感じる時間は短くなっている。なせそうなるか、いつかその秘密を科学的に解き明かして欲しいものだ。
 
 さて、今日の外来ももちろん何だかんだと色々な事があった。午後からは大きな手術があり、冷や汗も書く。
 手術中に一生懸命止血操作をしている時は、痛い左足肉離れの事も忘れて、左足にしっかり負担をかけた立ち方をしていた。
 こんなにいろいろな仕事をしていては、肉離れのリハビリに安静にしているなんて、絶対に不可能だ。
 とはいえ肉離れの痛みは確実に快方に向かっている。整形外科医の教えに背いて、正月までに山スキーに復帰できないかとアミノ酸を飲みながら策を練っているが、果たしてどうなるだろうか。

 さてこの数日間は大きな手術が、ひっきりなしに続いている。そのほとんどがガン手術だ。
 金曜日に手術代務に来てくれた先生にも、まるで名古屋の日赤病院の様に(たくさんの)ガン手術をしていると言われたが、確かにこの1週間はそうだろう。
 しかもそのレベルや内容も多岐に亘っている。なかなかハードな日々なのだ。たまたま深夜分娩が手術前日に無く、夜中に僕が寝れている事は、患者さんにとっても僕にとっても本当に幸運な事だ。

 さてさて話は変わり、ガン手術となれば帝王切開等のルチーン手術と比べ、医師の手術以外の書類業務も各段に増える。
 同意書一つとっても、僕は一件のガン手術で同意書を5枚書いている。
 内容は輸血、血漿成分、血液製剤、麻酔手技、及び手術自体の同意書だ。これだけの同意書が必要になるのは、厚生省の指導もあるからだ。
 しかしもちろん忙しい産科医に、同意書毎にその内容を懇切丁寧に説明などできる時間など絶対に無い。はっきり言えば、同意書なんて形式だけの事とも言える。

 僕が医師になりたての頃は、良く「何があっても文句言いません」という意味の同意書だけ取って、後は全て医師の裁量任せという時代の名残がまだ残っていた。
 医師の世界の同意書の変遷は、ある意味医療の変遷を良く反映している。
 しかし産科医の需給事情は昔より今の方が更に厳しい。産科の世界は理想と現実が全く遠く離れている。理想ばかり周囲から要求されても、産科の世界ではもはや形式的な事ばかりが増えていくだけなのだ。
2007年12月02日
健康食品でも薬でも健康グッズでも何でもありで
 せっかく代務の先生に来ていただいている週末だが、肉離れのために何処にもいけない。調べたところによると、肉離れを起こした直後は特に安静が大事だとの事で、できるだけ出歩かずに今日は過ごす。まだ足の痛みはしっかり続いている。
 これでまた明日(今夜)からは厳しい仕事が始まる。そうなれば安静にしてなんていられない。だからせめてこういう日曜日に大人しく過ごすしか僕にはないのだ。
 話では長男の中学校でも今日は親子サッカーがあるそうだが、滅相も無い話で当然キャンセルする。もう当分サッカーは御免だ。

 しかしせっかくの日曜日に家でじっとしているなんて、ストレスがたまる一方だ。せめて子供達と食事に行ったり、床屋や本屋に行ったりして。それなりの家族サービスで過ごした。
 ついでに薬屋さんで、身体に良さそうな健康食品を買ったりもする。溺れる者は藁でも掴むと言うが、とにかく安くて良さそうな物を幾つか購入したりする。

 またネットや本でもいろいろ身体に良さそうな物を調べて、通販で今日は購入してしまった。中に肩こりからガン予防にまで効く赤外線発生ゴムみたいなものもあったが、何だかピンと来るものがあって、高いが思い切って購入してしまった。
 僕は慢性肩こりの人間だ。酷い時は肩こりから頭痛にまでなる。もしそのゴムがてきめんに効いたら、またこのHPにその体験レポートを書こうなんて思っていたりする。何事も物は試しだ。

 僕はがん治療も良くする。多くのがん患者さんも、藁にもすがる気持ちでこの手の代替医療に手を出すものだ。
 中には法外な値段のものもある。その手の代替医療で折角の遺産を使い切ってしまう方も多い。僕はそういう例を良く知っているので、あまり代替医療には感心していない。もちろん患者さんに勧める事は無い。しかし人間はやはり、弱いもので。何かが起こるとやはり何かに期待してしまうものだ。

 肉離れはもちろんガンとは違う。いずれは必ず治るだろう。しかし今回の肉離れからどれだけ早く回復できるか、自分の身体で実験してみるつもりでいろいろなもの(高価なのは不可ですが)に挑戦するのも悪くないと思っていたりする。

お昼は高山のお好み焼きの名店独楽へ(ミシュランの日本旅ガイドにも載っているという噂あり)


絶品お好み焼きに興味津々


とりあえず薬屋をチェック。肉離れに効くかどうかはともかく、安くて身体に良さそうなものを試したり・・・

 
 
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