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フィギュアからの逆輸入

先日、市内某所にてアダルトゲーム「すくぅ~るメイト」を、やった。今年のはじめにある種の巷で話題に上がった『キャラクターフィギュア』を動かして以来、気になる作品であった。いわゆる「アニメキャラ」をディスプレイ内で垂直・水平方向に回転させて見ることが出来る、その違和感のなさに、深く感心した。アニメ絵の3D化は今に始まったわけでないけれども、このメーカーのゲームは、キャラを見る視点を自由に動かせるし、(「アダルト」な意味で)触りながら、つまり反応を見ながら動かせる。そして従来は3D化に馴染む「リアル」タッチのキャラが採用されていた。これがアニメ絵のキャラに差し替えられた、それだけのことだが、この種のゲーム特有の、悩ましい表情の微妙な変化を全角度でカバーしてしまうところに魅力を感じる。また、実際にゲームをやって面白いと思ったのは、キャラクターがフィギュア的なことだ──絵が動いているというよりも、アニメキャラのフィギュアが動いている。特に髪が面白い。アニメ的な髪を変にリアル化することなくそのままフィギュア化した妙な質感のまま動いている。
今後この種の技術がゲームに採用される機会も増えるだろうが、キャラクターデザインはフィギュア化しやすいものに絞り込まれるのかもしれない。その一方で、ある種の少女まんが的キャラクターに対するある種の需要は、従来通りの紙芝居型ゲームで満たされ続けるのだろうか。
それにしても、このメーカーのゲームの何が辛いかと言えば、シナリオがないこと、というか、えっちシーンにシナリオがないことだ。普段は粋がっていかにも耳年増的な猥談を語ってみせるある種の人々が一体、どんな素敵な「プレイ」を楽しむのか知りたいところだが、少なくないプレーヤーは多分、その空しさに耐え切れずに挫折するのではないか。例えば、「選択肢」としての「プレイ」の組み立て次第でなんらかのシナリオが発生するならまだ、彼らにとって救いがある──実際は、それすらない、ただキャラクターの反応を楽しむしかない。私は、このメーカーのゲームを心底楽しめるユーザーを、遠巻きながら尊敬してしまう──空しさを堪え忍ぶだけの強さを彼らは持っており、「シナリオなしにアダルトゲームも出来ない連中はヌルゲーマーだ」と説得力を持って断言できる資格がある。そもそもいかなるゲームであろうと、ゲーマーにシナリオなど不要ではないか──それとも、私の思い描くゲーマー像が過度にストイックなのだろうか。
ちなみにこのゲームは「着せ替え」が充実しているので、着せ替え好きの人──例えば私だ──も、それだけでそこそこ楽しめる。えっちシーンをこなす度に獲得するポイントでコスチュームを購入できる仕組みだから、たとえ辛くても頑張れるのではなかろうか。

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