お茶女裁判 その5   2007.09.30

オーマイニュースというサイトがある。
市民が誰かに「記者」と認定されて、好き勝手なことを書く「インターネット新聞」ということのようである。

そこに、三田典玄という人が、今回の裁判に関して書いた、次のような記事がある。
2007-09-24 11:30
今回は、その「反撃された側」の当事者である、お茶の水女子大学の冨永靖徳研究室での議論について、その議論の実際の中心となった山形大学の天羽優子氏(もちろんi-foe.orgの主催者でもある)にメールでのインタビューを試みた。

ほぼ同じ内容のメールでのインタビューを、今回の訴訟の原告、吉岡英介氏にもお願いしているが、現状返事がない。吉岡氏の主張は、その返事が帰ってきたときに記事にするとして、今回は天羽氏のインタビューに的を絞って、そのインタビューの内容をそのままご紹介する。

中略

 現在、記者は今回の訴訟の原告、吉岡氏からの回答を待っているところだ。もちろん、吉岡氏からの返答がなければその主張を載せることはできないが、もし返答があれば、その内容はなるべくそのまま、ここでお知らせしたいと思っている。

ところが、私のところへは三田氏からのインタビューの依頼などまったく来ていない。
そんなメールは来ていないし、確認のメールもないし、督促もない。
依頼したというなら、そのメールの送信記録を公開してほしいものだ。

やり方が杜撰というより、卑劣である。

この人の記事は、最初から予断があって一方的である。
オーマイニュースという試みそのものが全然ダメだ、ということを具現しているような記者である。

オーマイニュースなどどうでもいいし、依頼が来たら回答するかというと、これほど偏向した記者にはたぶん回答しないし、そもそも回答する必要性などまったくないのだが、私を支持する人々もいて、その人々が心配しているので、事実を明らかにした。



さて、天羽優子氏は9月11日の裁判に神戸までやってきて以来、あちこちに膨大な量の書き込みをして、裁判に熱中している。しかし、根本で勘違いをしているので、やっていることがすべて滑稽でしかない。

この裁判は簡単なことで、天羽優子氏などお呼びでないのである。

たとえ話をすれば、どこかに何かにとりつかれたおばさんがいて、夜な夜なガリ版を切って謄写版でビラを刷って、朝になるとそれを近所に配っているとする。そこには特定の他人に対する中傷が散りばめられていて、人々がそれを信じれば、それは名誉毀損になり営業妨害になる内容である。
しかし、そのおばさんの奇妙さは近隣では有名なので、受け取った者はそんな内容を信じないし、誰も相手にしない。
ところが、あるとき、天下の大新聞の記者がそれを受け取り、その内容をそのまま記事にして、全国的に大々的に報道した。人々は大新聞に書かれているのだから、とその記事を信用した。
それによって、そのビラに書かれた人の名誉が毀損され、営業に損失が発生した。

そのとき、その被害者は、誰を訴えたらよいのか。
おばさんか。新聞社か。

そういう話をしているのである。簡単なことだ。
そのおばさんの行動は、死ななきゃ治らないから、ほっておくしかない。
それを、大新聞が取り上げなければ、それでいいのである。


お茶の水女子大学当局は、自学のホームページがどういう目的であるかを定めており、その目的にふさわしくない内容の記述は削除する権限があるし、削除する義務があることを、自身の運営規則に定めている。

今回、私はその運営規則にしたがって、権限者であるお茶の水女子大学当局に、当該記述の削除を要求した。

お茶の水女子大学は、学内のルールあるいはプロバイダー一般の手順にしたがって、その記述を書いた者を特定し、その者に、その記述の削除依頼が来ていることを知らせ、その者から答弁書を得て、その答弁書を熟読玩味し、しかるのちに、お茶の水女子大学として、当該記述は削除する必要がないと判断し、その旨を私に告げてきたのである。

つまり、今現在では、当該記述がそこに残っているのは、書いた者の意思によるというよりも、むしろ、お茶の水女子大学当局の意思として、そこに残っているのである。

だとすれば、状況の是正を求めて、私は誰を訴えればよいのか。
書いた者か? そうではないだろう。


お茶の水女子大学当局の、「削除しない」という判断と処置が適正かどうか、それを裁判所に判断してもらおうというのが今回の裁判である。
その記述は、他人の名誉を毀損しているのではないか。
それは文言だけで判定できる。書いた者の意図や目的など知る必要はない。
そして、もし名誉毀損だとすれば、そのような文言をお茶の水女子大学が発信し続けることが、大学のサイトの目的にかなっているのか。
そのような記述は大学として規制するのが、大学の責務ではないのか。

それを問う裁判である。

だから、書いた者は無関係である。
apjだろうが、pjaだろうが、書いた者は誰でもいい。
原告、被告の双方が、書いた者の参加を必要としていない。
そして、おそらく裁判長も、書いた者の説明など必要としていない。


天羽優子氏自身が、最近、テレビに良く出てくる橋下弁護士の、光殺人事件の弁護団に対する発言について、以下のように書いている。

http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=6542#comments

YO   橋下氏の発言前にたかじんや辛坊も宮崎も明らかに煽っていた訳で橋下氏はそれに乗っかって発言した訳でそれをカットせずに放送したのは読売TVの責任なのですよ

ですので今回の民事裁判は訴える人(法人?)を間違えた
もしくは何らかの目的でわざと橋下氏個人を相手にして来たのか・・・
by YO at 2007/09/28 19:16:56


YOさん、
>橋下氏の発言前にたかじんや辛坊も宮崎も明らかに煽って
>いた訳で橋下氏はそれに乗っかって発言した訳で
>それをカットせずに放送したのは読売TVの責任なのですよ

まあ、この点は同意します。私も、弁護団の提訴を容認しているわけではない。
弁護団の行動としては、テレビ局を提訴し、橋下弁護士には懲戒請求を出す、というのが理にかなっているのではないかと思います。
by apj at 2007/09/28 21:35:56

まぁ、そういうことだ。

テレビ局には発言をカットする権限がある。私もときどきこの番組を見るが、たかじんの発言など、いつもカットされている。だから、そのまま放送したのはテレビ局の意思である。提訴するなら、その相手はテレビ局、というのが常識だし、法理にかなう。
天羽優子氏も、そう認めているわけだ。

そこで弁護団が、テレビ局を提訴したとしよう。

その裁判が行われているところに橋下弁護士がやってきて、「発言したのはオレなんだから、オレも裁判に入れろよ、当の発言者をさしおいて、なんでお前らだけで裁判をやるんだよ、訴えるならオレだろうが」などとわめいたら、頭がおかしいと思われるだけだ。


お茶女裁判における天羽優子氏の立ち回りは、このようなものである。



さて次に、天羽優子氏は、裁判の証拠書類をどんどんインターネットで開示している。
これがわが国の裁判制度の中で、適切な行為かどうか、私ははなはだ疑問である。
次回裁判で、裁判長に聞いてみよう。

裁判の証拠書類を、誰でも入手できるのかどうか、私は知らない。
いろいろな者の利害がからんでくるから、関係者に証拠書類を閲覧させたり、コピーを渡したりすることは、意味のあることだとは思うが、そのようにして入手した証拠書類を、不特定多数が安易にアクセスできるインターネットで公開することは、適切だろうか。

そういう書類の中にはプライバシーに関することも書かれている場合があるだろう。
それをどんどん公開していいのか。自分で伏せ字をすればいいのか?
昔は、公開しようにもそういう手段がなかったから問題はなかったのだが、いまインターネットという手段がある。それは裁判制度にとって想定外のことではないか。

天羽優子氏は、構うことはない、公開する手段があって、それを阻む法律がないのだから、どんどん公開してしまえ、とやっている。


裁判に訴えるということは国家を煩わせることであり、「どこそこに住むなになにと言う者でございます、恐れながら・・・・」と訴え出るのが作法であり、実際に制度はそうなっている。
つまり、訴え出る者は住所を明らかにする義務がある。それだけの覚悟を要求される。

ところが天羽優子氏いま、自分の住所だけを伏せ字にして、勝手に書類を公開している。
それは身勝手というものではないか。

原告の住所も伏せ字にしているから「おあいこだ」と言うなら、大きなお世話だ。
私は、住所を知られても構わない。

私のところにも、当然ながら書類はすべてある。
しかし私は、今のところ、それをインターネットに載せようとは思わない。
粛々と裁判をするだけだ。

しかし、天羽優子氏は、証拠書類をインターネットで公開した。
それなら、書類をすべて、自分の住所を含めて公開すべきである。
それがフェアーなやり方だ。
裁判に押しかけてきて書類を入手し、それを勝手に公開して自分の住所だけは秘匿する。
それはフェアーなやり方ではなかろう。

天羽優子氏は、身勝手な伏せ字をなくすべきである。
それができないなら、証拠書類の公開もやめるべきである。
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