■「白凡逸志」(金九の自叙伝)の記述
※鴟河浦義挙の場面
※日本人をいきなり殺した描写
※翻訳の為、言葉を平易にしてあります


http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/browse.cgi?code=80_234&page=%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E6%96%87%E5%BA%AB
…私は刀を拾って、倭奴の頭から足の先まで、あらゆる体の部位を切り裂いた。
2月の寒い夜明けの事だった。
氷が張っていた地面に、血が泉が湧くように流れた。
私は血を手で飲んだ。
また、その倭の血を私の顔に塗り付けた。
そして血が滴る刀を持って部屋に戻り、「さっき、倭奴を救おうとした奴は誰だ?」と叫んだ。
皆、怖がって震えていた。
死体の処置について、私はこう言った。
「倭奴は我が国と国民だけの仇ではない。水の中の魚にとっても仇なのだ。この倭の死体を河に沈めて、魚に国の仇の肉を喰わせよ」
(中略)
「今日は飲みたかった倭奴の血を満足するまで飲んだので、飯が胃袋に入らない」と呟き、涼しい顔をした。
(中略)
私は主人に「あの倭は誰だ?」と尋ねた。
(中略)
やがて船員が倭の所持品を持ってきた。
所持品を調査すると、その倭は陸軍中尉(軍人)の土田譲亮(Tsuchida)という男だった。
…残虐な殺人です。
それでも韓国人にとっては「悪魔のような日本軍の軍人を殺したのだから義挙だ!」という理屈があると思います。
しかし。
驚くべき資料が発見されました。
「アジア歴史資料センター」の資料画像です。
事件が発生した時の記録です。

■事件発生当時の記録(まとめ)
1.土田譲亮(Tsuchida)は一般人で対馬の商人だった。
2.土田譲亮(Tsuchida)は4人か5人の韓国人に、鉄の棒で殴り殺された。
3.犯人は死体を川に投げ捨て、金品を略奪し、逃走した。
…その後、金九は大韓帝国の警察に逮捕されます。
その調書では…。
■大韓帝国の警察の記録(仁川港警務官 金順根による調書)
1.韓国の宿屋では年長者が先に食事をする習慣があるのに、年下の日本人が先に食事をしたので、憤り、3人で殴り殺した。
2.死体は川に捨てた。
3.腹にあった財布を奪い、それで宿賃を払った。
4.奪った金品は、75両とロバ1頭である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%9F%E6%B2%B3%E6%B5%A6%E7%BE%A9%E6%8C%99
…つまり金九は「単なる強盗殺人犯」でした。
しかも殺したのは対馬の商人(他の資料で薬屋と判明)です。
一般人だったのです。
この一般人を殺害し、金品を奪ったのが金九だったのです。
金九は、この「強盗殺人」を「独立運動」のように偽装したのです。
その為に「俺が殺したのは日本軍の軍人だった!」と嘘を言ったのです。
■金九の行動(まとめ)
1.日本人の薬の商人を集団で囲み、殴り殺した
2.日本人の血を飲んだ(満腹になるまで)
3.金品を奪った
4.日本人の死体を川に捨てた
5.「強盗殺人」を「独立運動」のように偽り、自伝で自慢した

